第七章 奈落へ(七)─堕ちる─
※本作では“ ”(ダブルコーテーション)で括られている箇所が何か所かあります。これは、「作中世界の人物による著作(本など)」の引用部分です。
改行に乏しいなど一部の文章がとても読みにくかったり、文体が異なる箇所がありますが、ご理解くださいますようお願いいたします。
◆ 7
体が震えた。
頭の中が真っ白になった──。
「湊都っ!?」
「大丈夫!?」
智美と絵里の二人が、大きくふらついた湊都の体を支える。
しかし彼女たちの声は、湊都にはほとんど届いていなかった。
友香の『ノート』には、様々なことが書いてあった。
取り留めのない日常の会話や、自身が一人で抱え込んでいたと思われる個人的な恋愛問題。そして劇用の脚本とその下書き──。
しかしそこには、湊都が考えていた内容の脚本などどこにもなかった。
そこにあったのは──。
記してある日付を手がかりにするなら、その『ノート』は中学時代の分からあった。
湊都たちは、中学時代のものと高一時代のものは後回しにし、高二以降の時期のものを古い順に見ていくことにした。
“6/10(昨年)
判決は下った。刑事裁判の被告人が味わう感覚というのは、こういう感覚なのかもしれない。
負ける予感は正直、なくはなかった。相手はかなり強敵だったし、自分もまだまだだと思うから。だが、この、今の気持ちを大事にすることは無駄ではないはずだ。
私はこの判決によって、非常に多くのものを失うかもしれなかった。
もちろん、私には犯罪者が持つ罪悪感などはないが。
演劇部の連中とこれからも上手くやっていけるだろうか? それが第一の不安。特にミナトとは上手くやっていく自信がない。彼女はクールなところがあるから、意外に大丈夫なのかもしれないけど、私の方がダメな自信がある。いやむしろその可能性の方が高い。もちろん、他のメンバーとだって……。
彼女を恨むつもりはない。演劇部を恨むつもりもない、彼らは裁判官であり、陪審員であり、そして傍聴人であるに過ぎないから。しかし、敗訴した私から見れば、その敗訴させた相手方であるあのコは恨んでいい対象なのかもしれない。
でも。なんだかよくわからない。
複雑な心境ってこういうのをいうのかもしれない。まるで失恋したときのようだ。いや、それとも少し、違うかな?
とにかく、今ここで記せるのはここまで。ただ、とにかく不安だ。助けて欲しい。相談したい。でも誰に? エリ? ミナト? ううん、これは私の問題。”
“6/28(昨年)
今日もミナトとは話ができなかった。彼女の顔を見ると、どうしても逃げてしまう。そんな自分が、なんだかひどく小さな人間に思えて仕方がない。彼女のことを恨んでいる? 違う。私は恨んでなどいないはず。だとしたら、上手く行かないのは私のせい?”
“7/13(昨年)
結局、夏休み前に仲直りすることはできそうにない。エリやトモミとは平気だったけれど、どうもミナトだけはダメだ。どうしてだろう? 何か原因があるのかな? あるとしたら私の方にあるのかな? それともミナトの方にあるのかな?”
“10/19(昨年)〈注釈・この日は、演劇部の公演を見に来ていた〉
『奇妙なくらいリアルな演技』というものを、私は初めて見たような気がした。女のコでああいう演技ができる人って、いったい何人いるのだろう? 彼女の演技力のすごさは、相当なものだ。
本当にそう?”
“11/8(昨年)
久しぶりにミナトに声をかけられた。嬉しかった。彼女はいつもの彼女だった。しかし私は無視した。どうもあの10/19の演技が忘れられない。”
“〈注釈・日付の記載無し〉
ようやく謎が解けた。一つの謎を解けたというのは、必ずしも愉快なことばかりではないらしい、そのことがよくわかった。
しかしある種快感だった。こういう快感は、多少「倒錯している」といわれるようなこともあるのかもしれないけれど、しかしこんなゾクゾクするようなのは初めてだ。”
“〈注釈・日付の記載無し〉
世の中には愚鈍な人間というものがいるらしい。あれだけの光景を目にしておきながら何も感じることのできない人間と、ちょっと会っただけで、ちょっと話してみただけで、その人がどういう人か見極めることができるような人間。前者はトモミ、後者は●●〈注釈・黒く塗り潰されている〉。
彼女の能力の高さを思わないわけにはいかない。でも私は、彼女からヒントを得、そしてすべてを見破ることができた。私の能力は彼女ほどではない。そのことが証明されたことはくやしいが、かえってせいせいしたという思いもある。これですべてがうまくいくかも。”
“〈注釈・日付の記載無し〉
前言は撤回だ! やはり、私の方がどうこうというより、あいつの方に問題があったのだ! その証拠に、あいつの姿が、私にはくっきりと汚れて見えた。なぜあんな汚らわしいやつのために私がこんなに悩まなければならなかったのか! そのことを考えるだけで腹が立つ! 何かに対する嫌悪感というものをこんなにはっきりと感じたのは生まれて初めてかもしれない!
それに、あのコだって、いくら能力が高くても、人格的に劣っている。才能はあるけれど人としてオカシイ。サディストそのものだ。全く、私はあんな連中に振り回されていたのか!”
──この後、友香は盛んに「汚らわしい」とする人物についての憤懣を並べ立てていた──
“〈注釈・日付の記載無し。ただし、これは今年度に入ってからのものらしい〉
汚らわしい汚らわしい汚らわしい! どうしてあの汚れた女が! 許せない! あのとき私を虐げただけでも許せないのに、またしても私の邪魔をする。汚れているのに! 汚らわしいのに! あんな奴に私の人生をぐちゃぐちゃにされるなんて、許せない! 許せない!”
“June〈注釈・日付の記載無し〉
あんな女、もう一度誰かに犯されてしまえばいいのよ!”
“June 18
あんな女がスイセンだって。汚らわしいあのひとには、ふさわしい言葉かもしれない。私って、やっぱりおもしろ~い。そうだ、これからあいつのことを、『便器』って呼ぶことにしようか? 「便器」、「ベンキ」よ? ああ、なんて汚らわしい──××××(判読不明)”
智美と絵里は、このときの湊都の表情を、少なくともしばらくの間は忘れることができないだろう。
二人は彼女の、目をカッと見開いたまま、瞬きもほとんどせずに目が血走り──瞳孔が開いていく様を見た。
痙攣するようにガタガタと小さく体を震わせながら、焦点の合わぬ目をどこかに彷徨わせている彼女を見た。
顔が真っ青だった。
全身に鳥肌が立っていた。
生気が感じられない、死体のような目つきの、彼女を見た──。
二人は、そんな彼女の姿に、ほとんど同時に彼女の体を支えていた手を離してしまった。彼女の体がカーペットの上にゆっくりと倒れ込む。
二人はその瞬間を、ただ呆然と、見ていることしかできなかった。




