勇者一行は全滅しました。
勇者一行が全滅した。
その知らせに国民は嘆き悲しんだ。
勇者一行の訃報を国へ持ってきたのは、彼らに同行していた白紙の魔法使いだった。
白紙の魔法使いは『魔法使い』ではあるものの戦力ではない。彼女はリセット魔法という指定した対象の時を戻す魔法の使い手だった。
リセット魔法がどういうものなのかと言うと、例えば何かに失敗した時に失敗する前に戻ってやり直せるという類の魔法だ。
ギャンブルで大損しても、戦いで死んでも、リセット魔法を使えばその前の状態に戻す事が出来る。
リセット魔法は一子相伝の秘法で、使う事が出来る者はごくごく限られている。
その特異性から国で保護されているという方が正しい。
「……して、リセット魔法が間に合わなかった、という事で良いか?」
玉座の間に案内された白紙の魔法使いに、王はそう問いかける。その口ぶりは落胆と失望の二つが色濃い。
隣に座る王妃や王子、王女の顔色も強張っていた。
玉座の間に控える兵士たちなどすでに顔色を失くしていた。
勇者一行の死もそうだが、白紙の魔法使いの姿もすっかり様変わりしていたからだ。
艶のあった黒髪は真っ白に変わり、健康的であった肌は荒れ、髪と同じように真っ白になっていた。
まるで幽霊のようだ。戻ってきた彼女を最初に見た兵士はそう思ったと言う。
白紙の魔法使いはそれほどに生気が無く、やつれていた。
ただ――唯一、目だけは元の空の色そのままだった。
「はい」
王の問いに白紙の魔法使いは短く答え、頷いた。
王は「そうか……」と呟く。
「猛毒の沼地を越えている最中に、沼地の主に襲われて、あの人たちは力尽きました」
「猛毒の……そうか。だがそなたは、よく無事で戻ってきてくれたな」
「あの人たちが助けてくれたので」
「そうか……彼らは最期まで勇者であったのだな……」
王の言葉に王妃と王子は目を伏せ、王女は両手で顔を覆った。
「皆、命を賭して戦ってくれた、彼らのために祈ろう」
王の言葉にその場にいた全員が手を合わせ黙祷する。
静かな時間でだった。
白紙の魔法使いだけは微動だにせずに、目だけでその光景を眺めている。
「…………して、な。戻って来て早々に申し訳ないのだが、そなたに頼みたい事があるのだ」
しばらくして目を開けた王は、言葉通り申し訳なさそうな様子で白紙の魔法使いにそう言った。
白紙の魔法使いは僅かに首を傾げる。
「何か?」
「王都の南地区で疫病が発生していての。そなたのリセット魔法で、それをなかった事にしてもらいたいのだ」
「疫病?」
「うむ。徐々に体が腐っていく病じゃ」
「ああ、それは大変なことですね」
白紙の魔法使いは、どこか他人事のような様子で頷いた。
王を含めた玉座の間にいた者たちは「おや?」と思ったものの、気のせいだろうと結論付けた。
「だからの、そなたに頼みたいのだ」
「ああ、無理ですよ」
「無理? ……ああ、そうか。旅から戻って来たばかりだから、魔力が足りないということか。それならば回復薬を――」
「いえ」
王の言葉を遮って、白紙の魔法使いは首を横に振る。
本来であれば不敬ではあるが――それを咎められる者はその場にいなかった。
何故なら、白紙の魔法使いの次の言葉で、全員の思考が止まったからだ。
「リセット魔法、もう使えませんから」
まるで「今日は良い天気だね」という世間話をするような言い方で白紙の魔法使いは言った。
「……は? ……使えない、とは?」
「ええ。ですから言葉のまま、リセット魔法なんてものはもう使えないんですよ」
動揺してざわつく玉座の間の中で、白紙の魔法使いの声はかき消されず、不思議と人々の耳に届いた。
「どういう事だ?」
「どういう事だと言われましても。使えないものは使えません」
白紙の魔法使いは戻って来て初めて――薄くではあるが――笑って言った。
その言葉に馬鹿にされたと感じた王は目を剥き、わなわなと震えたあと、
「どういう事だ!」
と怒鳴る。顔は怒りで赤く染まっていた。
大の大人でも怯むような剣幕だったが、白紙の魔法使いは涼しい顔だ。
「父上、落ち着いて下さい! ……その、どうしてですか?」
激昂する王の代わりに王子が柔らかく問いかける。
白紙の魔法使いは指で顔をかくと、
「まぁ、私がもう使えないなって思ったからですね」
と答えた。王子は困惑しながらも聞き返す。
「使えないと思った、とは?」
「言葉通りです。もうリセット魔法を使う事が出来そうになかったんですよ」
白紙の魔法使いは肩をすくめてみせた。
それから少しだけ目を伏せて、言葉を続ける。
「私は物心ついた時から白紙の魔法使いでした。リセット魔法なんて当たり前、リセット魔法って便利だなって、ずっと思っていたんですよ。そりゃそうですよね、失敗してもやり直せば良いんですから。正しい道だけ成功だけを選択していけば人生イージーモードです」
白紙の魔法使いは冗談めかして笑って見せた。
その場にいた誰もつられて笑う事がなかったが、おかまいなしだ。
「で、陛下からの命令で勇者一行に同行することになりました。そこでもリセット魔法を何度も何度も使いましたよ。そりゃ、強力な敵と戦うんですから、失敗することだってありますよね。でも負けてもやり直している内に、勝ち方も見えて来て、絶対に不可能だって言われていた相手にだって、あの人たちは勝ちました」
格好良かったですよ、と白紙の魔法使いは言う。
空色の目は慈しむように細められていた。
「私は戦えませんでしたから、いつも皆が傷ついて苦しんで倒れているのを見ているだけでした。そうしてどうしようもなくなった時に『リセットしてくれ』って頼まれるんです。でもね、本当にどうしようもなくなった時だけです。それなりの失敗なんて、あの人たちは自分たちで何とかしてくれていました。大変だろうからって。やりたくない事なんてやらなくて良い、自由に生きたら良いんだって。優しい人たちですよね」
「……勇者様」
白紙の魔法使いの話を聞く内に、王女の目からは涙が止めどなく零れていく。
彼女は勇者に淡い想いを抱いていたらしく、思い出話を聞くたびに勇者の顔が浮かんで辛いのだろう。
だが白紙の魔法使いは淡々と続ける。
「あの人たちが戦って苦しんでいるのに私はただ見ているだけ。でもあの人たちは戦えない私に、恨み言なんてひと言も口にしませんでした。心の中では思っていたのかもしれないけれど、言葉として聞いた事は一度もない。……私も怖くて聞けなかった」
その時、初めて白紙の魔法使いの顔が歪む。
「ただ、失敗したらやり直せば良いって笑うんですよ」
泣いているような笑顔だった。その笑顔に王子は胸が締め付けられるような気持ちになって、思わず駆け寄ろうとする。
――だがその動きは、白紙の魔法使いの次の言葉で阻まれた。
「だから私、その魔法をリセットしたんです。リセット魔法なんてないんだって、リセットしました」
白紙の魔法使いはおどけたように手を広げて言った。
「え……?」
「だからリセット魔法は使えません。そういうことです」
「そ、そなたが……リセット魔法をなくした……?」
「はい!」
震えた声の王に、白紙の魔法使いは元気に答える。
表情はぺかーと光るような笑顔に変わった。
明らかに異質であった。
「どうしてそんな真似を!」
「んー、どうしてですかね。そうしたかったからでしょうかね」
白紙の魔法使いは腕を組んで頭を捻る。
本当に考えているというよりは、やはり、どこかおどけたような印象が強かった。
真面目に話をしていないというわけではない。
ただ――どこか、認識がずれた場所に立っているような、そんな感覚だ。
白紙の魔法使いに向けられていた同情や困惑の視線は、一転して怒りのそれに変わっている。
刺し殺されそうな視線を受けながらも、白紙の魔法使いはけろりとしていた。
そんな彼女に王女は涙に濡れる目でおずおずと尋ねる。
「……恨んで、いるのですか?」
「うん?」
「私たちを……恨んでいるから、ですか?」
「別に?」
王女の言葉に白紙の魔法使いは首を横に振る。
「ならどうして、このような真似を!」
何度目となる問い掛けだ。
だが白紙の魔法使いは気を悪くした風でもなく、
「勇者の旅に私なんかを同行させるなんて失敗をしたから」
と、淡々と答えた。
「腕が千切れて、足が飛んで、死にかけて――それでも「大丈夫だからやり直してくれ」なんてね。本当に駄目な時だけでしたけど、でも……百は超えましたかね、あの言葉。そしてリセットしていく間に、あの人たちが、だんだんおかしくなっていくのが分かった」
白紙の魔法使いは自身の右手を見た。
ボロボロの手だ。その手を握って、再び前を向く。
「でも笑うんですよ。みんなのためだからって。頼むって。そう……笑うんですよ」
「…………」
「でも最期は違った。最期にあの人たちは私に言ったんですよ。もう楽になりたいって。だからリセット魔法を使わなかった。そして一緒にリセット魔法も消しました。……ご満足頂けましたか?」
これですべてだと白紙の魔法使いは言う。
その言葉のあとに、しばし静かな時間が流れた。
それを打ち砕いたのは、赤を越えてドス黒い顔をした王だった。
「…………裏切り者」
ポツリと。
王は白紙の魔法使いを指差す。
「裏切り者だ! ここに、裏切り者がいるぞ! 皆、こやつを捕え――――いや、リセット魔法が使えない役立たずなど、もはや必要ない。殺せ!」
怒鳴るような王の命令に、玉座の間に控えていた兵士たちが一斉に動き出す。
口々に「そうだ裏切り者だ」「こいつのせいで」「役立たず」と罵る。
兵士は手に持った槍や剣を白紙の魔法使いに向けながら、彼女を取り囲んだ。
憎悪に染まる数多の視線。
白紙の魔法使いは怯えもせずに、それらを冷めた目で眺める。
「これが、あの人たちの守りたかったものか」
一人一人の顔を見ながら、白紙の魔法使いは独り言つ。
「こんなもののために、あの人たちはおかしくなったのか」
その空色の目が、王たちに止まった。
瞬間、王たちの背筋に冷たいものが走った。
殺意ではない。
憎しみではない。
白紙の魔法使いの目はそんなものではなかった。
――――そして。
「――――リセットだ」
白紙の魔法使いがそう言った瞬間。
彼女を中心に、金色に輝く魔法の刃が縦横無尽に飛び交った。
それらは一切の手加減なく、慈悲なく、兵士たちの体を切り刻んで行く。
兵士たちは事切れて、バタバタと倒れ、玉座の間が赤く染まって行く。
悲鳴はほとんど響かなかった。上げる暇もなく息絶えたという方が正しい。恐らく痛みすら感じなかっただろう。
王妃も、王子も、王女も倒れ――――残ったのは王だけだ。
「ば、ばかな、魔法……!? なぜ、なぜお前が使える!?」
「そりゃ魔法は使えますよ。魔法使いですから。リセットの魔法だけしか使えないなんてあるわけないでしょ」
ガタガタと震える王に、一歩、また一歩近づきながら白紙の魔法使いは言う。
「なら、どうして旅でそれを使わなかった!」
「リセットの魔法って、魔力をごっそり使うんですよ。だから少しでも他の魔法を使えば、リセットなんて出来なくなる。だから使わない。使えない。白紙の魔法使いとしての私の役目は、あの人たちをリセットして守ることでしたから」
でも、と白紙の魔法使いは続ける。
「リセットの魔法なんてなくなった今は――そりゃ魔法だって使えますよ」
「さ、さんざん、面倒を見てやっただろう!」
「ええ。そうですね。あの人たちのおかげでよく分かります。お世話になりました」
「……ッ! あ、ああ……あああ……嘘だ、何だこれは。何だこの魔法は、こんな魔法の使い方は、まるで、まるで、まお―――」
「ええ」
白紙の魔法使いは王の目の前まで来ると、動けない王を見下ろす。
空色の目は、怯える王と床に広がる赤を映して淀んでいた。
「だから、やり直しているんですよ、あちらは。――――ただリセットしているだけです」
白紙の魔法使いは王の眉間に指を突きつける。
助けてくれと王が懇願しかけた瞬間、その一音すら発せさせず、魔法が王を貫いた。
王はそのまま物言わぬ体となった。
返り血で白紙の魔法使いの白い髪や体は、すっかり赤く染まっている。
「……やり直せるなら。最初の最初に戻って」
少し前まで人であったものを見下ろしながら、白紙の魔法使いは呟く。
「……楽にして、あげたかったなぁ」
その耳に、騒ぎを聞きつけて駆けつけてくる兵士たちの足音が届く。
白紙の魔法使いは玉座に背を向けた。




