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Embrace~黒き魔性  作者: 笹木道耶
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第一章 序曲(二)

※本作では“  ”(ダブルコーテーション)で括られている箇所が何か所かあります。これは、「作中世界の人物による著作(本など)」の引用部分です。

 改行に乏しいなど一部の文章がとても読みにくかったり、文体が異なる箇所がありますが、ご理解くださいますようお願いいたします。

     ◆ 2


「早退者は……いないな。じゃ、掃除当番以外は帰っていいぞ」

 いつもながらの簡潔な門松節で、二年C組は放課後を迎えた。

 門松はすぐに職員室へ向かおうと、足早に教室を出た。

 とはいえ、職員室にも門松の居場所はほとんどなかった。

 私立とはいえこのH高校も教員の高齢化が確実に進み、今では二〇代の教員は、門松と保健室の養護教諭、高木由里子の二人だけになっていた。その高木も来年で三〇歳、現在二四歳の門松が抜群に一人だけ若い。

 門松は、居場所のない職員室を早々に立ち去るため、二年C組のクラス名簿を自分の机の上に置くと、ここでも足早に立ち去ろうとした。


「よっ、門松先生。今日も部活か?」

 声をかけてきたのは、この学校の学科教諭の中では二番目に若い落合という生物の教師だった。

 彼は剣道部の顧問をしていて、体重も八〇キロはあるであろうごつい体格の持ち主だ。典型的な体育会系の熱血漢で、門松にとってはかつて周りにいなかった単細胞タイプの性格である。それだけに、逆に門松にとっては、比較的やりにくい相手だった。

「ええ。しばらく練習してなかったんでね、腕が鈍ってるんですよ。ちょっと練習しておかないと、本番で恥かきそうなんで」

「はっはっは、二枚目はつらいなあ。自分なんかだったら、わざとミスして笑いをとらないと、見せ場がなくなっちまうのに」

 そんな挨拶程度の雑談を交わしつつ、門松はすぐに職員室を出た。このまま落合と話していたら、おそらく面倒な話題を持ちかけられるに違いない。


 門松は、このH高の「誇る」バンド部の顧問である。

 部員数四名、部創設二年目という「由緒ある」部活である。

 門松がこの学校に赴任すると同時に入学してきた一年生たちによって作られ、部長は現在二年C組の皆川栄。

 部室は職員室があるA棟とは上空から見ると直角になっているB棟二階の、一番端の部屋で、その部屋の前は男子用の更衣室、横はブラスバンド部室、そして斜め前が演劇部室という、騒音の巣窟──防音設備のある部屋が近所──と言えるロケーションだ。もっとも、そのおかげで、こちらとしても周りに気兼ねなく音が出せるというものでもある。

 職員室が一階にあるため、バンド部室に行くためには、生徒用の昇降口の前にある階段を上らなければならない。

 A棟とB棟は二階以上の階では繋がっているが、一階だけは中庭と校庭との通路の確保のため、建物どうし繋がってはいない──というか壁がない。小さな立体交差のトンネルの部分が一階にあるようなものだ。

 門松がその一段目に足をかけたとき、上の階から下りて来ようとした一人の女生徒と目が合った。

「あっ、門松先生」

 声をかけてきたのは、今日から「担任」という立場になってしまった二年C組の秀才、栄生一美。

 門松の担当科目は英語だが、彼女の実力は高校生としては群を抜いていた。進学校であるこの学校の中で三年生を含めて考えても、英語に関しては、彼女はトップレベルの実力の持ち主であることは間違いなさそうだった。

「文化祭で、ライブ、やるそうですね?」

 彼女はいつもながらの落ち着いた様子で話しかけてくる。

 普段から生徒と話そうとする態度を全く見せない、アウトサイダー的な存在である門松に、ことさら興味を持っている態度でこちらに接して来る。ちょっと不思議な感じの女生徒だ──という印象を門松は抱いていた。

「ああ。皆川のせいでな」

 門松は、またしても一言で簡潔に終わらせようとする。

「……そういう言い方ばっかりしてると、女の子にモテませんよ?」

「ガキに用はない」

 さようならの挨拶もせずに、門松は階段を上がっていった。

 門松は、自分が言う通り年下の女性にあまり興味を持つタイプではなかった。せめて同い年、できれば年上──と常日頃から思っている。

 だが、彼女を見ていると、そんな自分の信念が揺らぐようで、少々恐ろしさを感じる。

 こんなことはこれまで一度もなかったのだが──。


 二階に辿り着くと、今度は視界の中に三人の女子生徒の姿が飛び込んできた。

 一人は二年C組の永井益美。

 そして他の二人はいずれも演劇部員で、二年生の古代希と三年生の郡湊都だった。

「大丈夫よ。益美ちゃんなら一週間で絶対、モノになるって。ね? いいでしょ?」

 古代が懸命に何やら話している。

 「説得している」と言った方が適切かもしれない。

「今回の劇のヒロインのイメージが、今の益美ちゃんにぴったりなの」

 難しい顔で断ろうとしているようにも見える永井に対し、古代がなお執拗に食い下がっている。

 去年も今年もこの古代のいるクラスの授業を担当している門松にとって、この光景は意外だった。

 古代希は、成績こそかなり優秀な方なのだが、授業中に当てたりしてもぼそぼそと呟くだけで、何をしゃべっているか聞き取りにくい、消極的な態度ばかりを見せる、引っ込み思案の極限のタイプだ、と思っていたから。

「ルックスもいいし、今回の劇では、あなたの地を出してくれれば、それでほとんどのシーンは大丈夫になるはずだから。難しいところもあると思うけど、頼むよ、永井さん」

 三年生である郡も懸命に誘っている。

 郡が永井を演劇部に誘う光景を見るのは、これが初めてではない。

 彼女は女子としては長身でスタイルを含めてルックスのいい永井に、入学直後から目を付けていたようだった。そのせいで、この演劇部室前で永井が彼女に捕まっている様子を、何度か目にしていた。

 ちなみに郡は演劇部の前部長であり、聞いたところによると、もう東京都内の某有名私立大学に推薦入学が決まっているという。だからこそ、こんな時期に部員の勧誘をしている余裕があるのだろう。

「今はあたし、少なくとも演劇に興味はないですから。……あっ、門松先生!」

 永井は門松の姿を見つけると、二人から逃れるように彼の目の前にやってきた。そして二人の女子生徒を全く無視して、彼に話しかけた。

「門松さん、ライブやるんでしょう?」

 栄生が知っているのだから、永井が知っていても不思議はない。

「先生って呼べよ。……皆川のヤツ、シメといた方がいいな」

「それは名案。あいつうるさいからさ」

 綺麗な顔をしてどぎついことを言うのが、この永井益美という生徒の持ち味の一つだった。栄生もそうだが、この永井も門松にとっては厄介な存在である。彼女もまた、彼の信念を揺るしかねないタイプの人間だから。

 しかしそれは、栄生に対するものとは別の意味で、だ。そしてだからこそ、却って厄介だと言えた。

「そんじゃあね、ばいばい」

 永井はそう言うと、綺麗なウィンク門松に対して決めて、ダッシュで階段を下りていった。演劇部の二人に捕まりたくなかったからだろう。

 要は、体よく彼女たちから逃れるために、利用されただけだ。

 ──似ている。

 門松は、永井の普段の姿を見るにつけ、毎回のようにそう思ってきた。

 明るく元気な優等生。

 学生時代の、そして今の門松とも全く違う世間の評価とは相反するように、門松は、永井が自分と似ていると思うのだった。


 部室に着くと、皆川たち部員四人は全員既に揃っていた。

 ただ、練習自体はまだ始めておらず、各々が思うがままに音を出したり、エフェクターの調整をしたりしている。

 このバンド部は、ベースとギター両方を弾ける皆川を中心に、キーボード、ドラム、ヴォーカルが各一人という小さな所帯である。部員は全員男子だ。

 普段はベースを打ち込みのシンセサイザーに担当させて皆川がギターを担当しているのだが、今回は門松がギターを担当するので、皆川は「本来の持ち場」であると豪語するベースを担当することになっていた。

「打ち込みは終わったのか?」

「もう準備万端、我が後方に憂いなし、ですよ。あとはせんせーだけだぜ」

「お前らとは格が違う。足を引っ張りやがったら、オレの独壇場にするからな」

「そっちの方がウケるかも?」

「そういやせんせー、『猫事件』ってどうなったんですか?」

 部員の一人が突然訊いてきた。その話題を避けるためにも、職員室をすぐに出てきたというのに、ここでもまた、この話題が持ち上がるとは──。

「オレもよく知らん。他のヤツらは、特に教頭は、『学校か、学校の誰かに恨みを持つ者の仕業だ!』とか言ってたけどな。

 ……さあ、練習だ練習」


     ※


“此の書を手にとり、強烈な眩暈を感じた者に告ぐ。汝は此の書を読むべき者にあらず。すぐに手放したまへ。さもなくば、汝はより一層、命を縮めることとなろう”


 そんな書き出しに苦笑しながら、私は古本屋で買ってきた本のうちの一冊を読み始めた。

 この黒い装丁の本は、「思念」についてのあの本と違って、かなり重厚でお金がかかっていそうだった。

 しかし、あの本といいこの「黒い本」といい。

 私は笑いが止まらない思いだった。

 そしてその思いは、読み進むに従ってどんどんと強くなっていった。

 懐かしささえ感じさせるような、この心地よい忌々しさ。


 そう、黒は……、

 黒は私の、色──。


“〈××××年(今年から数えて二四年前)一一月六日未明〉

 動けない。

 そのことはもう、分かっているはずなのに、なぜか私は、彼がまた私の前に現れてくれると信じていた。

 両腕と両足に損傷が見られる。それが視覚神経を刺激しているからだろうか? 力が入らない。たかがビニール製の細いテープで緩く縛られているだけだというのに、少しも動けない。

(この、テープさえ何とかなれば……)

 そう思うが、損傷の見える両手両足ではこの程度の拘束でさえ機能を万全に果たしてしまうようだ。


 このままでは、このままでは──。


 意識が次第に遠のきつつある。

 「失血死」。

 そんな単語が、私の頭の中にまことしやかに浮かんで来る。

 いや、それ以上に問題なのは、薄れゆく意識の中で確実に刺激を増してきた嗅覚神経に訴えかけてくる「焦げ」の臭いだ。

 「失血死」よりもむしろ──。

 早く、早く、助けに来て……。


 突然、勢いよく目の前の襖が開いた。

 そこには、彼が息を切らせて、そして立っていた。

 彼と目が合う。

 助かった──。

 私はそう思った。すると、今まで確実に薄れていた意識がはっきりする。

 もし私がこのままある程度ですら自分で動けず、彼の助けをただただ待っているだけだったとしたら、彼も私の巻き添えを食って死んでしまう。だから私は、気を失うことが許されなかった。

 本能的に、自分がしっかりしなければ、わざわざこんな状態の私を、決死の思いで炎の中、助けに来てくれたであろうこの愛する人を失うかもしれないと、そして私の右手側にある揺りかごの中で眠る二人の愛の結晶を失うことになるかもしれないと、気づいていたから。

 私は、「愛」という感情、そして「母」という情の強さに、このとき初めて気づいたようで、少しばかり自分が誇らしく思えた。

 彼は二人の愛の結晶を抱え上げると、私の方に近づいてきた。私は彼に微笑みかけた。

 三人で、三人で逃げよう。

 三人で、幸せな家庭を築こう。

 いつまでも三人で。

 三人で──。

 私はそう心の中で何度も復唱していた。

 私はこのとき、この子を産んだあの瞬間を越えるくらい、幸せな気分に浸っていた。

 私の『短い人生』の中で、最も心ときめいた瞬間だったかもしれない──。


 突然、目の前が真っ暗になった。

 何が起こったのか分からなかった。

 ただ、私の触覚神経が強烈な「痛み」という信号を脳に送り、何かが私の腹に当たったことを伝えていた。

 腹の痛みに耐えながら私が必死の思いで目を開けると、私の目の前には彼の左足があった。右足は見あたらない。そう思ったのも束の間、倒れ込んでいた私は、腹にもう一度鈍い痛みを感じた。そしてそのすぐ後、私は頭に強烈な「重さ」を感じた。腹だけでなく、頭にも鈍い痛みが発生していた。


 ???????????????????????????????????


 私は混乱していた。

 何が起こったのか分からなかった。

 ただ、私の味覚神経は、砂を口に含んだときのような嫌な感覚を私の脳に伝えていた。

 そして私の聴覚神経は、私の脳が司る全神経を破壊するほどの情報刺激を、私の脳に伝えてきた。

「こいつだけはとりあえず助けてやる。一応俺の血を引く、初めての子だからな。こいつが用なしになるまでは、生かしておいてやる。

 安心して、死ね。安心して。

 たぶん、あと一年ぐらいは、こいつも生きられるんじゃないか?

 こいつが不要になる時を楽しみにしてな! 母子の再会の時を!」

 大きな笑い声とともに、彼の姿は視界の及ぶ範囲外へと消えていった。

 変わって、炎が私の眼前に現れる。


 私は混乱していた。


 ──『安心して、死ね』?──。


 そんな中で私の神経は、完全に覚醒した。

 私の顔を髪を、手を足を焦がす臭い、痛み、光景、音、そして内から湧き出てくる鉄のような味と酸味が混じった複雑な味を、一つ一つ確実に、私は感じていた。


 ──『こいつが用なしになるまでは、生かしておいてやる』?──。


 私は混乱していた。


 ──『安心して、死ね』──。


 そんな中で私の神経は、やはり完全に覚醒していた。

 私の顔の肉を目を、体のありとあらゆる部分の肉を焦がす臭い、痛み、光景、音、そして複雑な味の液体を吐き出しても吐き出しても吐き出しても、次から次へと湧き出して止まらないという事実を、一つ一つ確実に私の脳は感じとっていた。


 ──『あと一年ぐらいは、こいつも生きられるんじゃないか?』?──。


 私は混乱していた。


 ──『安心して、死ね』──。


 私の顔が焼けただれていくのを、そして拘束具としての役割を果たしていたあのビニール製のテープが、炎によって縮こまり私の手に足に少しずつ食い込んでいき、やがて燃え尽きていくのを、臭い、痛み、光景、音を手がかりとして感じながら、肺や心臓とといったデリケートな生命維持のための器官が、煙などから発生する種々の有害物質に侵されていくのを、複雑な味の液体を吐き出しつつ感じながら、私の脳は、なおも正常に働き続けようと懸命になっていた。


 ──『こいつが不要になる時を楽しみにしてな! 母子の再会の時を』?──。


 私は混乱していた。


 ──『安心して、死ね』──。


 その混乱が、私の神経を覚醒させた。

 しかし、その神経の忠実なる働きが私にもたらしたものは──。


 忘れもしない。××××年(今年から数えて二四年前)の翌一一月七日未明、『私』は、「彼」を殺した。

 あのビニール製のテープすら切断することができなかった、「私」の『この手』で。

 「彼」の体を真っ二つに切り裂いて。

 そして「私」と同様に、灰になってもらって。


 愛する「彼」を──。


 あの子はどこ?

 どこにいるの? 

 あの子は──。

 『私』の愛する人と、「私」の間に生まれた、あの愛しい男の子は──。


 どこ? どこにいるの? 


 和司、かずし──。”


【登場人物】

栄生一美さこうかずみ:私立H高校2年C組。性格は大人しい方だが、言うことは言うタイプ。細かいことにも気が回る。やや身体が弱く運動は苦手。文系科目を中心に成績は上位で、英語は全学でトップクラス。多選禁止なため3年生が有利な「Mr.・Miss H高コンテスト」で前年度、1年生ながら「Miss」に選ばれた正当派のきれい系・清楚系の容姿。


★本作本話数については、「小説家になろう」様の2018.5.22のシステム修正の影響か、本文の一部のレイアウトが強制的に変更になるという影響が出た模様です。

 具体的には、一部の箇所において、「行あき」の指定(一文字もない行の存在)が無効になり、前の文章との間が詰まる、という現象です(「半角スペース」が行頭に入っていたことが原因と思われます)。

 読みにくい状況になってしまいましたこと、お詫び申し上げます。

 2018.5.25夜に、作者が気づいた部分については修正をさせていただきました。

 何卒、ご理解のほど、お願い申し上げます。

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