第四章 錯綜する思惑(四)
◆ 4
《一〇月三一日 月曜日》
(ふんっ、馬鹿馬鹿しい。何であたしまで……)
この日は朝から、白井友香は不満だった。
黙祷、見舞金徴収(有志による募金だが、元演劇部員としては断りきれなかった)、授業への支障(教師の混乱、刑事・マスコミのうろつき)。
ストレス──。
教室移動のとき、友香は図書室から出てくる湊都と鉢合わせた。友香にしてみれば、これもストレス以外の何物でもなかった。
本来、図書室は自分のテリトリーであるはずなのだ。それを、特に勉強する理由のない彼女が、しかもつまらないことのためだけに利用する、というのが許せない。
本当は自分がそういう立場であるべきなのに。
「友香……」
例によって、彼女は友香に対して、かつてのように下の名前で呼びかけてくる。
ただ、あの古代希の自殺が、友香をより一層ナーバスにさせた。彼女、湊都の口調が、お通夜にすら行かなかった自分を非難しているかのように聞こえてくるのだ。
「あたしはアンタと違って忙しいのよ。気安く話しかけないでくれる?」
そう言って友香は、足早に次の授業が行われる教室に向かった。
当然湊都は追って来ない。
もちろんそれでせいせいしているのだが、しかし何か物足りなくも感じる。
そしてそういう矛盾が、更なるストレスを生む。
悪循環に、友香は陥っていた。
(なんであたしが、あんなコのせいでこんな思いしなければならないのよ!?)
友香は不満だった。
そして、古代希という後輩のせいで今の自分が──あまりにも冴えない自分が、部活も辞め成績も下落し、指定校推薦による大学入学資格の取得も逃した自分がいる──という現実が彼女を襲う。
昼休み、湊都は昼食後、再び図書室に来ていた。
栄生一美と永井益美に会うためだ。
昼休みの図書室は、やや閑散としているのが普通だった。
湊都は、多少防音効果の高いグループ閲覧室を借り、二人の来訪を待つことにした。
午前中の授業の空き時間に一人で閲覧ルーム(要するに普通のフロア)を訪れたときに、『サブリミナル』については調べておいた。柳麗が残した言葉にあった単語である。
『サブリミナル』とは、一般的に言えば人の潜在意識に訴えかけ、人に特定の行動を促す、というものである。
かつて、このサブリミナルの手法を用いた商品の広告『サブリミナルアド』が実際に問題になったことが、海外でも日本でもあった。
映像は普通、多数のコマが連続して再生されることによって、動きのあるものとなる。サブリミナルCMは、そんなコマの連続の中に、意図的に商品の行動を促すメッセージや絵──例えばドリンクならその商品ズバリの絵や、それを美味しそうに飲む人間の絵──を何コマかおきに挿入し、通常の人間では知覚し得ないスピード(でも見てはいる)で広告活動を展開、潜在意識に対して商品を売り込む、という手法で、かつてはテレビや映画館などで用いられたこともあるものである。
こうしたサブリミナル広告は、良いか悪いかは別にして、実績という意味では確実に効果があったらしい。映画館などで行われた実験では、飲料やポップコーンのサブリミナル広告を打った上映とそうでない上映とでは、それらの商品の売れ行きが全く違った、という。
極めつけは、広告商品だけが、売れ行きを大幅に伸ばしたことだ。前記の例で言うなら、飲料やポップコーンの売れ行きは増えたのだが、ポテトやホットドッグの売れ行きは、ほとんど変わらなかったのである。
マインドコントロール──。
麗は、「サブリミナルを上手く使えば」と言っていた。
サブリミナルを最も容易に使える媒体は、おそらく映像だろう。だが、「音」や「文字」だけでも不可能でないとすれば、確かにあるいは。
人を──操る?
黒魔術、悪魔、魔女、そして『儀式』。
(もし魔術を実行したら、人によっては、その効果を信じる?)
サブリミナルは、強力な潜在意識への働きかけの力があるといっても、百人いれば百人に額面通り作用するとは限らない。一定の誘導性はあるが、不確実性の高いものであるに過ぎない。
これはある意味では、「魔術」と同じではないか?
今の日本の一般的な社会常識に照らして考えれば、そんな非科学的な「魔術」などというものに左右される危険性など、サブリミナルに比べれば微々たるものに過ぎないだろう。
しかし、宮腰教授はこう書いていた。
『(魔術とは)自分と相手がいかに信仰に厚いかに左右される概念である』と。
マインドコントロール──。
麗の言葉を積極的に位置づけようとすると、『犯人像』は『転落』を基礎とする「男性関係」や「共犯者」に留まらなくなる。極端な話、催眠術などのマニア的な偏狂者でもよくなるのだ。
もちろんその場合は『衝動的な犯行』ということもあり得る。
夜遅く学校を出た、あるいは学校から出ようとしていた希が運悪く犠牲者になってしまったという可能性。
この場合、湊都たちがいくら懸命に頑張っても、犯人が割れない可能性は極めて高い。それこそ『神頼み』のように偶然に頼る他なくなる。もっとも、そうであれば、それこそ警察の領分なのだろうが、『自殺』だと彼らが考えていた場合、警察がそこまで調べるだろうか?
考えてみると、湊都の目から見て、希は確かに内気で内向的で、多少自信過小気味のところはあった。
「犯人」がそれを知っていたかどうかは不明だが、その性格から判断するに、希がそうした広義の『催眠術』にかかりやすいタイプであるとは言えないだろうか?
彼女は、小説などの創作分野においては全く普段とは別人のようだった。それこそ自信過剰なくらい。そして彼女の場合、その自信に相応するだけの実力があった。
本人が自信を持っていて、そのとおりの実力があるなら、それがどんなに巨大なものであろうと、「過剰」ではなく「当然」になる。しかしこれも、裏を返せば実力に裏付けを置く自己暗示の結果、その分野では人が変わったように強気になれるだけだ、とは考えられないか?
(友香──)
ふと、湊都は友香のことを思い出していた。
今日もまた、彼女とはうまくいかなかった。
いつか仲直りできるだろう──そう思って、もう約一年になろうとしている。
友香の実力は間違いなく、高校レベルとしては一流の部類に入るだろう。
だが、所詮高校レベルだった。
それに対し、希は──超アマチュア級だった。少しの妥協を覚えれば、訓練すれば、あの業界でもすぐにでもプロになれるレベルだと思っていた。
それなのに、友香のプライドは希と同レベルだった。
脚本を書くことが、演劇好きの友香が演劇部に居続けるための最後の手段に近かったことを考えれば、それはある程度仕方がないことなのかもしれない。
『あたしね、大きな声、出せないの。普通にしゃべる分には、わからないだろうけど』
一年生の時、彼女からそう聞いた。理由は話してくれなかった。
簡単に聞けるような内容ではないのだと察して、そのときはそれ以上訊かなかった。
手術ミス──。
それを聞いたのは、彼女が退部するまさにその日。彼女は奥歯を噛みしめ、気丈な目に涙をうっすらと浮かべながら、絞り出すようにそう言った。
大した症状ではなかったらしい。
簡単な手術で、短いリハビリで、完治する予定だった。
手術は失敗した。
声を失う危険さえあった。
再手術した。
辛うじて声を失うことだけは免れた。
しかし、憧れていた舞台女優としての道は、そこで潰えてしまった。
『大学に入ったら、パントマイムでもやろうかな。自分で脚本を書いて、演出して。
パントマイムなら、練習すれば、あたしにもできるかも。でもあれはある意味、普通の舞台よりも、難しいよね。あたし、体堅いしなあ』
まだ仲が良かった一年生の終わり。彼女はおどけた調子で、そんなふうに言っていた。
しかし、そんな彼女を──。
(あたしは、あっさりと切り捨ててしまった)
希と友香が共存できなかったのは、お互いのそりが合わなかったことが最大の理由だった。
湊都などは、良い作品なら正直どちらの作品でもいいと思っていた。
彼女たちがお互いに切磋琢磨してくれれば、それはなお良い方に転んでくれるだろうと期待していた。
しかし、期待は裏切られた。
どちらを選ぶか問われ、自力に勝る希を──。
サブリミナル、オカルト。
どちらも、友香はそれなりに親しんでいるはずだった。
彼女は脚本を作るため、様々な知識を、色々なところから仕入れていた。
もし彼女が犯人だとしたら、動機が──。
「すみません、遅れました」
湊都は、やや大人びた口調の女声で、現実の世界に引き戻された。
声をかけてきたのは栄生一美。その後ろには永井益美がいて、湊都に対し小さく会釈した。
「あ、やっぱり柳さんはいないのね。彼女、大丈夫?」
湊都は、整った顔立ちの二人から一斉に視線を浴び、一瞬窮屈さを感じた。
湊都本人はあまり気にしてなかったことだが、この二人は、自分の学年を飛び越えた今年と去年の『ミスH高』である。ハイレベルの美人が目の前に二人並ぶと、迫力がすごかった。
「休んでます。少し、安静にしてた方がいいでしょう、って」
「精神的なものっていうのは、結構大きいものなんですね。調べてみて、更に解ってきたって言うか」
益美はこんな場面でも滑舌よく、しっかりと言葉を発する。やはり彼女はなかなかの逸材だ。
湊都は文化祭の前、希が自分よりも熱心に、益美を演劇部に勧誘していた姿を思い出していた。自分はもう、ほとんど諦めていたというのに。しかも、あの時期に限っては彼女の方が──。
湊都同様、一美も益美も、サブリミナルについての一般的な情報は調べて来たようだった。益美が調べてみて──と言ったのは、おそらくその流れでだろう。
加えて、彼女たちは昨日の日曜日、静養中の麗の家に押し掛け、サブリミナルを使った『自殺偽装殺人』の情報を得て来てもいた。
麗は、かなりの推理小説好きであるらしい。
「サブリミナルを含め、催眠術やなんかを使った『操り殺人』については、推理小説の世界では、少し前のトレンド、と言ってもいいようなものだそうです。もっとも、机上の論理レベルのものだから、本当に実行可能なのかは、正直疑わしい面もあるみたいですけど」
益美の言葉を、一美が補足する。
「もし、そういう犯罪が本当にシナリオ通り、完璧な形で実行できたとしたら、たぶんそれは『自殺』として処理されているでしょう。だから、犯人が犯行声明でも出さない限り表には出て来ないはずなんです。
現実的には、表に出ようがない」
「……狙い通り人が死んでいるのに、『それをやったのは自分です』とわざわざ名乗り出ることなんて、普通はない、ってことか。そこまで計算して犯行を行った犯人が自首するなんて思えないし。だから、現実には、『自殺偽装殺人』の実効性の確認はできない、と」
「そういうことです」
「でも、サブリミナルの場合は、基本的に毒物殺人──例えば、お酒やお茶といった飲み物絡みで『自殺』に見せかける、というケース──が最も考えやすいんだと思います。
人間は本能的に、自己防衛を優先するようにプログラムされているそうです。そうだとすると、『飛び降り自殺』というのはなかなか難易度が高いはず。だとすると、サブリミナルのような手法では──」
「『飛び降り自殺』の偽装は不可能?」
「単純には。飛び降り自殺をさせるためには、強力な催眠術のようなものが必要になるはずです。それも人間の自己防衛システムを上回れる程度に高度なものか、それとも──」
「自己防衛システムのプログラムに矛盾しないで、情報の入力によって、『自殺』に導くか──の二つの方法しか残らなくなる」
湊都は、一美、益美の順に口に出された情報を咀嚼しながら、乱暴にまとめた。
「つまりそれは、『被害者』が例えば追いつめられていて、それから逃れようとする行動を逆手にとって、結果として『自殺』という結果を得る、ということ?」
「ご名答」
「さすがです先輩。まさにそれです。
つまり、例えば何か後ろめたいような問題を抱えている人なら、その程度によっては、サブリミナルでも『自殺』に導くことは絶対に不可能とは言えない、という状況になります。あくまで机上の論理に過ぎないのかもしれないですが」
一美がやや慎重な言い回しで、湊都の結論を肯定した。これが一昨日の夜、麗が言おうとしていた内容だろうというのが読みとれた。
この場で希と最も関係が希薄な彼女がこうした理論上の見解を言うに際しては、可能な限り主観を廃し、客観的かつ一般的な意見に留めなければならないのは、社会的にはある意味当然のエチケットだろう。そのことを十分わきまえているらしいことから、湊都は、この栄生一美という人間の確かな能力の高さを垣間見たような気がした。
「古代さんが少なくとも『鯉事件』については──いえ、一連の『猟奇事件』のうちの少なくとも一つについては犯人だった、という可能性が、かなりのものとして再浮上してしまった、ということになっちゃうのかな? まあでも、他にあたしたちの知らない『後ろめたいこと』っていうのが、あったのかもしれないけど」
「その『後ろめたいこと』にも、それを抱える人によっては、全く同じモノでも、温度差は出てきてしまうものですしね」
相変わらず、一美は一般論で通す。
湊都は彼女の期待を感じ、希についての見解を示す。
「そうね。古代さんの場合は、あたしの印象では、その『後ろめたさ』のハードルは、案外低いかもしれない──そう思うわ」
「些細なことを気にしすぎてしまうって、ことですか?」
「そんな感じかな。永井さんはどう思う?」
「あたしは、何か違うような気がする──んですけど。
論点がちょっと、ズレて来てませんか?
警察や門松先生がどう考えているのかわからないけど、今のあたしたちについて言えることは、なんか無理して古代さんの──希ちゃんの『自殺の理由』をくっつけようとしているように思う。
希ちゃんは普段はかなり気弱だった。
男の影なんか全然見当たらない。
運動神経もよくない。
自殺する理由もない。
客観的にわかっている条件に当てはまるかどうかだけ考えてみることも、つまり、事実だけを積み上げて推理してみることも、あたしは必要だと思うんですが、どうでしょ?」
益美がおどけたような、他の二人の認識を根底から覆すような発言をする。
これに対し、湊都は一瞬言葉に詰まったが、一美が反論した。
「でも、そういう堅実な捜査は、警察がするんじゃない?」
確かにそれはそうだ。
だが──。
「警察は『自殺』の場合と、他殺を前提にしている場合とでは、捜査にかける人員と時間と集中力と行動力──つまりあらゆる点でかけるコストが違うはず。だとすると見落としが出て来るかもしれない。
あたしが言いたいのは、彼女が直接事件に関係している可能性を論じることよりも、『一連の流れの中で』彼女が死ぬ、という結果が生まれてしまったのだという、不幸な事実の積み重ねである可能性」
「『一連の流れの中』っていうのは、古代さんが『猟奇事件』に関わっている、というだけじゃなく、あるいは真犯人を見た、とか、その、たまたま偶然ターゲットになってしまった、とか?」
「その可能性も、ある、ってことです。彼女が『殺される』としたら、『共犯者による口封じ』よりも、むしろ真犯人による『目撃者の口封じ』の方が合ってるような気がする。
もちろん偶然なら偶然でもいい。
もし本当に『殺された』のであれば、希ちゃんがどういう性格だったか──あるいは操られやすい方だったかどうかを論じても、全く無意味です。必要なのは『操られる可能性がある』っていう事実だけ。そこに犯人がいて、被害者がいる。状況はもっとシンプルでいいはずです」
益美のこの言葉は、結論としては昼休みの初め、湊都が出した結論とほぼ同じものだ。
しかし湊都はその言葉を余所に、ある考えにとらわれ始めていた。
エスカレート──。
犯人は、第一、第二の『猫』事件を八日という期間を置いて実行した。
犯人の目撃情報はない。
第三の『鯉』事件には目撃者がいる。
もしこれが同一犯の犯行なら、次に事件が起こるとしたら、それは一一月四日の金曜日、ということになる。
だが、もし第三の事件の犯人が、この二年生たちが初めに言っていたように別人だったら?
例えば、犯人が何らかのオカルト的な「儀式性」を持って犯行を重ねていたとして、それを、第三の事件を起こした、真犯人の犯行に便乗した連中の存在が、結果的に「儀式」の邪魔をし(例えば第三の事件の犯人と真犯人が鉢合わせしてしまった、とか)、「儀式」そのものを断念せざるを得ず、その(逆)恨みを晴らすために、このH高の生徒を一人殺した。
あるいは、結果的にでも、希自身が「儀式」を妨害する存在になってしまった。
あるいは、極論だが、希の『自殺』でさえ実は「儀式性」を満たすためのフラグの一つ、つまり予定通りのことだった、とか。
もしくは、「猫」を殺したのはただ単にウォーミングアップに過ぎなくて、これからは次々と人を殺していくってことだって──。
(いや、まさか)
しかし、希は「自殺」の前日、家に帰らなかった。
彼女が「自殺した」のは翌日の午前一〇時頃。彼女はその間、家に連絡すらしなかった。
普通に考えれば、仮にあの事件が本当に自殺だったとしても、もう一一月になろうかという季節。前日に家に帰らない理由はない。
それ以前に、遅くなるなら遅くなるで、何らかの連絡を入れようとするに違いない。それなのに、そうしたいわば『当たり前のこと』すらしなかった、ということは。
(しようとしても、出来なかった?)
そう考えるのが最も自然ではないか?
『目撃者の口封じ』
『偶然なら偶然でもいい』
『状況はもっとシンプルでいいはず』
益美の先ほどの言葉が甦る。
エスカレート──。
(もしこれが『儀式』の一環だとしたら、これから次々と人が殺されていくってことだって──)
自分の恐ろしい着想に、一筋の汗が額から流れ落ちる。
「あの、先輩? チャイム、鳴りましたよ?」
一美の声で、また現実の世界に引き戻された。
益美はもう、グループ閲覧室の入口のドアに手をかけている。
「ああ、ごめんなさい。ちょっと考えごとしてたから」
急いでドアから出ると、偶然にもそこに、また友香の姿があった。どうやらチャイムが鳴るギリギリまで、ここで勉強していたらしい。
「あら郡さん──二年生と一緒に遊んでいられるなんて、いい身分ね?
……グループ閲覧室にいても、女子の話し声って、静かな図書室だと結構聞こえるのよ。今度からは謹んでくれない? この学校は、あなたたちみたいに、遊んでいられる人ばかりじゃないんだから」
そう言うと友香は、颯爽ときびすを返し、図書室を出ていった。
「あの人、誰なんです? 随分好き放題言ってくれましたねぇ……どうして何も言い返さないんですか?」
益美の問いに曖昧な微苦笑で答えながら、湊都は図書室をあとにした。




