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Embrace~黒き魔性  作者: 笹木道耶
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第八章 偽善(一)─気づき─

     ◇


 母親じゃ、ない?


 彼女の言葉の意味が解らなかった。

 生まれてから、ずっと一緒に住んできたんじゃないのか?

 顔だって似ているじゃないか。

 年齢だって──。

 彼女は募らせているイライラを酒にぶつけていた。

 以前はこんなことはなかった。

 彼女は優しい──というわけではなかったが、別段意地悪でも厳しいと言うほどでもなく、世の中の親なんて、まあこんなものなのだろうという印象しか持っていなかった。

 授業参観とかには来てくれなかったけれど、働いているのだからそれは仕方のないことだし、来ないからと言って特別寂しい思いをした記憶はない。

 むしろ自分が同級生に比べて大人であり、身の回りのことなら一応何でもできる自立した人間であることに誇りを持ち、そしてそういう自分にさせてくれた家庭環境に感謝さえしていた。

 それが、何だって?


 彼女は美人だ。

 もうとうに四〇は過ぎているのだが、見た目はもっと若い。同級生の親たちともそれほど変わらない。

 友人たちの母親の中にはまだ二〇代という若い人もいたが、晩婚化が社会問題になっているこのご時世、そうした例は決して多くはなかったし、だからといって、こと、この人に関しては、外見的にもそれほど差があるとも思えなかった。

 だからこそ──。


 彼女は最近、飲んだくれるケースが多くなった。

 美人だから──そして長らく未亡人なのだから、男の影があってもおかしくはない。

 しかし少なくとも、物心ついた五、六年前から、そのような影はなかった。

 それに気づいたのは最近だ。

 初めは機嫌がすごくよかった。

 そんな彼女を見て嬉しくなった。

 ひょっとしたら、新しいお父さんができるのかも──なんて密かに考えたりもしていた。

 複雑な想いなどなかった。

 実の母親である彼女の幸せを、実の娘として心から願っていただけだっだ。

 しかし──。


 あんたも私の幸せを奪う、疫病神ね──。


 彼女はそんなふうに言った。

 初めはそんな言葉、気にしていなかった。

 確かに自分は、彼女の幸せには足手まといなのかもしれないけれど、実の親として、そのくらいの責任は負ってもらわなければ困る。そう思った。


 だんだんあの娘に似てきたわね、全く──。


 何のことなのか、その言葉の意味が解らなかった。

 そして──。


 私はあなたの母親じゃない。私はあなたの母親の母親なのよ! 


 目の前が真っ白になった。

 回りくどいが、それでもやはりそれはシンプルで、ショックだった。

 ソレは真実であることを突き止めるのに時間のかかることではなかった。

 そして──突き止めた事実。

 それはひどく残酷なものだった。


 深く傷ついた。

 生きている意味が、ないと思った。


 私はなぜ、ここにいるの? 

 何のために、生きているの?──。


 解らない。何も、解らない。


 どうしてなの? 

 私がいったい、何をしたというの?


 どうして私ばっかり、こんな目に遭わなければならないの?


 そして私は、そのときの思いを胸に、中学卒業と同時に、彼女──祖母──の家を出た。


     ◆ 1


《一一月〇四日 金曜日》

 ペアでの行動を始めて少しして、生駒愛と早坂翔は、A棟や体育館で起こっている『異変』に気づいた。

 サーチライトのようなか細い光が、ほんの時々ではあるものの、窓から洩れ出して来るのだ。

「やべえな」

 翔がかすれた声で言った。

 ただでさえ、つい最近──もう日付で言うと三日前になるのだが──人が死んだらしいこのB棟。

 しかも深夜、真っ暗闇に近いこの状況下の、更に学校という閉鎖的だがある程度の広さがあるこの空間に自分が立っている、という現実は、愛には少々重すぎるものだった。

 ふと、翔の右腕が彼女の首に乗り、そして彼の右手が彼女の右肩を掴んだ。光が一瞬、近くを通ったので、二人してかがむため──のようだった。その力は強かったが、彼の身体は震えていた。愛は、彼の緊張の度合いが、自分同様高いことを知った。

「痛いよ」

「ごっ、ごめん」

 慌てて彼の腕が離れていく。

 そんな人間的なやり取りが、緊張感で張りつめた二人の心に少しの余裕を持たせてくれた。

 今、あたしは、独りじゃない──そう思った。

 冷静になってみると、今自分たちが置かれている状況が、客観的に決して楽観視できるものではないことがわかってきた。

 あのサーチライトの主が誰かは判らない。 

 しかし、自分たちのように遊び半分で忍び込んだ連中ではない可能性が高く、そうだとしたら、絶対に見つかるわけにはいかない。

「あの光、楓たち──かな?」

 翔が願望を込めるようにそう呟いた。

 もちろんその可能性もないわけではない。

 しかし、わざわざ「肝試しをしよう」と言った楓たちが、そんな行動をとることは考えにくかった。

 そもそも、肝試しは、そういう方向性のスリルを味わうものではない。

 それに、夜間から早朝にかけて、学校の外が警察官たちの警戒に晒されているという情報は、今朝、いや昨日の朝に行われた体育館での学校側の説明で、愛の頭の中にもインプットされている。

「あの光、絶対楓たちじゃないよ。ウチの学校の生徒なら、誰もそんなことしないと思う。楓たちだろうと、他の人だろうと。翔クンも、今日の朝の先生たちの話、聞いてたでしょう?」

「あ、ああ」

 翔にしてみれば、いや、愛にしてみたって、あの光の主が尋たちであった方がいいに決まっている。

 翔はこの愛の言葉に、表情を少し曇らせた。

「そんな顔しないでよ。男子なんだからしっかりして」

 もともとは大人しいもののやや勝ち気な性格でもある愛は、同学年の男子に対して、昔からこんなふうに、ともすればお姉さんぶったように接することが少なくなかった。そのことが、やや優柔不断な性格の尋と交際することにも繋がったのだろう。

「ああ、スマン」

 翔は一言そう言ったものの、相変わらず表情は冴えなかった。

 仕方なく、愛は、先程思いついた現状についてのささやかな分析の結果を、彼のために話すことにした。


「あの光の主について、あたし考えてみたんだ。

 考えられる可能性の一つは、この学校の見回り。警察なのか先生なのか警備員なのかは判らないけど、そういう人が巡回している可能性。これがすごい高いと思う」

「一つ、って言ったな。二つ目もあるのか?」

「……うん。二つ目は──ねえ翔クン。この間の三年生が死んでた事件の、ニュースかなんか、見た?」

「……見たような気がするけど」

「じゃあさ、そのとき、『他殺と自殺の両面から捜査する』って言ってたの、覚えてない?」

「そう言えば──」

 翔は、そう言ったあと数秒、視線を宙に漂わせた。

「じゃあさ、愛ちゃんはあの光の主が、もしあの事件が他殺だとしたら、その犯人だって?」

「そう考えたの。最初はね」

「──最初は?」

 翔が不安気な表情を浮かべながらも、先程よりは遙かにしっかりした表情で訊ねてきた。

「うん。自分で言っておいてその──なんだけど、今ではその可能性については、すごく低い、と思ってる。

 犯人がもしいたとして、それが誰であれ、後ろめたい立場に置かれていることは間違いないわけでしょう? そんな人が、警察が警戒している中で、しかも誰がいるかもわからない──誰もいないかもしれない、普通はいない──深夜の校舎の中に、わざわざ入ってくるわけないじゃない? それに万が一、そういう人であっても、あたしたちが窓を開けて大声で叫べば、警察がすぐに駆けつけてきてくれるじゃん? リスクが高すぎるよ」

「……それは少しヘンじゃないか? 

 確かに犯人がここに潜り込んで来た、っていうのはない、ってのは、たぶん合ってると思う。

 でも、どの日でも、こんな時間に生徒が校舎の中にいるなんてこと自体が、あるもんじゃないんじゃないの? だとすると、犯人がここに忍び込んでくる理由だって──」

「でも、犯人がもし、被害者と顔見知りで──例えば恋人だったりしたら? 例えばその──ホ、ホテル代を浮かすため──夜は誰もいなくて敷地も広くて声が外に漏れにくい学校を、そういうコトする場所として選んだとしても、不思議はないでしょう? 

 その場合、現場として一番ふさわしいのはこのB棟。学校の敷地の中ではほぼ真ん中に建ってて、しかも生物準備室は川側にある。カンペキだわ」

「まさか、そんな……」


 あっ、あっ、…………。


「! ──!?」

 突然、くぐもった女性の、喘ぎ声のようなものが聞こえてきた。

 二人は顔を見合わせた。

 その声はなおも、やや激しさを増しつつ続いている。

 声は、どうやら上の階から聞こえてくるようだった。

 もしこんな内容の話を二人がしていなければ、恐怖のあまり、この声が『甘い声』であることに気づかずに、パニックになって逃げ出していたかもしれない。

 しかし、二人は階段を駆け上がっていった。

 もはや、あのサーチライトの主のことなど、頭からすっかり抜け落ちていた。


 現場は、四階の男子トイレの中のようだった。

「……………………」

「……………………」

 わざわざ中を見に行くまでもなく、そこで何が行われ、そこに誰がいるのかは、ハッキリと二人にはわかった。

 二人は現場に乗り込むような無粋な真似はせず、静かに、足音をできるだけさせないようにして、元来た階段を下りていく。

 お互いに無言だったが、なぜか二人とも、自然とそういう行動をとったのだった。


「俺、こうなること、心のどっかで、いつも予想していた気がする。あいつら二人が実はデキてて、俺は遊ばれたんじゃないか、って」

 長身の彼が俯き加減で歩いているところに先回りし、ちょうど階段の踊り場に来たとき、愛は彼の唇に一瞬だけ、自分の唇を重ねた。

「あたしは、後悔はしてない。きっと」

 今度は熱いディープキス。

 それ以上のことはしなかった。

 涙は出なかった。

 キスが終わっても、不思議と心は軽かった。

 むしろ、これからの人生に対する小さくない自信と、そして野心が、ふつふつと心の中で育っていくのを感じさえした。

 彼女は、そんな自分の今の表情を見てみたくて、一階に辿り着くと、一瞬顔を窓の方に向けた。そしてそのとき、一点の光が彼女の顔の辺りを直撃した。

 一瞬、何があったのかわからなかった。


「に、逃げろっ!」

 翔が叫び、愛の腕を引っ張り、階段へ再び彼女を引きずり込んだ。

 愛もすぐに状況を把握し、そして彼に訊いた。

「い、今の誰だった?」

 彼は息を切らせながら、しかしハッキリ答えた。

 彼らを追う足音が、下の階から響いてくるのがハッキリと聞こえてくる。

「た、たぶん、何人かいたけど──一人は落合先生だ。あの体の大きさに、たぶん竹刀を持ってやがった」

 一番見つかりたくない人だ──。

 愛はこのとき、今日、初めて涙目になった。


 前を行く翔は四階には上がらずに、三階の廊下へ逃げようとした。

 しかし愛は、そんな彼を止め、四階へ促した。彼は、どうして? というような目つきで一瞬彼女を見たが、アイコンタクトで、彼女の意志は十分伝わったようだった。

 人間、意外にも極限状況になると、一瞬にしていろいろな状況把握ができてしまうことがある。そんなことを、彼女たちは実感していたに違いなかった。

 翔が三階へ行こうとしたのは、尋と楓の二人のことを追撃者たちに悟らせまいとする無意識に近い行動だった。彼らが捕まってしまったら、自分たちが例え逃げ切ったとしても、結局は同じことになるに違いないから。

 でも──もう既に、どう転んでも逃げ切るのは不可能な気がした。

 愛の顔は、あのサーチライトの光によってハッキリと暗闇の中で浮き上がって見えたに違いない。

 しかも相手は落合らしい。

 例えこの場だけ逃げ切ったとしても、もはや隠し通せるとは思えない。

 それに彼女、楓の喘ぎ声が、いまだにこの三階まで聞こえてきている。

 自分たちだけが危険に晒され、結果的にでも脳天気に情事に耽っている二人を助けてやる──というのは、割に合わない気がした。それならむしろ、身を捨ててでも彼らを告発した方がまだマシだ──そんな共通した思いが、二人を四階へ逃げるよう促した。


(これで一つ、ケジメがつけられるかな?)

 二人は四階に上がると、『現場』である男子トイレの前に立った。

 もうこれ以上逃げることはない。

 後続の連中が彼らを見つけ、そしてその彼らの向こうから聞こえる妖しげな声を聞いたら、その場ですべてが終わる──それが、愛と翔の描いた、ラストシーンの『シナリオ』だった。

 複数の足音が階段を駆け上がって来る。

 二人だ。 

 そして廊下の遙か向こう側にも、A棟から一番近い反対側にある階段から上がって来たと思われる人物がいた。間違いなく落合だった。

 どうやら逃げ道を完全に塞ぐため、二手に分かれていたらしい。

 愛と翔は、このとき、自分たちの選択が正しかったことを確信した。

 もはやどうしたって、逃げ切れるものではなかったのだ。


 二人の男が四階へ到着し、落合が最後に四人のところに到着した。

 先に到着した二人のうちの一人は教師の門松だった。

 そしてもう一人は、なかなか顔立ちの整った、長身の若い男性だった。

 尋よりもカッコイイかもしれない──と、愛はとっさに思ってしまい、少しの自己嫌悪に陥った。


(?──)


 すっかり捕まることを観念した愛は、再び周りを見渡す余裕を得ていた。

 そしてそのことが、彼女に一つの疑問を生じさせた。

 何故か、トイレで流したときに出るあの独特の水流の音が、ずっと続いて聞こえてきているのだ。

 しかも、その音に混ざって、「ぴちゃ、ぐちょ、ねちょ、バキッ」という音が、定期的に聞こえてきている。

 もちろん、彼女の声も依然、聞こえてきている。

 しかしその声が「喘ぎ声」、というより、むしろ「嗤い声」のように聞こえる。


 何だこれは?


 そんな違和感が、そして寒気が、彼女の全身を襲った。


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