第三章 転落(四)
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「全く、なんだって言うんだ? この学校は」
阪野刑事でなくとも、同様の感想を抱いたに違いない。
この十日間で、「事件」が三件も起きるなんて。
まして昨夜遅く、警察庁の方から問い合わせがあった。
何とか上手くあしらうことができたとは思うが、もしあちらから誰か派遣されてくるようなことがあったら、阪野の立場も微妙なものになりかねない。
現場となったH高は、もはやパニックと言っていいような状態だった。
それもある意味当然ではあった。
授業中──正確に言うとちょうど午前一〇時前後、学校の時限では二時限目の途中──一部の生徒たちのまさに目の前で、しかも白昼堂々、『飛び降り自殺』があったのだ。
通報者はこの学校の女子生徒だった。
彼女は一一九番したらしく、「飛び降り」ということで、消防局からの通報で、警察もすぐに動くことになった。
通報者は、永井益美という二年C組の生徒。
聴き込みをしてみると、飛び降りの瞬間の『目撃者』のほとんどがこの二年C組の生徒で、中には失神して、救急車で運ばれる女子生徒も出て来るような有様だった。
瞬間の目撃者が多数いること、及び偏っていた理由は授業中だったため。
ただ、その時間、飛び降りた軌道と同じラインにある教室で授業をしていたのは、三階にある二年C組ただ一つだった。二階の一年B組は生物の授業で生物室へ、そして四階の三年D組は体育でグラウンドや体育館へ、全員が出払っていて、一階の会議室もまた、誰もいないという状況だった。
そういう状況でありながら、二年C組では「大きな影が上から下に落ちてきた」レベルの目撃者が意外なほど多く、加えて音を聞いた者、落下したあとの惨状を見た者については、二年C組に限らずかなり多くいた。
飛び降りの瞬間を複数人が目撃していること自体が珍しいが、「事後」の目撃者も多く、それだけでも、阪野にとっては十分に面倒な話だった。
似ているな、九日前の事件に──阪野はなんとなく、そう思った。
より正確には、事件のあとの展開に──だが。
根拠は特にない。直感的にそう思っただけだ。現場ばかりで過ごしてきた刑事としてのカンが、彼にそう思わせたのかもしれない。
元々は飛び降りた少女のために呼ばれたであろう救急車は、その少女を乗せることなく、別の失神した少女を乗せて現場を去ることになった。
現場に駆けつけた救急隊員が詳しく検証するまでもなく、飛び降りた少女の頭は割れ、絶命していることが容易に見て取れる有様だったからだ。
死亡したのは古代希、一七歳。
二年A組の生徒で、演劇部所属。
小柄で、外傷は地面に落ちたときに打ち付けたとみられる頭蓋骨の大きな陥没と、落下時に折れたと見られる首、そしてその後に打ち付けた背中や臀部、足の打撲程度。それ以外は認められなかった。
学校側の対応は意外に速く、また警察に協力的でもあった。
一般の生徒はすぐに下校させ、教職員全員と、目撃者の多い二年C組の生徒全員(救急車で運ばれた柳麗という女子生徒と、休みだった桜井三奈という女子生徒の二人を除く)、古代希のクラスである二年A組の生徒全員、そして演劇部員全員だけを、学校内に残らせた。
残らされた生徒の中には不満を言う者も少なくはなさそうだったが、事が事だけに、説得は比較的容易だったようだ。
ただ、目撃した二年C組の生徒の中には体調不良を訴える者が少なくなく、警察としても学校の養護教諭その他の教職員の立ち会いを認め、制限された中で事情聴取をしなければならなかった。
生徒たちの口は予想以上に重かった。
二年C組、A組、演劇部の順で事情聴取したが、有力な情報は得られなかった。
ただ、この古代希が昨日帰宅しておらず、捜索願までもが出されていた、という事実は、興味深いものだった。
しかし自殺の動機については、正直言って「まるでわからない」というのが、彼女を知る生徒たちの共通した認識だった。
彼女はクラス内で孤立した存在ではあったようだが、無視されていた、というよりはむしろ、自分から孤高を愛するようなタイプだったという。そして演劇部では、今や欠かせないくらいの重要な役割を担う、極めて頼りにされる要人になっていた。しかもその活動意欲も並々ならぬモノで、A組の生徒以上に彼女のことをよく知る演劇部員たちは、口をそろえて「自殺するとはとても思えない」と断言した。
それに彼女には、「夢」があったそうだ。
プロの作家あるいは脚本家になる、という「夢」が。
現代の若者は、一般的に「夢」を持たなくなっていると言われる。その日その日が楽しければそれでいいじゃないか──という者がいる一方で、あえてサラリーマンや公務員を目指すという、極端な安定志向の者も多い。昔から後者のような人間は一定数いるが、そこに野心がなく、あくまで求めるのは「安定」と「人並みの生活」であるというのは、H高くらいの進学校では、今や多数派を形成するほどによくある話だった。
そんな世相で、将来、大きくなって見返してやろうという気概を持てる者が減り、平均的にメンタルが弱くなり、中高生の自殺者数──あるいは自殺率──も増えている、そんな中で、しかし彼女は、世間の風潮とは逆行するように、明確な「夢」と「野心」を持っていた。
そして周囲の評価も、その「夢」が、決して「夢」では終わらないレベルだ、という非常に高いものであったようなのだ。
だが──。
鑑識をはじめとする捜査員による初動捜査の課程での印象は、限りなく「自殺」の可能性が高い、というものだった。遺書はなかったが、争った形跡もなく、また飛び降りる現場となったA棟の屋上へ続くドアには、彼女の指紋以外は非常に古い、もはや残骸程度に風化したものしか残されておらず、彼女が『能動的に』屋上へ上がったのだという情況証拠しか出て来なかったのだ。
加えて、自殺の瞬間はまさに授業中。
生徒を帰す前に、飛び降りた瞬間の各自のアリバイを確認させたところ、生徒、職員、教員全員に確固たるアリバイがある、というのだ。
となると、やはり問題となるのは「自殺の動機」だった。
阪野をはじめ、警察関係者は全員が全員、この飛び降りを『自殺』と、この段階で九九パーセント断定していた。
残りの一パーセントを埋めるため、どんなに些細なことでもいい、動機となる事実がほしい──というのが、捜査当局の共通した思いだった。
しかし、いったいどういうことなんだ?
警察庁は、昨夜の問い合わせのときに合わせて、『単独のものと見られる自殺か事故死があったら報告してほしい』と言って来ていた。
そして、今、それに該当するものが目の前にある。
(このヤマは俺のものだ。できるだけ調べ上げてから、できるだけきちんとした報告をしてやろうじゃないか)
この手の事件ならマスコミが大挙して押し掛けてくるだろう。
そうなれば、警察庁への報告がどう、などと言っていられないような状況になるに違いない。
阪野は、屈折した笑みを浮かべていた。
【登場人物】
生駒 愛:2年E組。元剣道部で、かつては有力選手だった。故障でも「不祥事」でもなく、自己都合で退部。小此木尋とは「恋人」。




