第三章 転落(三)─第一の犠牲者─
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クラス内の話題のいくつかは相変わらず猟奇事件についてだったが、昨日ほどのことはなかった。
中には、三奈のことや昨日授業を潰した門松臨時担任のことを話題にする者たちもいたが、その話題も、一番普段から近くにいる麗や一美、益美、あるいは栄や純一が触れないため、気を遣ってかすぐに立ち消えになる、という感じだった。
ちなみに三奈は、昨日の「発作」のこともあるので二、三日、学校を自主的に休んで様子を見ようということになったらしい。
そんな中、クラスの大多数とは違う話題で、深刻に話をしている女子生徒が二人いた。
麗と益美である。
「希ちゃん、見つかったかな?」
「わからない。無事だといいけど。あのコ、無断外泊するようなコじゃ──」
中学時代は親友とも言える関係だった麗がそう言うのを見て、益美も非常に辛そうな顔をする。
麗はそれを見て、妙に冷静に、マスミって喜怒哀楽がはっきりしてるよね──と思った。
それに比べて、わたしは──。
コンプレックスだらけの麗の、更に特に目立つコンプレックスの一つが、この無感動体質だった。と言っても、実際無感動なわけではない。昨日三奈が倒れたときだって、どうしていいかわからずひたすら狼狽えるだけしかできなきかったのだ。
益美も一美も冷静だったのに。
ただ単に表情に出ないだけ。
苦しみも悲しみも、喜びも──。
泣くことも笑うことも無くはない。
ただ、そういう感情を出す自分を、いつも醒めた目で見つめる、もう一人の自分がいるのだ。
マスミみたいに素直になれたら──これが麗の正直な気持ちだった。
益美と麗と希の三人は、一年生の時同じD組だった。麗と希は中学のときから仲が良かったが、そこに益美が加わった。
いや、より正確に言うなら、益美が加わったのではなく、誰からも好かれるタイプで人気もある益美の厚意によって、二人がクラスの中に引っ張り込まれていた、というのが正しいだろう。
初めは希もみんなとそれなりに仲良くやっていた。
麗も希も、中学時代から二人して周りから孤立してしまう方だったので、麗はそんな生活が楽しくて仕方なかった。
しかし逆に、希の方は対人ストレスの方が勝ってしまったらしく、そして文芸部から演劇部へとヘッドハンティングされるに至って、クラスからの単身離脱が決定的となってしまった。
「まさか、誘拐されたとか……」
「ダメ。そんなこと言ってちゃ」
麗の言葉が、益美に遮られる。
そうなのだ。
あらゆる可能性を検討すること自体は、決して悪いことではない。
しかし、不吉な言葉を口にすると、得てしてそれが現実に重なってしまうものだ。自分が外野にいるからといって──いや、外野にいるからこそ、不用意な発言は避けるべきだろう。
二人の間に沈黙が走る。
何か言わないとどんどん気まずくなってしまうような気がするが、元来はどちらかと言えば口下手な麗には、気の利いた言葉を思いつくだけの余裕はなかった。
そして、授業開始を知らせるチャイムの無機質な音がいつも通り響きわたり、二人は各々の席に戻った。
文化祭が終わってから、彼ら二年C組は席替えをしていた。麗の席は窓際の前から二番目、益美の席はその二つ後ろで一つ内側の列である。
一時限目の授業が終わり一〇分休み。
そして二時限目へと進み──この日もまた、いつもと同じ日常が繰り返されていく──麗は、そう『期待』していた。
二時限目の途中までは、その期待通りにコトが運んでいた。
『古代希の失踪』を余所に。
『桜井三奈の異常』を余所に。
『連続猟奇的動物虐殺事件』を余所に。
ところが。
あまり授業を真面目に受ける気分ではなかった麗は、ぼうっと窓の外を眺めていた。
この二時限目の先生は、黒板と反対方向、つまり生徒たちの方を向きながら教室の中央付近まで出ていくクセがあり、なおかつ黒板方向にある教卓のところに戻るとき「左回り」するクセもあったため、窓際の前の方の列は死角になる。そのため、割と気兼ねなく、窓の外を見つめられる環境ではあった。
そしてそのことが、麗には不幸だった──。
突然、目の前に大きな影が現れた。
ぼうっと外を見ていた彼女の目の焦点が、つまりピントが、否応なしにその影に合わされる。
そして彼女が自分の頭の中で、その像を再構成しているまさにそのとき、窓の外から『ドン』という重いぶつかるような音とともに『グシャッ』という潰れるような音が、授業中の教師の声に紛れて聞こえてきた。
きゃあ!
い、今の、何!?
今、今、え? え?──。
だっ、なんだ、今のは!?
教室がざわめく。
何人かの生徒が授業中であることも無視して、窓際に駆け寄って来ようとする気配を背後に感じる。
この教室はA棟の三階にある。
麗は、すぐに立ち上がり、窓を開け、視線を窓の外下方、地面の方に向けた。
そしてそのとき、彼女の脳は、先ほど自分が見た、あの影の像を頭の中に再構成する作業を終えるところだった。
彼女は、先ほど見た影の具体的な姿を、完璧な形で思い出すことに成功した。
彼女の目、そして幸福に満ちた笑顔──。
「救急車! 救急車を呼ばなきゃ!」
益美のいつになく張った、大きな声が聞こえる。
救急車?
そんなモノがどうして必要なのだ?
彼女にはそれが理解できなかった。
窓際に駆けつけてきた生徒たちの中には、口を押さえながら教室中央へ戻ろうとする者がいる。
目をそらしながらも、何度も何度も振り返っては、外の様子を窺おうとする者もいる。
そうかと思えば、彼女のようにじっと、その光景に釘付けになっている者もいる。
窓に近寄ることなく、ただただ呆然と、窓の方向だけを見ている者もいる──。
「私、救急車、呼んで来ます!」
益美の声が再び響きわたる。
教師も含め、誰もがただただ絶句しているというのに。
「余計なことしないで!」
麗は叫んでいた。
クラス中の視線が、スレンダーで色白な彼女の顔に集まってくる。
その中には、一美の視線も、栄の視線も、純一の視線もあった。
「あのコ、笑ってたわ。それも幸せそうに。
わたし、あのコの、希ちゃんの、あんな素直に笑った表情、見たことないわ。すごく幸せそうだった。
そっとしておいてあげてよ。ねえ? みんな。だってあのコ、あんなに『綺麗な姿』になれたんだもの。
あんなに、『綺麗』に、『美しい』──ああ、わたしも、あんな──」
麗の体から突然力が抜け、窓の外へと体を大きくグラつかせた。
「くっ……」
クラス中が彼女の言動に言葉を失い、呆然と立ちつくしているところで、ただ二人だけ、彼女を助けようと彼女の体に飛びついた者がいた。
一人は男性、一人は女性だ。
彼は、日頃の練習の成果を発揮するように頭から、落下する寸前の麗の足に飛びついた。
彼女は、彼が飛びついたことによって留まっている麗の体を教室内に戻そうと、麗の体に飛びつき、そして抱え上げ、必死の思いで教室内へと引き戻した。
間一髪──。
しかし周りの生徒たちと教師は、誰も二人を手伝おうとしなかった。
いや、そういう次元ではない。
誰も一歩も動けなかった。
それどころか、声すら発することができなかった。
ただただ茫然としている。
あの栄でさえも。
だが、そのことについて、彼、前島純一は、彼らを責めようとは思わなかった。
あのような光景を見て、そのすぐあとにあのような狂った暴言を聞いたのだ。誰もがパニックに陥って不思議はない。
いやむしろ、クラスの大多数がパニックに陥っている、という現状から考えれば、ある程度我を忘れず冷静に体が動いた自分の方が異常なのだとさえ、彼は思った。
「助かったぜ、栄生」
彼は、もう一人の勇者、栄生一美に小声で声をかけた。
「前島君こそ、助かったわ。私の場合は、たまたま近くにいたから体が動いた──ただそれだけ」
麗は完全に気を失っていた。
一美がそれを介抱しようとする。
それを見て、純一は改めて、頭で、あることを再確認していた。
(三奈と同じだ──)
しばらくの間静寂に包まれていた教室の中に、早くも救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
開け放たれたドアのところには、益美が、息を切らせて立ちすくんでいた。
早坂 翔:2年E組。元野球部で、かつては主力打者だった。故障でも「不祥事」でもなく、自己都合で退部。守井楓とは「恋人」。




