第十章 ペルソナ(七)
◆ 7
「そして二人目、白井友香さん。
彼女はね、悪いことをしていたのよ?
自分一人のためだけに、みんなのものを壊していたの。
そんなこと、あなたには許せて? 私は許せない」
背中の、首の付け根の辺りに、ヒンヤリとした空気の流れのようなものを感じた気がする。
これが人間というものの本質なのか。
「これもあなたなら、解っているはずよね?」
彼女はすっかり安らかな微笑みに戻り、穏やかな、まるで子守歌でも歌うかのような優しい口調で語りかけてくる。
「図書室での、図鑑の破壊?」
「そう」
彼が言っていた。
図鑑はあの日、一冊だけ破壊されたのではないと。
図鑑は複数、破壊されていたと。
「彼女はね、悪いことをしたのよ。
自分のためだけに。
自分のストレス発散のためだけに。
それって、悪いことでしょう?
だから殺したの」
彼女の目つきが尋常でない。
それは、彼女の精神状態が正常でないことを如実に物語っていた。
自分なんて、五十歩百歩どころじゃないじゃないか──。
「……なぜあんな殺し方を?」
訊かなくてもいい質問。自明だから。
「『蛇の復讐』、って言ったら、信じてもらえる? あはははははっ」
ゾクゾクする。
これが『快感』というヤツなのか──。
△
「気づかない方がどうかしてる」
少女は、ある意味では間違いなく純粋な目で、こう言った。
純粋に、オレを見下した目で。
「『どうかしてる』だって? あの名前に何があるというんだ!?」
このオレの言葉に、彼女は一瞬目を丸くして、そしてケラケラと笑った。
そして「どうかしてる。どいつもこいつも。そしてこのあたしも」と言った。
「アルファベットで書いてごらんなさいよ。あなたなら、よく考えれば解るはずよ。
いえ、あなたならば絶対、解らなければならないの。
あなたは今、私とお話をしてる。
これ、全部ヒントですわよ? うふふふふっ」
オレは焦った。この少女の言葉に。
オレは頭の中ですぐさま、彼女の名前をローマ字で書き出してみた。
『アルファベット』で『名前』と言えば、真っ先に浮かんでくるのはアナグラムだ。
だが、彼女の名前をどう並べ直しても、手がかりは得られそうになかった。
そんなオレを見て、少女はオレの無能さに呆れたようにこう言った。
「あなた、『レンアイ』したことないでしょ?」
まあ、男性の発想じゃ無理かな──と聞こえるように呟きながら、今度は声を殺して、少女は嗤った。
▽
「小此木は? あの人はいったい何をしたというの?」
「あら? ひょっとして、わかってなかったの?」
彼女は私に、さも意外そうに言った。
その口調から、私は「もしや」という着想を得ることはできた。それがもし当たっているとしたら、それは前島純一が言っていた言葉に、ヒントが隠されていたことになる。
「彼はね、いや彼女たちは──って、言った方がいいかな」
「彼女たち?」
「そう。だって……私の狙いはあくまで、あの娘の方だったんですもの」
なんですって?
その叫び声に似た感情は、声にならずに私の体の中に留まった。
さすがにそれは意外だったのだ。
なぜなら一二年前は──、いや──そうか。そういうことか。そういうふうになるんだ。
「? 何にそんなにびっくりしたの? 当然でしょう? 彼女の本性を知っていれば」
彼女はそう言うと、守井楓の『悪行』について自分が知っている限りのことを話し出した。
早坂翔のこと。
生駒愛のこと。
それ以前にも、主に先輩たちに対して行ってきた同じようなこと。
そして例の、『鯉事件』。
「まあ『鯉事件』については門松先生も、ある程度見当はつけていたみたいだったけどね。
彼ごときが真相に迫れる──つまりはそれほどの謎ではなかったわけだけれど」
彼、ごとき?
「ふふふっ、あなたは自分と関係ないことには基本的に無関心に過ごしてきたんだものね。無理ないか。
クラスでも、それに部活にも入っていないあなたには」
「…………」
そうだ。
私は基本的に、他人には無関心で生きてきた。
より多くの人と関わることは、『演技』をする上でプラスになることもあるけれど、深く関わり過ぎると『演技』し続ける上では多少なりとも支障となる。それに、もちろん友人を作るつもりも、本心としては全くなかったから。
柳麗と親しくなったのは、彼女がどちらかというと人と関わるのを基本的に避ける人種だったから。
桜井三奈については、彼女が強豪運動部の部員で、基本的にクラス内の女子とコミュニケーションをとれる時間が少なかったことが、『友人』に選んだ大きな理由だった。
そして。
「ねえ? 驚くべき『悪行』の数々でしょう? 彼らが二人一組じゃなかったら、そしてあなたのような人がいなかったら、私はあの子を『最後の仕上げ』に指名していた──かもね?」
違う──それは絶対違う。
彼女が最後に必要とするのは、『最高の罪悪感』──その代替。
彼女の表情には、若干の憂いが感じられた。
おそらくは、私のことを悪し様に言うことで──。
いくら精神的に問題のある状態であろうとも、彼女は元々は『一途な、純粋な一人の女性』──ただの一人の、『普通の神経を持った人間』に過ぎないのだ。
彼女は、多義的な意味での天才──例えば彼女いわく、サディスティックな神経の持ち主である古代希やこの私のような──ではない。
「だから、彼女には最も凄惨な、『生』を与えたの。
死ぬことよりも凄惨な生を。
純粋な女子高生や男子高校生の心を玩具のように弄んだ彼女は、私にとって、最も忌み嫌うべき人間だったから──」
「殺すわけにはいかなかった?」
「?──!?」
彼女は、私の言った言葉をすぐには理解できなかったようだった。
そう。
私は、すべてを知っているのだ。
“次第に残虐さを増していかなければ、良心に呵責を覚えることなく、人は人を殺せるようになるのだ。”
あの黒い本、『Embrace』に書かれていた言葉だ──。
※本作の登場人物等のおさらいに関しては、「Interlude 総目次提示・舞台・登場人物一覧等」(第12部分。第二章と第三章の間)をご覧いただければと存じます。




