第四章 錯綜する思惑(二)
◆ 2
「大丈夫? ほんとに」
「うん……。ごめんね、かずみ。迷惑かけちゃって」
栄生一美は、昨日一日入院して今日退院したばかりの麗を連れて、古代希の通夜まで来ていた。
麗にどうしてもと頼まれたからだが、話によると、まず通夜には行くであろうと思われた益美が、不在で捕まらない、という。
三奈は希とは正真正銘まるで無関係。
一美もそういう意味ではほぼ無関係なのだが、「死に顔を見た」手前、通夜に来る理由が全くないわけではなかったので、彼女の付き添いをすることを承諾した。
麗の顔色は病的に青かった。
もともと白い顔で線も細く、「ユーレイ」と渾名をつけられてしまうほどの麗は、この精神的に精一杯の状況において、より一層の危うさを感じさせるというか、儚げで消え入るような美しさを醸し出していて、同性ながら、一美は思わず息を呑んでしまうほどだった。
「何かあっても、私が絶対、フォローするから、ね? あなたは何も、悪いことなんてしてないんだから」
麗はその一美の言葉を聞いて、小さく一つ、頷いた。
麗の昨日の希に対する『暴言(妄言?)』は、二年C組の中に留まらずに学校中の語りぐさになってしまう可能性があった。
ただでさえ体だけでなく精神的にも線の細い彼女がそんな負のレッテルを張られたら、今度は彼女が自殺に追い込まれてしまうかもしれない。それだけは何としても避けたい。
あの『暴言』を聞いていない元気者三奈と、彼女を助けた純一の二人は、必ずや味方になってくれるだろうとは思う。だが、他の人はどうか。
(皆川君は、もうダメかな)
焼香の列に並んでいるとき、一美は列の前の方に、門松と益美の二人がいるのに気がついた。麗もそれを見て、マスミちゃんも、やっぱり、来てたんだね──と、少しほっとしたような表情を浮かべた。
焼香を終えたとき、益美は人待ち顔でキョロキョロしながら、入口から少ししたところで一人ポツンと、佇んでいた。
「マスミっ!」
一美は麗の手を引き、彼女に近づいた。
麗を守るためには、益美も欠かせない人材であることに間違いはないのだから。
(郡、湊都か──)
永井益美は、昨夜受けた湊都からの電話の真意を、自分なりに測ろうとしていた。
彼女は益美と麗、二人から話を聞きたい、と言ってきた。
麗は入院していたので、自分一人だけなら──と彼女には返事しておいた。彼女が事件について何事か調べていることは、その口振りから十分読みとることが出来た。
もちろん益美も、今度の一連の事件について無関心ではない。「喜んで」その申し出を受諾した。
「ん? 永井か?」
記帳をしているところで、行く手から声をかけられた。聞き知った声だ。
なるほど、自分より三人前に、彼の名前がある。
「先生も来てたんですね。
クスッ、そういえば、先生のフルネーム、初めて見たような気がする。確か自己紹介のときも、『名前? ……門松だ』って言っただけだったよね?」
「いいだろ別に。オレは自分の名前が嫌いでな。第一字面が悪い。漢字で書くとバランスが悪い。……だろう?」
「そう? いい名前だと思うけどなぁ。ご両親に失礼だよ、そういう言い方は」
「お前、それ本気で言ってるか?」
「……さあね」
『門松』という名字が彼にとって三つ目の名前であるという情報は、学校内ではそれほどマイナーな話ではなかった。基本的には無口な人間だが、彼自身、そうした特異な自分の経歴を気に入っている、とかいう事実が大きいのだろう。
さすがに通夜の席。これ以上雑談を繰り広げるのはどうかと思って、焼香の列に並ぶ。そして焼香を終え、会場の外へ出るところで、再び門松に声をかけられた。
「永井、ちょっといいか?」
「はい?」
門松は益美に、古代希の男性関係について知っていることはないか、どんな些細なことでも構わないから──と訊いてきた。
「……さあ、あたしにはねえ? そう親しかったわけでもないし。…………。でも、何か、あるんですか?」
「いや、何でも」
「あっ!……」
突然、男の大きな声が、辺りに響きわたった。
その声には、益美も聞き覚えがあった。昨日事情聴取に来た刑事の声だ。
確か名前は、阪野とか言ったか。
「相変わらず自己抑制が足りませんね。こんなところでそんな大声を出すものではないでしょう」
「……これは失礼。ところで、どうしてあなたが、こんなところにいるんです?」
口調は丁寧だったが、真意が違うところにあることは明白だった。
「私はH高の教師ですよ? 古代は私の教え子の一人です。来るのが当然でしょう? これでも私は大卒なモンでね、教職に就くこともできれば、教え子の通夜に参列するという常識も持ち合わせている」
抑えた口調だったが、門松の言葉は嫌味以外の何かではなく、容赦のない響きを持って、益美には届いた。どうやら彼は、阪野刑事の言葉に、いや、阪野刑事という人そのものに、強い嫌悪感を抱いているようだ。少なくとも益美にはそう思えた。
門松に対し阪野が口ごもる。
何か言い返そうとするが、上手く言葉が出てこない。そんな感じだ。
「永井、スマンな。……私と話がしたいんなら、ちょっと向こうへ行きましょうや。あなたのその、無遠慮なだみ声で、周囲にこれ以上迷惑をかけたくない。良識的な一社会人としてはね」
「くっ……」
益美には、門松がしかし、言葉ほどの余裕を持ってはいないように思えてならなかった。
どこか、「しまった」というようなニュアンスを感じたのだ。
阪野と門松の後ろ姿を見送ったあと、周りをゆっくりと見渡した。
湊都はまだ来ていないようだった。
(うふふっ、面白い見せ物だったじゃない)
「マスミっ!」
二人の姿が見えなくなってすぐ、そう呼ぶ声が聞こえてきた。
声の方向に視線を向けると、そこには一美と麗の二人がいた。
麗は顔色がとても悪い。
まあ、それは当然のことなのかもしないが。
「あ、麗ちゃん、来てたんだ。……大丈夫? まだ、顔青いよ」
麗はうつむきながらも、大丈夫だから心配しないで──と小さく、しかしはっきりと言った。
「ところで──あれ? まああえて『何で』、とは言わないけど。……何でかずみが、ここにいるの?」
「こらこらこら。まあ、『何で』って……麗ちゃんの付き添い、っていうのが正直なところなんだけどね。
(ま、死に顔を見た、って『縁』もあるし。)
それより今日、日中どこいってたの? 麗ちゃん何回か電話したのに、繋がらなかったって」
二言目は益美にだけ聞こえるように。
まあ、死者との人間関係が希薄な者の態度は、えてしてこんなものだろう。
益美だって実際、そんなものなのだから。
「ちょっとね、色々用事があったのよ。…………。それより、ホント大丈夫? 麗ちゃん」
麗は小さく頷いた。
決して「大丈夫」そうには見えなかったが、心を鬼にするまでもなく、次の言葉が発される。
「麗ちゃんさあ、これから時間ある? 郡先輩が、会って話がしたいって言って来てるんだ。あたしとあなたに。どう?」
「……郡、先輩?」
「ちょっと、それは……」
一美も麗、湊都、栄の間にある関係については既に知っていた。
麗の性格と今置かれている状況を考えれば、一美の態度は理解はできる。しかし益美は我関せず、簡単にそれを退けた。
「黙って、かずみ。これは本人の問題よ。ショックなのは解るけど、ね?
それに先輩、何か掴んで──いえ、確証はないんだけどね? とにかく、会ってみない?
本当は麗ちゃんのことは断って、あたしだけで会いに行く約束だったんだけど。麗ちゃん入院してるからそっとしといて、って。でも、動けるんなら、会ってみてもいいんじゃないかな? まあ、相手があの先輩じゃ、話しづらいかもしれないけど」
そのとき、益美は背中に、強い視線を感じた。
だがそれが誰のものかを突き止める前に、麗が、わかった──と返事した。
そしてその直後、郡湊都が三人の前に現れた。
【登場人物】
阪野真幸:県警所轄のS警察署刑事課所属の巡査部長。家庭の事情により大学を中退し警察官になった。そのためかやや屈折しており、「キャリア組」と呼ばれる警察庁の警察官僚を嫌っている。




