第六章 謀略(一)─始動─
◇
「こんなものか」
彼の目の前には、自分と同じくらいの年頃と思われる少年たちが横たわっていた。
何人かの少年たちがなおも彼のことを遠巻きに取り囲んでいるが、誰一人動こうとしない。
動けないのだ。
どうしたらいいか、わからないのだ。
指揮官を失った雑兵たちのように、少年たちはただただ戸惑い、そして動けずにいる。
彼が少し体を動かしただけで少年たちは敏感に反応する。
しかしその反応は攻撃的なものではなく、本能的な防御行動であるに過ぎなかった。
彼は呆れた。
残っている元気な連中だけでも一〇人は下らない。
圧勝だったとはいえ無傷ではない。
死にもの狂いで懸かってこられたら、彼とて勝てる保証はないのだ。
しかし誰もそうしようとはしない。
逃げることすらしない。
ただただ、『上』からの指示を待っている。
「どうした、かかってこないならそこをどいたらどうなんだ、え?」
少年たちは互いに顔を見合わせた。
その『指示』に従って良いものかどうか、悪い頭で必死になって考えているのだ。
彼が動くと同時に、少年たちの輪も動く。相対距離は変わらない。
「こいつらはお前らにくれてやる。どうしようとお前らの勝手だ。お前らがザコ以下のクズに甘んじるか、それともただのクズでいるか、どちらかを選べ」
彼はそう言うと、速足で現場を立ち去ろうとした。
死んでいる者がいないという保証さえどこにもないというのに、それでも彼らは何もできないでいる。
彼の動きに少年たちはついていけず、囲みは解かれ、そしてようやく、彼らは散り散りになった。
イライラする。
そういえば、今日からまた、名前が変わったんだ──。
◆ 1
《一一月〇二日 水曜日》
また朝がやってきた。
私はいつものように、ゆっくりとベッドから起き出した。
今日もまた、新たな一日が始まる。
一日のうち、私はどれだけ本当の自分でいるのだろう? そう考えると、気持ちがマイナスに振れる。
偽りの仮面──。
私は、これもまたいつものように、すぐさま鏡の前に立った。
鏡の中にいる女性は、私のよく知る人物だ。
いや、この界隈では私しか知らない人物だ。
端整な顔立ちとは裏腹の、死の光を帯びた目。
着替える。
相変わらずの殺風景な部屋。
仮の住まい、そんな感じ。
今日はあまり気分が乗らない。
何故だろう?
答えは出ない。
誰も、参考意見すら言ってはくれない。
孤独。
そんなものはマイナスでも何でもない。
今の私にとって、それはかけがえのないものだから。
『闇』とともに──。
『闇』を擬似的に作り出すため、私は濃い黒のサングラスかけ、鍔の広いキャップをかぶった。
これでは、そこそこ売れている芸能人がわざと周囲に「見つけてくれ」と宣伝しているようなものだが、私は芸能人ではない。
ダークブルー──黒と言っても良いジーンズの上下にサングラス、キャップといういでたちで、玄関のドアを開け、外に出る。
学校はすぐ近く。
うるさいマスコミどもが周囲を取り囲んでいるだろうが、この地へ来てもう一年と七か月以上。私は、ある丘にある公園のジャングルジムの一番上から、学校の様子が一望できることを知っていた。
私は学校の様子を窺うため、その公園へと足を向けた。
公園には、マスコミ関係者と思われる連中の姿はなかった。
こんな場所にこの時間来ているヤツがいるとしたら、それはカメラマンとそれに随行するADとかぐらいのものだろうと思っていたが、そんな奴らの影も形もなかった。
早速、私はジャングルジムの頂上に登り、学校を見下ろした。
かなり距離があるので、細かいところまではわからない。
だが、私には両目とも一・五以上の視力と、そしてそれなりの洞察力があるつもりだ。
予想した通り、マスコミの連中が正門や裏門、抜け道の辺りなどで待機しているのが見える。ほとんどが手持ちぶさたのようで、その素振りから、談笑している者も少なくないようだ。
学校内にある駐車場には、車が三台。
一台は校長の白のベンツ。これは有名。
もう一台はまずまずのランクの国産車で、中堅以上の教員か職員の車であると思われた。
そしてもう一台は、紺のBMW。
理事長や理事といった経営者のものか、あるいは顧問弁護士のものだろうな、と私は推測した。
短いスパンで二人の生徒が死に、しかもそれがどちらも校舎内でのこと。加えて、正体不明の『猟奇事件』が、その前兆的に起きていた──となれば、視聴率獲得、販売部数の拡大以外に何の興味も示さない愚か者たちの興味を、必要以上に惹かないはずがない。
体制を守るためには、それなりの対策が必要になるはず。
これはとても校舎内に入り込むのは無理だな──。
「H高の生徒さんですよね?」
「え?」
私は不意に後方下から声をかけられ、ほんの一瞬だが、柄にもなく狼狽えてしまった。
いつもより一オクターブは高い声を上げていたかもしれない。
声の方向を振り返ると、そこには若い男が、私とほぼ同じような服装でジャングルジムを見上げていた。
「……違いますよ」
私は動揺を一瞬で抑え込み、サラリと言った。
ところが彼は、この私の答えに満足しなかった。
「そうですかねえ? 僕にはあなたが、ただの野次馬には見えませんがね。わざわざこんな朝っぱらから、しかもこんなところまで、『自宅から真っ直ぐに』歩いて来て、ジャングルジムのてっぺんに登ってH高の方向を眺めているなんて、何の関係もない一般人のする行動とはとても思えないのですが」
なんだこいつは──。
「尾けて来てたんですか? ……あなた、誰?」
クールに徹したつもりの私の受け答えは、逆に彼に満足を感じさせるものだったようだ。
筋書き通り──という表情を、必死に隠そうとしているように私には見えた。
「失礼は謝ります。できれば少し、お時間をいただけませんか?」
彼はそう言ったが、その口調以上にサングラスの向こうにある目が、逃がさないぞ──という姿勢を私に対して示していた。
「マスコミの方ですか?」
「そういうふうに見えますか?」
「……いえ、見えませんね」
「じゃあ、何に見えます?」
彼は、私との会話を、まるで楽しんでいるかのようにそう言った。
「二線級の俳優か、それとも刑事か」
くっくっく、と彼は声を殺すように笑ったあと、静かに、ハズレです──と言った。
そして懐から名刺入れを取り出し、丁寧に両手で私の方に差し出した。
「わたくしは、実はこういう者です。依頼者の名前はもちろん、お教えすることはできませんが」
「……探偵──さん?」
「ええ」
彼は少しばかり楽しげな態度で私から視線を外し、学校の方向に顔を向けた。
長身とはいえ、地面からでは、学校はそれほどよくは見えないはずだが。
「ウサミ、さん……」
彼は、そう呟いた私の反応に満足したようだった。
「どうです? これから少し、お茶でも。街の喫茶店はまだ開いていないかもしれませんが、二四時間営業のファミリーレストランなら開いてますので。モーニングでもご馳走させていただきますよ?
一人暮らしだと、何かと不便でしょう?」
一人暮らし──か。
そこまで知っているとは、こいつは──。
「探偵」と名乗った宇佐美という男と、二四時間営業のファミリーレストランに入った。
彼の名刺には、『中央総合探偵社 探偵 宇佐美静香』と書かれていた。
独特の雰囲気を持った男だ。
宇佐美、か──。
心当たりのない名前ではない。
席に着きサングラスを外すなり、彼は、いやあ、そのルックスだと芸能スカウトやら何やらが、うるさくつきまとうでしょう──と世辞を言った。
「そんな下らないことを言うために、私をわざわざ追いかけて来たわけじゃないんでしょう? 私にも都合というものがあるんです」
私は強気に、あらかじめ聴き込みに割いてやる時間を制限することを宣言した。
しかし、彼はそれに対し、今日は自宅待機でしょう? 本来、外に出てはマズいんじゃないですか──とやんわりと脅しをかけてきた。
「よくそんなことまでご存じですね。まさか、あなたの──まあいいや。
私が自宅待機に従わなければならない立場だとすると、今ここでこうしてあなたといること自体も問題です。違反を早期に解消するため、帰らせていただきます」
私が席を立とうとすると、彼は苦笑混じりに、時間制限に応じます──と苦笑した。
彼の質問は、初めから意外なものばかりだった。
まず名前の確認。
いつここへ来たのか。
その前はどこで何をしていたのか。
中学時代はどんなコだったか。
兄弟はいるか、両親はどういう人か。
月のお小遣いはいくらか。
親友と呼べる人はいるか。
今までで一番心に残っている先生は誰か──。
答える義理のない個人的なものについては適当にはぐらかすものの、正直気分の良いものではなかった。
第一、目的が全然見えてこない。
もちろん、古代希はどんな人物だったか知っているか、白井友香についてはどうか、という質問もあるにはあったが──これではまるで、私に対する素行調査だ。
さすがに腹が立ってきた。
「探偵さん。ひょっとして、プロダクションが依頼者なんですか? だとしたらお断りです。理由は言うまでもないと──」
「『言うまでもない』ではなく、『言えない』のではありませんか?」
彼はそう言うと、もっとも、依頼者はその関係の人間ではありませんがね──と付け加えた。
私は、彼のこの発言を聞いて、この男が何を目的に私に接触してきたのかについて、何となく解った気がした。
だとすると、これは──。
「あなたに、これ以上何も言うことはありません。
私にこれ以上、つきまとわないでください。
もしつきまとったら、警察でも弁護士にでも相談して、しかるべき措置をとってもらいます」
私は席を立ち、目一杯感情的に、それでいて興奮を抑えようとしているようにそう言った。
それを見て彼は、満足気に言った。
「そんなことをしたら、あなた自身が困るんじゃないですか?」
私はその答えを背中に聞きながら、最後に彼を一睨みして店を出た。
速足で店から離れる。
彼が追いかけてくる気配はなかった。
そこで私は、今日初めて、微笑みを浮かべた。
これは面白いことになりそうだ──。
【登場人物】
宇佐美静香:中央総合探偵社所属の探偵を名乗る長身の男。胡散臭い振る舞いで「私」に近づき、協力を持ちかける。




