第五章 猟奇趣味(二)─第二の犠牲者─
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皆川栄は、憂鬱なのと同時に、浮き立つものを感じていた。
門松の指示による調査の開始だ。
「オレも協力するよ」
門松は、「オレに頼まれた、ってことは他言するなよ。栄生にも永井にも柳にも」と言っていたが、純一はそこから漏れていたので、勝手に「良い」と解釈し、話したところの彼の答えがこれだった。
これで、栄の気分はぐっと楽になった。
実際にさり気なさを装いつつ情報を収集してみると、一般生徒の反応・解釈は大きく次の三つに分けられた。
・『動物斬殺事件』の犯人が古代希
・単なる自殺
・事件については無関心で、むしろマスコミが集まったことに対して関心を持っている
一番多かったのが、実は三番目の『無関心』だった。
みんなこの学校で何が起ころうとも、自分には関係ないと思っているのだ。
マスコミが多数駆けつけてきたことをむしろ喜んでいる者さえいる。受験に悪影響が出たら嫌だという懸念の声も同じくらい出ているが、現時点では意外なことに多数決をとったら少数派になるような有様だった。
もっとも、純一や益美、一美のように、全く別の意見の持ち主も何人かは確実にいるようだが。
今はもう昼休み。
昼食をパンで簡単に済ませ、二人は「調査」に出向いた。
純一がいやに乗り気だったことも、栄を勤勉にさせた一因だった。
「ん? あ、……あいつは──」
純一が絞り出すように声を出した。
廊下を歩く彼らの目の前に現れたのは、早坂翔、守井楓という曰く付きのカップル。
早坂も守井も今年はE組だったが、去年は二人ともB組だった。つまり二人とも去年一年間、栄と同じクラスだったのだ。
「早坂と守井か。……ま、しょうがないんじゃないの? 止められねえだろ、いくらなんでも」
「……そりゃそうなんだけどな」
純一が微妙な反応をするのは、早坂が二年の春まで野球部員だったからだ。
彼は一年夏の大会から六番一塁手としてレギュラーを張っていた。
昨年の新チームでは五番三塁手。足はそれほど速くないし肩も強くはないが、広角に打ち分けられる中距離打者で、そのまま部に在籍していたとしたら今年の夏のチームの四番候補一番手だった。野球部にとって、彼の突然の退部は、まさに甲子園を狙う上では青天の霹靂と言っていい事件だった。
栄たち二人とカップルがすれ違う。
その瞬間、守井が純一を横目で見て、心なしか嗤ったように思えた。
彼女たちがどんどんと遠ざかっていく。
「何だあれ? 感じ悪いな」
栄は素直に思った通りそう言った。
守井は去年から、男子生徒には結構人気があった。
女子テニス部に所属しており、大学入学後は遊び人まっしぐらというイメージがある。
もちろんそれは大学に入れればの話なのだが、彼女の頭の良さ自体には目を見張るものがあって、成績も良く、栄はそんな彼女に、妬みとも何とも言い難いような嫌悪感さえ抱いていた。
「嘲笑ってるんだ。オレたちのことをな」
「……はっ?」
「『オレたち』って、野球部のことだぜ?」
純一はそれ以上答えずに、心持ち足の運びを速めた。
向かうは郡湊都の所属クラス、三年A組だ。
徐々に栄の心臓の鼓動が早まってくる。
「どうした?」
今度は純一が栄の態度をいぶかしげに思ったようだった。
三年A組の教室は、四階体育館側の二つ目である。
二年C組の教室を基準にすると、三年生の教室の中では一番遠い教室だ。
到着して中を見渡すと、そこには女子生徒五人に囲まれるように湊都の姿があった。
栄には、その姿が一際輝いて見えた。
「あの人だろ? なんか気後れするなあ。女子の先輩ばっかじゃん」
その言葉は、栄の耳には届いていなかった。
「門松先生っ」
廊下を歩いている門松を見つけ、落合は思わず声をかけていた。
次は生物室で授業があるため、授業開始の少し前には部屋の鍵を開けておく必要があり、そこへ向かっているところだった。
「どうなってる? その後」
まだ少し時間がある。せっかくの機会だ。
門松は金曜日、落合に例の最初の『猫の斬殺体を作り出す方法』について意見を求めてきた。『鯉』の方についてもだ。これは彼が、今回の一連の事件について大きな関心を持っていることを示していた。
落合は生物学科時代の経験と照らし合わせ、少なくとも『猫事件』の方については、相当な設備と、そして相当な技術がなければまず不可能だ、と断じた。もっとも、これは裏を返せば『それらが整いさえすれば一応可能だ』、ということでもあるのだが。
対照的に『鯉事件』の方は、「誰でもできる」と答えておいた。
魚をロクに捌いたことのないヤツが犯人だ──とも。
「自殺事件については、警察は既婚者の男性教師に、ターゲットを絞っているみたいですね?」
相談したいと密かに思っていたことを門松の方から切り出され、落合は正直面食らった。
もっともそれは、タイミングによるものばかりではない。
『既婚者の男性教師』という言葉が引っかかったのだ。
「ああ。昨日自分のところにも刑事が来たよ。迷惑な話さ。……ところで──」
「憶測でものは言いたくないですね。ただ、この学校にそんな甲斐性のある教師がいるとはとても思えませんが」
話を切り出す前に、門松が話を遮った。
不思議な男だ──。
落合は門松のことを、いつもそういう目で見ていた。
あまりに無口なので人付き合いが下手なのかと思っていたら、表面的なあしらい方がとても上手いから、実際の付き合いの薄さに比べて良い意味で存在感があり、「一番若い教諭」というバイアスがあるのにそれが全くと言っていいほど意識されていない。それに、異様に鋭いところがある。こちらの考えがすべて読まれているような感じさえする。
カンがいい、というのだろうか?
とにかく、とても六歳も年下の人間とは思えない老成した雰囲気がある。
「どうして……。あっ」
落合がもう一度訊ねようとしたとき、彼らの前に一組のカップルが現れたため、彼の注意はそちらの方へ行ってしまった。
「生駒……」
落合はそう呟いたあと、女子生徒の方に近づこうとしたが、彼女の方は彼から目をそらし、逃げるようにトイレの方に小走りで去っていった。一緒にいた男子生徒はほんの少し落合の方を睨み付けたあと、彼女のあとを追って女子トイレの前に陣取った。
「何なんです? 今の」
門松は無感動にそう訊いてきた。
落合は自分が質問しようとしていたことも忘れ、彼の質問に答えていた。
「あいつ──生駒は、一年生の時、剣道部でな。あの小此木と付き合うようになってから、あいつは部活に来なくなり、結局退部した。なかなかのセンスの持ち主だったからな、顧問としては残念な限りだった。本当に」
「『インキュバス』だな。容疑者の一人だ」
「インキュバス?」
突然女性の声で後ろから言われたので、一瞬、落合は柄にもなく驚いて悲鳴を上げそうになった。
声の主は門松の受け持ちである二年C組で、かつ生物選択のため落合の直接の教え子でもある栄生一美だった。
「私、去年同じクラスだったから、知ってるんです。あの二人のこと。それに、あとの二人のことも」
「うち一人は『サキュバス』かな?」
「よくご存知で」
門松がそう返すと、栄生はニコニコしながら、こう答えた。
「あのコたち、本当は四人組なんですよ。今は確か、四人ともE組だったと思うけど。残りの二人は去年はB組でした」
栄生の次の時間は、落合が担当する生物の授業である。
昼休みも残り一二、三分というところになって、ちょうど生物室に向かうところだったようだ。
落合は門松と栄生の二人と一緒に、生物室のあるB棟四階まで上がった。門松は次の時間、授業がないのだそうだ。
栄生の、一緒に生物室まで行きましょうよ──という誘いに乗った形になったわけだが、これは門松の普段のイメージからすると意外な行動のような気がした。
門松と栄生の雑談が始まってしまったおかげで、落合にとっては、相談と質問の機会が完全に奪われてしまったことになるのだが。
「へえ、門松先生って、年上派なんだ?」
「ヘンか? 女子高生が好きな既婚の男性教師よりはずっと健康的だと思うが」
栄生はまるで先程までの二人の会話を聞いていたかのように、妙な方向へ話題を展開していた。
「……ん?」
「……なんか、変な臭い、しませんか?」
B棟に入ってしばらくして、門松と栄生が続いて、異常を感じ取ったことを口にした。
二人の言葉に我に返った落合も、すぐにそれに気づいた。
明らかに、異臭がする。
「この臭いは……」
落合は自分の顔が見る見る厳しい表情に変わっていくのを感じた。
嫌な予感がする。
「今日はここら辺の教室、誰か使ったんですかね?」
「他の教室は知らんが、生物室は今日は使ってない。この階は、ほかの部屋は化学室以外、普段からあまり使ってないみたいだが──それにしてもこの臭いは……」
生物室はB棟の一番A棟から離れた側にある。そこに近づくにつれ、その臭いは確実に強くなっている。栄生などは右手の人差し指と親指で鼻をつまみ、その右手のひらと口の間にハンカチを挟んで押さえ、その上から覆い被せるように左手を添えている。
「この臭いは紛れもなく生物室、いや、生物準備室からだ。……ホルマリンの臭いだ」
落合は少し速足で一人、ドアに近づいた。
「開いてやがる。誰か、ホルマリン漬けの瓶を落として、割りやがったな」
門松が、戸締まりはきちんとしてたんですか?──と問いただしてくる前に、彼は勢いよくドアを開けた。中から、独特の臭気が大量に流れ出す。
「うあっ、うっ………………。
! ──!? うう、あ、……あ…………」
「ど、どうしたんですか?」
まさに声も出ない──。
そんな光景が、彼の目の前に広がっていた。
一人前を歩いていた落合の異変に、栄生が疑問を投げかけ、そしてドアのところに駆け寄った。
そしてドアの向こう、生物準備室の中を、彼女は見てしまった。
「きゃあああああああああっっっっっ!!」
門松も、さすがに、二人の様子がただごとでないことを認識した。
急いでドアの前、二人が立ちつくしているところに向かう。
門松がそこに着く頃には、栄生は腰を抜かしたらしく、床にペタンと尻餅をついたまま、室内を凝視していた。
「うっ…………これは──!?」
さすがの門松も、しばし、絶句した。
そこには、蛇を口から出した、顎が不自然に開いている一人の女子生徒が、目を細め、ウットリとした表情で、異臭を放つ液体にまみれたまま、しかも『紙吹雪』に抱かれるようにして、横たわっていた。
(こいつは……)
門松は、かつて自分が見たことのある凄惨な死体の中でも、これは三本の指には入るな、と思えるほどの衝撃をもって、状況を正確に把握しようとした。取り乱さなかったのは、そのかつての経験があったからに他ならないとしか言えないような、そんな状況だった。
(なんだ? この表情は──!?)
「うふふふっ、あははははははっ…………」
「! ──!?」
突然、栄生が高らかに笑い出した。
そして、彼女は──。
「うふふふっ、綺麗な顔、幸せそう──。
ああっ、なんて綺麗。言葉にできないくらい……。
こんな表情ができるなんて、こんな『綺麗になれるなんて』、なんて羨ましい。
ああ、私もこんなふうに、こんなふうに幸せを感じて──」
(これは!?)
「栄生! どうした? しっかりしろ! しっかり……」
一美は、門松の目の前で静かに気を失っていった。
彼は自分の荷物を捨て、脱力した彼女が頭を打たないように、彼女の体を優しく腕の中に包み込んだ。
落合はただただ、呆然と、その光景を見守っていた。
【登場人物(故人)】
白井友香:私立H高校3年D組。元演劇の脚本担当。希や湊都とは軋轢があった。11月1日未明に、校内の生物準備室にあった生物標本の「蛇のホルマリン漬け」のホルマリンと蛇を飲み込んで死亡。顎の骨が砕けてもいた。図書室の本を複数破壊するなど、ストレスが溜まっていた模様。自殺と他殺の両面から捜査中。




