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Embrace~黒き魔性  作者: 笹木道耶
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Additional Chapter〝対決〟(四)

     ◆ 4


「門松先生が死んだ──そうなんだ? それはびっくりだね?

 で? 私はここにこうして、『生きている』。別になんていうこともない。

 何故だか解る? マスミちゃん」

「……え?」

 余裕の表情で、一美は益美の目に視線を合わせようとした。

 混乱している益美はその視線に気づいていないのか、それとも強がって睨み返しているのか、一美には判らなかったが、とにかく、視線は合わさった。

 しばらくして、益美の表情が恐怖の色に染まった。

「……どうして──」

 そんな益美の反応を楽しむかのように、一美は言った。

「さっきの電話、皆川君でしょう? あれだけ大きな声を出してしゃべっていれば、これだけ静かなんですもの、誰だって聞こえるわよ」

「ちがう──」

 益美は一美が言葉を終える前にそう言った。

 一美にはその真意が分からなかったが、しかし彼女の脅えはより一層、激しいものになっているようだった。

 いかに演技の天才と言えど、もはやこれが演技であるはずがない──。

「うふっ、うふふふふっ……、あははははははっ」

「! ──!?」

 一美の高らかな笑い声が、再び沈黙の闇に包まれていた簡素な部屋の重苦しい空気を切り裂く。

 彼女は満足気な表情を浮かべ、益美を見た。

 そこには、勝利者の顔があった。



「くくくくっ、あ~、おっかしい」

 一美は笑い続けた。

 その笑いは遮られることがなく、そのことが不満なのか、彼女は益美の無反応に痺れを切らしたように、見下すような口調で本題に入った。

「あなたが私に、門松先生の下の名前を知っているか訊いてきた理由が、やっと解ったわ」

「…………」

 見下したような目つきで、一美は益美を見た。

 益美はこのとき、目を逸らさずにはいられなかった。

 ここで彼女から目を逸らしたのは、彼女と目を合わすこと自体に恐怖を感じたからではなく、彼女自身、まるで鏡に映った自分を見ているような──そんなシニカルな笑みを浮かべた一美を見るのに、強い嫌悪感があったからだった。

 同時に、口元が微かに歪む。


「あなた、門松先生の名前を、『かずし』って読んだんでしょう?

 うふふふっ、あなたってホント、自分の興味がないことにはとことん無関心なのね? 副担任の名前ぐらい、正確に覚えておけばいいのに」

「……正確、に?」

 益美は、無知な大人しい幼児のように、オウム返しに問い返した。


「そうよ。大体ねえ、『あの子』が、『あんなチンピラ』に、育つはずがないのよ」

 一美の言葉はまさに馬鹿親のそれだったが、益美にはそれを指摘できるほどの余裕はないようだった。

「知らなかったのね? 全く、あなたは頭がいいようで案外抜けているんだから。

 いい? 彼の名前、正確に教えてあげるわ。あの世というものがもし、あるのだとしたら、そこでゆっくり、彼に確認するのね?」

 哀れささえも含んだ笑みを益美に向け、彼女は言った。


「彼の名前はね、『カ・ド・マ・ツ・タ・カ・シ』っていうの。

 私みたいに何年も学生をやっていると、変わった名前にいくつも出会えるわ。平和の和にうかんむりの宏で、『和宏』(タカヒロ)と読む人もいたし、俊敏の『敏』で『さとし』、仁義の『仁』や『大』きいで『まさる』、人智の『智』で『あきら』……義理の義に平和の和で『義和』(ヨシマサ)と読む人もいた。

 人の名前なんて、辞書に載っている読み方の範囲の読み方をするものとは限らないものなのよ。キラキラネームじゃなくたってね? だからあなたも騙された。

 人をとことん騙してきたあなたが騙された! 

 うふふっ、皮肉よね?」

「…………」

「しかもあなた、調査が足りないんじゃない? 

 門松先生って、実は校長先生の実の息子。お妾さんに産ませた子どもで、今年で──正確に言うと今年度で──二五歳になるのよ。あの子より学年じゃ一つ上になる。

 知らなかった? あははははははっ」


「そういえばあなた、さっきからドアの方ばかり見てたわね?」

 益美はその言葉につられるように、ドアの方へと視線をやった。

 依然、『カレ』は現れない。


 二人が口を開かなければ、ここは異常なくらい静けさに包まれる空間。

 隣家にいるわけではない、たかが隣室にいるだけのはずの『カレ』が──。


 『現行犯逮捕』──。


 あり得ない話ではない。

 だって、『一連の事件が彼女の犯行だっていう証拠は、何一つない』のだから。


 いや、だがしかし──。


 そんなことをしても何の意味もないことを、カレは重々承知しているはずだ。

 ならば何故?

 まさか──。

 電話のコール音に、高らかな一美の笑い声──。

 彼に本当にその気があるのならば、聞き逃すはずのない手がかりはいくつもあった。

 そして一美は今、目の前で勝利の微笑みを浮かべている。


『一目会って、抱きしめたい』


 あの本、『Embrace』に書かれていた言葉──。


「『カレ』を待っても無駄よ」

 一美が口を開いた。

 益美は俯いて小刻みに肩を震わせている。

「この隣の部屋にある、大きなクローゼット。今その中身は、一体どうなっているんでしょうね?」

「っ! ────」

 うふふっ、と、彼女は小さく笑った。その笑みは、官能的で蠱惑的で、ライン川のほとりで聞かれる、ローレライの歌声のようだった。



 それまで小刻みに震えていた益美の体が、火のように動いた。

 彼女は閉まりきっていなかったドアを乱暴に開けると、それまでいた彼女の部屋の隣の部屋へ勢いよく躍り込んだ。


 一美が彼女を追ってその部屋に辿り着いたとき、彼女の目は一点を見つめていた。

 そこには、氷柱から水滴が一滴、また一滴と落ちていくように、ゆっくりと、赤黒い液体が、重力の働きで地球の中心へと向かっていた。

 暗闇の中では、その赤さよりもむしろ、黒さばかりが目に付いた。


 静かなはずの暗闇の中に、響きわたる液体の落下音──。

 恐怖に満ちた、絶望に満ちた表情。

 極限の緊張感に包まれた、そんな表情だ。


「いい顔をしているわ、マスミちゃん。それが本当のあなたの顔なのね? 

 今ここで、あなたの存在を消してしまうには、あまりにも惜しい。

 可哀想だとも思う。

 私が言っている意味、少しは解る?」

 『Embrace』を読んでいる彼女に、この言葉の意味が解らないはずはない。


 しかし彼女は、その言葉を無視するかのようにこう言った。

「どうして? どうしてあなたのために私が死ななければならないの? おかしいじゃない!?」

 彼女は哀願するように、一美を見た。

 その表情が、一つの結果をより確実なものにするだけであることに、彼女は気づいていないのだろうか?


「だって……だって、あなたは確かに一七歳のときに不幸な目に遭ったかもしれない。

 だけど、そのあともあなたはこうして生きて来れたんじゃない! 二四年も!

 しかも一七歳の若い体で。

 かわいくて、綺麗なままで……。

 私はまだ一七年と、ほんの数時間しか生きてない。

 あなたなら解るでしょう?

 私は一七歳という年齢をいくらも生きてない。

 例えこれから『老い』という恐怖と直面することになっても、私はまだ生きていたい。

 あなたは結果的には一七歳を、二四回も生きているのよ?

 もう満足してくれたっていいじゃない! 

 そんなあなたがどうして──あなたにどうして私を殺す権利があるというの? 不公平じゃないっ!?」


 いや、気づいていたじゃないか。

 さっき彼女は自ら言った。

 しかしそれさえも頭から抜け落ちてしまうくらい、彼女は──。


 捲し立てるように彼女はしゃべった。

 いずれも、もっともな言い分だった。

 同情もする。

 だが、彼女は解っていない。

 一美は目を細め、身長では自分よりも高い彼女を、見下すように顎をやや斜めに持ち上げ、そして言った。


「あなたは何も解ってない。

 生きるということの、根本的な厳しさが。

 そして、老いることができないことの、本当の恐ろしさが」


 益美が助けを乞う、考えられるあらゆる言葉を一美にぶつけてきた。

 同情を引き、返す刀で一美を非難し──。

 一美は、そんな益美が憐れで仕方なかった。

 そして、時間は刻々と過ぎていく。

 リミットだ。


 再び訪れた沈黙。

 変わらず、雫が、溜まった液体の上に落ちる音だけが聞こえる。

 時計の針は午前二時二五分を既に過ぎていた。もう時間はない。

 そして、沈黙を破ったのは、やはり一美の方だった。


「あなたは、『どうして』と言った。『満足したっていい』と言った。冗談じゃないわ」

 一美は、素のままの怒りと、そして諦めの感情を込めて言った。

「私は今まで、何人もの人を殺してきた。それは確かにそう。

 だけど。

 あなたは私が快楽殺人者だとでも思ってるの? 

 もしそうだと思ってるなら、それを私は否定しなければならない。

 私が今、どんな気持ちでここにこうして『生き続けている』か、あなたには理解できないかもしれない。

 でも、私にはこうするしかないのよ。

 こうするしか──」

 気丈な表情だが涙声になっている一美の目には、僅かだがうっすらと、光るものが。

「私はあの子に、『和司』に会いたかった。

 もう一度、あの子をこの手で、抱いてやりたかった。

 抱きしめたかった。

 ただ、その一心で、私は甦った。

 気づいたら、この『不老不死』の身体になっていた──」


 『Embrace』。

 私は魔女なのよ──と一美は言った。

 年を取らない。

 死なない。

 時期に左右されるところはあるものの、超能力じみた力を使える──。


 相談する相手もいない。

 どうしたらいいか、わからない。


「『不老不死』。このことに憧れを抱いている人間は、古今東西を問わず、大勢いるようね?

 だけど、私はそんなことはどうでもいいの。

 ただ一つの願いさえ、かなってくれれば。

 でも、それは、未だかなってない。

 だから私は、その願いをかなえるまでは、悪魔に魂を売り渡してでも──必要というのならば人を殺すことだって、何だってするわ。

 そうしなければ、その願いをかなえることが、永久に不可能になってしまうのなら」


 本当は誰かに助けてほしかった。

 死ぬよりも遙かに辛いことの連続だった。

 それを何とか乗り越えてきたのも、ひとえに──。


 一美──いや、和子の本音が次々と吐露されていく。

 益美はそれを聞いて、依然、俯いたまま、両肩を小刻みに震わせている。


「……私はこの二四年間、あの子の、『かずし』の姿を、見ることさえ許されなかった。

 それがどんなに、辛いことだったか、あなたにわかる?」

 一美はそう言うと、これまでの四人──古代希、白井友香、守井楓、小此木尋──にしたのと同じように、益美の目に、自分の目から、メッセージを送った。


 せめて最期の時くらいは、いい夢を見せてあげる。


 彼女の生い立ちを考えれば、彼女の屈折した性格は、仕方がないものなのかもしれない。

 彼女は人を騙し続けてはいたが、しかしそれでお金を奪ったり、犯罪に加担したりすることはなかった。

 人間関係に支障を来すことも一度もなかった。

 騙していたからと言って、誰かを傷つけたこともなかった。

 そんな彼女のような人間こそ、本来なら、誰よりも真っ先に、幸せを掴むべきなのかもしれない──。


 一美は一瞬、心から涙を浮かべそうになった。

 だが、それでも自分はやる。やらなければならない。

 また、このくらいの自責の気持ちがなければ──他人を思いやる、憐れむ気持ちがなければ──自分がこれまでしてきたことが水泡に帰してしまうことになる。


 多くの尊い命が、無駄に失われたことになる。


 エゴイストと呼ばれようと。

 悪魔と呼ばれようと。

 それだけは、何があっても防がなければならない。


 あの子に、会うため。

 あの子をもう一度、抱きしめるため──。


 私の願いはただ、ただそれだけのこと。

 でも、この私には、それが何よりもかけがえのないことなのだ。


 だから。


 一美は自らの右手を挙げた。

 まずは彼女の両腕、両足を傷つけ、彼女の自由を、物理的な形でも奪わなければならない。

 二四年前の自分が、そうされたときのように。


「ごめんね?」


 目に溜まっていた涙がこぼれ落ちたのは、二人とも同時だった。

 なぜなのだろう?

 何か月も前から、彼女を殺すことは決めていたはずなのに。


 実際には二四歳も離れた、娘のような年齢の『親友』。

 その死を、しかも苦痛と戸惑いと絶望にまみれた悲惨すぎる死を思い、感傷的になっているのか?


 一美は目を瞑って、もう一度心の中で、「ごめんね」と繰り返した。

 そして再び、両目を開く。


 彼女はなす術なく涙を流しながら、こちらを向いて立ちすくんでいるだけだ。


 彼女の死を無駄にしないためにも、私は生きなければならない──。


 一美はいつものようにもう一度目を瞑り、意識の中で彼女、益美の両足の腱が、右腕から発せられる光によって、引き裂かれるのをイメージした。

 再び目を開けたとき、そこには崩れ落ち、血まみれた足を抱えながら、どうすることもできなく横たわる、痛ましいほど美しく、儚い少女の姿が、この忌々しい暗闇の中に咲き誇っているはずだ。


 ドサッ、という音が一美の聴覚を刺激した。

 彼女が倒れた音だろう。

 一美はその音を聞いたあと、しばらく自分の目を開くことができなかった。

 そして、意を決して、今度こそ目を開けよう──そう思ったとき。


「うふふふっ、あはははははははは……あ~、おっかしい~。あははははははっ!」


 地底を揺るがすような──悪魔が棲むといわれる魔界全体にも響きわたるような、そんなグロテスクとも言えるような笑い声が、静かだったはずのこの闇を、異常なくらい乱暴に引き裂いた。


 一美は慌てて目を開いた。


 彼女の前に存在していたのは、女の子独特のぺたんとした可愛らしい座り方をしてはいるものの、嘲りと悪意に満ちた微笑みを涙の中に浮かべている、誘惑に負けたものを破滅させるという『妖精の恋人』、リャナンシー、そのものだった。


「お遊びは終わりよ。楽しんでいただけましたか? かずみちゃん。いや、『和子』さん。

 うふふ、あははははははっ!」


【登場人物(故人・補足)】

阿木名(あぎな)和子(かずこ):A市(※私立H高校がある県とは別の県)で起きた放火殺人事件により、24年前の11月6日未明に死亡した女性。当時17歳。死因は焼死。教師だった男との間に男の子をもうけ、出産した。妊娠が判ったのが高校1年生の時で、2年生になる前に退学した。男の子の父親も彼女の死の翌日(11月7日未明=「11月6日の深夜」と表現されることもある)に殺害されている。後者には目撃証言があり、当時から「生きている」、「男を殺したのは彼女」との噂が流れたが、6日の死体は間違いなく彼女のものだったと当時の警察の記録にある。その後も、更に別の地域で当時の容姿のままでの「目撃証言」が出て来るなど、曰く付きの人物になっているが、物証がなく、証言も曖昧である。


※本作の登場人物等のおさらいに関しては、「Interlude 総目次提示・舞台・登場人物一覧等」(第12部分。第二章と第三章の間)をご覧いただければと存じます。

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