序章 黒の少女
何のために生きているの?
あなたはこの問いに、答えることができて?
◆
鳥の囀りが聞こえる。
目覚まし時計の鳴る前の目覚めなど、私には不要だ。ましてそれが休日であれば、なおのこと不快な気分になる。
今日はその休日である。
ゆっくりとベッドから起き上がる。
鳥の囀りに憤りを覚えながらも起き出すことにしたのは、今この私が『私』でいられる時間が希少なものであるからだ。
「ふう……」
一息深く息を吐く。
今、どうして私はここでこうしているのだろう?
私は今、何のためにここにいるのだろう?
ここにいて、何かいいことがあるのだろうか?
いや、そもそも私にとって『いいこと』とはどういうことなのだろう?
ここに今、私がいることに、何かしら意味でもあるのだろうか?
──誰も答えてなどくれない。
階段を下り鏡の前に向かうと、その中には一人の少女がいる。
整った顔立ちは、自分で言うのもなんだが美形そのものだ。
だが、表情がない。
「友人」と呼ばれる存在である女の子たちと一緒に街を歩いているとき、怪しげな芸能スカウトやらナンパ男たちに次々と声をかけられたこともあるが、今のこの「表情」を見たら彼らはどうするだろう?
人形のような顔。
いや、違う。人形には固定されたものであってもまだ表情がある。
人間にあって人形にないのは、『表情の変化』だ。
──目が死んでいる。
いや、それも違う。
私の目は生きている。
あまりにシニカルな陰を帯びて。
その奥底に揺れる負の感情が、私の目を生かしている。
(これが本当の、私──)
顔を洗い、再び部屋に戻るために階段を上る。
せっかくの私の時間。自然の摂理に何ら反しない形で私が得ることができた、『私』の時間──。
服に着替える。
今日は何をしよう。
部屋の中を見渡すと、そこはとても『女の子』のイメージとはそぐわない空間である。
ぬいぐるみもアクセサリーも見当たらない。
機能的な意味で役に立たないようなインテリアの類もない。
ポスターもない。
ブラックのワーキングデスクとチェアー、それに多数の本が詰まった本棚。
学生服がハンガーに掛けられている他は、カジュアルジャケットとジージャンとパーカー、それにジーンズのパンツ以外、洋服関連はすべてクローゼットの中。余計なものが何もないシンプルな空間が広がっているだけだ。
そういえば。
手持ちの未読の本が無くなってしまったのだった。昨夜も夜遅くまで読んでいたから。
“世の中には、俗に「心霊現象」と呼ばれる現象がある。”
その本は普通の本ではなかった。
製本されてはいるが、丁寧な装丁とは言い難い、会議資料のような、比較的安上がりな感じがするものだった。
“「霊」については、様々な伝説が世界各地にある。(中略)それが「思念」という概念の発見につながったのである。”
「心霊現象」自体に興味はない。だが、この本はこの本で意外と興味深かった。やはり書物とは、時を越え、空間を越え、人に情報を伝達できる最高のメディアの一つなのだ。
“「思念」という存在は、強い意志、つまり感情に左右される。それもスタンダードな表現で言えば、「恨み」や「愛情」という感情で。こうしたある特定の感情の増幅が、「思念」というものをそのまま比例して増幅させるのである。そして、この「思念」が一定のレベル以上に強いものになったときに、様々な現象を引き起こす。その事実に、私は研究の末たどり着くことができたのである。
(中略)
カンのいい人なら、ここまでの議論でお解りのことと思うが、問題になるのは、こうした「思念」の持ち主の『死』である。もしこうした死者の「思念」が、『自分が死ぬことを著しく拒否』したらどうなるだろう。”
私は今、どうしてここにいるのか?
これが私にとって、最大の難問だった。
“前述したように、「思念」は感情によって大きさが、もしくは強さが変わる。そして、増幅の最たる原因は『死ぬことの拒否』である。そして、それが強烈な「憎しみ」や「愛情」と結び付いたときに、信じがたい現象が起こるのである。これが「思念」の現出した働きであり、従来の言い方を借りるなら、「心霊現象」を引き起こす基礎となるものなのである。”
死ぬことを著しく拒否するような感情の高まり。
私は今、どうしてここにいるのか?
答えは出ていない。何一つ。
だが、やるべきことは一つ見つかった。
しかし、それを実行するためには、私が『私』であり続けることができなくなってしまうかもしれない。そしてそれは、今日という貴重な『私』の時間も、コストとして費消してしまうことになりかねない。
だからと言って、ここでその『やるべきこと』をしなければ、私が『私』でいられる時間を無駄に過ごさざるを得なくなることも事実である。
多少の痛苦──コストは伴うかもしれないが、やむを得ない。
“(様々な例によって)「思念」は空間をも移動する能力がある、と推測することができるが、これは後の研究の結果を待たれたい。まだまだ私自身研究が足りないことを深く実感するものである。
《了》
国立Y大学教授 宮腰俊一郎”
「思念」か──。
「愛」、そして「憎しみ」──。
着替え終わり、静かに目を瞑ってみた。
そこにはいつも、真っ暗な闇が広がっている。
視線の先から、巨大な蛇や蜥蜴といった爬虫類でも現れそうな、そんな不安定で広大な空間。
だが私は、その闇こそが私の本当の故郷、私がいるべき場所──そう思っている。
闇は──、
黒は、私の、色──。
私は、「くすっ」と鼻で小さく笑った後、食事をするため階下へと下りていった。
誰も知らない、私しか知らない、本当の『私』──。
なんと言うことだ──。
老人は、得体の知れぬ不安感に苛まれていた。
まさか、あの娘が──。
この古本屋に彼女が初めて現れたのは一年半ほど前のことだった。
そのとき彼女は私服だったので、二〇歳前後かな、と思った。しかしある日、彼女が学生服姿で現れたので、彼女が高等学校に通う生徒であることがわかった。
学校名は私立H高等学校。
「自由」をモットーとする県下有数の進学校だ。
彼女は「私立の進学校」というイメージに沿った少女、しかも美少女と言っていい器量の持ち主だった。もちろん、彼女の生活実態についてなど外見を見ただけではわかるはずもないのだが、なんとなくその雰囲気に「文学少女」的なものを感じてしまうのだ。少なくとも昨今言われるような、破廉恥な世界に覆われた「女子高生」のイメージとは大きく違うような気がする。
まあ、それは古本屋という職業の老人の、ノスタルジア的な、単なる願望の産物なのかもしれないが。
老人が『あれ』を見つけたのは、彼女がこの店に現れてから一年後、今から半年も前のことだった。
売場の整理をしていて偶然見つけた、黒い装丁の本。
『Embrace』という白のタイトルの文字だけが、怪しく輝いて見えるような、そんな異様な雰囲気を持った本──。
年老いてはいるが、この古本屋の店主は、自分の商売のことに関する記憶力には自信があった。
この店を開いて二六年、もう来年には八〇の声を聞くことになるが、若き日から夢にまで見ていたこの古本屋稼業、この道にかける情熱は、年のことをかなりの程度忘れさせてくれるだけのものがあった。
それが。
仕入れた記憶が全くなかったので思わず手に取ってしまったのが、この老人にとっては運の尽きだった。
通常の売り物の古本なら、裏表紙を捲ると眼前に現れるはずの、鉛筆書きの値段表示。
彼の予想通り、その本にはそんなものはどこにもなかった。
つまり、彼がその本を自分の手に取ったのはそのときが初めてだったのだ。
店員は店主である自分だけのこの店で、しかも、他の古本屋で同じようにつけられた値段表示をもすべて、一度消しゴムで丁寧に消した後で例え同じ値段であっても、自らが書き入れなければ気が済まない彼の性格が、その事実を証明していた。
彼自身の「記憶」とともに。
だが、これだけならそれほど驚くことでもない。古本屋という職業を長くやっていると、こういうケースは必ずしも起こり得ないものではない。
例えば、不要になった自己所有の本を「ゴミになるのは忍びない」、と「タダでもいいから引き取ってくれ」と申し出てくるケースがある。こうした場合なら、引き取ったその本たちは、一度この老人の目に触れるため、つつがなく処理される。
しかし、中にはそうした不要本を、店主に黙って売場の本棚に挿入していく輩がいるのだ。そうした場合、店主の知らぬところで『売り物』になってしまう。そしてもちろん、その場合、鉛筆による彼自筆の値段表示など、そこにはあるはずがないのだ。
彼は、その『Embrace』なる本を手に取り、その背表紙を捲った瞬間、強烈な眩暈に襲われ立っているのがやっとの状態になった。
そして、その本を、たまらずに床へ落としてしまった。
するとどうだろう。
なんと、一瞬にしてその強烈な眩暈から解放されたのだ。
彼は、その現象を自分の頭で理解することができなかった。
年のせいとは思いたくないし、ましてや本のせいだなんて──。
夢うつつのような心地で床の方へ視線をやると、そこには先ほど自分が落とした黒い本が、あるページが見えるように開かれたままの状態で横たわっていた。本に対して「横たわる」などという擬人語を使うのは抵抗があるが、彼は自身、その表現が一番合うものと、今でも思っている。
おかしい。
不自然だ。
電話帳や辞書クラスの本なら、そうした現象は起こり得ないわけではないかもしれない。表紙がこちらを向いているならこういうこともあるだろう。しかし、その黒い本は普通の『文庫本サイズ』なのだ。取り立てて厚くもない。しかも、その本の背表紙には、ぱっと見でわかるほどの折り目はどこにもついていなかった。
いや、それでも、それだけなら疑問には思わなかったのかもしれない。
問題はもう一つ、開かれていたページだ。
老人は、その光景を思い出そうとして、再び眩暈、次いで吐き気を催した。
身体が震える。
そのページは、間違いなく、『一ページ目』だったのだ。
一ページ目、といっても紙としては二枚目になる。
表紙と一枚目だけ極端にバカになっていたのだろうか?
そんな疑問は、「恐怖」──そう呼んでいいだろう──とともに一瞬でかき消された。
“此の書を手にとり、強烈な眩暈を感じた者に告ぐ。汝は此の書を読むべき者にあらず。すぐに手放したまへ。さもなくば、汝はより一層、命を縮めることとなろう”
そんな「注意書き」のあるページが眼前に存在し、しかもその注意の内容と同じように、強烈な眩暈が彼を襲った。
信じられない。
しかし──。
年をとると、「死」というものが現実味を帯びてくる。すると、「死」というものに怯え、生というものに執着するようになる。
何かと信心深くなるのだ。
この老店主も例外ではなかった。かつては太平洋戦争で地獄を見たこともある。根っからの軍人体質であったので、「死」は「尊いもの」と本気で思っていて、爆発による夥しい数の死者や負傷者が周りにいても、大きく怯んだりはしなかったというのに。
「怖かった、怖かったんじゃ……」
彼はそう独り言を呟きながら、店の中の、あの黒い本が置かれていた棚の前に立ちすくんでいた。
あの日、あの本を本棚に戻そうと拾い上げたときはなぜか、何ら眩暈を感じなかった。
そして本棚に戻して以来今日この日、あの本が売れてしまうまで、ずっとこの場所に、あの本はあったのだ。
再び眩暈を生じた。吐き気もする。
もうあの本のことは考えまい。
値段表示のないあの本の裏表紙を、あの娘は何気なく捲って見せて、「これ、値段が書いてないんですけど」と訊いてきた。
老人にとっては、あの美しい少女が、悪魔の使いのように見えた。
「一五〇円……」
文庫本サイズの本で値段不詳な物については、いつもこの値段で売ることにしていた。
誰かが、何者かがこの店にそっと持ち込んだはずのその黒い本。
本当はタダででもいいから誰かに引き取ってもらいたかったのだが、なぜか、いつも通り行動しなければならない──そんな強迫観念に駆られた。
そしてもう一つ、奇妙なことに、「そんなことをしたらあの黒い本に失礼じゃないか」という感情の高まりが、確かに彼の心にはあったのだった。
著者に対してではなく、『本』に対して畏敬の念を抱くなんて。
またしても、老人は気分が悪くなった。
もう、あの本のことは忘れよう──そう心に誓った。
ただ──。
「何か良くないことが、起こらなければよいがな」
彼は、あの本を手にして全く平然としていた美しい少女のことに思いを馳せた。
彼女はあの本を『読むべき者』なのだろうか──。
※本作は、一行37字で構成することを念頭にレイアウトしています。環境によっては、一部の頁で、綺麗に表示できないことがありますが、予めご了承ください。
※この話数については、スマホでお読みいただく場合、画面を横にしていただけると綺麗に表示できると思います。よろしくお願い申し上げます。
※本作では“ ”(ダブルコーテーション)で括られている箇所が何か所かあります。これは、「作中世界の人物による著作(本など)」の引用部分です。
改行に乏しいなど一部の文章がとても読みにくかったり、文体が異なる箇所がありますが、ご理解くださいますようお願いいたします。
★本作のいくつかの話数において、「小説家になろう」様の2018.5.22のシステム修正の影響か、本文の一部のレイアウトが強制的に変更になるという影響が出た模様です。
具体的には、一部の箇所において、「行あき」の指定(一文字もない行の存在)が無効になり、前の文章との間が詰まる、という現象です(「半角スペース」が行頭に入っていたことが原因と思われます)。
読みにくい状況になってしまいましたこと、お詫び申し上げます。
2018.5.25夜~26朝に、作者が気づいた部分については修正をさせていただきました。
何卒、ご理解のほど、お願い申し上げます。