Touch Me
自動人形とは12世紀から19世紀にかけて主にヨーロッパで作られた動く人形である。オートマタの語源はギリシャ語で「己の意思で動く者」といった意味だ。宗教的に神への挑戦ないしは冒涜ととられることが多々あった様子。
※反宗教的な思想が含まれています。気分を害されたならば申し訳ありません。
心を持った自動人形。それはどうやって創るのだろうか?
人形師のヴィレは幼い頃からずっと考えていた。
寝る間も惜しみ人形に打ち込む。彼の作る人形は、動きが精巧でまるで人間の様だと、次第に貴族の間で人気を博した。ゼンマイ仕掛け、機械仕掛けの人の形。
だが違うのだ。彼が作りたかったのは"人形"ではなく"人"だった。
人の形を、人に昇華させたい、そんな禁忌とも呼ぶべき願い。
有り余る金でかき集めた心、魂に関する文献、曰く付きの収集物などを代わる代わる試しては、無為に終わるその結果に辟易した。
「ヴィレ殿、明日の晩、儂の邸宅で晩餐会を開くのだが、貴殿も如何か?」
成人したヴィレは、彼の作品を贔屓にしてくれている貴族の晩餐会に呼ばれた。
会は恙無く終わり、彼は屋敷の帰路へと。
送迎の馬車の中、急激に気分が悪くなる。
走る悪寒。
目まぐるしく回る景色。
収まらない動悸。
遠くなる耳が捉えるのは、鈍い己の鼓動の音。
ついに彼は馬車内の床を舐める。
彼に対する金の巡りをよく思わない豪商が盛った毒により、ヴィレは意識不明の危篤に陥ったのだ。
*
・・・夢か?薄ぼんやりとした意識の中、思考だけが底の無い海を漂っていく様な。
不意に、目の前に人の形が浮かんだ。綺麗だ、と漫然と思う。
「ねぇ、貴方はもう死ぬの?」
透き通り、白みがかった、白髪の、白い肌の少女は、薄らかな笑みを、淡い唇に乗せ、言の葉を僕の耳まで運ぶ。見開いたその目の瞳は深紅で縁取られていた。
「誰?」
その少女に意識を向け、言葉を飛ばした。
口は動いていないように感じる。なのに、言葉は伝わった。
空気を震わすでなく、意識を震わす。
「幽霊だよ。名前は忘れてしまったの。」
「幽霊?君は神の御許へ召されなかったのか?」
魂に関する文献で読んだことがある。生前、強い後悔や心残りが現世にあると、神の身許へ行くこと能わず、その地に留まることがあると。それが幽霊。遠い異国の宗教の教えだ。
「神なんて、いなかったよ。」
そういって彼女は目を伏せる。
長い睫毛が微かに震えた。
「そうか。僕も別に信じてはいなかった。」
『宗教』という概念があり、その教えごとに神がいるなどと、馬鹿馬鹿しい。神なぞ空想上の産物だ。死んでから会えるという存在に、どうして現世の我らが干渉でき、認知しているのか。
「へぇ、変わってるんだね。私はたぶん生前は信じてたよ。」
「たぶん?」
「記憶が曖昧なの。」
「そうかい。」
「興味なさげだね?」
「人形さえ作れれば、後は別にどうでもいいかな。」
少女はふわりと笑った。
「そう、いい趣味だね。」
「どうも、生まれて初めて言われた。」
神への冒涜だ、などと口喧しく周囲から言われた自分の趣味を、初めて認められた気がして、僕は少し得意になった。次いで、もじもじと体の前で両手をこすり合わせて、彼女が言う。
「・・・ねぇ、死後のお願いがあるの、聞いてくれない?」
「・・・内容によるよ。」
嫌だと言わなかったのは気分が良かったからだ。
「そう、まあ、言うだけ言うよ。」
「・・・私に触って?」
そう言って、彼女は薄みがかった両の手を僕に向けた。--抱きしめてよ。そう言わんばかりに。
「体がないのに、触れるわけがないだろう?」
僕がそう言うと、彼女は悲しげな顔を浮かべた。口元は笑っているのに、どうして目を伏せるのか。
「・・・それもそうだね、忘れて。」
「死んだ後にも覚えていそうだよ。」
もっとも、僕がまだ生きているのかいささか疑問ではあるが。そして、死んだのなら僕も必ず幽霊となるだろう。なぜなら、人を創りたいという僕の人生における最大の欲求を満たせていないから。
「僕もお願いがある。」
「・・・内容によるね。」
ついぞ分からなかったもの。千差万別、難解不読でどこにあるのかさえ分からない。だがその存在は、どんな書物にも、誰に聞いても確認が取れる当たり前。
「・・・心を知りたい。」
僕がそう言うと、彼女は難しい顔をして首を傾げた。
「なにそれ?君は人形なの?」
言い得て妙だなと思う。人形を作るにつれ、心や魂について知るにつれ、感情が冷めていく感じがするんだ。恋をするのは優れた者と結ばれんとする生物の本能。悲しみや喜びは負傷の度合いが分からない心の為のパラメータ。
「人間だよ。」
僕は苦笑を浮かべて答えた。
ぼわっと、彼女の体の輪郭がぼやけた。同時に頭と体が千切れんばかりの痛みを訴えてくる。意識が地底から空へ引き上げられる感覚。
「あ、ヴィレ、君死んでないみたいだよ。よかったね。」
「体の至る所が痛い・・・。死にそうだ。」
彼女が僕の名前を呼ぶ。言葉とは裏腹。別れを惜しむ乙女の心。
生きるということは痛いということ。でも、君は死んでいるのに痛そうだ。そう、心が。
「じゃあね、君が死んだら、私のお願い、叶えに来てね?」
だから、体がないのにどうするんだと。
少女は煙のように揺蕩って、意識の海に溶け込むように、消える。
--なんともまあ、不思議な体験だった。
「ああ、僕が死んだら、僕のお願い、叶えさせに行くよ。」
痛みに耐えながら苦笑して、彼女が消えた虚空に向かい、僕はそんなことを言っていた。
*
ヴィレが目覚めた場所は、教会の寝台の上だった。上体を起こして周囲を見ると、膝をついて祈る彼の両親が涙をこぼしている。
ヴィレは声を発しようとしたが、出なかった。仕様がないので両手で肩をたたき気づかせる。彼らは声を上げているようだが、ヴィレには聞こえなかった。
後遺症で、彼は聴力と言語を失った。
ヴィレは工房から機材を引き上げ、隠居暮らしをすることになる。息子を危険に晒したくない親心だった。
*
無心で人形を作り上げる。こと人形制作の折に至っては、余計な音が聞こえないことは僥倖であった。
音が聞こえない世界では、目の前のことに集中せざる負えない。世界は途端に静かになった。
作り上げる人形は、あの不思議な出会いの想起。
白い美貌を持つ少女。
あの日以来、僕は書物をすべて焼き払った。心、魂。それは理解の埒外にあるのだと、あの少女に教えられた。
形ないものが、意識を持ち、揺蕩う。それが幽霊。全く、笑えてくる。そんなものをどうやって理解しろというのか。そして、幽霊ですら持っている心とかいう代物は、さらに高みに位置する概念なんだ。
だが僕はどうしても、夢を諦めきれずにいる。いや、違うか。
夢が少しばかり変わったのだ。
僕は、ある一人の人を創り上げたい。
(--必ず、君の夢を叶えてやる。)
僕にできるのは、人形を作ることだけ。
でも、幽霊は何かに取り付くことができるだろう?
*
隠居暮らしの邸宅で、独り言をつぶやく青年が一人。彼は何かが見えるように空中を見上げ、言葉を紡ぐ。
「これが、ヴィレの人形・・・?」
「うん。そうだ。塗装がまだだけど。」
「すごいね・・・。でも女の子の人形なんだ?変態さん?」
「言ってろ。」
僕の口は、言葉を発することはできない。
僕の耳は、音を拾うことができない。
--幽霊の女の子、君を除いて。
僕の口は、君と話す為だけについている。
僕の耳は、君の声を拾うためだけについている。
「君さぁ、喋れないし聞こえないんでしょ?生きてて楽しいの?」
「楽しいよ。僕は人形が作れればそれでいいんだ。」
死んでいるが故の価値観なのか、生きてて楽しいかと問われた。・・・是非もなしだ。
「そうなんだ。」
「そうだ。」
「悲しいね?」
「そう?」
話し相手もいるのだし、悲しいことなんてない。でも彼女は泣きそうに顔を歪める。
「ねぇヴィレ、私が見える?」
「幽霊なんて死ぬまで見たくはないけど、見えるよ。」
そういうと、彼女はおずおずと顔を染めながら切り出した。
「・・・ねぇ、私に触ってよ。試してみて?」
『君が死んだら、私のお願い、叶えに来てね?』彼女は確かにそう言った。僕はまだ死んでいないが・・・。
「・・・約束を違えるけど、やってみよう。」
僕は虚空に手を伸ばす。
彼女はその薄氷のような指先をそっと伸ばされた手に重ねた。
「ダメ、何も感じない。」
「僕もだ。何も感じない。」
当然だろう。幽霊と触れ合えるのなら、人々は神に救いなぞ求めない。誰でも幽霊と触れ合えたのなら、死後に何の不安があろうか。
「やっぱり死後によろしくね。」
淡い笑顔で彼女が笑う。
・・・死ぬまで待ってやる義理はないね。
だがここで僕の考えを明かすのはいささか興に欠けるというものだ。
「・・・早く死んでよ。」
「ひどい言い草だ。」
・・・このままでは殺されかねないか。仕様がないな!
「・・・心を持った人形が創れたら、死んでもいいよ。」
「ああそれで、"心を知りたい"なんだ?」
「見込みは、あるんだ。」
「そう。早く完成させてね?」
「・・・完成したら、きっとすぐには死ねなくなる。」
「・・・そう。いいよ、待ってるから。」
悲しそうな顔をした後、彼女は笑いなおした。
やっぱり僕は思うんだ、君に悲しい顔は似合わないって。
*
塗装に入る。思い起こすは白い幽霊の少女。
僕はたぶん、人生で一番心と呼ばれるものを込めた。
心を削り取り、人形に分け与えるような。
これは器なのだ。
心に体という器があるから、人間は動く。
ならば。
幽霊に人形の体があっても、人間に!!
*
完成した人形、名を『フェリチタリカ』、名が冠するその意味は『幸福』。
僕は幽霊の少女の生前など知らない。でも、生まれなおした君をきっと幸福にしてみせると、そんな願いを込めた。
「できたよ。」
「奇麗な人だね?」
部屋に取り付けてある鏡を見る。僕の姿だけが映されていた。
「そうか、君は鏡に映らないのか。」
「うん?どういうこと?」
「・・・君が綺麗だということだよ。」
「ふぇ!?何の話!?」
彼女はその白い顔を赤く染めて、狼狽えた。
可愛いと、素直に思う。理性では幽霊に抱く感情ではないと理性が言う。だが、僕の心は違うと叫ぶんだ。
「・・・心を、持ってるの?この人形。」
照れ隠しのように彼女が問うてきた。
「持っていないよ。でも、今から持たせる。・・・君の願い、死後じゃなくてさ、今叶えたいんだけど、いいかな?」
「・・・えっ?」
彼女は 間の抜けた顔をして、視線を人形から僕に向けた。
「この人形の容姿は、君そのものだ。君は名前がないみたいだから、僕が名付けた。人形の名前は、『フェリチタリカ』。君に幸福になってほしくて、そう名付けたんだ。」
「あの・・・え?」
「僕が君に体をあげる。だから君は僕の人形に心をくれ。」
「そうすれば、君と僕の願い、両方が叶うと思ったんだ。」
「・・・!!やってみる!!」
彼女が人形に近づき、消えた。久方ぶりに僕の視界から彼女がいなくなる。
自動人形が自動と呼ばれる所以、彼女はひとりでに動き出す。その様子を僕は呆然と見ていた。
フェリチタリカは己に着せられた給仕服の帯を締めなおし、僕に食事を運んできた。その動きにぎこちなさはない。
ナイフとフォークを机に置き、僕に向かって一礼し、そばに控える。その顔は、笑っていた。笑顔のまま、彼女は喋りだす。目に涙を浮かべながら。
「・・・勝手に、体が動くよ?私、あなたの給仕係なの?」
「それは予め決めてあった動きだからだよ。手、動かせる?」
「・・・あっ。」
フェリチタリカはゆっくりと自身の手を持ち上げ、僕の前に。
僕は出されたその手を握り締めた。
今度は、その手は互いに触れ合う。
涙が一筋、フェリチタリカの頬を伝って落ちた。
「ぐすっ・・・。分かるよ。君の手の感触。」
「そうか・・・。良かった。」
「ちょっとさ、向こう向いててよ。」
「・・・分かったよ。」
フェリチタリカは、しばらく鼻をすすり続けた。
*
泣きはらした目を僕に向け、フェリチタリカが口を開く。
口元には微笑。
目元は伏せて。
「・・・ありがとう。もう、いいよ。」
「うん?」
「私は、もう、満足だよ・・・。十分だよぅ・・・!!本当に、ありがとう・・・!!」
--ふぅっと、彼女が人形から浮き上がる。
(--待て。待ってくれ!!僕は、君に!!)
「逝くなよ!!フェリチタリカ!!」
抜けかけた彼女の魂ごと、僕はフェリチタリカを抱きしめる。
ありったけの、彼女に僕と居てほしいという心を込めて。
自分でも訳のわからない熱い感情が、こみ上げて、目の端から零れ落ちた。
「逝くなよ・・・。何のために僕はこれを作ったと思ってるんだ・・・!?」
「君の願いを叶えたかったからもある。僕の願いを叶えたかったからでもある。」
「でもさ、一番は君を幸せにしたかったんだよ!」
「体がないくせに、触れたいとか言うなよ!幽霊のくせに、生きてる僕の周りで喧しくするなよ!」
「そんなの、ほっとけるわけがないだろう!?」
「なんだよ・・・願いが叶ったら、ありがとうさようならか!?」
「僕なんてどうでもいいってか!?」
「ふざけるなよ!!」
「僕はもう、君が好きなんだよ!!」
「いなくなってしまったら、生きていられないほどに!!」
「一緒に居てくれよ!!」
「そんな、悲しい顔、やめろよ・・・。僕は、君を笑わせたかったんだよ、心から!!」
フェリチタリカは、その白い美貌をぐしゃぐしゃに歪めて、
「うぅ・・・。うわぁぁぁあああん・・・!!」
僕を強く抱きしめ返して、ボロボロと泣いた。
*
--少女は、生まれ落ちたときから白かった。
神子だ、忌子だと本人の預かり知らぬところで囃され、騒がれ。神の子だと主張する一派に守られ、祭壇のある部屋に軟禁された。
神の声なんて聞こえないのに、人々から拝まれ、感謝される。だから、彼女も神に祈ることにした。
「どうか神様、私を普通にしてください。」
「普通の子供みたいに、お母さんやお父さんに接してほしいの。」
「みんなで一緒に遊びたいの。」
「・・・誰かに、触れてほしいの。」
「神様、お願い。」
アルビノ。それは体の色素に関わる遺伝情報の欠損。
人間のアルビノはメラニンの欠乏により毛と肌は白く、瞳は毛細血管が浮き出て紅く染まる。
ただそれだけ。
特別な力なぞ、ない。
当然少女にも、そんな力はない。
そのうち、神を信仰するものとそうでないものとで、戦争が始まった。
少女は敵から魔女と呼ばれ、見つけ次第殺せと命令が下った。
守衛が血を流し倒れ伏した。
祭壇への扉が開く。
『魔女だ!!殺せ!!』
死が剣を掲げ、なだれ込んでくる。
少女は悟った、ああ、ここで自分は終わりなのだと。
「私の人生って、なんだったのかな・・・。」
「私は神子じゃないよ・・・。」
「魔女じゃないよ・・・。」
「何もできないよ・・・。」
「私は、もっと普通に、誰かに触れられて。ただそれだけでよかったのに。」
「こんなの、ひどいよ・・・。」
「誰か、助けてよ・・・。」
剣が彼女の胸を貫く。
落ちた涙が、血で染め上げられた剣先を、わずかに滲ませた。
*
「どうして、触れてほしかったの?」
「・・・触れられたことが、なかったからだよ。」
そうか。
「それは、悲しいね。」
「君にはわからないよ。」
「そうだね、全然わからないよ。」
「だよね。・・・」
それに、どうでもいい。そんな昔の、触れられなかったくだらない悲譚なんて。
「どうでもいいさ。今は僕が触れるんだから。」
「・・・今の、もっかい言ってよ。」
フェリチタリカが頬に朱を差して、言う。恥ずかしいから、もう言わないぞ。
「しばらく過ごして、気が向けば。」
「ケチだね!」
怒ったのかプイッとそっぽを向いてしまった。
可愛いな。
そんなんだから、ついついからかいたくなるんだ。
「したいことが見つかったよ。」
「何さ?」
ジトっとした流し目をこちらに送るフェリチタリカ。
「フェリチタリカと結婚したい。」
「・・・叩くよ?」
顔を真っ赤にして、手を動かす。
「照れるなよ。」
「照れてないよっ!」
「顔赤いよ?」
「君のせいだよ・・・。」
そうだ。
彼女のことをフェリチタリカと呼んでいるけど、それでいいのだろうか?
生前の名前は忘れたと言っていたが。
「名前。」
「うん?」
「君の生前の名前、思い出せた?」
「・・・。」
彼女は頷きかけて、首を振って、返答した。
「私はフェリチタリカ、君の人形だよ。」
なぜかとても嬉しくなる。それが僕の『ずっと一緒に居てくれ』という言葉に対する、これ以上ない返事な気がして。でも、一つだけ訂正したい。
僕が創ったのは人形じゃないんだ。
「僕は、人形が作りたかったわけじゃない、人を創りたかったんだ。心を持った人形は、人だ。だから君は、人間なんだよ?」
「・・・私、人でいいの?」
「君が前世で触れられたことがないとか、そんなのは知らないよ。」
「君は今、ここに生まれたんだ。僕が創った人間だ。」
「だから、お誕生日おめでとう、フェリチタリカ。」
僕がそう言うと、彼女はまた泣き出した。
「・・・ヴィレは、ひどいね、生まれたばかりの子を何度も泣かすんだ。」
「生まれたばかりの子供が泣くのは当然でしょ?」
彼女の軽口に、僕もおどけて返した。涙をぬぐいもせずに、彼女は僕を真っすぐ見つめて、伝える。
「・・・私、分かったよ。」
「うん?」
「今、ヴィレは私に触れてるんだね。」
「確かにずっと抱きしめてるよ?」
「ふふ、違うよ、なんで君に分からないんだ。散々追い求めてきたものでしょ?」
「君の心が、私の心に触れてるってことだよ。」
その時僕が見たのは、彼女の本当の意味での、初めての笑顔だった。
*
100年に一人の天才人形師と言われたヴィレは、独り身でその生涯を閉じた。ただ、傍らには『幸福』の名を冠した自動人形が常に置かれていた。彼がその生涯を終えると同時に、『幸福』も事切れたように動きを止めた。謎に包まれた彼の生涯だが、特別奇妙なことがある。彼を埋葬している墓地の墓石には、二人分の名前があるのだ。彼に添い、眠る名前は『フェリチタリカ』。
『幸福』と共に人生を過ごせたことが、彼の幸福であったのかもしれない。
生きてる人間が、何かに満足してもまた次のことを始めるように、幽霊だって願いが叶った後も新しい願いを持ち続けて、長い間の幸せを噛み締めてもいいんじゃないでしょうか。