第四章 錯綜する思惑(五)─遭遇─
※本作では“ ”(ダブルコーテーション)で括られている箇所が何か所かあります。これは、「作中世界の人物による著作(本など)」の引用部分です。
改行に乏しいなど一部の文章がとても読みにくかったり、文体が異なる箇所がありますが、ご理解くださいますようお願いいたします。
◆ 5
図書室の見回りがいい加減なものであることは、二年と七か月に及ぶこの学校での生活で知っていた。
更に言えば、『機械警備』なるもののいい加減さも、彼女にとっては明らかなことだった。
白井友香は、下校時間を過ぎても、更に追い出しが終わる時間を過ぎても、図書室に留まり続けていた。
彼女がこうした行動をとるのは初めてではない。だからこそ、余裕を持って留まることができた。
図書室には最終見回りのあと鍵がかけられる。だが、二階にあるので、窓から外に出て雨よけの庇を慎重につたって下りれば、夜遅くまでいても帰れるのだ。そういう場合、普通なら翌朝、「窓の鍵が開いている」などと問題になるはずなのだが、そこがこの学校のいい加減なところ。誰もそんなことに気づかない。気づいてもそれぞれが黙殺してしまう。
友香が残った理由は二つあった。
一つは勉強すること。
どうもこのところスランプなのだ。
集中力が続かない。
家に帰っても勉強が手につかないのだ。
こういうとき、多少なりともリスクを冒してでもこの場に残る、というのは、競馬のジョッキーが鞭を入れる行為に近しい。つまり「何のために自分が今、ここにいるのか」というプレッシャーを自らかけることによって、無理矢理集中力を高めよう、というのである。
そしてもう一つは、ここ最近の友香の『最大のストレス解消法』を実行するため。
この選択は正しかったのだろうか?
自身でも異様なほど集中力に溢れていた。
通常、人間が高い集中力を持続できるのは、個人差はあるものの約二時間が限界と言われている。だが、この日の友香の驚異的な集中力は、そうした一般論を全く寄せ付けないほど強力なものだった。
一週間はかかると思っていた、英語の長文読解の問題集が、一気にすべて終わってしまった。これを驚異の集中力と言わずして何と言うのだろうか?
(……え? やだっ! なによもう、二時過ぎ!?)
問題集を終えて一息ついたところで、友香は勉強を始めてから、初めて時計を見た。
強力な集中力による勉強の成果と引き替えに消費した時間は約七時間。
さすがにこんな時間になってしまったら帰らないわけにもいかない。
また怒られるな、もう──。
気が進まないまま帰ろうと思った友香だが、念のため外(正門付近)を見ると、スーツ姿の男性が何人かいるのが目に入った。
もう人が出歩く時間ではないにも関わらず。
上から見ると、その人数、配置がはっきりとわかる。
(な、なによ? いったい──)
幸いにも、H高の図書室の窓は、外から見る分にはスモークがかかっている。加えて、友香は今まで、生徒の勉強用に一八セット用意されている自習スペース(机と椅子が一セット置いてあり、窓がなくドアもない、半独立的な環境)の電気だけを点けて勉強をしていたため、おそらく外の連中には気づかれていない。
だが、この状況では、校門から学校の外には、出るに出られない。
(ど、どうしよう──)
よくよく見てみると、スーツの男たちはみんな、イヤホンをしているように見えた。
ということは。
(刑事?)
あり得ないことではない。
友香は受験生という立場上必ずしも詳しくはないのだが、「猟奇事件」と呼ばれるような事件が、ここ数日──いや数週間で数回起きているらしかった。
そして更に、追い討ちをかけるように「自殺事件」が起きた。
あの憎たらしい、古代希の。
自分を窮地に立たせる原因を作ったのが古代希である可能性があると思うと、友香は一層の腹立ちを覚えずにはいられなかった。
生きているときだけでなく、まさか死んでまで──。
(! そうだわ)
友香は、図書室に来た勉強以外の、もう一つの理由について思い出していた。
図書室は、部屋自体が、ほかの教室に比べて防音効果の高い作りになっている。従って、外にどれだけ人がいようと、『あの音』は外には漏れないはずなのだ。
彼女はゆっくりと、書架──図鑑がひしめくコーナー──へと足を運んだ。
見覚えのあるケースがいくつも目に入ってくる。
(確か、これもこれも『やった』よね)
高校生にもなると、標準的な生徒はなかなか図書室には出入りしないものだ。
仮に入っても、三年生は受験勉強、一、二年生はせいぜい小説や辞書・辞典などを借りるために入るのであって、図鑑を見ようとする者はほぼ完全にいないと言っていい。少なくともここH高ではそうだ。だから、そうした状況が、彼女にとっての『蜜』を作り出すこととなった。
友香は、今まで自分が『やった』のとは違う、まだ未体験の図鑑を、書架から引っぱり出した。動物図鑑のようだったが、ほとんどが爬虫類と両生類のようで、近頃の若者が好むような代物ではなさそうだ。
好都合だ。
ケースから図鑑を取り出す。
この図鑑シリーズの特徴は、とにかく本に厚さがあること、一頁一頁に使われている紙が厚いこと、ケースがあってかつハードカバーである、という大きく三つである。
そしてこの三つが、友香の求める要素だった。
類似品に辞書系があるが、あれらは二番目の条件を満たさないライスペーパーが使用されているため、「手応えに乏しい」という欠点があった。表紙もハードとは言えないものが多い。
友香の目の色が変わる。
そして──。
ビリッ、……ビリッ、バシッ、ビリッ、……バシッ──。
力いっぱい、図鑑のページを引きちぎっていくその快感は、彼女にとってまさに至福。現状、彼女が有している最高のストレス解消法だった。
こんなことをしても、状況は少しもよくならないのに。
そんなことは解っていても、とりあえず目先の問題を発散したい──そんな思いが先行するのが、意志の弱い人間の現実的な選択だった。
みるみるうちに、先ほどまでは立派な図鑑であった物体が、単なるゴミクズに貶められていく。しかしそれも、ハードカバーにケースで、本棚に入れてある分には、図鑑としての体裁を留めることができる──。
(! ──!?)
元図鑑のゴミクズをケースに収めようとしているとき、ふと、友香は背中の方に人の気配を感じた。
気配というよりは『視線』と言った方が良いか。
先ほどまでは気が高ぶっていた友香の額に、冷や汗が浮かぶ。
勇気を振り絞って振り返ると、そこには誰もいない。
しかし、ほっとしたのも束の間──。
カッカッカッカッカッカッカッカッカ…………。
図書室のすぐ外の廊下を、慌てて走り去っていくような音を、友香は確かに聞いた。急いでドアの方に駆け寄る。鍵はかかったままだ。
まさか、刑事?
(やばい。ここから、ここから出ないと──)
元々、脱出に使おうと思っていた窓は正門側ではなく、クラブハウス側である。中庭があるため、そしてここが二階であるため、正門側にいる刑事たちには気づかれず、立ち去ることが出来るかもしれない。
いや、そうしなければならないのだ。
すぐに荷物を持って、クラブハウス側の窓の方へ向かう(※図書室は建物の角位置で、他の階での廊下部分を巻き込んだ大きな作りであるため、正門側、クラブハウス側両方に窓がある)。
図鑑の残骸を放っておくワケにはいかないので、とりあえずクズをケースに詰められるだけ詰めて、ハードカバーの表紙で蓋をして書架に戻し、溢れた分は自分の鞄の中に放り込んだ。
これで、あとは逃げ切るだけだ。
窓を静かに開けて荷物を先に庇に置いたあと、自分も庇に下りる。
するとそのとき──。
(!! ──)
一人の女生徒が、友香の方を睨み付けているのが目に入った。
リボンの色から、どうやら二年生らしい。
その生徒は、特別教室が多数入っているB棟の二階にいた。
なぜ生徒が「こんな時間に」こんなところにいるのか。
友香が言える筋合いではないし、演劇部にいた頃は、湊都たちと何度か校内に泊まったこともあったから、それ自体はあり得ないことではないが──。
友香は、突き刺さってくる少女の視線を受けてこう思った。
いや、確信した。
こいつこそ、先ほど聞いた足音の正体なのだ。だとすると、こいつの口を塞ぐことができれば。
相手は下級生。
何とかなる。
それに向こうだって、学校に留まっているのは違反だ。
そこを上手くつけば。
友香は大した根拠もなくそう確信し、行動を起こした。
急いで庇から一階に下りると、あの二年生がいたB棟へと向かう。二年生の方はそれに気づいたのかそうでないのか、B棟の上の階に移動しようとしている。
(逃がすものか)
友香は当然のようにB棟入口のドアを開け中に入り、彼女を追いかけた。
なぜ鍵が開いているのか、その疑問を思い浮かべることもなく。
いや、それ以前に──。
『なぜ防音効果の高いはずの図書室に外の足音が響きわたったのか。
図書室からB棟まではそれなりに距離があるというのに、ましてそこは暗闇に近いというのに、なぜ彼女の姿が、リボンの色までもが、かくもはっきり見えたのか──』
(これは──)
少女は、無理を言って持ち帰らせてもらった数冊のノートの中に、面白い記述があるのを発見した。
事件には全く関係ないので、警察はこんな記述には目もくれなかったのだろうが、彼女にとっては、この記述は──。
(これは使える。これはきっと──)
くすくすっ、と、少女は静かに、笑った。
※
たかがページを捲るだけでこの高揚感!
空間を越え、時を越えて知識を伝えるもの──それは『本』、退いては『文字』だ。
そしてこれは、私の意識を、『思念』を、努めてよく刺激してくれる。
ただ文字の羅列を見ているに過ぎないのに。
なんら集中力を要さないような読み方をしても、変わることがない──。
“第四章 溺死
〈××∧∧年(今年から数えて一二年前)一一月〇一日〉
(前略)
水を、水を、水を──。
駆けている彼女の頭の中は、もはやそれだけだった。ここは日本であり、砂漠などでは断じてない。しかし、彼女は──。”
愛、憎しみ、恨み、母性、そして自己愛──。
“水を、水、水……。
元はと言えば、彼女は水を求めて走っていたのではない。だが、本来の目的を忘れ、彼女は水を求めて彷徨い出した。
そして──。
み、水、水だ……水だ! 水だ!!
彼女は目前に広がる大量の水の中に、すぐさま体を任せていった。
もはやそこは逃れられない、彼女にとっての楽園であるに違いなかった。
これで私はまた、一歩目的に近づくことになる──。”
更に、『最高の罪悪感』!
“安らかな顔。
幸せに満ちた顔。
彼女は、かつて自分が羊水の中で揺られていた頃のことを、思い出しているだろうか?
母たるこの私の力と、母なる大地、そして地球の力によって。”
今度は『溺死』か。
私は、何とも言いようのないような感覚に囚われていた。
『期待』?
そう言えば、そんなものなのかもしれない。
長らく、何かに期待することなどなかったというのに。
『溺死』。
溺死ねえ?
川はあるが、あれは溺れるような川じゃない。
それに、それじゃ面白くない。
ゾクゾクっとするような不思議な感覚が、いまだ続いている。
今日は一〇月三一日。
もうあと数分で、一一月の一日になる。
もうすぐだ。
“「最高の罪悪感」。私にはそれが欠けた。”
“次第に残虐さを増していかなければ、良心に呵責を覚えることなく、人は人を殺せるようになるのだ。”
ここは、学校からかなり近い、そんな場所。
私は今、どうしてここにいる?
私はこれから、どうすればいい?
何を、すべき?
問いかけたって、誰も答えてくれない。
『放火? 一人が死亡
六日未明、O市内に住む浮田貴好さん(四九)方から火が出て、浮田さん方を全焼。中にいた浮田さんの長女で高校三年生の美帆さん(一七)と見られる焼死体が発見された。出火場所と見られる美帆さんの部屋には電気ストーブがあったもののスイッチは入っておらず、警察・消防では、放火と失火の両面から調べを進めている』
一二年前の新聞記事だ。
そして。
『民家の焼死体、身元判明
A警察署は九日午前の記者会見で、A市外れで起きた放火による民家全焼事件で死亡した若い女性の身元が判明したと発表した。死亡していたのは、近くに住む阿木名雄一さん(四三)の長女和子さん(一七)。和子さんは「知人の家に泊まりに行く」と言って家を出たきり戻らず、心配した家族が警察に捜索願を出していた。警察では放火殺人の疑いもあるとみて調べている。』
小さく一つ、笑い声が漏れる。
苦労した甲斐があるというもの。
そして私は、ゆっくりとはしているが、確実な足取りで、自分の部屋をあとにした。
殺風景で女の子らしいものなど何もない、この部屋を。
★本作本話数については、「小説家になろう」様の2018.5.22のシステム修正の影響か、本文の一部のレイアウトが強制的に変更になるという影響が出た模様です。
具体的には、一部の箇所において、「行あき」の指定(一文字もない行の存在)が無効になり、前の文章との間が詰まる、という現象です(「半角スペース」が行頭に入っていたことが原因と思われます)。
読みにくい状況になってしまいましたこと、お詫び申し上げます。
2018.5.25夜に、作者が気づいた部分については修正をさせていただきました。
何卒、ご理解のほど、お願い申し上げます。




