第二章 狂える瞳(四)
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「麗ちゃん、校門まで、ご一緒しましょ」
益美がそう声をかけてきたので、麗はその申し出にOKした。
益美と二人きりとなると、話題は今日の「事件」、つまり三奈の気絶か、もしくは──。
「ミナちゃん──あ、もちろん皆川君の方よ。結局どうなったの?」
どうやら益美は、意識的に三奈の方の話題は避けたようだった。
純一はともかく、女性陣で取り乱したのは麗だけだったから。
「彼は、ダメ。わたしには……」
「ダメ、って……告白、したの?」
益美は、さも意外そうな眼差しで、麗のことを見つめてきた。
二二日の土曜日は休みだったので、学校は文化祭が終わってから今日で四日目。
文化祭前の益美の話では、栄がもしライブがきっかけで多くの女子に目を付けられたとしたら、ラブレターその他を大量とは言わないまでもいくつかくらいはもらっている頃、ということになる。
ちなみに今日を入れて四日間で、今年度のミスH高に選出されてしまった益美がもらった「ラブレター」の数は、一年女子のも入れると一九通にもなった、という。ちなみにそのうちの一二通が二四日、月曜日に貰ったものらしい。
ミスター・ミスH高コンテストの発表は、文化祭最終日だった。そこが栄の場合とは違うところだ。
栄は文化祭の最終日──つまり二一日には、既にいくつかの「告白」を受けていたようだった。
そしてその一つに、麗が出くわしたのも偶然ではない。
彼女もまた、そのために彼のところに歩み寄ろうとしていたのだから。
このことは益美にも一美にも、三奈にも言っていなかった。
既に彼氏のいる三奈。
モテるのに彼氏を作ろうともしない益美と一美。
三人の誰に相談、あるいは報告したって、自分がみじめになるだけじゃないか──。
二一日の後夜祭の時間、麗は長年連れ添ってきた弱気の虫と決別し、自分の想いを告白しようと栄の姿を探していた。
しかし、その気分の盛り上がりは中途半端だった。
断られるに決まっている──麗自身が、自分からそんなふうに、深層意識の中で固く信じていたから。
そんな彼女が彼を見つけたとき、彼は一年生らしい、結構かわいい女の子に促され、校舎の裏側へと、ちょうど向かっていくところだった。
麗はその二人の後を追った。もちろん気になったからだ。
だが、実は彼女には密かな期待があった。
それはこの一年生の女の子が断られたとして、彼女が駄々をこね、それで栄の好きな人を聞き出してくれれば──などという非常に都合のよい三段階にもわたる期待である。
もしここで彼の想い人を知ることができれば、自分がリスクを負ってまで告白する必要がなくなるかもしれない。
傷つかなくてよくなるかもしれない。
それに──それにもしそこで、万が一自分の名前が彼の口から出て来たなら、きっと今以上の勇気を出すことができる──。
麗が陰で見守る中、その女の子は三段階のステップの二つ目までは順調に期待に応えてくれた。
どきどきしながら栄の答え、サードステップを待った。
ものすごく痩せているにもかかわらず、そして少しも寒くなんてないのに、麗の額には汗が浮かんでいた。
『やっぱり、二年生の方ですか?』
我を忘れて大きくなった女の子の声がはっきりと聞こえた。
『そうだよ』、という答えを期待しながらも、彼の口から『永井さん』とか『栄生さん』という名前が出てきたら──という恐怖も、相当なものだった。
しかし、彼の答えは、そんな麗の期待も恐怖も、一緒くたに蹴散らしてしまうものだった。
「告白する前に、彼の好きな人、聞いちゃったから」
「え? だ、誰?」
さすがに益美もその名前に興味があるのか、すぐに反応してきた。
ひょっとしたら自分の名前を想定してたりしてね──という考えが浮かんで、またしてもワンランク、麗は自分のことが嫌いになった。
麗がその名前を告げると、益美は一つため息をついたあと、こう呟いた。
「やんちゃ坊主だもんね、あいつ。甘えん坊っぽいし」
同意するように、麗は小さく頷いた。
「ねえ栄生さん、ちょっと、いい?」
声をかけてきた女子生徒に、一美は心当たりがあった。
ここ最近、益美を演劇部に勧誘していた人物だ。
「あ、ごめんなさい。あたしはA組の古代って言います。よろしくね?」
確か、下の名前は「希」だったはず。
麗とかつて仲がよかった、とも聞いた覚えがある。
「演劇部の人でしたよね? 何か、私に用?」
まさか私を勧誘するつもりじゃ──一美のそんな懸念は、すぐに現実のものとなった。
「演劇やってみる気、ない? あなたのイメージ、ぴったりなのよ。今度のあたしの、オリジナル作品のヒロインに」
一美は、益美もこの人には手を焼いていた、ということ具に思い出してうんざりした。
どうやったら今、目の前から消えてくれるか。
もう放課後。
事件云々といっても、誰かが死んだ、というワケではない。まして、ここは高校である。少なくとも表向きは平常運転で、当然、演劇部も多聞に漏れないようだった。
しかし、一美からすれば今日は災難な一日である。
この古代希に捕まったこともさることながら、三奈の突然の気絶に麗と純一がパニックになってしまい、うろたえたクラスメイトが門松先生を呼びに行ってしまったことで、益美と二人で、彼の「事情聴取」に応じなければならなくなったから。
三奈が倒れた原因の究明と称して、門松は五時限目のC組の自分の授業を潰して何やら色々自分たちに聴きまくってくれた。途中で麗も加えられたが、ある意味最重要人物とも言える純一が保健室で三奈の看病につきっきりになってしまったため、そしてそれを門松が許可してしまったため、もう一つ要領を得ない説明をせざるを得なくなってしまったのだ。
それが一美にはストレスになった。
「どうして私が演劇なんか──もうすぐ一一月よ? 今更言ったって、遅いと思いません?」
一美の抗議も、希は益美に対して言い慣れているのだろう口調で次々と跳ね返してきた。
一美にとって苦痛な時間が続く。
「ぴったりって、言ってたよね? どんな役なの?」
しまいには根負けして、つい訊いてしまった。
「『恋する女子高生』役よ」
(なによそれ──)
「そんなの、私である必要は──」
「あるの。わかるでしょう? 自分の事ですもんね」
「……え?」
「恋は恋でも、教師との禁断の恋」
希の表情は、いたずら心に溢れたような、それでいて俗悪な感じが漂っているような──とにかく一美の心のストレスを爆発させるに十分なものだった。
「はあ? 何が言いたいの? あなた。バッカじゃない? つき合ってらんないわ。二度と私の前に現れないで。
全く失礼な──」
そう言い終わると一美はすぐに、逃げるように希の前から立ち去った。
希は追いかけては来なかった。
益美の苦労が少しわかった気がした。
そのせいか、このとき一美の口元には、微かに笑みが浮かんでいた。
放課後も下校時刻になった。
皆川栄は、それまで読んでいた漫画雑誌を部室内唯一の机の上に放り投げると、帰宅の準備に取りかかった。
桜井が倒れたんだ──。
栄が昼休みの終わりに部室から二年C組の教室に戻ってみると、クラスメイトにそう聞かされた。
一九日に純一が取り乱していた姿を思い出す。
三奈が倒れた「現場」に立ち会っていて、そのあと付き添っていったという彼を除く麗、益美、一美の三人は五時限目が終わる頃には教室に戻ってきたが、彼だけは戻って来なかった。
そんな純一の一途な(?)行為は、その他大勢のクラスメイトの間ではそれほどおおっぴらではなかった彼らの関係を、一躍有名にしてしまうという副作用を生み出していた。
さてと、そろそろ帰るか──。
鞄を背負い部室のドアを開けたとたん、彼の心臓は早鐘のように鳴り出した。
自然と、彼の視線は演劇部室のドアのところに釘付けになる。
「じゃあ古代さん、遅くなり過ぎないようにね。……あと、一時間以内には帰ること。いいわね?」
部屋の中から声がしたようだったが、何を言ったのか栄には聞こえなかった。彼の耳もまた、彼女の一挙手一投足に集中していたから。
彼女は部室の中にいる人物に対してそっと微笑んだあと、栄の方を一瞬振り返ったが、すぐに視線を外してその場を去っていった。
栄にとっては、今日一番のラッキーだった。
郡先輩──。
栄の頭の中は、彼女のことでいっぱいになっていた。
皆川 栄:私立H高校2年C組。麗ら女子4人組と仲が良い男子生徒。バンド部部長でベース担当。ギターも弾ける。見た目も良く、女子の間ではまずまず人気がある。あだ名は「ミナちゃん」。




