第三章 転落(二)
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元部長としての責任感からか、それとも最後に彼女に話しかけたのはひょっとしたら自分なのかもしれないという責任感からか──郡湊都はいつもより一時間も早く学校に来ていた。
まず初めに向かうべきなのは演劇部室。
彼女を最後に見た場所だ。
昨日の夜、湊都は古代希の母親から「希が帰って来ないんです」との電話を受けた。
そんな馬鹿な、とそのときは思ったが、そもそも彼女が帰るところを見たわけではない。ひょっとしたら──という不安が、心の中で急速に増殖していった。
パニックになる寸前の希の母親と、湊都は電話でいくつかの可能性について検討した。
「友達の家に泊まっている」、「手違いか何かで、警察にお世話になっている」、「学校に閉じ込められてしまっている」……。
湊都は正直、希のプライベートについては、よく知らなかった。
知っているのは、自分の書いた演劇の脚本や小説について話すとき、部活で演出や演技指導などの「仕事」をするときと、それ以外のときとでは、印象がまるで違う、ということぐらい。
あの二面性には、初めは驚き、戸惑いもしたものだったが。
母親の話によるなら、修学旅行などの学校主催の旅行や合宿の類と家族旅行以外では、希が外泊したことはただの一度もない、とのことだった。
加えて、友人も少ないらしく、彼女の昨年の生徒手帳のアドレス帳に書かれていた名前は、何と演劇部員の名前も含めて僅か五人分しかなかった、という。
そしてその五人のうちの一人が湊都だった、と。
彼女はまた、携帯電話も持っていないらしく、家に帰ってないとなると、連絡をとる手段がないのだ──とも母親は言った。学校に電話したのか? という湊都の問いにも、留守番電話に繋がるだけで──と言うのが精一杯だった。
湊都は結局、母親の求めに応じて演劇部員全員の名前と電話番号を教えることと、彼女が学校に閉じ込められ、仕方なく演劇部室にでも泊まっているという可能性があることを告げる以外、何ら有効な手段を見出せなかった。そして、その負い目があったからこそ、今この時間に、ここにいるのだった。
彼女の両親は、早速に警察に捜索願を出したらしい。よって、もし彼女が部室に泊まっていたとしても、それはそれで一騒動あるに違いない。
しかし両親にしてみれば、どんな形であれ彼女の無事が何よりのことなのだ。
部室に泊まったくらいなら、全く無事なわけだからそれならそれで何も問題はない。
そう思って、湊都は演劇部室へと急いだ。
「部室に泊まる」という発想は、湊都自身がかつてやったことがある、ということから出てきたものである。
H高では、閉門時間前にそれなりの追い出しは行われるが、女所帯で、更に部室の中で衣装に着替えることが多いという建前がある特殊状況からくる演劇部室の暗室化は、それを最大限に利用しさえすれば、いくらでも校舎内に留まることができた。
ついでに言うと、この学校には宿直制度がなかった。
機械警備は「ある」ということだったが、せいぜいあったとしても、玄関や校長室や職員室、視聴覚室や理科系統の特別教室といった、警備が傍目にも必要なのが判るくらいの限定的なものであることは、ある意味明白なことだった。それを踏まえると、深く考えなくても、学校に泊まるという発想は容易に出て来るもので、かつ容易に実現する程度のものだ。
(昔、友香たちと、泊まったな……)
ふと、湊都は同級生で脚本担当だった、希の「前任者」である白井友香のことを思い出した。
彼女とは、本当に、『お泊まり会』をやっていたような時期は特に仲がよかった。
二年生になり、そして三年生が引退し、更に自分が部長になり、そして──。
部室の前に到着した。
心臓の鼓動が速くなる。
ドアに手をかける。『古代さん、いる?』──かけるべき言葉を、頭の中で一度、唱えてみる。
(古代さん、いてね?)
鍵を取り出し、鍵穴に挿し込む。
たいした力を入れるまでもなく、鍵が開く音がする。
軽く深呼吸をしたあと、湊都はスライド式の左側のドアを、右側に向けて滑らせた。
「古代さん! いるの!? いたら返事して!」
湊都は演劇部の前部長らしく、よく通る綺麗な発声で呼びかけを行った。
返答はない。
開いたドアのスペースから入ってくる光を頼りにする限り、中に人影はない。
ただ、彼女──古代希は、女の子としてもかなり小柄な人間だ。結構なんだかんだ言って物が多いこの部室の中なら、故意かどうかはともかくとして、隠れられる場所はいくらでもありそうだった。
「古代さん! いたら返事して! あたしよ、郡よ!」
やはり返答はない。
湊都は室内の明かりを点けた。
まだ「いない」と決まったわけではないのだ。
希の寝息が聞こえるかもしれないからと、耳を澄ましながら部室内を丁寧に調べていく。
しかししばらくして、湊都はその行動が全くの無意味であることを知った。
彼女が脚本を書くときはいつも──昨日も例外ではなく──机の上にのせておくはずの彼女の荷物が、どこにも見当たらないのだ。
湊都はふと、部室の本棚に視線を移した。
彼女は昨日、新しい劇用の脚本の小説形式の原作を、一所懸命書いていた。そのノートがあるかもしれない。
一冊一冊丁寧に探していくと、今まで湊都が見たことのない題名のノートが一冊、そこにあった。
タイトルは『転落』。
一昨日書き始めたばかりだったはずなのに、そのノートはびっしり埋められていて、彼女のクセである最終行に付ける印《──了── N》が書かれていた。
ということは、僅か二日間で、彼女はシナリオを書き上げたということだ。
だとすれば、彼女は昨夜、かなり遅くまで執筆を続けていたことになる。
湊都はノートを自分の鞄の中に入れると、彼女が行きそうな校内の場所をいくつか回ってみることにした。
まず、何と言っても季節は秋だ。
一泊するのだったら、布団かベッドがある場所がいい。
部室なら、それなりに数のある衣装を布団代わりにすれば良いのだが。枕やクッションもあるし。
保健室、体育用具室、購買部、校長室、被服室、体育館……。
様々な場所に顔を出したが、どこにも彼女の姿はなかった。
特に、保健室、購買部、校長室、被服室には依然、鍵がかけられたままだったし、窓越しに中が確認できる保健室には、見るからに誰もいなかった。使用者がいる場合は、ベッドの周辺をカーテンで覆うことができるが、全開の状態だった。
体育館はバスケ部が練習に使っていたが、そのフロアにも、体育用具室にも、そしてある意味演劇部のテリトリーとも言えるステージの上にも、更には照明などを操作するための小部屋にも、館内放送をするための放送室にも、彼女の姿はなかった。
(ご両親に報告しよう──)
湊都は足取り重く、一番最後に立ち寄った体育館を後にした。
電話口で、希の母親から、見つかりました──という言葉が聞けるのを期待しながら。
【登場人物】
小此木 尋:2年E組。生駒愛とは「恋人」。男子テニス部員。容姿が良く言動も軽めで、女子に対してぐいぐい行くタイプ。典型的なモテ男タイプだが、自分一人で手当たり次第に食い散らかすほど節操がないわけではない。深く掘り下げる方向性で、がっちりつかませるタイプ。




