第五章 猟奇趣味(一)─現象─
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──はあっ、はあっ、はあ……。
のどが渇く。
ここは炎天下の砂漠の中か?
それとも赤道近くで遭難した船の上か──。
このままでは、本当に死んでしまうかもしれない。
──水だ、水を……。
今どうして自分がここにいるのか、彼女にはもう把握できていなかった。
彼女はただ、『水』を欲していた。
ただ、それだけになっていた。
焼け付くようなのどの感覚に辛うじて耐えながら、彼女はドアを開けた。
室内を見渡す。
注意深く見渡すほどの注意力は、彼女にはもうなかった。
しかし、棚の上に数個の液体入りの瓶が置いてあるのを見つけるくらいの「余裕」はあった。
──気持ち、良さそう……。
彼女は精一杯背伸びをして、その瓶を手に取った。
かなり大きな瓶だ。小型のバケツくらいある。
重いはずなのに、それは全く気にならなかった。
──やっと見つけた、水……。
──独り占めは、させないわよ……。
瓶の蓋はかなりきつく閉められていた。しかし火事場の馬鹿力、持っていた鞄を乱暴に投げ捨て、彼女はそれを開けた。
彼女は嬉しさのあまり、妖しく微笑んだ。
──水だ、水……。
彼女は瓶を両手で持ったまま、中の液体をがぶ飲みし始めた。
瓶を支える下の前歯の辺りから、どんどんと彼女の渇いたのどに、『水分』が注がれていく。
──美味しい。この水、美味しいわ……。
──こんな美味しい水、初めて。だからあんなに気持ちよさそうに……。
──ふふふっ、それも今は、あたしのモノ……。
のどの渇きを潤すという目的を越え、彼女はなおもその『水』を浴びるように飲み続けた。胃から体全体に染みわたっていくようだ。
──これって、ひょっとしたら、『聖水』ってやつかな?
彼女は更に瓶を傾ける。
瓶とその中の液体と、そしてその液体の中に「いた」『内容物』の重さと自らの力によって、彼女の下顎が砕かれる。
そして彼女の口には、『内容物』が「頭から」深々と入り込んでいく。
──うふふふふっ、すべて、あたしのモノ……。
──そう、すべて、すべてが、あたしの……。
異様な臭気が立ちこめる中、彼女が開けた入口のドアが、彼女以外の者の手によって、静かに閉められていった。
◆ 1
《一一月〇一日 火曜日》
古代希の『自殺』から四日、校内の動揺はかなり収まっていた。
自殺じゃなければ他殺、か──。
湊都はしかし、周囲の大勢とは異なり、相変わらず『事件』についてこだわっていた。
場所はいつもの図書室。
ちなみに時は一時限目だ。
わからないことが多すぎる。
希が『自殺しない理由』の方が、湊都にはいくつか思い当たる。
彼女は部の内外で、その作品と自らの地位についての評価を高めていた。
文化祭でも好評を得ていた。
創作意欲もあった。
新作も「第一段階」まで終えていた。
人との関わり、交わりをあまり好まない彼女としたら、まさに至福──とは言わないまでも、充実した、楽しい状況のはずなのだ。
彼女にとって、作品をつくるということは、例えて言うなら「仕事」に相当するのだと思う。
プライベートで上手くいっていない人でも、仕事で上手くいっていれば、通常、不満はそこで、ある程度は解消されるはずだ。まして彼女の場合、どちらかと言えば職人気質だった。
確かに、彼女の遺作になってしまった『転落』は問題作ではある。
だが、救いがないというだけで、面白いのかと問われれば、おそらく「面白い」と答えてしまうだろう。良くできていることは間違いない。
彼女が『才能の枯渇に絶望した』なんてあり得ない。そんなこと、湊都としては絶対に認められない。
また、彼女が『当事者』というのも、どうしてもピンと来ない。
仮に、『転落』に近いような現実があったとしてもなお、彼女が自殺したとは、湊都には到底思えない。
それがここ何日かに及ぶ『議論』や『推論』から出た、湊都なりの結論だった。
となれば、もはや『他殺』しかあり得ない。
もちろん、『広義』の他殺だ。
事故の可能性はない。あるなら、警察も学校もそう判断しているはずだから。
希は、良くも悪くも、他者との交流を好まなかった。
ということは、逆に、「恨まれる」「憎まれる」機会も少ない、ということだ。
湊都の知っている範囲で彼女に恨みを持っていてもおかしくないのは友香ぐらいのものだ。だが、彼女の恨みの矛先はむしろ、湊都に対しての方が大きかったように思えた。そのせいで、二人の仲が今でも悪いのだと考えれば。
(恨みだとしたら、友香か『恋人』か?)
湊都はそのどちらでもないだろうと思いながら、その可能性を頭の隅に留めて置いた。
『処女の血』──。
実は、湊都の頭に支配的なのはこちらの方だった。
もちろん『儀式』という可能性をふまえてのものだ。
『一連の流れの中で彼女が死ぬ、という結果が生まれてしまったのだという、不幸な事実の積み重ねの可能性』
『そこに犯人がいて、被害者がいる。状況はもっとシンプルでいいはずです』
永井益美が昨日の昼休みに言った言葉だ。
彼女はアイドル的な整った容姿を持ち、性格的にも明るいものの、肝心なところでは極めて現実的でクールだ。何度も何度も演劇部に誘っては断られた経験と今回のやり取りで、湊都は強くそう感じていた。この二つの言葉もいわば、そんな彼女の本質が表出したものに過ぎないのだろう。
しかしこの考え方は、湊都の描く非現実的な状況描写に、必ずしも反しない。
『一連の儀式の中で』
『彼女は偶然にも』
殺された。
『処女の血』──。
もう一度、この単語が頭の表層へと出てきた。
気分の良い単語ではないが、「希が不倫をしていた」というよりも、その方がはるかにしっくり来るように思う。
もしこの推理が正しいとすると、希の死には二つの解釈が成り立つことになる。
一つは、狭義の『自殺』だ。
「処女であるかどうか」は、外見から判るものではない。そこで、彼女が二七日の夜から翌朝まで「失踪していた」という事実を考えるなら、彼女が何者かに『拉致されていた可能性』を考えないわけにはいかない。
自殺するだけの動機がない、といっても、もしも彼女が『処女検査』を受けたり、またその上で『採血』される、というような恥辱を受けたのだとしたら。
……あまり考えたくはない発想だが、こちらの方が現実的ではある。
もう一つの解釈は、昨日の昼休み、益美と一美の二人と議論をしたときに出てきた、『操り殺人』だ。
さすがに妄想めいているが、現実にありそうなケースを一つ考えるとしたら、例えば『儀式』を行おうとする犯人が複数、つまりカルト的な宗教がかった集まりだった場合だ。
そこに存在する『教祖』的な人物は、ある程度の『催眠術』的なものを使いこなせる可能性がある。もちろんそれがいわゆる『超能力』によるものか、『麻薬の急性中毒』を利用したものか、それとも『サブリミナル』などによる暗示によるものかはわからない。しかし結果から考えれば、極端な話、そのどれでもいいのだ。もちろん違う方法でもいいし、単独犯でもいい。
状況はシンプルで構わないのだ。
そして今日は『一一月一日』。
湊都は、この図書室にある宮腰教授の著作『悪魔信仰』の記述の中に、ちょうど前夜が『儀式』に相応しい時、であったことに気づいていた。
獣の血、処女の血──つまり『アイテム』──それに『相応しい時』、そして『儀式』。
それとも『一一月六日』か?
土曜日に図書館で調べた文献の一つにあった日付。
一一月一日か、それとも六日か──。
もし今回の事件の「犯人」が「魔術」を行おうとしているのだとしたら、前者ならもう既に何かが、後者なら五日後に何かが、既に起きて、または起こることになる。
(もう既に、何かが起きている?)
湊都はそんな自らの考えにぞっとし、そっと首をすぼめた。




