Additional Chapter〝対決〟(五)
◆ 5
「さあ、ごたいめ~ん」
闇を切り裂いた甲高い笑い声。
茫然とこちらを見ている彼女。
そんな光景が数秒続いたあと、私は彼女の後ろに立ち、彼女の体越しにクローゼットの扉を開けた。
中を見ないように目を瞑る。
そうしなければ、『完全勝利』にならなくなるかもしれないからだ。
ひょっとしたもう大丈夫なのかもしれないが、過信は禁物だった。
「ひっ……」
彼女の悲鳴が聞こえた。
決して大きな悲鳴ではなかったが、逆にそれが、私には満足だった。
まだ彼女には、ショックを受けるだけの余裕がある──。
「あっ、そうか──ひょっとして、一瞬の再会は、もう果たしてるのかな?
『目を合わせた』んだもんね?
よかったじゃん、感動の再会!
『二四年ぶり』だもんね?
さぞや感動的だったことでしょう? うふふふふっ」
彼女は混乱という沼に、完全に足を踏み入れているようだ。
反応が鈍い。
私は仕方なく、できるだけ妖艶な、それでいて可愛らしい、小悪魔のような口調で、彼女に静かに──優しく語りかけた。
「どう? 『和子』さん。彼が私がさっき言った『カレ』、『宇佐美静香』さんよ。
全くあなたたちって、似たものどうしなんだから。ねえ?」
「ウサミ、シズカ?」
多少予定とは内容も場面も違ったが、用意していた言葉をようやく言えた。
彼女はまだ、よく事情が飲み込めていないようだった。
両方の頬の筋肉に力がこもる。
「おめでとう。心から祝福するわ。おめでとう。
これであなたは、立派に、『真の不老不死』を手に入れることができた。
『一二年おきに殺人を繰り返す必要なんてなくなった』。
時間も気にしてたみたいだけど──日付ほどは関係なかったみたいね?
あなたの言う通り、古今東西の有力者やその夫人たちがこぞって手に入れようとし、そしてかなわなかった至高の願い。
あなたは『ソレ』を手に入れた。
『たった一人の命を犠牲にすることによって』ね。
『自ら殺すことによって』──ね。
あなたは遂に手に入れたの。
『あなたの生きる目的と引き替え』に、『永遠の命』を!
『永遠の命』を!!」
焦点の合わぬ大きく見開かれたその目で、彼女はつい先程まで『カレ』であった物体の方を見た。
そして彼女は、背後からの笑い声の中、目の前にある物体──遺体──に飛びついた。
その勢いで、カレであったものが着ている上着から、手帳のようなものが落ちた。
黒い手帳だった。
彼女は遺体にしがみつきながら茫然としている。
声も出ないようだ。
私は、遺体を視界に入れないように注意しながら、手帳を拾い上げた。警察手帳だ。
手帳を開いた。
私はそこに書いてある言葉のいくつかを、彼女のために読んで聞かせた。
そしてそれに、自分なりの解説を加える。
私はこの極限状況での自らの優しさに、酔いしれた。
「蓮見和司、××××年(二四年前)八月八日生まれ。警察庁警部補──。
国家公務員第一種試験に上位の成績でパスした、超エリートね。
将来を嘱望されていた警察官僚。
なるほど、門松先生なんかとは、根本的にデキが違ったみたいね? 優秀優秀。
うふふふふっ、あはははははっ」
「なぜ、なんで!?──」
一美──『和子』は叫んでいた。
沸々と怒りがこみ上げてくる。
怒りという感情の発露が、このときの彼女にはあった。
二四年前、そんな感情にまかせ、最愛のカレをその手で──殺した。
やり場のない、冷静な判断力を一切欠いた、感情の爆発──。
彼女はその手で、いや、『彼女の心』は、愛する人を『二人』も──『二人とも』殺したのだ。
愛する、人を──。
「なぜ? じゃないよ。あなたが殺したんじゃない」
冷ややかな声が、一美の聴覚を刺激する。
『幻』ではない、完全な復活を果たした聴覚神経──。
笑いが止まらない──。
他の人と違うところは、老いず、衰えず、死なないことだけ。
黒子は戻り、死ぬ直前の、産後で、まだ戻りきっていなかった体力も、そのままのはず。
けだるい感じが、見ていてとても心地よい。
「あなたが殺したんでしょ? 私が文句を言われる筋合いはない。違う?」
うふふっ、と小さく笑う。
一美の奥歯がギリギリと鳴った。
「なぜ、なぜ? あなたは──すべて、すべて解っていたのに──」
「だから?」
突き放した言葉。
嘲りの鼻息。
勝ち誇った表情。
「どうして止めてくれなかったの? 『あなたなら私を止められた』はず。なぜ? どうして?
あなたがもっと早く、私を止めていたらこんなことには──あんなに犠牲者を出すこともなかった。『かずし』だって──なのにどうして? どうして? どうして!?」
気づいていた。
もちろん、そんなこと当たり前だ。
彼女は私ほど「調査」に積極的でこそなかったが、しかし「調査」の足を引っ張ることもなく、嘘をついてミスリードしようとしたこともなかった。時に鋭すぎる考察を述べたり、合いの手を入れたり、自虐的に自らのことであろうことを語りさえしていたのだ。
そして例の、あの『名前』。
そしてあの『本』だ。
「何を言っているの? あなた。とても正気とは思えないわ」
そうだ。
正気であるはずがない。
正気でいられるはずがないのだ。
正気でいられるようなタマならば、彼女は『永遠の生命』を得ることはできなかった。
「あなたが殺したんでしょう? みんなを。
あんなにたくさんの人たちを。
私が止めなかった?
あなたが殺したのよ?
あなたがやめれば、彼らは誰一人、死ぬことはなかった。
誰よりも、あなたがやめれば、この結果は絶対に生じなかった。
誰よりも、確実にあなたを止められたのは、私じゃない。あなた自身。違って?」
いや──。
彼女は見つけて欲しかったのだ。
SOSは、あった。
だからこそ、彼女はあんな『名前』を使ったトリックを用いて、カレの方に見つけてもらおうとした──いや、さすがにそうじゃない、か?
それは彼女にとっては裏付けの全くない願望に過ぎないから。
しかし──その期待は、絶無ではなかったのではないか?
『カレ』が、母親が『生きている』ことを知っているかどうかも、彼女からすれば不明だったわけだし、知っていても、探すとは限らない。
だとしたら、理想は、やはり『カレ』が彼女の正体に気づかず、彼女の方で『カレ』を見つけること。
そうすれば──。
そうすれば、例え一時的にでも、二人は『恋人どうし』になれるかもしれない。
そしてそういう関係になれば。
なれば、当然に──。
「自分の意志の弱さを、その責任を、他人に押しつけるのは良くないよね?」
『S・A・K・O・U・K・A・Z・U・M・I』
『S・A・K・O・H・K・A・Z・U・M・I』
こんな名前を付けて。
重複部分を省くだけでよかったのだ。
『S・A・K・O・U・K・A・Z・U・M・I』
『 H 』
「だいたい私が、何をしたって言うの? 何もしなかっただけじゃない!
私はあなたの保護者でも、警察官でも、まして超能力者でも天使でも神でもない!
ごく普通の無力な一人の女子高生。
そんな小市民たる私にできることと言えば、せいぜい事態を温かく見守ってあげることぐらいよ?
『親友』であるあなたのために」
あははははははっ、と、乾いた笑い声がこだまする。
「な……なによ? あなたまさか──まさか『さっきまでのアレ』が、『演技』──?」
だから言ったではないか。
『楽しんでいただけましたか?』と。
「私は『たまたま』、あなたの最後のターゲットだった。
私は『たまたま』、『あの本』のおかげで、そしてたまたま彼、宇佐美──いえ、蓮見クンと知り会うことができた。
そのおかげで、誰が犯人かを、『たまたま』知ることができた。
そして今、その『偶然が積み重なった』中でここにいる──ただそれだけのことよ。
私は『たまたま』、あなたが『殺人鬼』だと知ることができた。
そしてカレが、『和司』クンであることを知った。
それだけ。
『ただそれだけ』のことよ。
『そんなこと』で、あなたに非難される謂われはないわ」
「……『そんなこと』、ですって?」
つい先程までの私のように、彼女は俯き加減で立っていたが、その絞り出すようなトーンの低い声は、十分な迫力があった。
「そうよ」
「『そんなこと』?」
「だから『そうだ』って、言ってるでしょう?」
「あなたに何が解る!? 私の苦しみが──私の、私の──」
「あなたに何が解る?」
「!?──」
なぜだ?
なぜ、涙が出るのだ?
なぜ──。
「あなたに何が解るというの? ふざけないで!
愛されて生まれ、きちんとした親に愛されて育てられ、例え一方的だったにせよ心から愛せる人がいて──そして子どもまで産んで」
どうしたのだ!?
この、私が?
「あなたに何が解る!?
『駆け引きの道具としてのみ利用されるためにつくられ』、『いらなくなっても簡単には処理できない厄介者』として扱われ──」
口元が歪んだシニカルな嘲笑。
勝利感?
いや、なんなのだろう? この気持ちは。
「生きていく価値も意味も見出せず、かといって死ぬこともできないで、周囲をただ根拠もなく見下して生きてきたこの私に、一度でも幸せの絶頂にいることができたあなたが、何か言う資格があるって思ってるわけ!?
だとしたらとんだ思い上がりだわ!
人は所詮、自分の中で感情を作り上げることしかできない。
他人がどう考えているかなんて永久に解らない。
人間なんてそんなものよ!
だからこそあなたは、この世に存在し得る至高の幸福を心に宿すことができた。
そしてだからこそ、今のあなたがある。
例えほんの一瞬でも、幸せを幸せとして感じることができたヤツに、私の気持ちが、わか、る……か…………」
ボロボロと涙が流れ落ちる。
どうしたのだ? この私が──。
「……言いたいことは、それだけ?」
「! …………!?」
悪寒が走った──。
【登場人物(補足)】
本西沙耶:女優。実年齢は37歳。本名、永井裕美。娘である益美が現在住んでいる家は彼女の名義だが、彼女自身は住んでいない。ただ、近くでロケなどの仕事があると、ふらりと立ち寄って泊まっていくことがあり、11月の初旬から5日の朝までこの家で寝起きしていた。頻度としては年に数回、数日~10日程度は益美と会っている。親子仲は良いとは言えないが、殊更悪いわけでもなくて、お互い基本的に不干渉なのが暗黙の了解となっている。
※本作の登場人物等のおさらいに関しては、「Interlude 総目次提示・舞台・登場人物一覧等」(第12部分。第二章と第三章の間)をご覧いただければと存じます。




