~春の守り人~
あたりはもう夜になっていて、うっとうしいくらいに降っていた雪はいつの間にかやんでいました。
あたりの暗さで口からはく息の白さがやけに目につきますが、若い騎士の目には、それよりも清々しく晴れわたった夜空がうつっています。すこし顔を上げれば、雪におおわれたにれの並木のむこうに、たくさんのきら星がまたたいています。
馬の鞍にまたがった若い騎士は、だれもいない林のあいだを進みながら夜空をながめていました。
夜の冷気が騎士のほほをたたいて、うしろへ流れていきます。時折、風がびゅうと吹いて騎士の毛皮の上衣をなでましたけれど、騎士はそういったものには気も留めず、あごを反らして満天に見とれていました。この国で、ほんとうに何日かぶりにすがたを見せた、いっぱいの星空でした。
騎士の見つめる空のうえでは、大熊が寒そうにまるまって天頂へおなかを向けていました。
* * * * *
夜も更けてきたころでした。
林がふかい森へとすがたを変えたあたりで、若い騎士は、まえにゆらめく火を見つけました。
それも一つや二つではありません。十をこえるかがり火が、暗い森のなかをゆらゆらと、左右に上下に動きながらこちらに向かってきます。若い騎士は、まゆをひそめながらも馬の手綱をあやつって、すこし離れた木の幹にからだを隠しました。
かがり火の群れはゆっくり近づいてきて、次第に何十人もの男たちの影が見えてきました。
毛皮に身をつつんだ彼らは、幾人かが松明を手にもって、暗くふかい森をあかあかと照らしながらこちらへと歩を進めます。遠くからでも、それははっきりと見てとれました。
身を隠した騎士はすぐに、彼らはなにをしているのだろう、と疑問におもいました。
こんな夜更けにこんな人数で、いのしし狩りというわけでもないでしょう。それにしては、彼らは武器らしい武器をなにももっていないようでした。
しばらくようすを見守っていると、男たちの真ん中に、二頭の馬が歩いているのが見えました。はじめは林のかげに隠れて、だれが乗っているのかは見えませんでしたが、それがもう少し近づいてくると、二頭の馬のうえにはそれぞれ秋の女王と夏の女王が乗っていることがわかりました。
「あの金色の髪は……夏の女王様? それに、お隣におられるのは……、秋の女王様か」
松明に照らされて見え隠れする表情をよくよく見ると、秋の女王はこのあいだと変わらず、しらっとした顔でしたが、夏の女王はどこか、うかない顔をしていました。
ふたりの女王は馬の手綱をひき、しずかに騎士の来たほうへ向かいます。
「この先にはあの石塔しかないはず。まさか、冬の女王様を無理にでも塔から出させて常冬を終わらせるおつもりか? いや、しかし春の女王様がいないことには、それも始まらぬはず……」
騎士がいよいよ首をかしげたときでした。人の群れのなかに、男でも馬上の女王でもないひとつの影が、ちらりと目にはいりました。
「あれは………」
その華奢な影は、たしか葉を落とした桜の木の洞に身をひそめていたはずでした。
春の女王は後ろ手をしばられていて、うしろを歩く男がなわのさきをしっかりとにぎっていました。
うえから麻布の防寒具をかぶせられているようでしたが、とても温かそうには見えません。
遠目からではよくわかりませんが、春の女王は先日騎士が会ったときよりも元気がないようで、頭は力なく、したを向いていました。もしかすると、どこか痛むのかもしれません。
そして、かんがえて、
「……いけない!」
若い騎士は、さけぶが早いか馬の鞍に飛び乗って、木々のあいだを駆けました。
ひづめが土を蹴る音がしずかな夜の森にひびきます。
男たちがそれに気づき、辺りに首をめぐらせ始めたところで、騎士は男たちのまえにおどり出ました。
「春の女王をお離しなさい!」
馬上から発せられた大声に、男たちはおののきました。
口にくつわをかまされた春の女王は、おどろいて目を見開きました。
男たちの何人かは、まえに飛び出してきた騎士のことを知っているようでしたが、だれも、進んでなにか言おうとはしません。代わりに、うしろのほうから声がかかりました。
「土用の騎士と申したか。ここでなにをしている?」
すずしい声で話しかけたのは、馬に乗った女王のうち、黒髪のほうでした。
「秋の女王様、お久しぶりです。私は今しがた、件の石塔を去り、王様へご報告にあがろうとしていたところです」
「まったく、国外の身で何度も塔に行くだなんて」
秋の女王はあきれたようにつぶやいてから、
「それで、いったいなんの報告です?」
「〝この常冬を終わらせる手立てを見つけた〟──という報告です」
秋の女王と、夏の女王と、男たちと、そして捕らえられた春の女王が、いっせいに息をのみました。
「ほんとうか?」
たずねたのは、夏の女王でした。騎士はうなずいて、
「はい。冬の女王様にお頼みして、塔の天辺におわす神様にお言葉をいただきました」
「………。して、なんと?」
秋の女王の冷たい問いに、騎士は力強く答えます。
「いわく、〝ただちに春の芽吹きを。春は長く、二十と二週。少しばかり梅雨が長く、五週。その間に作物と木々をたくわえよ。雨が少なくとも、足早に夏を来させてはならぬ。夏は短く四週、秋はやや長く、のちの冬はさらに短くせよ。さすればわずかながら、厄災をしりぞける一助にはなろう〟──と」
「……………」
男たちが、顔を見合わせました。
おどろきのあとに、ざわざわが少しずつ広がっていきます。頃合いを見て、騎士はもう一度声をあげました。
「私はこれから王様のところへ行き、事のはこびをご報告申し上げてから春の女王様をお迎えにあがろうと思っておりました。ですが、あなたがたが春の女王様をお連れしたというのなら話は別です。
申し訳ありませんが、王様へは事後の報告といたしましょう。さあ、春の女王様をお離しください」
男たちが示し合わせたように押しだまりました。森にしんとした空気がもどりましたが、それもすぐに秋の女王がやぶりました。
「すばらしい解決策を見つけていただき、感謝いたします。騎士様」
変わらず平坦な声で、若い騎士との会話をつづけます。
「それでは我々が。このまま春の女王を塔までともなって、すぐにでもノルインと〝入れ替わり〟をさせましょう。それがこの国にとって、もっとも優先すべきことのはず」
「いいえ、なりません。秋の女王様。お忘れですか」
秋の女王の言葉をうけて、しかし騎士はそれをきっぱりと切り捨てました。秋の女王のまゆねが、ぴくりと小さくうごきました。
「私が。なにを忘れたというの?」
「〝入れ替わり〟の掟を」
こぉ、と音が鳴って、騎士のほほを粉雪がたたきました。
つかの間顔を見せた満天の星も、西のほうからねずみ色の重たそうな雲におおい隠されていくようです。葉をのこした森の木々が、ざわっとゆれました。
「言っている意味がわからないわ」
秋の女王は三白眼で騎士を見すえて言いました。騎士はゆっくりとした口調で、こたえます。
「〝入れ替わり〟は、〝入れ替わり〟にかかわる当事の二人の女王様以外のものが手を出すのはご法度だと。そう王様にうかがいました」
「…………」
騎士の言葉に、秋の女王は苦虫を噛みつぶしたような顔になりました。すっかり失念していた、とうらめしそうな声でも聞こえてきそうな表情でした。
その隣で夏の女王も、はっとした顔をつくりました。騎士はつづけて、
「もし〝入れ替わり〟が潤滑におこなわれなければ、この国に災厄がおとずれると、冬の女王様もおっしゃっておりました。
それに、春の女王様は本来塔に入られる時季から二、三月ものあいだ、ひとりで身を隠しておいででした。それを一日の猶予もなく、すぐさま石塔に二十二週も篭もらせるのは、あまりにも大難ではありませんか」
「……四季の女王には、それだけの責任が必要なのです。国のためをおもって身を隠したのなら、今度は国のために、すぐにでも塔へ篭もらなければなりません」
しばし押しだまってから、秋の女王はそう言って馬上から春の女王を見ました。
言葉を出せない春の女王はいまにもひざからくずれ落ちそうなほど弱っていましたが、それでも力強いまなざしで、秋の女王をにらみ返していました。
「さあ、そこをお退きなさい。私たちは彼女を、一刻もはやく四季の塔へ送り届けねばならないのです」
「……秋の女王様。どうか考えをお直しください。塔の天辺におわす廻りの神様は、決してこの国を救ってくださったわけではないのです」
「?」
秋の女王が、けげんな顔をしました。
「なにを言っているのです」
「神様は、自然の恵みも、怒りも、ひとしく受け入れるべきだと。そうおっしゃって、解決の手立てを講じてはくださいませんでした。それでも、ああして救いの道を示してくださったのは、ひとえに女王様がたをお救いするためです。
ご自身の死を看取り、ご自身があたえた命によって苦しむ村娘の胤裔たるあなたがたをこそ、神様は助けてくださったのです。私はその寛大なお心に報いるために、あなたがたにこのまま春の女王様を連れていかせることはできません」
騎士が言い終わるやいなや、ピイッと高い笛の音が鳴って、先頭にいた男たちが声をあげて騎士へとおそいかかってきました。
「なっ………」
「あなたのお話はよくわかりました。けれど私たちも、止まるわけにはいきません。この常冬で生業をうしなった彼らにも、家族をまもるための決心があるのです」
どんぐりのような小さな笛を口からはなした秋の女王は、声をはって言いました。
「さあ、ゆきましょう。私たちが春の女王を塔に入れさえすれば、あなたと、あなたの家族の明日はまもられます! この国のために、そして家族のために、国外の騎士とたたかうのです!」
若い騎士は秋の女王の言葉を聞きながら、向かってくる男たちを見すえて、しかし腰に帯びた剣を抜くことはしませんでした。
騎士は手綱をうまい具合にあやつって、高くあがった馬の脚と鳴き声とで、男たちを牽制します。
「とどまれ! ここで争うことが、ほんとうに国のためになると思うものだけ、かかってきなさい。私はこのさきへ、何人たりとも通さぬ!」
「臆するな! 私たちには神と王のご加護がついています。皆で国と、いとしい家族をまもるのです!」
松明を振りかざした男たちの雄たけびのなかで、ふたりがさけんだのが同時でした。
* * * * *
秋の女王と男たちがたったひとりの騎士を攻めたてるずっとうしろで、夏の女王は、馬上でうごきを止めていました。
若い騎士は相変わらず武器を手にせず、馬をたくみにあやつって男たちが塔のほうへ進むのをはばんでいます。そこへ秋の女王が指示をとばして、馬のまわりで邪魔をしたり、馬のよこをすり抜けたりした男たちをはばむために、また騎士が馬で駆けて回りこみます。そんなやりとりが、もう数分はつづいていました。
しばらくその様子を見守っていた夏の女王は、自分のわきで春の女王をしばるなわをもって立っている男にむけて、
「あんたも、参戦なさいよ。プリムラのことは私が見ておくから」
そう言って男の手からなわのさきを受け取って、急かすように乱戦のなかへ送りこみました。春の女王は、けげんな顔で夏の女王を見上げました。夏の女王は細く息をはいて、
「……あの男は、私の臣下だ。赤い布をうでに巻いたのが私の、白い布のやつがトーニャの」
まえを向いたまま、苦しそうにそうつぶやきました。春の女王が不思議そうに夏の女王を見上げていると、
「ああ、わるかった。それをつけられたままじゃ相づちも打てないね」
そう言って、夏の女王は馬上から手をのばして春の女王の口からくつわをはずしました。
「……あの騎士が私たちをたずねてきて、言ったんだ。あんたとノルインが、この国のためにひとりで凍えながら苦しんでるって」
男たちと、鞍をつけた馬とがはげしくもみ合うのを見ながら、夏の女王はしずかな声で言います。
「あんたがつぎの夏に干魃がくる夢を見たって聞いて、ほんとうに怖かった。自分の季節にそんな大災害が起きるなんて、考えたくもなかった」
「………」
「トーニャは話を聞いてすぐに、あんたをさがす準備をはじめた。〝国外の騎士がプリムラを見つけたなら、案外すぐに見つけられるところにいるはずだ〟って言ってね。常冬のせいで家族を養えなくなった男たちをあつめて、〝うまくいけば王様からほうびが与えられる〟なんて言って国じゅうを狩りつくした。
トーニャは、たとえ干魃と飢饉が国をおそうことになっても、まずはこの常冬を終わらせないことには始まらない、って感じだった。それが間違ってるとは言わないよ。たとえ民が苦しんでも、この国全体を生かすにはそうするしかないと思ってたんだ。
でも私はちがう。私は考えるのをやめて、責任だけ押しつけてあいつについてった。そんな私のほうがよっぽど罪深いじゃないか」
夏の女王は、春の女王に向きなおって、
「あやまって済むとは思わない。あの騎士がここにいなければ、私たちはあんたを塔まで引っ張っていって、常冬や干魃よりもおそろしい災いをこの国に呼びよせたかもしれないんだから」
「……レヴァン」
「そして私は、もうひとつだけ、あの騎士の決意を踏みにじる」
「?」
首をかしげた春の女王に、夏の女王はたずねました。
「プリムラ。あんたはこの国のために、この国の四季の廻りのために、いのちをささげる覚悟はある?」
「…………」
夏の女王の問いにおどろいた春の女王でしたが、すぐに顔をひきしめ、小さくうなずきました。
それを見て、夏の女王は馬の背から下りると春の女王のうしろへ回って、その手首からなわをほどきました。そして春の女王を代わりに馬の鞍へ乗せて、
「私がこの身ひとつであそこへ突っこんで、剣も抜かずに戦ってるやさしい騎士様を守る。だからあなたは、はやく塔へ」
夏の女王は、防寒具のしたに着たすてきなドレスの腰から、手のひらほどの刃をもつ短剣を抜きました。
「行って。行って、冷えきった私たちの心を融かしてきて」
春の女王は、振りかえらずに手綱を引きました。
* * * * *
もう明け方になろうかというころでした。
遍歴の騎士の背で、ひと筋の淡い光が天までのびました。
たっぷり六月ぶんの雪に身をつつんだ石の塔が、白縹色の光をおびて、それが少しずつ、根元のほうから桜色に染め変えられていきます。はらはらと粉雪の降るなかで、東から昇りはじめた朝日に寒空が溶かされていくようでした。山の背からあふれる、まぶしい光をあびて、塔を染める桜色はひと息に咲きほこりました。
それは、美しい光景でした。
とても、神秘的な光景でした。
けれども目をうばわれた若い騎士や、男たちや、秋と夏の女王らは、この世のものとは思えないその様子を、ずっとながめている気分にはなれませんでした。
まばゆい光をたたえた石の塔は、あまりに美しく見とれてしまう反面、彼らの目には、恐ろしくも映ったのです。雪の降りつんだ大地を、朝焼けがゆっくりと照らしていきます。森の木々のうえで小鳥が元気よく鳴いて飛んでいったのも、この国の雪溶けをほのめかしているのでしょうか。まだ、だれにもわかりません。
立ちこめる朝霧のなかで争う手をとめた彼らは、ただ、長い冬が終わったということだけをひしと感じて立ちつくすのでした。
皆さま、お久しぶりです。
桜雫あもるです。
度々投稿が遅れてしまい、大変申し訳ありません。リアルでの知人にも、「早よ書け早よ書け」と急かされてつつ、なんとか二話同時に投稿することに成功しました。
この『四季の廻り』は、小説家になろうサイト内で毎年開催されている「冬の童話祭」に参加するための作品だったのですが、〆切期間内に書き終えることができず、それどころか最後の更新から三、四ヶ月音沙汰なし、という事態になってしまいました。非常に心苦しいあもるです。
さて、残すところあと一話となったこの作品ですが、皆さまをお待たせしたお詫びと致しまして、不肖桜雫あもる作のイラストを添付しようかと思っております。「誰得」という言葉は私の辞書にもありますが、読み方がわからないのでそういったお声は誠に残念ながらスルーさせていただきます。
ただ、電子機器と非常に相性の悪い桜雫あもる。提携サイト「みてみん」のほうでの投稿には成功しているものの、こちらに添付するのは初めてなので、うまくいくよう頑張ります。一応全く機能しておりませんがPixivでも同名で登録していますので、もしかしたら偶に落書きを更新するかもしれません。デジタルでお絵描きしたことないのでね。カキカキ
ということで、五月中旬までには最終話投稿いたします!
心待ちにしてくださっている方も、そうでない方も、ぜひお楽しみにしてくださると僥倖!