第五章 猟奇趣味(四)
◆ 4
純一は、栄と三奈の三人で帰宅する途中、喫茶店に入った。
今日は五日ぶりに三奈が登校してきたのだ。
相変わらず一九日の記憶と二七日のあの『問題発言』についての記憶が無いようだったが、とりあえず彼はホッとした。
今日は五時限目終了時点で、一般生徒は全員下校になった。
学校側の発表では、『事故が発生した』ということだ。
しかし──。
ハッキリしたことは言えなかったが、どうも一美と門松が発見者であるらしい。
そしてまたしても、今度は一美が、救急車で運ばれた。
嫌な感じがする。
偶然と言うには出来過ぎだ。
出来過ぎだが、偶然という以外に、何ら説明のできる材料がない。
純一が黙ったままなので、三人の間にしばし、沈黙が続いた。
その沈黙を破ったのは栄だった。
「それにしても、せっかく門松さんに、『調査報告』しようと思ったのになあ」
「大した成果は出てないだろうが」
そう言ったあと、純一は一つのことを思い出した。
「そういえばさあ、あの郡先輩っていう人……」
「郡先輩がどうしたって?」
「え?」
栄がすぐに反応したので、三奈と純一は少し驚いた。
純一には、その彼の態度が理解できなかった。
「いや、その……あの人、随分ぶっきらぼうな人だったな、って」
純一の言葉に、三奈が、人見知りするタイプなんじゃないの?──と言ったあと、「郡先輩って、演劇部の人よね? あの、益美をよく勧誘に来てた」と付け加えた。
「そう、その人。おい、さんちゃん。あの人がさ、人見知りするタイプだと思う?」
「え? そうねえ……。アタシも挨拶されたことはある、ような気がする。……そんなタイプには見えなかったかな?」
三奈はそう答えたが、純一にはどうも、栄がムキになっているように思えた。
「そうなのか? オレには少なくとも、知らない人としゃべるのに慣れているようには思えなかったけど。それでなきゃ、オマエが嫌われてるとか?」
「そんなバカな!」
いよいよ栄が本気で怒り出した。
三奈が戸惑いながらも、まあまあ、と懸命になだめる。
どうやら今日の栄には、シャレというものが通じないらしい。
ようやく落ち着いたところで、しかし、三奈が爆弾発言をした──。
「ひょっとしてミナちゃんて、郡先輩が、好きなの?」
栄は一瞬絶句したあと、観念したように小さく頷き、三奈はそれを見て複雑な表情を浮かべた。
「俺は確かに、先輩とは何度か、廊下とかで会ったことがある。部室が近いからな。でも、嫌われるようなことは何も──」
その言葉を聞いて、純一にもやっと、話が見えてきた。
「ごめんな?」
「謝る必要はねえよ。でも、なんで──」
栄を慰める術は、純一にはなかった。
三奈も、どうしていいか判らないようだった。
大崎智史は、自らのクリニックに来た不意の来訪者の顔を見て、今日は夕方から雷雨になりそうだと思った。
精神科医・心療内科医でありながら、大崎はそうした下らない迷信が好きだ。
彼は心理カウンセラーとして週一回、H高のカウンセリング室に勤める非常勤の医師である。そんな彼にとって、今回H高で起こっている一連の事件は、当然、重大な関心事だった。
そしてこの男がここに来る、ということは、また何か「事件」があったからに違いない。男の表情は平然としたものだったが、彼はそういうふうに男のことを分析した。
男の聴きたいポイントは二つ。
『ショック性の精神錯乱』と『ショック性の記憶喪失』について。
大崎は少し考えたものの、すぐに答えを出した。彼にとっては、この質問の内容よりも、今、自分の目の前にいるこの男が、自分の答えに対してどういう反応を示すかの方に興味があった。
「結論から言おう。そういうケースは両方とも『ある』。それも決して、稀なものとは言えない。
ただ、三例も続けて報告される、というのは非常に珍しい。それが本当なら、記憶について研究している研究者が知ったら、両手を挙げて喜ぶだろうな?」
聡明なこの男なら、この説明で十分だろう。
大崎は一呼吸置いたあと、続けた。
「簡単に言うと、そういう記憶障害や錯乱が起こるとき、というのは、『何か異常なこと』つまり『通常考えられないようなこと』が目の前で起こったときに多く見られる。例えば──ああ、これは言わずもがな、か。
だがそれは、今回あなたが平気だったように、その衝撃を受ける側の個人差によって、症状が出たり出なかったりする。つまり、異常が起きたから正常だとも、起きなかったから正常だとも言えん。出てしまったらそういうものだと受け入れるしかない。その程度のことだ。例え詐病だったとしてもな」
男は無反応だった。
自分が問いかけた質問に対する答えをこっちがわざわざ述べているというのに。
『大物』というのは、やはり普通の尺度では割り切れないものなのだろうか?
「そう、例えば経験、というのも、一つの個人差を生み出す重要な要素だよ。そこがあなたと他の二人との決定的な違い──そうだね?」
大崎の揺さぶりにも、男は少しも動じなかった。
男は他の二人、前の二つの事例についても意見を求めてきた。
大崎は、本人に会っていないからそのつもりで聞けよ──と前置きした上で、こう答えた。
「第二の女生徒の事例では、様々な要因があるように思う。
彼女にとって、自殺した生徒は『元親友』なんだろう? それだけで相当ショックなはずだ。
他の生徒が彼女の遺体を見ながら何ともならなかったのは、そうした思い入れがなかったから──とも十分に考えられるし、あなたはその女生徒が精神的に細いようだ、と言った。可能性的にはソレで十分だね」
つまりは何とも言えない、ということ。
「第一の方は、正直言うとやや不自然だがな。
ただ、猫は愛玩動物としてはヒトにとって最も馴染みのある獣だ。その猫が交尾中に、真っ二つに引き裂かれた死骸を不意に見せられれば、ショックは大きいだろう。
思春期の青少年に、『性行為』という行為はそれだけでインパクトがある。これは一般的にそうだ。
だが、その女生徒がそうした行為に更に強めの興味を持っていたとしたら、それを見たときのショックが倍加されても不思議はない」
結論はこうだ。
「三例続いたことは極めて珍しい」が、「個々に見ていけば可能性はある」──。
極めて学者的な、専門家らしい結論である。
「まあ、この三人に何らかの受け手としての共通の条件のようなものがあったとしたら、その可能性は、少しは上がるのかもしれないがね」
「……条件?」
「そうだ。解りやすく言えば、『催眠術』みたいなものか。同じような心理的状態だったのならば、起きやすくなることもあるだろう。もしも今回の記憶障害その他が、それを引き起こそうと狙ったものだとしたら、あるいは」
「……そんなことが可能ですか?」
「悪意を持っている者がいなくても、そうした暗示にかけられてしまう可能性はないではない。ただ、そうした『偶然の暗示』みたいなものまで暴こうとするなら、プライバシーを無視した強引な手段による情報収集と、その綿密な分析が必要になるだろうね?」
そう言って大崎は、両手を挙げて見せた。
(桜井も柳も、それに栄生も、親しい間柄だったな)
(永井や前島、それに皆川──)
もう辺りは既に真っ暗になっている。
学校側は、今日は生徒を強制下校させた。教職員も、もうほとんど残っていない。
今日のような日にこんな時間まで学校に留まろうとする方が、むしろ異常なのかもしれない。
そして二人しかいない二〇代の教師が、保健室で二人きりになった。
「桜井、柳、栄生、それに古代に白井……この五人の中に、保健室を常用していたヤツはいるか?」
男は自分の欲求を抑えるように、事務的にそう言った。
妖しい雰囲気を作ってもいいが、それは、今この瞬間である必要はない。
「答えはノーね。古代さんは、去年の前半は何回か来てたけど、今年はたぶん一度も。大変ね? 調査活動も」
高木の方は、多少妖しい目つきで彼の方を見ていた。
「ああ……。じゃあ、こんなのはどうだ? 小此木、それに生駒」
「小此木クンの方は良く来るわよ。カノジョと一緒に」
「……小此木のカノジョが、生駒じゃないのか?」
「あら、それホンキ? うふふふっ」
高木は妖しく微笑み、そして彼の方にすり寄っていく。
そして彼の唇に、自分の唇を重ねる。
「小此木クンの、ホントのカノジョは──」
「守井楓、だろう?」
「あら。なんだ、判ってるんじゃない? うふふ、守井さん見てるとね~え、昔のアタシを思い出すんだ~、あっ……」
高木の呼吸が乱れてくる。
「全く、こんなヤツが保健室のセンセイなんだからな。世も末だ」
「ふっ、あっ、……。それは、お互い様じゃ、ない……門松、センセイ?」
彼は、高木の体をベッドの上に横たえた。
「ああっ、たっ、くあっ、和司……」
「オレを名前で呼ぶな」
そう言うと、彼は彼女のハンドバッグからハンカチを取り出し、彼女の口に猿ぐつわのように噛ませた。
【登場人物】
熊倉智美:3年生。演劇部所属(引退)。白井友香の脚本でも古代希の脚本でも主演経験がある3年生ではエース格だった部員。かなりハッキリした、当たりが強いところがある人物。




