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Embrace~黒き魔性  作者: 笹木道耶
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Additional Chapter〝対決〟(七)

     ◆ 7


(え?……)

 左の頬に、痛みを感じた。

 そして続けざま、今度は息が苦しくなる。

 のどのあたりに強烈な圧力を感じる。

 ひどく現実的な感覚だ。

 どういうことだ? 

 どこか、ヘンだ。

(…………)

 そして思考回路が──、

 ──クールダウンした。


 そうか──。

 そうだ。

 そうだよ。


 なぜ今まで、例え一瞬のこととはいえ、気づかなかったんだろう?

 考えれば考えるほど腹が立つ。


 何のことはない。

 『ただ私が、心の底から怯えていただけ』なんだ。


 我を失った彼女の、その果てしないほどの憎悪の迫力に。

 ただ、『私が──圧倒されていた』。


 相手は、不安定さのない、しかもあらゆる意味で、完全な──普通の肉体。

 『不老不死』であること以外は、普通の人間とほとんど変わらない、『完全体』の『永遠の生命』──。



 まさかの抵抗に遭い、一美の右腕が益美の首から左の襟へと移動した。

 二人の体がもつれ合い、下になっている益美は背中を廊下の床につけながらも、必死に逃れようと自らの背中の方向へ体を引きずるように進めていく。

 一美の左腕も右の襟をかすめ、そして首が多少自由になる。

 必死に後退する。

 しかし声は全く出ない。

 無言のままの格闘が続く。

(くっ──!!)

 再び首の苦しさが急激に増す。

 しかしそれと引き替えに、必死に益美の体を後退させていた右腕が、空を掴んだ。

(がっ、…………!?)

 バランスを崩した。

 戸惑いとともに、益美の視線は捉えた。

 そこには床がなかった。


 チャンス! ──。


 空を泳いでいた手のひらを、握り拳に変化させる。

 そして今度は、大きな弧を描いて、彼女の左脇腹を捉える。


 次の瞬間、呻き声が聞こえたかと思うと、不意に体が軽くなった。

 多少咳き込みながらも、そのままの勢いで思わず床を、軽く殴りつける。


 それほどに心が──、

 心が──怒りと、

 そして手応えを感じていた。


 恨めしそうな顔で彼女が見上げる。

「私の勝ちよ」

 一美は立ち上がろうとしたが、益美は彼女を簡単に組み伏せた。


 一六九cmある益美。

 運動神経抜群の益美。

 一瞬混乱していたとはいえ、基本的には冷徹で冷静な益美──。


 教師の家で育ったお嬢様。

 出産後まだ完全に戻りきっていなかった身体。

 そして混乱した、衰弱した精神状態──。

 冷静な格闘戦ならば、すべてにおいて益美が勝っていた。


「あなた、何か勘違いしてない? 私を殺してどうするつもり?」

「っ、…………」

「ねえ、私を殺してどうするつもりなの? あなた──自分が何をしているか解ってる?」

「…………」

 組み伏せられて、しかし抵抗をやめてはいなかった一美が、ピタリと抵抗をやめた。

 その目からは、大粒の涙が、次々と溢れ出し、そして、流れ落ちた──。


「そう。それでいいのよ──。

 あなたは私を殺すこともできず、何の目的も持てず、自らの罪の大きさに押し潰されながら、『生きて』いかなければならない。

 死ぬこともできず、真っ当な普通の仕事も、そのルックスを活かす仕事でさえもできない。

 友達や恋人を作ることもできない。

 ただただ自責の念に自由を奪われたまま、無様に無目的に、完全なる日陰の中を、今までのように超能力的な力を使うこともできずに、ただただ逃げに逃げて『生きて』いくしか道はない。

 海外に脱出することもできず、ひたすらこの小さな日本の中を、何の楽しみもなく──ね。

 それとも、海に出て、対岸に辿り着くまで泳ぎ続ける?

 どこに漂着するかも分からず、海に沈んで溺れたり、鮫やシャチに襲われる危険を侵してまで?

 死ぬことのできない、その身体で?

 ねえ、どうするの?

 興味あるなぁ、参考までに聞かせてくれない? 

 あはははっ……」


「……あなたは、私には勝てない」

「……ん、なに? なにを言ってるの?」

「あなたは、私には勝てない」


 一美はそう繰り返した。


「今日はダメでも、何度でも命を狙ってやる。

 絶対に殺してやる。

 あなたと私で、そんなに体力に違いがあるわけじゃない。

 それに私は、私は──」


 怒りのためか。

 それとも哀しみのためか。

 あるいは失望のためか──。

 一美の目には涙が溢れ、そしてその先の言葉は、無意識のうちに呑み込まれてしまった。


「残念ながら、それはやめた方がいいと思うよ?」

 益美はまるで、普段の学校での態度そのままの口調で──言った。

「だって、そんなことして、もし殺人や殺人未遂で捕まったらどうするの?

 あなたは既に『死んだ人間』なんだよ?

 ううん、それだけじゃない。

 例えそこがクリアできたとしても、あなたは今、四一歳。『その風貌で四一歳』。うふふ、話題になりそうなことね。みんなどう思うかなぁ?

 一度死んだと断定されていた人が実は生きていた。

 それだけじゃなく、『死んだときと全く同じ風貌で、現在も生きている』?

 うふふふっ、興味深いことよね?

 しかもあなたは、これから先も年を取らないのよ?

 一切老化しない。怪我したってすぐに治る。

 そうなんでしょう?

 それがどういうことだか解る?

 あなたにはもう、『超能力』はないのよ? 解ってる?

 そんなあなたが、『和司クンと行動をともにしていた私』を殺して、警察に捕まらないと思うワケ?

 そんな自信あるの?

 捕まって、そのまま無事に出て来れる自信あるの?

 きっとそのうち、人体実験とかにまわされるよ?

 殺人は懲役三年以上から死刑。

 あなたがいくつの殺人の罪に問われるかは知らないけど、二人殺したとされれば死刑もある。権力があなたの『特異体質』に気づけば、向こうがその気になれば、何でもあり──だよ?

 私を殺すのに、あなたには情状酌量の余地はない。

 実際はある?

 うふふっ、そうかもしれないわね?

 でも、誰がそんな話を信じるの?

 誰も信じない。

 それで──懲役数十年? 無期? 死刑?

 でも、彼らはきっと、目の前の、『不老不死』の現象はたぶん信じる。

 それならいっそのこと、確実に死刑になるほど色々やっちゃうのかな?

 それはもっとダメでしょう? 

 だってあなたは、『死なない』んですものね?

 ずっと絞首台に吊られたままでも、何度でも生き返る。死ねない。

 そんな現象、誰が放っておくと思う? 

 それこそ人体実験にまわるよ? 確実に。

 しかもそれだと、下手をすれば世界的に有名人!

 ……そんな人生、送りたいの?

 そんなわけないよね?

 だからあなたは、重大な犯罪すらも、犯すことができないのよ。

 あなた、『不老不死』が世間に知られたら、世間はあなたをどう見ると思う?

 超能力者?

 神様?

 それとも悪魔?

 いっそ新興宗教でも立ち上げる? 

 でも、そんなことをして目立ったら、きっとどっかで拉致られるよ?

 そしてやっぱり人体実験コース。

 いずれにしても、それがどんなに恐ろしいことか、あなたが一番よく解っているんじゃない?

 アハハハハハ。

 全く、『愚か者』なんだから、あなたは。

 苦労に苦労を重ね、そしてすべてを失い、そして逃げ道のない迷路に──いえ、上っても上っても出口に辿り着かない、それでいて引き返すこともできない『螺旋』に、あなたは今度こそ迷い込んだ」

 捲し立てるように言い放つ益美は、このとき決して冷静とは言えなかった。


 そんな益美の演説を、いつの間にか、醒めた表情になっていた一美が、醒めた口調で遮る。

「……そうね。そうだわ。あなたの言う通りよ」

 背中を、冷たい汗が伝っていく。

「でも、愚かなのは、私だけ──かしら、ね?」

 益美にとっては予想外の、無感動な声が、彼女の聴覚を刺激した。

 心の中に急速に沸き上がり、そして渦巻く不安──。


 何だ?

 何だというのだ?


「あなたは、自分が目先の優位に立つことだけを考えすぎていた。これ、ヒントよ?」


 床にもつれ合っていた二人は立ち上がり、お互いに態勢を立て直した。

 益美には、このとき一美が、小さく笑ったような気がした。


 彼女の頬には、涙の跡だけが残っていた。


     ◇

 

 一瞬開いた扉がすぐに閉められた。

 ビシュッ、──。

 突然、体が軽くなったような気がした。


 再び、暗闇が周囲を支配していた。

 そして、すぐに再び鋭くなった聴覚に、何やら『水のような音』が聞こえる。

 

 何だ? この感覚は──。

 いい、気持ちだ──。


 ひどく懐かしいような、いい、気持ち──。


 何だろう?

 確かにオレは、これと同じような感覚を、体験したことがある。


 何だろう?


 ……そうか!

 そうなんだ。


 やっと解った。


 そう、これは。

 これは──。


「せめて良い夢を、見てくださいね」


 この声。


 そう、このくぐもった、この声は──、

 この声の主は──。


 そうなのだ。

 やっと、解った。


 そう、

 これはそう──、

 羊水に揺られる──、

 母親と一心同体だった──、

 胎児のころの、

 記憶──。


 きっと、

 母親と──、

 そしてその子どもが──、

 その生涯で最も──、

 幸せだったころの、

 そんな記憶──。


 母さん──、

 やっと、会えたね──。


【登場人物(故人)】

蓮見和司はすみかずし:警察庁刑事局に所属する警部補。キャリア官僚。24歳。1年目は警察大学校をはじめ一通りの研修課程をこなしたが、刑事局長への直談判で本局預かりになる。就職活動中にどの中央省庁からも「欲しい」と思われていたほどの逸材で、大蔵省(財務省)か警察庁のどちらかになるだろうと見られていた。そんな人材だからか、すべてが異例ずくめで、彼自身の意向もあって私立H高校での事件捜査に参加。捜査中はサングラスを着用していた。永井益美と示し合わせ、真犯人と対峙するため、永井家の大型クローゼットの中に身を潜めて機会を窺っていたが、真犯人に先手を打たれ、その能力によって身体が切断されて絶命した。死亡したのは11月6日の未明。

「宇佐美静香」は彼の偽名で、「探偵」を名乗り「私」こと、永井益美に近づいた。

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