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Embrace~黒き魔性  作者: 笹木道耶
11/71

第二章 狂える瞳(五)─標的─

※本作は、一行37字で構成することを念頭にレイアウトしています。環境によっては、一部の頁で、綺麗に表示できないことがありますが、予めご了承ください。

※この話数については、スマホでお読みいただく場合、画面を横にしていただけると綺麗に表示できると思います。よろしくお願い申し上げます。

     ◆ 5


 興が乗る、というのはこういうことなんだろうな──と改めて実感するほど、古代希の持つペンは滑りがよかった。

 見る見るうちにノートが埋まり、気がつくと、三〇枚のB5版のノートが残り数枚のところまで来ていた。

 これまで、自分が取り立てて遅筆だと思ったことはなかったが、それでも構想をまとめ上げたのが一昨日の深夜だったことを考えると、奇跡的な速さだった。

 これなら今日ここで完成させちゃおうか──そう思うほど自分に酔いしれている彼女からは、時間という概念が抜け落ちていた。

 本来、H高の下校時刻は六時。バッファとして一時間が設けられていて、七時に追い出し指令が出て、七時半には全員が完全に下校していなければならないという決まりがある。

 希もそのことは十分承知していたので、郡先輩に言われた通り七時には帰ろうと思っていた。しかし、あまりに調子がいいので帰るのがもったいなくなり、「もう少し粘ろう」と思ったのが間違いだった。

 追い出しが始まる七時には、希はいったん電気を消した。

 女子部員しかいない演劇部室は、きっちりカーテンを閉め切っているのが普通であり、廊下側の方もきちんと目張りがしてある。しかし、それでも室内の電気を点けると、周囲が暗ければどうしても光が漏れてしまう。そこで希は、約三〇分の間、小型の懐中電灯の光で執筆を続けた。

 家に帰ると親がうるさいので、演劇の脚本を書くのはいつもここだ。そしてこのようなワザを使うのも、初めてではなかった。

 しかし、今日に関しては、それでもまさに例外的であった。

 驚異的な執筆スピード。

 時計を見る時間がもったいないほど集中力に溢れた頭脳──。

 そしてついに、彼女は、そのシナリオを脱稿した。

 そして、そのノートを感慨を込めて部室の本棚に入れる。

 そのときになってようやく、彼女は初めて時計を見る余裕を得た。

「えっ? な、なに? これ……」

 彼女は我が目を疑った。

 もうとうに日付が変わっている時間だっだ。


(えっ? えっ? えっ?)

 彼女は急いで部室を出た。

 そこには「非常口」の緑の光と、僅かに外から入ってくる光だけが照らし出す不気味な空間がひろがって──いや、深夜の学校という不気味な、密閉されたような空間が存在していた。

 嫌な雰囲気だった。

 彼女は再び部室に戻って明かりを点けた。

 しかし動揺は収まらない。

(そうだ。そうだよ、きっと──)

 思いついたばかりの自分の考えに、彼女はすがるような思いをぶつけた。

 彼女の時計は幸いにも、秒針のない安物のアナログウオッチなのだ。

 きっと、この時計は、今日の、二七日の昼から、ずっと止まったままなんだ──。

 そう思うと少しだけ余裕が出てきた。

 といっても、暗闇に包まれた校舎の中を一人で歩くのは、はっきり言って願い下げだった。

 今でこそ「脚本家」という自己のプラスのアイデンティティを確立しているが、元々は何に対しても弱気な、自信過小なペシミスティックな人間なのだ。夜、一人で、しかも誰もいない学校の中を、真っ暗で密閉された空間を、更に言えば、ある程度長い距離歩かなくてはいけないなんて──。

 彼女は、自分の左腕に巻かれている時計でさえも、見ることができなくなっていた。


 どうしようどうしよう──。

 どのぐらい経っただろう。

 彼女はようやく再び、じっと座っていた椅子から立ち上がった。自分の両親のことを考えたのだ。

 一人っ子の彼女は、甘やかされつつもそれなりに厳しく育てられた。

 門限は九時。

 彼女同様気弱で心配性の彼らなら、門限を過ぎてなお三時間も四時間も娘が帰ってこないという事実を突きつけられたら、本気で警察に捜索願を出しかねない。

(で、電話を、電話をかけよう──)

 あの親たちなら、この状況なら、少なくともどちらかは起きているに違いない。

 彼女は携帯電話を持っていない。となると、電話をかける手段は職員室横にある公衆電話だけとなる。

(い、行くしか、ないわよね?)

 意を決して、彼女は再び部室から出た。

 今度は後戻りできないよう、電気を消し、鍵をかけた。

 するとどうだろう。

 二、三歩歩いたあと振り返ったときの部室の見え方が、オアシス的だった数秒前とはまるで違う、悪魔の巣窟のような禍々しい印象に映るから不思議なものだ。

(え~、やだ、やだよう。パパ、ママ、助けて……パパ、ママ──)

 希は半泣きになりながら、一歩一歩足を運んでいった。

 階段の前にさしかかると、そこは廊下以上に暗闇で、希は部室から懐中電灯を持って来なかったことを心の底から後悔させられるハメになった。

 かと言って、せっかくやっとの思いでここまで来たのだ。引き返す気にはなれないし、あの禍々しさの漂う部屋に再び戻るなんて、もはや及びもつかない発想だった。

 進むしかない。

 こういうときこそ走ればいいのに、そういう発想をする力は失われていた。

 一歩一歩、暗闇を味わうようにゆっくりと下りていく。

 そして、最後の一段にさしかかったとき──。


 バタン、──。


「ひっ! …………」

 彼女のとぎすまされた耳に、確かに何かが──いや、金属の蓋を持つ物体──目の前が昇降口であることを考慮するなら、おそらくは下駄箱──が閉じる音のようなものが、聞こえた。

 聞こえたのだ。確かに!

「ひっ、ひっく……、ひっ…………」

 希は既に半泣きではなく完全に泣き出していた。

 その目に、更に残酷な光景が映る。

 昇降口の入口にある、外にも内にもついていて、内外どちらからでも見えるようになっている時計の針の位置だ。

 二本しかない針が、アナログ時計の円の、右側にある──。


 カツ、カツ、カツ──。


(な、なに? だ、だれ? こんな時間に、だ、誰よ、だれ…………)

「嫌あっ!!」

 希は駆け出していた。

 職員室のあるA棟へ。

 階段からB棟へは、ドアを開けなければ行けないのだ。

 つまり、希の逃げ道は一つしかなかった。


 タッタッタッタッタッタッタ…………。

      カッカッカッカッカッカッカ…………。


 誰かが追いかけてくる! 

 希は大して速くもない足で必死に逃げる。

 しかし、追跡者はそんな希についてくるのは苦痛でも何でもないようだ。

 足音の響きがどんどんと近く、大きくなる。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!)


 A棟から体育館に繋がるドアが眼前に迫る。

 これを開ければ外に出られる。

 希の足でも、歩いて一〇分ぐらいのところにS警察署がある。

 学校を取り囲むフェンスの中に、ちょうど警察署のある方角に一か所、人が一人通れるくらいの抜け穴があることを、希も知っていた。

 あそこから逃げるんだ。

 逃げ切れる──。


 希には、追跡者が誰であるか考える余裕はなかった。

 『電話をする』という当初の目的を思い出す余裕もなかった。

 更には、警備員とか、あるいはここ数週間に及ぶ「非常事態」を踏まえ、臨時に宿直をやらされている教師である、とかいうような現実的で都合のいい発想は、少しも浮かんでこなかった。

 ただ、こんな深夜に自分がここにいる──ということだけでも大きな後ろめたさがあった。

 それにもまして彼女は恐がりで小心者だった。

 「猟奇事件多発」という潜在意識にしっかりと組み込まれた事実から来る恐怖心も、おそらくは相当なものだった。

 とにもかくにも怖かった。

 ドアのところに辿り着く。足音が迫ってくる。

 急いで開けなければ──。


 …………………………………………。


 開かない!?

 どうして? どうして? 

「どうしてえっ!? ???──」

「うふふふっ」

「ひいっ」

 すぐ後ろから声がした。

 開かないドアを前に、希は振り返るしかなくなっていた。

 彼女はドアの差し込み状の鍵が内側──つまりA棟内側からかかっているという事実に気づかなかった。

 自分で鍵を開ければ──差し込んである長さ数センチの金属の棒を引き抜けば、ドアが開けられる──という程度のことにさえ気づかなかった。

 もはや、完全に冷静さを失っていた。

 冷静でいさえすれば、あるいは。

「……あ、あ、あな、あなたは──」

 希は、目の前に立つ人物の瞳に、魅入られるように意識を失っていった。

 ただ、意識を失う瞬間、再び、冷酷とも言える静かな笑い声を、聞いたような気がした。


     ※


“生徒や教職員はこの二つの事件に予想以上の反応を示したにも関わらず、理事長や校長といった経営者サイドとPTAは、このセンセーショナルな事件をひた隠しに隠そうとした。どうやらすべてが、私の思い通りに進んでいるようだ。”


 「思い通り」、か。

 いよいよ、明日──。


“第三章 転落


〈××∧∧年(今年から数えて一二年前)一〇月二八日〉

 感情が高ぶった勢いのついているときならまだいいのだろうが、冷静に物事を考えられる状況下においては、むしろこちらの方が精神に異常を来してしまいそうだ。

 しかし、やらなければならないのだ。

 同じ殺すのなら、それなりに死すべき理由がある人物の方が、いくらかマシだ。そう思った私は、この学園に入ってからコツコツと、同学年の生徒を中心に素行調査を始めた。”


 私は何日か前に読んだそのページを、改めて読み返していた。


“彼女は、ゴールの前に立ちふさがる「壁」を楽々と越えていった。

 その顔に「今日初めて」、笑みが浮かぶ。


 なんだか気持ちいい──。

 そうか、これがゴールなんだ。すべての罪を越えた、ゴールなんだ。

 ……罪? 

 わたしがいったい、何をしたというの? 

 いや、そんなことは、もうどうでもいいことなのだ。

 これでわたしは助かる──。

 わたしは生きていられる。

 殺されずに済む。

 それでいいのだ、すべて。

 ああ良かった。良かった──。

 わたしは、今まで経験したことのないような浮遊感を得ていた。頭に十分な血液が流れ、実に最高の気分だ。

 この世界すべてが、自分のために存在しているような気がする。そして今、漂うようにこの幸福を感じているこのわたしは、きっと世界一美しい人間に違いない。

 なんだそうか、実はわたし、天使か、女神様だったのかしら?

 ふふっ、きっとそうだ。そうに決まってる。

 わたしは世界で誰よりも美しい。

 そしてこの世界はすべて、わたしのもの。

 世界中のお金も、男も、名誉も、美も、すべてわたしの──。


 ドン、という轟音と同時にグシャッという音がし、彼女は息を引き取った。

 幸せに満ちた彼女の顔だったモノ。

 彼女は嬉々としてガードレールを悠々と飛び越え、そして真っ暗な崖下へと、頭から落下していった。

 彼女の短い人生の中で、「最良の時」と引き替えに。

「私にできるのは、せいぜい『美しく、幸せに』殺してあげること。」”


 私はここで、本を閉じた。

 黒い装丁から、浮き出てくるように鮮やかな白い文字──。

 文字を追うことをしなくても、この次の記述について、私ははっきりと覚えていた。


“(悪く思わないでね。あなたたちがそれほど悪い訳じゃないのよ。できるだけ、美しい姿で殺してあげるから、どうか許して。そう、あの人のように)

  (中略)

 ああ、和司、かずし──。

 あなたに会うまで、私は生き続ける。

 例え悪魔に魂を売るように殺人を繰り返さなければならなくても。

 この『Embrace』という本に書かれたことを満たさなければ、あなたに会えないというのならば──。”


 『殺人を繰り返す』。

 『生きる、意味』。

 私は深層意識の中で、自分の顔が強ばっていくのを、確かに感じていた。

 いよいよ、明日だ──。


【登場人物】

白井(しらい)友香(ゆか):私立H高校3年D組。元々演劇が大好きだったが、病気で大きな声が出せなくなり、役者ではなく脚本を担当していた。古代希が抜擢されたことで、事実上弾き出されるような形で部を辞めることに。郡湊都とはその後、関係が悪化している。



※本作では“  ”(ダブルコーテーション)で括られている箇所が何か所かあります。これは、「作中世界の人物による著作(本など)」の引用部分です。

 改行に乏しいなど一部の文章がとても読みにくかったり、文体が異なる箇所がありますが、ご理解くださいますようお願いいたします。


★本作本話数については、「小説家になろう」様の2018.5.22のシステム修正の影響か、本文の一部のレイアウトが強制的に変更になるという影響が出た模様です。

 具体的には、一部の箇所において、「行あき」の指定(一文字もない行の存在)が無効になり、前の文章との間が詰まる、という現象です(「半角スペース」が行頭に入っていたことが原因と思われます)。

 読みにくい状況になってしまいましたこと、お詫び申し上げます。

 2018.5.25夜~26朝に、作者が気づいた部分については修正をさせていただきました。

 何卒、ご理解のほど、お願い申し上げます。

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