第一幕 ご主人様、メイドカフェに来てくださいにゃ
一度、来てみたかったんだよ。秋葉原。
立ち並ぶビルを見回すと、どこもかしこも看板、看板、看板!
あのデカデカと貼ってある萌えキャラは、アニメの宣伝かな。ビルの窓を覆うくらい大きな垂れ幕には「美少女格ゲー」の新作。あっちには堂々と「ギャルゲー」の看板。
秋葉原……さすが萌えの街だね。ま、それだけじゃないのは知ってるけどさ。それを目当てに来る人もたくさんいるんだろうな。
おおっ! あれが有名な『とらのあな』か。コミックやゲームはもちろん、同人誌を大量に売っているってのは俺の住んでるところにはないからなぁ。
あっちの『ソフマップ』は、店頭も萌え絵のオンパレード。ソフマップって、パソコン製品の量販店なはずだけど、店の一面が萌え絵、萌え絵、萌え絵っ!
そう、俺は秋葉原の初心者です。電車を乗り継いで初めて訪れた、萌えとオタクの聖地。
ここはスゲーよ。とても俺の住んでる街と同じ国とは思えない。どこを見ても美少女イラストで溢れてて、「カワイイ」が目に入らない瞬間がないくらいだ。
ビルを見上げてキョロキョロ、お店の前でウロウロ。初心者丸出しの動きをしていることに気付いた俺は恥ずかしい気持ちになった。けれど、誰もそれを笑う人なんていないんだね。
みんながみんな、オタクの人たちも、そうでない人たちも、それぞれが秋葉原を楽しんでいる。ここはきっと、そういう街なんだろうな。
中央通りを曲がって『AKIBAカルチャーズZONE』っていう建物の前に差し掛かったところで
「カフェ・ミルキーウェイですにゃ。本日営業中ですにゃよ♡」
女の子にチラシを渡された。それを何気なく受け取る俺。
「ご主人様ぁ、喉が渇いてないですかにゃ? それともお腹がペコリンだったりしますかにゃ?」
……にゃ、んですと?
チラシを渡してきた女の子は、フリフリの服を着て満面の笑みを浮かべている。ピンクのワンピースに白いエプロンとニーソックス、頭にもフリフリのヘアバンドを付けた、ちょっと普通じゃない格好。
いや、そんなことよりも……
すんごい美少女! もう、めっちゃカワイイ!
語彙力がない? すまんね。
それじゃあひとつ付け加えるなら、ここまで秋葉原の街で見てきたどんなポスターや看板の女の子よりもカワイイ! っていう表現で分かってもらえるんじゃないかな。
そんな女の子が誘ってくるカフェって……
「えっと、それってどういうカフェですか?」
カフェといえば、つまり喫茶店だよね。
でも、この子の格好が普通じゃない。もしかして、あんな事やこんな事が「サービスサービスぅ」な大人のカフェですか?
俺氏、心の準備も身体の準備も整っておりませぬが。
「メイドカフェですにゃよ♡ 今ならまったりなので、ゆっくりできますにゃ」
メ、メイドカフェ!?
噂には聞いたことがある。
メイドになりきった店員が、客を「主人」に見立てて給仕などのサービスを行う喫茶空間(ウィキペディアより抜粋)だよな――ゴクリ。
つまり、カワイイ女の子メイドさんとお喋りしながらドリンクを頂いて、オムライスにハートマークをデコレーションしてもらって、ついで「あ~ん」とかしてもらえるカフェだよな――ゴクリ!
ご主人様と呼ばれて尽くしてもらって、想像しただけで生唾ゴクリなハーレムカフェだよねっ!
「ご主人様、よく知ってるにゃ♡ もしかして他のお店で常連さんかにゃ?」
「いえ、初めてです!」
俺は今まで、メイドカフェに行ったことがない。ネットや雑誌で見たことがあるだけだ。だいたい、俺の街にメイドカフェなんてないからな。
でも、興味はあるよ? 健全な男子諸君ならわかるだろう? みんな恥ずかしいから敬遠しているだけであって、人生で一度は試してみたいことランキングあったら、必ずトップ5には入ってくると思うんだ。
そんな持論を脳内で繰り広げていると、メイド服の女の子は俺の顔をジッと見て
「今日は暑いですにゃ。ずっと歩きっぱなしだと、水分補給も必要ですにゃよ?」
澄んだ瞳で下から覗き込むように、イタズラっぽく、俺の額に流れる汗を見ているようだった。
たしかに今日は暑いな。夏も終わる九月の週末だが、日差しはまだまだ強い。午前中からずっと秋葉原の街を歩き続けていた俺は、さすがに汗びっしょりだ。
この子はそんな俺に、「少し休んで、喉を潤してはいかが?」と言ってるんだろう。
優しいし、気が利くんだな。メイドさんて。
「そうですね。そういえば喉が渇いてます」
「ですにゃよね! わたしもずっと立ちっぱなしで喉がカラカラですにゃ」
よく見ると、この子も顔にうっすらと汗をかいて疲れた顔をしている。そりゃあ、そんな格好で炎天下にいたら大変だろう。その衣装も暑そうだし、日陰もないし。
だから俺は考えたんだ。この子がここでチラシを配っているのは、お客さんが来ないからなんだろうって。こんな優しくて気が利いて、すんごい美少女が暑さで倒れてしまう前に協力してあげよう、ってね。
決して邪な考えがあるわけじゃないぞ? 俺の喉が渇いているのは本当だし、何よりこの子を放ってはおけない。そりゃ、メイドカフェに興味があるのは事実だが。
「じゃあ、行ってみますんでお願いします」
「ありがとうございますにゃ! ご案内しますにゃ♡」
美少女はパァっと明るい顔をして喜んでくれた。
良かった良かった、これで俺はひとりの少女を救ったわけだ。ついでに俺の喉も潤えば、一石二鳥。あくまで俺の願望は二の次だからな。
ルンルンと歩く少女についていくと、通りの隅に「ミルキーウェイ」という看板があった。寂れた佇まいの雑居ビルの、地下1階。
なんか、暗いんですけど。
地下へと降りる階段に照明はないし、お店の看板も内側に寄せてあって、敢えて目立たないように置かれているような。
例えるなら、秋葉原の街にある小さな闇――ってのは言い過ぎかな。
メイドカフェといえば、もっと明るいイメージがあるんだけどな。行ったことないから偉そうに言えないけど、これじゃまるで異世界への入り口みたいだよ。
俺は少しだけ不安を覚えて、先に階段を下りていく女の子に聞いてみた。
「ね、ねえ。ここって本当にメイドカフェなんだよね?」
「はいですにゃ。ちゃんとご主人様にお給仕するメイドカフェですにゃよ。ただ……」
女の子は俺に背を向けたまま立ち止まると、そこで言葉を止めた。そして続けて発した声に、俺は戦慄した。
「ここは普通のメイドカフェとは違うのだ。覚悟はいいか、人間よ!」
枯れた女の声。しゃがれた怒声。さっきまでの美少女とはまるで別人の声。
俺はビクっと固まった。なんだ? 一体どうしたんだ?
さっきまでの「にゃ♡」っていう語尾はどうしちゃったんだよ!?
そうして女の子は、入口のドアを手前に引いた。
まさか俺は、とんでもない所に連れてこられてしまったのか!?
※メイドカフェには、世界観を作るための専門用語があります。
まったり・・・お店が空いてますよ、という意味
ご主人様・・・メイドカフェに来店する男性客のこと