第七章 奈落へ(三)─行動─
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急いで来たつもりだったが、時刻はもう、二時を大きく回ろうとしていた
行き先は決めてある。図書館と地元の新聞社だ。
「ジャーナリストの卵」というような触れ込みでアポをとったので、服装は「大人の女性」を微かに匂わせる程度にはアダルトなものでなければならなかった。私の家に「あいつ」の服が置いてなかったら、服の調達に苦労しただろう。
風に髪が靡かされ、ふと視線が駅の入口(出口)の方に向いた。
目が合った。会釈が返ってくる。
彼は、ビシッとしたスーツに、異様なほど様になったアクセサリーと化粧を身にまとった私を、一目で私だと見破ったようだった。
──いや違う。
例え彼がその道の専門家的な人間でも、この私の変装とも言えるほどの化け方を見て、すぐにその正体を見破れるはずがない。
尾けられていたか──。
私は思わず、彼に対して微笑んでいた。
新幹線、普通電車にタクシーまで乗り継いで、約三時間もかけて、はるばるこのK市までやって来たのだ。彼が私を尾けていたのでなければ、いったいどうしてこんなところにこのタイミングで、私の目の前に現れることができたというのだろう。
「あら、奇遇ですわね? こんなところで会うなんて」
私から口を開いたからか、彼は苦笑気味に顔をほころばせた。
「ほんとに奇遇ですね。こんなところであなたに会えるとは。それにしてもお綺麗ですね。何て言うか、その……泣き黒子がとてもセクシーですね?」
こいつはなかなかの食わせ者だ──と私は改めて思った。
事件を調べているという態度で近づいておきながら、昨日の彼の質問はかなり特異な印象を受けるものだった。あれが捜査を行う上でのテクニックなのだとすれば、細心の注意を払っておいた先日の受け答えが、無駄ではなかったことになる。
「こちらへはどうして?」
私は、極力、今の風貌に似つかわしいような雰囲気で、彼に訊ねた。今日のようなキャリアウーマン的な服装をしていると、特に意識しなくても、それ相応の立ち居振る舞いができるようになる。まずは形から入ってみることも、自己暗示というプラスの効果をもたらすという意味で、必ずしも悪いことではない。
「そちらこそ、何故こんなところまで?」
「こちらが先にお訊きしたんですよ? 先に答えてくれてもいいじゃないですか」
「そちらこそ、人にものを訊ねるときは、自分の方から情報を提供する、というのもテクニックの一つだと思いますが」
「それなら、昨日は私、一人で損をした──ということになりますね? あなたについて、私は『名刺に書かれている情報』しか知らない。そうでしょう? 静香ちゃん?」
そう。彼は『宇佐美静香』と私に名乗った。
私の態度で、少なくとも今日は対等か自分の方が上──ということで通したい、ということを、察してくれるだろうか?
「ははは。これは手厳しい。でもそれはどうですか。お互い様のような気がするのですが」
「私は、嘘は何一つ、ついていませんわ」
「ふふっ、芝居がかったしゃべり方ご苦労様です。でも今のは、却って不自然かも。それにまるで、僕が嘘をついているみたいじゃないですか」
「あら、違いまして?」
彼は、崩れない私の態度と言葉に、ほんの一瞬、表情を強ばらせた。
しかしそれは、普通の人なら容易に見逃してしまうであろうほど一瞬で、自力で元の笑顔に戻っている。
なかなかやる──そう思った。
「僕がここに来たのは──」
彼は、こちらの様子をさり気なくうかがうように続けた。
「このK市は、僕にとっては、ルーツの一つとも言える、そんな町だからです」
そうですか──と言いながら、私は、心の中で何かが弾け飛ぶほどの快感を得ていた。
そして思わず、次の言葉を発していた。
「私は──私がここに来たのは、私がここに、来なければならない。そう思ったから。
それだけです」
門松たちが図書館にいる頃、郡湊都、小村絵里、熊倉智美の三年生三人は、白井友香の葬儀に参列していた。
親友だった絵里以外の二人は末席だった。
約束通り夕方になって、やっと湊都たちは『本来の目的』に向かって進むことができた。
友香の母親は、葬式に来た三人の高校三年生に、この忙しい時期に、わざわざ来ていただいて、本当に迷惑をおかけして──と恐縮していた。
湊都は、友香の受験ストレスが大きかったことを少し、理解できた気がした。
友香が死んで二日。
部屋はすごく綺麗に片づけられていた。
母親曰く、捨てたものは特にないということだった。
湊都には、彼女が悪意の嘘をついているようには思えなかったものの、湊都たち三人の、部屋に上がりたいというお願いに対しては、渋々という心情を隠せておらず、その態度から、世間体をかなり気にしていることを読み取った。
この部屋には、漫画や週刊誌、情報誌などの、キャリア志向の人間には「低俗な」と言われる部類の書物がほとんどなかった。これは友香が生前──いや演劇部時代に、『幅広い知識を持っていないと、創作活動なんてできないでしょ?』と言っていたことと矛盾する。
これには、絵里も智美も首を傾げていた。
「そう言えば、友香、言ってた。『ウチは親が厳しい』って。だから、『部屋に鍵をかけるようにした』って。『そうじゃないと、雑誌とかすぐ、捨てられちゃうから』って」
絵里はそう言うと、涙がこみ上げてきたのか、他の二人の視線を避けた。
「この分だと、日記やネタ帳みたいなものがあったとしても、捨てられちゃってるかもしれないね? 少なくともこの部屋には残ってないかも」
智美は、湊都が少なからず思ったこの部屋を見たときの第一印象と同じことを言葉にした。
だが、湊都は諦めていなかった。
友香の母親の『捨てたものは特にない』という言葉に、漠然としたものではあったが、一応の信用性を感じたから。
「おばさんは『捨てたものは特にない』って言ってた。おばさんがそう言ってるだけでがっつり片付けたあと──にしか見えないけど、それだけじゃない気がするんだ。
だとすると、少なくともそれらしい日記的なもの──あるいはネタ帳的な何かを、探してみたけど見つからなかった、っていうことになるかもしれない。友香だって、そういうの、簡単に見つかるような隠し方はしないだろうし。
もちろん、普段だったら探すのに、今回はその暇がなかっただけかもしれないけど──それはちょっとしっくり来ない気がする。さっきの態度からは。
絵里はどう思う?」
「湊都の言う通り、だと思う」
絵里がまだ、涙を含んだ声でそう言ったので、一瞬三人の間に沈黙が流れたが、意外にも、その沈黙を破ったのは、沈黙を演出した絵里だった。
「友香は、ネタ帳を持ってたし、自分で捨てたりは絶対にしない。それはまず、間違いないと思う。何もないわけない。部活辞めたあとも持ってたし。持ってたどころか書き続けてたはず。問題は、それがどこにあるか。
あのお母さんの言葉からは、湊都が言ったみたいに『ネタ帳は見つからなかった』ってニュアンスがあった。『見たけどヘンなことは何も書いてなかった』ってふうにも取れなくはないかもだけど……」
「そうだとしたら、ちょっとやりすぎっていうか。共働きで忙しいはずなのに、そういうことまでするっていうのも──」
「それを普通にやっちゃえるくらいの過干渉が日常的にあったのか、それとも、ストレスの捌け口として友香が利用されてたか」
「その両方か、か。わたしは友香からあのお母さんについて何度か聞いたことがあるけど、やっぱり両方なんじゃないかな?」
絵里は確信的にそう言うと、智美、湊都の順に視線を走らせた。
「どちらにしろ、あたしたちは賭けるしかない。おばさんが『探したけど見つからなかった』っていう『シナリオ』に」
「『シナリオ』か……」
「友香、お母さんを警戒してた。ネタ帳に自分の心の内もひっくるめて日記的に記したりしてたとしたら、部屋の鍵だけじゃなく、もういくつかのカモフラージュをしてた可能性が十分あるわ。あのコ、結構神経質なところがあったし」
「とにかく、探してみようよ。アタシたちはそのために来たんだから」
湊都と絵里が智美の言葉に頷き、三人は六畳ある部屋の中で、手分けして三つの方面から、捜索を始めた。




