Victim (ヴィクティム)―――Mermaid days(マーメイド デイズ) Ⅰ
お時間いただけましたら、お読みいただけますようお願いいたします。
――――お父さんが死んでしまった。私たち、これからどうしたらいいんだろう。
私は途方に暮れて、妹のサナを見つめた。
さっきまで、「お前たち、私を許してくれ」と何度も繰り返していたお父さん。その人は、今はもう全く動かず、ここ何か月も続いていた苦しそうな息遣いも止み、静かに横たわっていた。
姉のトリシアは、たぶん起こっていることの十分の一も理解せず…………ぼんやりと父親の足を触っていた。
トリシアは父親が大好きだったが、その死を理解する頭脳は持っていなかった。トリシアは言葉を話す事さえできなかった。
その事についてお父さんは、私とサナに「たぶんトリシアは母親に似たんだろう」と言っていた。
その時、ずっと黙っていたサナが口を開いた。
「大丈夫よ、心配しないでマリーナ。お父様は私たちが生きていけるように、食料を生産するシステムを作っておいて下さったの。そしてそれを、半永久的に稼働するようにしておくって言ってらしたから」
サナは不安そうにしている私を気遣って、一筋こぼした涙をぬぐいながら言った。
「システム?…………半永久的?」
「ええ。野菜やなんかを自動で栽培して、収穫し、調理までするシステムを作っておいたって言ってらしたわ」
私はその答えを聞きながら少しほっとした。
それでやっと、目の前にいる、もう動かなくなってしまったお父さんと、もう二度と話すことができなくなったことに思い至った。私は急に寂しさがこみ上げて来て、声をあげて泣いた。
サナはきっと私より悲しんでいるのだろうと思う。
サナはよくお父さんと話をしていた。
サナは私たちの中で一番頭が良かった。お父さんもサナにだけは、ここにあるいろいろな機械の説明をして、作業の手伝いや記録を頼んだり、時には意見を聞いたりしていた。
お父さんとサナの間には、私の入り込めない信頼関係のようなものがあった気がする。
最初の数年は何事もなく過ぎた。
私たち三姉妹は、まだお父さんが生きていた時から、「決して人に姿を見られてはならない」と言いつけられていたので、あまり外に出ることもなく暮らしていた。お父さんが亡くなってしまった今も、それまで通り、生前のお父さんと一緒に暮らしていた小さな島の周りで一日を過ごした。
だが、ある年の嵐で、発電システムが故障し、サナがお父さんの残した資材を使って修理をしようと試みたが、なかなかうまくいかなかった。
なんといっても…………私たちは床の上で立ち上がることができない体だったので、サナはいざって行って手の届くところまでしか見ることができなかった。お父さんが生きている時に、家の中に私たちのために作ってくれた『廊下』を通るだけでは、機械の心臓部には近づけなかった(『廊下』はドアの下をくぐり家じゅうに張り巡らされていた)。
仕方なく、それからは自分たちで獲った魚や海藻を生のまま食べることになった。
魚を獲るためには、少し島から離れることもあった。
陸地の方の岩場に、毎日、日が昇る頃に、女の人に手を引かれて若い男の人がやってくることに気付いたのはそのためだった。
その人はただ、一日岩場に座って海のほうに顔を向けていた。夕方また、女の人が迎えに来ると手を引かれ、帰って行った。
私は毎日、それを眺めていた。
ある日、その男の人は不意に立ち上がると手を伸ばし、探るようにしながら、おぼつかない足取りで岩場を海の方に進み始めた。
私はその様子を見ていて、声をかけずにいられなかった。
「止まって!」
私の声にその人は足を止めた。
「誰?誰かいるの?」
その問いかけに答えるため、私はその人のいる岩場の近くまで泳いで進んで行った。
「それ以上前に進んでは駄目よ。海に落ちてしまう」
その人は私の方に顔を向けた。
「大丈夫だよ。これでも泳ぎは得意なんだ。子供のころは、よくこの海で泳いだんだよ」
そういってほほ笑んだ。
彼を最初に見た時から気づいていたが、やはり近くで見ても、その目は固く閉じられたままだった。
「君は今、海の中にいるのかい?」おそらく私の声が低い位置から聞こえてくるのでそう感じたのだろう。
「今頃の季節の海の水は冷たくはないかい?」
私は、昔、この季節にお父さんが言っていたことを思い出した。――――まだ春浅い海の水は冷たく、おそらく人間ならば、簡単にその心臓は動きを止めるのに――――-と。
そして、我に返り、彼の方を見て、さっき自分も泳ごうとしていたかの様なことを言ったくせに、と思ったが、私は、そのことは言わなかった。
だって、そういう風には見えなかったから。泳ぐために海に入ろうとしていたようには。
「とても冷たいわよ。でも平気なの」
私たち三姉妹はもっと冷たい冬の海でも平気だった。
「水温十度以下でも何の問題もない。やはり母系の遺伝の力だろうな」
昔、お父さんが、驚いたようにそう言っていたことを思い出した。
そう言えば、お父さんは、男の兄弟もいたけれど、みんな海の冷たさに死んでしまったと言っていた。
そして、「やはり、皮下脂肪のつき方が雌雄で違うことが原因なのか。もしくは、メスの方が変化に対して強靭なのかもしれない。第一世代はそういうものかもしれないな」と。あれはなんのことだったのだろう。
男の人はカイトと名乗ってくれた。
「僕は工場に働きに行っていたんだ。隣町の花火工場。そこで事故にあってね。それで目が見えなくなったんだよ」
カイトは、手探りであたりを確かめ、また岩場に腰を下ろした。
「僕が工場で勤めて給料を家に仕送りしていたんだ。それで、うちの家族の暮らしは成り立っていた」
カイトはそこで言葉を切った。やがて、
「でももう工場で働くことはできない。家にいても厄介者だよ」
そう、寂しそうに言った。
私はカイトが何のことを言っているのかさっぱり分からなかったが、悲しいのだということはよく分かった。
「いつも、手を引いてくれる女の人は?」
私の問いに、カイトは
「あれは姉さんだよ。僕が事故の後、家に帰ってきてからずっと僕の世話をしてくれる。研究所に働きに行って、家のことも全部やって、とても忙しいんだ。家には病気でほとんど寝たきりの父さんと弟が二人。母さんは何年も前に亡くなって、もういない。僕が工場で働いてお金を作らなくちゃいけなかったのに」
カイトは閉じたまぶたから涙をにじませた。
「家では誰も笑わなくなった。笑い声が聞きたいんだ。海鳴りの音は時々たくさんの人の笑い声が重なったように聞こえる。それを聞きたくて、姉さんに連れて来てもらっているんだ」
私は本当に悲しくなった。カイトは波の音を聞きに来ているわけではなく、波の音が笑った時に海に入ろうとタイミングを計っていたことが、そしてカイトの姉もそのカイトの気持ちがわかっていながらどうしようもなく、カイトの望む通りに連れてくるしかない、ということがカイトの涙と一緒に私の心に流れ込んできたから。
不思議なことだが、言葉などなくとも、カイトの心の中の声が私には聞こえるようだった。
波の音が笑うことはめったにない。もう今日は大丈夫だろう。
「ねえ」
私はカイトに話しかけた。
「明日もここにきてね。きっと」
次の日、私はカイトにあるものを持ってきた。
「これはなに?」カイトは私に自分の掌の上に乗せられたものを指で探りながら言った。
「お父さんがシンジュ、っていうものだと言っていたわ」
それは、私が海の底で獲った貝の中に入っていたものだった。
最初に見つけたのはトリシアだった。トリシアは私たち三人の中で一番海の奥底まで潜ることができた。
トリシアは食いしん坊なので、本当に欲しかったのは貝の中の身だったのだろうけど、それを見つけてお父さんに見せた時に、お父さんがとても喜んだので、一時期、三人で競争の様にそれを探したのだ。
サナはお父さんに道具を借りて髪飾りを作っていて、とても似合っていた。
貝を見つけても必ずシンジュが入っているわけではないし、入っていても形がいびつだったり色が良くなかったりした。だから、もう何年もかかって、真ん丸の形で綺麗なものは、やっと10粒ほどだった。
そのうちの一つ、私が自分で見つけたものを今日、カイトに持ってきたのだ。
「とてもきれいなのよ。虹色に光っているの。お姉さん、これを見たら、喜んで笑ってくれないかしら」
お姉さんが笑ってくれれば、この人の悲しみが薄れるのでは、と私は思っていた。
その時、不思議なことが起こった。
「ありがとう」カイトはそういうと掌に包み込んだシンジュを頬に持っていき、そこにそっと触れさせた。
「なんて、なめらかで、優しい手触りなんだろう。本当にありがとう」
そういうとカイトは閉じた瞼のまま、私を探すようにこちらを向いた。
そしてあいている方の手を私の方に伸ばした。
自分の方に伸びてきたその手に触れた時、びりっと指先がしびれるような感じがした。それは………もっともっと触れていたいと思うような、心地の良い痛みでもあった。
そしてカイトは言った。
「君の名まえは?なんていうの?」
私はその時、心臓がどうかしたのかと思うくらい早く打っていた。そして、なぜかとっさに自分の名前が思い出せなくなり、早く答えなければならないと気持ちばかり焦った。そのあげく、まるで怒ってでもいるかの様に、「マ…………マリーナ!」とだけ言うと、あわてて海に飛び込んだ。海に潜り、めちゃくちゃに泳ぎ、息の続く限り潜り続けた。海から上がったら、この一瞬の素晴らしい世界が消えてしまっているような気がして怖かった。
やがて、もう息がつづかなくなり、おそるおそる海面から顔をあげると、まだ、カイトはそこにいて、笑ってこっちを向いていた。
「あ……明日。明日、またね!」そういうと、カイトがうなずいてほほ笑むのが見えた。
明日また、会える。今日の続きが明日もある。
私はこれ以上ないほどの幸せを感じて家路についた。
その二人の姿を、遠くからじっと見つめるまなざしにも気づかずに。
興奮してなかなか寝付けないまま私は翌日の朝を迎えた。寝不足なのに、けだるさがむしろ心地よいような不思議な感覚だった。空はよく晴れ渡り、何かに祝福されてでもいるかのように私は浮かれていた。
私は、今日は午前中に海に潜って、あの、シンジュの入っていることのある白い貝を探してみよう、そして、もし見つからなくても午後にはカイトに会いに行こう、と一日の計画を立てた。
そして、トリシアとサナと一緒に、朝食(朝ごはんは海藻だけ、がほとんどだった)をとっていた。
その時、家の外から何やら騒がしい音が聞こえてきた。
お父さんが立てていたような足音が、でもとても乱暴に、たくさん重なったような音が聞こえてきた。そして扉を壊す音。
今まで私たちの経験した一番大きな騒動は、何年か前の嵐の日の海鳴りや、風の音のすさまじさだったが、そんなものとは違う。初めて経験する恐怖に私たち三人は肩を寄せ合って震えた。
物音がだんだんと、お父さんが作ってくれた私たちの『廊下』――――家の中に引きこんだ水路――――の一番奥の突き当りの、今、私たちが身を隠している、この部屋に近づいてきた。そして、最後のドアが破られた。
「いたぞ!」先頭の男が叫んだ。
「人魚だ、人魚だぞ!」
その男に続いて何人もの男が私たちに近づいてきた。その時、
「逃げて! マリーナ、トリシア!」そう叫んでサナが目の前の男にかみついた。
「なにしやがる!」男はかまれて逆上したのかサナを、持っていた長い銃のようなもの(お父さんの持っていた『銃』は掌くらいの大きさだった)で殴り倒した。サナは頭から血を流し動かなくなった。
「馬鹿野郎! 殺してどうする!」別の男が叫んだ。
そして私とトリシアはその男たちにとらえられ柵のついた水槽に押し込められた。
私はトリシアとも引き離され、一人きりで狭い檻の中の水槽に閉じ込められた。もう何日経ったのだろうか。
サナがあの後どうなったのか、一緒にとらえられたトリシアがどうなったのか全く分からなかった。
ただ毎日、スカーフを深く頭にかぶった女の人が私のいる部屋に来て私の水槽の掃除をして食事をとりかえて出ていく、それだけだった。
私はとらえられた恐怖や、一人ぼっちで閉じ込められたショックで、言葉が出なくなってしまっていた。
そんなある日――――――突然、私はとても悲しく、寂しさを感じた。身を引き裂かれるようだった。それで私は理解した…………トリシアが死んでしまったことを。
何故なのか、と聞かれても説明はできない。ただ、はっきりとそれを感じたとしか。
とてつもない孤独感に私は襲われた。
私は、もう一切の食事をとることができなくなってしまった。
おなじころ、その建物の中の『研究室』と呼ばれる部屋ではこんな会話がされていた。
「まったく…………お前が不用意に電気ショックのパワーを上げるから心臓が止まっちまっただろう、ケン!」
「すみません…………。ヨシズミ博士。…………しかし、あまりにも脳の大きさに対して、反応が低いので…………」
ふたりはトリシアの遺体を前にしかめっ面をして考え込んでいた。
「ゼロ号体はハシバが、かっとなって殴りつけたせいで死んでしまったし…………。まあ、環境保護団体や、動物愛護団体に気づかれる前で助かったが…………。それにしても、ゼロ号体を解剖した時に、分かっていたろう。脳の大きさにくらべ体の方はかなり原始的だってことが。もっと慎重に反応を見るべきだったんだ」
ヨシズミはあきらめきれない様子で、もう一度、トリシアの遺体を見つめた。
「…………ゼロ号体の様に会話ができればよかったんですが」ケンと呼ばれた若者は言い訳するように言った。
「個体差が大きいんだろうな。二号体もこちらの言うことは理解しているようだが、言葉を発したことはない」
ヨシズミはため息をつき、言った。
ケンは、そういえば、と前置きし、
「エリカの報告では、二号体は浜辺で人間と会話していたということですが?」と思い出したように言った。
だが、ヨシズミは
「エリカの言うことなど、あてにはできん。あれは、ただの雑役用務員だ」とケンの発した言葉を切り捨てた。
ケンはヨシズミに
「今までのところからの結論から言うとやはりF1ということですかね」と質問をぶつけた。
「ああ。 一代交配種だろう」
「つまり、人工的に作られたもの?」
「おそらく。オスが見当たらないが、いたとしても、交配はできないだろう。つまり生殖能力はないってことだ。…………あの小屋の中をくまなく探したが、資料は見当たらなかった。考えられるのは、バイオ技術を応用し、クローン作製技術を組み合わせ、そこに、細胞の段階で遺伝子操作を行う……………。
大まかな方法を推測することはできるが、実際に、どういう段階で、どういう数値で組み合わせて行ったのか。記録が全く残ってないのは残念だ。
まあ…………マッド博士も自分のやったことが恐ろしくて資料を廃棄したんだろうな」
ヨシズミは悔しそうに言った。
「それはそうと…………どうして、二号体を先に研究に使用しなかったんですか」ケンは、また質問をした。
「…………やはり、それには抵抗があった。二号体はゼロ号体と同じくほぼ我々と同じ『人間の顔』をしているからな。その点一号体は…………おそらく掛け合わせに使用されたであろう、アシカ属のトドによく似た顔だったから」
そして付け加えた。
「正確に言えば人魚でもない。アシカは魚ではないからな。…………まあ、ほ乳類である海獣をいろいろ試して、成功したのが、この三体だったんだろう」
「頭髪や体毛、上半身の皮膚の色や、その表面の肌理の様子などは人間と同じでしたけれどね」
「まったく。マッド博士の作った化け物だったよ」
ヨシズミは、一号体、と呼び名を付けたトリシアの遺体にもう一度目をやった。そして、その動かぬ体が発する、この世に決してありえない形であるという違和感に、もっと言えば、その姿が証明する、神への冒涜とも言える、人間の『探究心』という名の身勝手さ、不遜さに身震いをした。
「僕的にはゼロ号体の顔が一番好みでしたがね」ケンはのんきに言った。
「はん?化け物を恋愛対象に見れるのか?器用なもんだな…………まあ、キスくらいはできるだろうが」
気を取り直したヨシズミは、ヒヒヒと卑猥な笑い声を立てた。
「下半身はアシカそのものさ。無理無理」
ヨシズミの思惑とは別で、ケンはもともと、人間の、三次元の女性に興味はなかった。
「まあ、明日から、残った二号体の公開に入るが、準備はできているか?」
もうすっかりあきらめのついたヨシズミはケンに事務的に言った。
「はい、ですが、あの格好でよろしいので?」
「ん…………まあ、貝ブラでもつけさせるか」
そこで、ヨシズミは再び、とても知性があるとは思えぬ下品な笑い声を立て、無駄話は終わったようだった。
私はそのころ、水槽の中で、ぐったりと沈み込んでいた。もう生きる気力など残っていなかった。
――――ひとりぼっちになった。
私の心を占めるのはただ、そのことだけ。
今までは、離れていても、血のつながった姉妹のきずなを感じていた。けれどそれを今は何も感じない。誰もいない。
――――この世に私はただ一人。
「言葉はわかるのでしょう?」
不意に自分のそばで声が聞こえた。
私のいる水槽のある部屋はもう照明は落とされていて暗く、近くに誰かが来ていたということにも声をかけられるまで気づきもしなかった。
声のした方に目を凝らすと、天窓から差し込むわずかな月明かりの下、いつも水槽の掃除をし、食事の世話をしてくれる女の人の姿が見えた。この人は、いつも黙って作業をしていたので、声を聞くのは初めてだった。
「カイトと話をしているように見えたわ」
――――カイト?
潰れかけた心に、ふと明かりがともり温かいものが流れ込んだ。
ドクン。そして、そんな音が自分から聞こえた。
心は温かくなり、急に、身体にも力が湧いてきた。
「逃げて」その人はそう言いながらゲートのカギを開けた。
「逃げて。…………私のせいなの。私はこの研究所で働いてお金を稼がなければならなかった。クビにならないようにとあいつらにおびえ、媚ながら生きてきた。あなたが弟と話しているところを見つけてあいつらに知らせたのも私。あいつらに気に入られようと。仕事をずっともらえるようにと。…………あいつらは明日からあなたを見世物にして、金儲けすることをたくらんでる。許して。こんなことになるとは思わなかった。弟の友達になってくれたあなたを。高価な天然真珠を私たちにくれて、私たちを一家心中から救ってくれたあなたを。…………あなたやあなたの家族をこんな目に合わせることになるなんて」
私は戸惑った。言っている意味が分からなかったが、いつもかぶっているスカーフを取った、月明かりに照らされたその顔は、あの海岸の岩場にカイトを迎えに来ていた『お姉さん』だと分かった。
どこへ逃げればいいのか。私たちの家はもう帰れるところではない。
あの島に逃げてもまた捕まるだろう。
「いくところがない」私はそう言葉を絞り出した。
何日もしゃべっていなかった私の声はしゃがれ、かすれた。
「会いたい人は?好きな人はいないの?」カイトのお姉さんは暗闇でそうささやいた。
会いたい人、好きな人。
ドクン。
凍えきっていた体に、頭に、暖かい血液が循環を始めた。
ドクン、ドクン、ドクン………………。
――――私は…………私たちは何のために生まれてきたの?
なぜ、誰にも会うことを禁じられてきたの?
お父さんは、なぜ、私たちに謝りながら死ななければならなかったの?
サナはあの時、これから何が起こるか分かっていたの?
なぜ、私たちは……ほかの人たちと違う姿をしているの?
なぜ、あの人たちは私をあんな目で見るの?
なぜ…………。
ここに来てから考えていたのは、そう言った「なぜ」ばかりだった。
なのに、たった一回、カイトの名前を聞いただけで、私は、その、「なぜ」のループから抜け出せた。
――――会いたい、カイト。会いたい!
会って、あの笑顔を見たい。指先が触れた時の、あのしびれるような心地よい痛みをもう一度感じたい。
私は、心の奥底の原意識を取り戻した。
――――生きたい。
その時、「何してるんだ、エリカ!」どこからか乱暴な声が聞こえた。
「早く逃げて!」
エリカの声に背中を押されるようにして、私は真っ暗な海に泳ぎだした。
いくら海に棲む人魚と言っても、夜の海は恐怖でしかない。
それでも。
更待月の頼りない月明かりの下、生き延びるために泳ぐ。
この世界にたった一人残されて。
この世界でたった一人で生きていく。
この世界でたった一人のあなたに会うことのためだけに。
※ F1、一代交配種、ともに園芸用語で、人工的に交配した、また、一般的には次の世代を作る力の弱い雑種一代目の種を指す用語です。
転用させていただきました。
お読みいただきありがとうございました。<(_ _)>