第八章 偽善(二)─謀の果て─
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「あっ、はっ、ああ、あ、あっ……」
いつもよりも一際甲高い声が辺り一帯に響きわたった。
ラブホテルでも出したことがないような大声だったので、尋は思わず行為の最中に周りを見渡してしまうほどだった。
いつ他人に知れてしまうともわからない異様なまでの緊張感。
スリル──。
学校でのこうした行為は、彼らにとってかけがえのない『遊び』だった。
楓も尋も、こんなことで高校生活を棒に振りたいとは思わない。
校舎内でこのような暴挙に出ていることがもしバレたら、いくら自由な校風の学校と言えども、停学ぐらいでは済まないかもしれないという不安感と常識は、二人にもあった。そしてだからこそ、彼らはあえて行為に及んだのであることは、もはや言うまでもないことだった。
麻薬のようなものなのだ──。
当初の計画時点から、楓がいつもよりも大きな喘ぎ声を上げることは決まっていた。しかし、そんな計画など立てるまでもなく、楓は大声を上げて喘ぎ続けた。こんな快感、今まで何度となく色々な人と関係を持ったことがある彼女にとっても、そして尋にとっても、生まれて初めてのことだった。文字通り天国にこれから昇っていくかのように、自分の体が重力の束縛から抜け出したようなふわりとした感覚を、確かに感じるほどだった。
二人の饗宴が始まってしばらくして、この『会場』となっているB棟四階の生物室にほど近い、階段すぐ横の男子トイレのところまで、足音が二つ、近づいてくるのが聞こえた。
「来たみたいだぜ」
楓ほどは快楽に溺れていない尋が、楓の耳元で囁いた。
楓は頭を大きく二つ前後に振りながらも、なお声を上げ続けている。
次第にその声が、それまでよりも激しくなる。
(いいわ、もうサイコー!
さあ来なさい、お二人さん。
あなたたちが互いに大好きに思っている男女が、目の前で交わっているのを、見せてあげるわ。
あなたたちが私の手のひらの上で踊っていたことを教えてあげる──)
楓がこの計画を思いついたのは、どうやって今までにない快感を伴うような形で、つまりインパクトが強烈に残る形で、かつ後腐れなくキレイに『彼ら』と別れられるか──を考えていたからだった。
新しい玩具を手に入れるためには、古い玩具は処分すべき。
楓の考え方はシンプルだった。
楓も、今回立て続けに起こった一連の事件には、それなりに関心を持っていた。真夜中の校舎を一度歩いてみたい、という願望も以前から彼女の中にあったのだが、この一連の事件は、彼女のそんな埃をかぶったような欲求を、漠然と呼び覚ました。
そして、スリルあるセックス──。
だから、今回の計画は、いくつもの懸案を同時に解決でき、刹那の欲望も満たせる、すばらしいものになるはずだった。
一石三鳥にも四鳥にもなるはずの計画だった。
二つの足音が止まった。
二人は一斉に振り返る。
誰も、いない──。
(逡巡してる場合じゃないでしょ! この性奴たち!)
そんな、普段は使わないような単語が彼女の頭の中に浮かんできたのは、決して偶然でも何でもない。そこには、彼女の能力の高さ以外に、『もう一つの力』が介在していたから。
彼女はそれまで通り声を上げ続けた。
いつ彼らが──翔と愛の二人が、自分たちの前に現れるかわからない。
その期待感に胸が張り裂けそうになるくらい、楓は饗宴の快楽に身を任せていった。
そしてこれまでに経験したことのないほどの強烈なまでの絶頂の時へと、階段を確実に上っていった。
そして。
いったいそれから、どれくらいのときが経ったのだろう。
楓は、このトイレの中に『三人目』の人物の気配を感じると同時に、身体に強烈なまでの震えを感じた。
そのことによる締め付けが厳しかったせいか、尋も同時に、最後の時を迎えていた。
しかし、それで楓が目的を達したわけじゃない。
彼ら二人の、自分たちの操っていた玩具──性奴──二人の絶望したその表情を、この目に焼き付けたい。
尋は快感の余韻にまだ浸っているのか、依然入口とは反対方向を向いていた。彼女はそっと体を起こし、尋の体を押し退けると、入口の方に視線を向けた。
「あ、あなたは──」
それが、楓がこの世に残した、自らの意志を持って発した、最期の言葉だった。
彼女の目の前には予想した二人の男女の姿ではなく、ほとんど会話をした記憶はないものの、何度も顔を合わせたことのある女生徒の顔があった。
彼女がにこやかに、穏やかに微笑むと、楓の意識は確実に遠のいていった。
楓はこのとき、確かな安楽の世界に身を投じたかのように──おとぎ話の中の天国に自分が降り立ったかのように、言い尽くすことのできないほどの安らぎを感じていた。
優越感と勝利感が、彼女の心を満たしていた。
楓の表情は、誰よりもヒステリックでサディスティックで、それでいて誰よりも幸福感に溢れたものに変わっていった。
彼女は、目の前で起こっていることを少しも意識下に置くことはなかった。
ただ、天国を、夢の中の世界を、スキップしながら駆けめぐっている──ということしか、彼女にはなくなっていた。
(私は──私は選ばれし者──そう、選ばれたんだ!
だってそうでしょ?
私以外の一体誰が、こんな素敵な世界に、来ることができるっていうの?)




