第九章 縺れる糸(六)─アナグラム─
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◆ 6
単調な風景の移動にごく僅かな注意を向けながら、門松はある考えにとらわれていた。
『現実』というカテゴリーを離れることは、彼にとってはあまり歓迎すべきことではなかった。
自分は、そうした非現実的な出来事を目の前にしたとき、必ずその真相の解明に乗り出し、そしてその解を導き出すことができる人間になるのだと、幼少のときからそう思ってきた。
そんな彼の思い──信念は、ほんの数時間前、完全に砕かれた。
阿木名和子──。
なぜ今まで気づかなかったのだろうか?
答えは簡単だ。
そんなことがあり得るという可能性を考えるほど、門松は非常識な人間ではなかったからだ。
あぎなかずこ──。
もう一度その名前を頭の中で繰り返してみる。
年齢は当時一七歳。
未婚だが子どもがいる。
男の子だそうだ。
そして、その子どもは、今年で二四歳になった──。
あ ぎ な か ず こ ──。
綺麗な子、美少女、泣き黒子──それに『彼女』がなれなかった、高校二年生。
一七歳とは思えない世慣れたような雰囲気。
自分と同じ匂いを持つ、同じタイプの人種。
誰に対しても外向的でありながら、自らの正体を見せようとはしない。
部活等に所属し、精力的に活動することもしない。
それなのに「ミス」に選ばれるほどの美少女で、髪型はアイドルふうのミディアムヘア。
二四年前とは明らかに違うであろう外見的趣向に迎合した、最も容易でかつ効果的であるカモフラージュ。
それに、何度芸能関係者にスカウトされても断り続けているという噂さえあるほどの魅力と芯の強さ。
学校でも有数の学力。
知識の広さ。
頭の切れ。
あ ・ ぎ ・ な ・ か ・ ず ・ こ
どうして、もっと早く──少なくとも一日早く、気づくことができなかったのか?
この名前のからくりに!
『阿木名和子』──。
『阿木名』は、名字としてはかなり珍しい。
心理として、全く同音の名字を、『偽名』に採用するだろうか?
しかし、全く縁のない、架空の名字を名乗るだろうか?
『阿木名』を、何か別のものに、しかも珍しくない名前に変えるとしたら?
『永井』──。
『和子』は、今から四一年前につけられたはずの名前である。当時はまだ、『○○子』とか『○子』という名前が、女性の名前の王道だったはずだ。そして、それと二分する名前で使われる文字は『美』であったに違いない。そんな環境で育った人間にとって、その名前を変えるために最もやりやすい加工法は、おそらく『子』と『美』を入れ替えることだろう。
だとすると、真っ先に思い浮かぶ名前は『和美』。
だが、これではダメだ。
『阿木名』を全く別の名字に変えるくらいの慎重さを持った人間なら、そんな安易な偽名を使うとは考えにくい。だとすると、『一美』か? だとすると、『栄生一美』という同じくらいのレベルの『美少女』が、H高にはいるのだが──。
永井益美──。
『ますみ』という名前は珍しくない。
しかし、大抵は『真澄』や『真純』、『麻純』といった、『ま・すみ』という漢字の使い方になることが多い。
類似の名前でも『まゆみ』なら『真弓』が一般的だが、これだと『ま・ゆみ』になるし、『真由美』や『麻由美』のように三文字になるケースも多い。「まゆ・み」となるケースは、あるにはあるだろうが、門松は見たことがない──少なくともその記憶はない。
他方で、『まなみ』だと『愛美』は『まな・み』となるが、『真波』だとやはり『ま・なみ』で、『真奈美』という三文字のケースも目立つ。『真美』というケースもあるが、これでは『まみ』と呼ぶ人の方が多いだろう。
『ますみ』でも『まゆみ』でも『まなみ』でも、三文字ともに漢字を当てるケースは、どれもかなりの割合でよくある。
ここで問題が二つある。
『漢字』と『音』だ。
『まなみ』では、母音の『音』が最初の文字しか合わなくなる。
『かずみ』という名前にしようと思ったら、選択肢は意外に少ない。
『和』を使わないとすると、『一』、『数』ぐらいしか、名前に使われるポピュラーな文字はない。
濁点を入れずに『かすみ』にしたとしても、やはり『香澄』とか『可澄』という漢字の配置になり、「か・すみ」になってしまう。「かす・み」とするにしても、『カス』という音の漢字は、名前には使いづらいに違いない。
それでも残すとして、残りそうなのは『ますみ』、『まゆみ』、『かすみ』の三つくらいか?
『益美』──。
この名前は、そんな思いから出てきた、それほど選択肢がない中での、妥協の産物なのではないか?
漢字の音、音数、配列、そして意味。
『増美』という名前と漢字の当て方は比較的ポピュラーなので(男性の名前であることも多い)、その選択肢もあっただろうが、『利益』の『益』を選んだところに、その人物のしたたかさを、思ってはいけないだろうか?
阿木名和子 A・GI・NA/KAZU・KO
あぎなかずこ ○ ○○ ○○/×○△○ ××(無視?)
ながいますみ ○○○○ ○ /×○△○ ××(無視?)
永井 益美 NAGA・I /MASU・MI
最後の「子」と「美」を入れ替えることを前提としたら、アナグラムにしたときの、この名前の類似点の多さは偶然だろうか?
試しに、益美と同じように『美少女』であり、しかも『一美』という名前を持つ栄生一美で同じ作業を繰り返してみる。
阿木名和子 A・GI・NA/KAZU・KO
あぎなかずこ ×○ ×× ×/○○○○ ××(無視?)
さこうかずみ ×○ ×× ×/○○○○ ××(無視?)
栄生 一美 SA・KO・ U/KAZU・MI
(H)
『かず』という二文字が合っているため『○』は少なくないが、それ以外は基本的に「合っていない」と言っていい。この程度の符合なら、評価的には、「普通」か、むしろ、「合っていない」範疇に入るだろう。
それに、彼女にはあの、『一一月一日の発狂』がある。
彼女が一連の事件を引き起こした犯人なら、そんな発作を起こす必然性はまるでない。
よくよく考えてみると、被害者たちはともかく、『発狂』というか、あの不気味な発作を起こした連中は、二年C組の生徒たち──四人組にやたらと偏っている。
桜井三奈、柳麗、そして栄生一美──皆、永井益美と極めて近しい人間たちであるという事実は、見方によっては著しく不自然なのではないか?
そして、彼女だけが発作を起こしていない。
「無事」なのだ。
思い起こしてみると、更に不審な点がいくつかある。
門松に、ここへきて『オカルト』という概念を鋭く突きつけてきたのは、間違いなく彼女だった。
容易には見つけられないような新聞記事を見つけ出してきたのも彼女だ。
これは何を意味する?
そもそも、あの四人は早くから、一〇月二七日の事件を、「一連の事件の犯人ではないだろう」と推理していた。
その議論の経過は詳しくは知らない。しかし、古代希が『自殺』したとき、唯一冷静に一一九番通報しようと教室を出たのも彼女だった。
被害者である古代希や白井友香のいた演劇部と最も関わりがあったのも、四人の中では間違いなく彼女だ。
大半は郡湊都との関係だったが、あれだけ勧誘されていれば、脚本や演出を担当する古代や白井とも何度となく顔を合わせていても不思議はないし、古代とは直近で実際に話しているのを見ている。それに、古代とはそもそも、一年生のときクラスメイトだったのだ。守井楓や小此木尋との詳しい関係は不明だが、同学年の生徒どうし。何らかの繋がりがあっても不思議はない。
疑えばキリがない。
だが、否定する材料には乏しかった。
ただ一点、彼女が調査に快く協力してくれているという、その事実以外は。
まさか、彼女は──。
「とにかく、今日はこのまま、永井の家に直行だな」
門松は、自分しかいない高速道路を走る車の中で、そうひとりごちた。
一二年前の事件経過から推定すると、ちょうど明日未明──数時間後には『事件』が起こるはずなのだ。
それも、具体的には、おそらくは「放火殺人」が。
「……させるものか」
門松は、ふと、母親のことを思い出していた。
思い出す、といっても、それは正確ではない。
門松が物心ついたときには、既にこの世にいなかった。
彼が『思い出す』のは、優しかった祖父から聞いた母親のこと。
父親もいなかった彼にとって、唯一信頼できる、頼れる存在だった祖父。
その彼の言葉──。
『若くてな、綺麗な娘さんじゃった。お前の親父とは、一回り年が違ってな──』
彼はそれ以上はなかなか語ってくれなかった。
しかし当時の、まだ幼い門松にとっては、それだけでも嬉しいことだった。
そして彼は、そんな母親の血を受けついでか、整った顔立ちとスタイルを持つ、大人の男性に成長した。
彼はそれで、祖父の言葉が真実であったことを、改めて、身をもって知ることができた。
『犯人』が今夜、犯行に及ぶとしたら、ターゲットは誰なんだろう?
そんな疑問が彼の心に浮かんでくる。
彼は今、永井益美と栄生一美が、二人して『益美の家にいる』という現実を、全く知らなかった。
しかし彼は、それでもそこへ向かっていた。
今までの人生とは正反対。
初めて、と言っていい、「正義感」という気持ち。
それが母親に対する想いからのものであったかどうかは、定かではない──。
「眠っちゃった?」
私は彼女にそう声をかけた。
反応はない。
周期的に彼女の胸が上下しているのがわかる。
どうやら眠っているようだ。
私はそっと布団を抜け出すと、音を立てないように静かに部屋の外へ出た。
普段はベッドで寝ているのだが、今日に関しては、カーペットの上に布団を敷いて、そこで寝ることになった。
『こんな状況下に置かれつつも』、私たちは、ジャンケンというのどかな手法でそれを決めた。
彼女が目を覚ます気配がまるでないことにホッとする間もなく、私は階段を静かに下りていった。
これから起きるであろう非日常的な『イベント』に、少なからぬ期待を抱きながら。
※
“遂にやってしまった──。
彼女の体は、またしても私のイメージ通りに、真っ二つに引き裂かれてしまっていた。
邪魔は入らなかった。
それもそのはず、私は彼女の家に泊まったのだ。
そして私は消えた──。
当時の私は消えたのだ。
もうこの世には存在しない。
存在するのはこの、もう一人の私──。
(中略)
火事の記事が載っていた。
彼女の遺体の形状については触れられていない。
放火と失火の両面から?
ふざけている。あれが失火なものか。
それとも何か? 私の時と同じように体が粉々になるほど、激しい業火に焼かれたのか? 彼の時はそうじゃなかったじゃないか。彼の体ははっきりと二つに分かれた状態で、残っていたじゃないか。
なぜなのだ?
私の時と、同じなのか?
(中略)
いや、もうどうでもいい。
終わったことなのだ。
彼らは私のことなど忘れ、そして事件は終わる。それでいいじゃないか。
不幸?
運が悪かった?
冗談じゃない。
私より不幸な者が、あの中にいるものか!
みんな、殺されても仕方のない連中ばかりじゃないか!
なのに、なのにどうして、涙が出る!?
悪寒が走る。
病気などするはずのない、こんな体なのに。
なぜなのだ?
なぜ私ばかり、こんな目に遭わなければならないのだ!
不公平だ!
どうしてなのだ。
どうして、
どうして……。
ああ、和司。
教えて……。
今あなたは、どこにいるの?
生きているのはわかってる。
だからお願い。
なるべく早く、私の前に現れて。
そうすれば私は、もう、誰も、殺さなくて、済むのだから──。
ああ、和司、かずし──。”
そう。
どんなに美辞麗句を書き連ねたって、犯罪者は犯罪者。
殺人者は殺人者だ。
どんな大義名分があろうと、どんな目的があろうと。
『第八章 螺旋』──。
※本作では“ ”(ダブルコーテーション)で括られている箇所が何か所かあります。これは、「作中世界の人物による著作(本など)」の引用部分です。
※本作は、一行37字で構成することを念頭にレイアウトしていますが、文字フォントの制約からか、作者の意図を完全には忠実には再現できていない部分があります(PC版について。作者のスマホでは、画面を横にすれば綺麗にレイアウトされています)。
※本話数の初期投稿時の原稿に、非常に複数の大きなミスがありました。内容的には影響のないミスですが、お恥ずかしい限りです。お詫びの上、修正いたします。




