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Embrace~黒き魔性  作者: 笹木道耶
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第七章 奈落へ(六)─「イベント」─

     ◆ 6


 目的をとりあえず達成できた私は、予想した以上の満足感を得て帰宅の途についた。

 やはり、すべて、ほぼ同じ場所で起きていた──その裏付けが取れた。


「やあ、奇遇ついでですね? 帰りも同じ電車とは」

 彼がまたしても私に近づいて来た。

 彼の顔を見ると、どうにも微笑まずにいられない自分がいる。

「本当に奇遇ですわね? まるで本当に私のことを尾行してるみたい」

「ははは、それはそれは。……ところで、今日はずっとソレで通していますが、いつもそんな話し方を?」

「どうして?」

「いえ、高校二年生にしては、妙に色っぽいというか、随分お嬢様な感じだなと思ったんで」

「ウフフ、ありがとう? でも……」

「でも?」

「今の私は、大卒のジャーナリスト。二二歳以上の大人の女性ですから」

「……なるほど。何となくですが、納得しましたよ」

「ほんとに?」

「本当ですよ」

「ヘンなの」

「そうですか?」

 彼との会話は楽しい。

 純粋に会話としてだけでも楽しい。

(──それに、このくらいハズしてた方が、却ってウソくさくないでしょう?)

 そんな言葉を発するまでもなく、彼には何かが通じている──『同い年』の人にはなかなかない雰囲気は、好印象として私の目に映った。

 こんなに心ときめいたのは、いったい何年ぶりだろう?

「……どうかしましたか?」

「え? いいえ?」

 自然と笑みがこぼれ落ちるのがわかる。

 彼の一挙手一投足、彼の口から出る一言一句が、私には興味深い。

「収穫はありましたか? 『来なければならない』、とおっしゃってましたが」

「ええ。それはもう有意義な時間でしたわ。ここ数年、なかったくらい」

「ここ数年、ですか」

 彼はポーカーフェイスのふりで、そう言った。

 普通の人には判らないだろうが、それは痛々しいほどの苦しい演技だった。

「何か私、変なこと言いましたか?」

「いえ、全く。そんなことはありませんよ。阿木名さん」

 ついに、来たわね──。



「そろそろ、いいかもしれないね」

 楓のその言葉が合図のような役目を果たし、女子テニス部の部室内にいた四人は、各々外の様子を窺い出す。そのときまで感じていた空腹感も、その一言でほとんど解消されてしまった。

 翔は、いや、翔だけでなく尋、愛、楓の四人は、今日は昼以降、携帯用栄養食品しか口にしていなかった。

 トイレと飲み物はクラブハウス内にある設備でまかなった。十分周囲に気を配った上で、それら二つを利用した。そうしなければ、今日のメインイベントが台無しになる──という、彼の『恋人』、楓の指示に従ってのことだ。


『肝試ししようよ。今日の夜、学校で』


 彼女はそう、翔に告げた。

 彼女にはたまにある、有無を言わせぬ口調だった。

 彼女の我が儘さ加減はこれまでのつき合いで十分に理解していたから、この言葉を聞いた時点で、断るという選択肢は彼の中から消え失せた。

 潜む場所に、女子テニス部の部室を選んだのも彼女だ。


 この学校では、女子用の部室は、内外からの盗撮や盗聴を防ぐためにある程度の防音性能があり、かつカーテンが厚手の暗幕になっていて、基本的に閉め切られていた。部室によっては複数の部の兼用のところもあるが、女子テニス部は、部屋は狭いが単独使用で、このことが、『学校内に居残る』という行動を実行するのには都合が良かった。

 皮肉なものだな──と翔は苦笑する。

 加えて、彼女は妖艶な、という形容がふさわしい笑顔を浮かべながら、一つ細工をしてあるの──と言った。クラブハウスから近いB棟一階の窓の一つの鍵を変形させ、外からでも容易に外せるようにした、というのである。

 細工自体は、この部室内にいる一人、尋がやったらしい。

 最近どうも、この二人の様子がおかしいような気がしてならない。彼女──楓が尋と話すときの態度が、妙に親しげなのだ。

 ──いや、本当にそうだろうか?

 翔はこの数時間、四人でこの部室でじっとしている最中、ずっとそのことが頭から離れず、気分がもやもやしたままだった。


 ひょっとしたら、今までずっと、こいつらは演技をし続けてきたのではないか?

 ひょっとしたらこの二人は、それを隠そうとしなくなっているのではないか?

 もうバレてもいいやと開き直ってきているのではないか?


「大丈夫そうね。外へ、出てみようか?」

「いっぺんに出るのは危険だろう。まずは運動神経のいい方からだな」

「じゃあ尋、アンタからじゃん」

「何言ってんだ。オレよりもはるかに将来を嘱望されてた選手がいるだろ」

 そんな尋と楓の会話は、翔の心を更にマイナス方向に揺さぶった。

 ふと、自分の横から張りつめた空気を感じた。

 そこには愛が座っている。

 彼女もまた、将来を嘱望された選手だったのだ。


 結局、初めに部室を出ることになったのは、「瞬発力に勝る」という理由で尋になった。

 女子部の部室なのだから、警戒するなら女子が先に出る方がいいだろうに。まるで、絶対誰にも見つからない確信があるかのように、ここでも楓が最終的な決断をした。

 本来なら、付き合っているはずの愛に同意を求めても良さそうな場面だが、彼女はそうしなかった。

 そして尋のあとに自らが続き、そのあとから愛、翔の順で続いた。

 殿は先陣と同じくらい危険なので、それは彼から申し出たことだった。

 楓はその申し出を快く受け入れた。

 それが、翔にはまた気に入らない。

 尋も翔も、捨て石同然の存在なのではないか?

 あるいは尋と自分が見つかっても、何も問題がない、ということなのではないか?

 

 時刻は既に夜の一一時を大きく回り、日付が変わろうとしていた。

 女子テニス部の部室の入口は、二つの校舎と体育館、それにクラブハウスの四つの建物に囲まれた中庭の側にある。従って、外部の人間にその姿を見られる可能性はほとんどない。

 翔が辺りを見渡すと、そこには『闇』とまでは言えないまでも、かなり不気味な暗がりが広がっていた。

 普段は「怖がり」でもなんでもない翔だが、このときばかりはさすがに嫌な雰囲気を感じていた。


 『猟奇的な猫の斬殺事件』。

 『池の鯉が死んでいた事件』。

 『同じ二年生の女子生徒が飛び降り自殺した事件』。 


 そして、『三年生の女子生徒が死んでいたという事件』……。


 それらの知識、情報があるからなのだろうと、翔は自身を改めて納得させなければならなくなるほど、この場の空気が重く、深く感じられた。


「ほら、こっちこっち」

 翔の直前に出た愛が、一人、開いている窓の下に立っていた。

 気づけば、一人だけ大幅に遅れていた。

 他の二人の姿は、もうそこにはなかった。

「楓たちは?」

「うん……。ごめんね? あたし、パー出しちゃった」

 翔を除く三人は、今回の『肝試し』を二人一組で行うために、一人遅れた翔抜きで「グーパー」をしたらしかった。

 結果は、パーが愛一人で、楓と尋はグーだった、という。

 もちろん男女のペアで行うことになることは前提だったから、組み合わせは二通りしかない。

「なんだよそれ? 意味わかんねえ」

「うん……」

「グーパー?」

「うん……」

 これは予定調和なんじゃないか?

 既に茶番なんじゃないか?

 どうやら愛も、翔と同じような気持ちを抱えているようだった。

 ──とはいえ、じっとしていても仕方ない。

 その不安を紛らわせるためか、それとも考えないようにするためか。

 二人は、有力選手だった時代を彷彿とさせる軽やかさで、開かれた窓からB棟一階の廊下に躍り込んだ。


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