影武者
私はこの夏から東京の高校へと転校することになった。2年生の夏ということもあり、大して別れを惜しまれる事もなく山梨の学校を後にした。私はこの微妙なタイミングでの転校の理由となった父親を恨んだ。父親の転勤を決定した会社も恨んだ。ただ、父親が何か悪い事をしたために転勤するわけでは無いので、どこにもこの恨みをぶつける事ができないのである。
「今日から皆さんのクラスメイトになります。」
担任からの紹介が終わると私の新しいクラスメイトが笑顔と拍手で迎い入れてくれた。私には何か秀でたものは無いため、歓迎されるということはとても新鮮なことであった。クラス内である程度のグループ形成がされたであろうこのタイミングでも、このクラスならなんとかやっていけそうな気がした。
初めこそ何も起こらなかった。転校生というステータスのおかげでクラスメイトもよく話しかけてくれた。毎日が楽しかった。父親にも心の中で感謝した。
転校して一週間ほど経った頃、校門近くの花壇が荒らされていた。校門近くの、と言っても学校関係者でなくても通ることのできる一般道に面しているものであった。これは年に一度ほど、学校周辺に住んでいる小学生の悪戯で起こるようであった。しかし、これだけでは終わらず、今度は体育館のボール全ての空気が抜かれていた。職員室の窓が二枚割られていた。どちらもこの学校では初の事例であった。そのため、生徒、教職員共に混乱していた。
そして生徒の間でこんな噂が立ち始めた。
「これは、転校生がやったに違いない。でなければ、いままで起こらなかった事が立て続けに起こるはずがない。」
始めはそんなこと誰も信じなかった。しかし、噂が広まり始めた後も何かによるイタズラはエスカレートしていった。そうなると、誰もがその噂を信じるしかなかった。同じ学校で1年過ごしている絆はたった数週間の絆よりも固いものであった。
『悪』が誰なのか決まれば『正義』が動き出すものである。まず、転校生の私物が文房具、教科書、上履き…と、無くなっていった。次に上履きに画鋲を入れた。石を投げた。このような事が起こった後であるが故、教職員も見て見ぬふりをしていた。
そして転校生は登校しなくなった。理由は誰もが明確であっただろう。不登校であるだけなら良かったであろう。転校生は自殺してしまった。あれだけのことをした後での自殺であり転校生の葬式で、生徒は誰一人も涙を流さず、悲しみさえなかった。それどころか、「自分達の手で『悪』を倒した」という達成感で溢れていた。
そう、彼らは『悪』を倒した事によって平和を取り戻したのだ。
しかし、これだけは忘れてはいけない。後日、花壇荒らしを謝りに来た小学生がいたことを。警察から学校の窓を割ったと供述する者がいるという連絡を受けたことを。水道管修理に来た水道局の「ここのあたりが緩んでいましたね。長く使っていればよくあることです。」という言葉を。
そして、一度他人をいじめることを覚えた人間が普通の生活に戻ることができるはずがないことを…。