~四季廻し~
石造りの塔のなかには暖炉などなく、あるのは申しわけ程度のベッドと毛布に、先代の女王たちが残してきた大量の本だけ。
冷えきった体を温めるために毛皮をかぶって両腕をこすりますが、震えは止まりませんでした。塔は内側の壁まで石でできていて、そのせいで熱が籠もりにくいのも、体の震えの止まらない理合いでした。
冬の女王が一番損な役回りだ──そんなふうに、冬の女王ノルインは自分の境遇をなげいていました。
石塔のなかは、冬が一番こたえます。
──それも、今年にかぎって春の女王が〝入れ替わり〟に来ない。彼女がなにを考えているかは知らないけれど、そのせいで国の民が大勢苦しんでいるのだ。……いや、苦しんでいるのはなにも民だけではない。もう六月ものあいだ、だれとも、ひと言も話さずにこんな石の塔のなかに閉じ込められているのだ。毎日石肌をながめて古い本に目を通すだけの日々。聞こえてくるのは、外を吹きつけるいまいましい雪と風の音だけ。それも原因は、自分がここから出られないせいときた。とてもではないけれど、気がくるいそうになる。
冬の女王は白い息をはき出しながら、そんなことを延々考えていました。
──いや、一人だけ。もう何日まえになるかも忘れてしまったけれど、塔の戸口まで来てくれた人がいた。あのときはおどろいた。まさか国外のかたが来られるとは、夢にも思ってみなかった。おかげでそっけなく接してしまったけれど、ほんとうは、とても嬉しかった。この塔から出ることはできなかったけれど、百何十日かぶりのお話ができた。彼は今ごろ……どうしているだろう。
思いを馳せた冬の女王の体が、ぶるっと大きく震えた、そのときでした。
「ノルイン様、ノルイン様。お久しぶりです。土用の騎士にございます。ぜひ、お見せしたいものがあります。どうかこの扉を開けていただけませんか」
再び、石塔の鉄扉のまえに立った若い騎士は、雪に覆われた扉をごん、ごんとたたきました。
「……騎士様?」
くぐもったおどろきの声が、扉の向こうから聞こえました。騎士は顔をほころばせて、
「よかった。今度はすぐに応えていただけて」
「まあ………。どうして、またいらしたのですか?」
少年のような声色でよろこぶ騎士の声を聞いて、冬の女王はうれしいのを噛み殺しながらたずねました。
「あなた様に、ぜひともお見せしたいものがございます。私を塔のなかへ入れていただけませんか?」
「えっ……」
冬の女王が息をのむのがわかりました。突拍子もない申し出におどろいたのでしょう。しかし、
「土用の騎士様。それはできません」
「どうしてです?」
「この塔には、春夏秋冬、四人の女王しか入ることができません。そういう決まりという以上に、侵してはならない自然律なのです。女王以外の民が塔へ入ることは、決してかないません」
「……ですが、私は国外です。それを口実に、この塔の鉄扉をたたくことも許していただきました。お願いです。どうか私を、塔の中へ入れてください」
「なりません。こればかりは、騎士様のお願いでも叶えるわけにはまいりません。どうかお諦めください」
冬の女王はゆずりませんでした。そこで、騎士はひと息ついて、話を変えることにしました。
「先日、春の女王様にお会いしました」
「! プリムラに?」
「はい。そして、この塔へ〝入れ替わり〟に来られない真相をうかがいました。お二人が〝入れ替わり〟をして季節が巡って春になれば、この国に生きるたくさんの民が死に絶えるような大飢饉の年が始まってしまう、だから〝入れ替わり〟をすることはできない。……そう、おっしゃっていました」
「な………なんですって?」
冬の女王は、息をのみました。
「それは……、本当ですか?」
「まことに残念ながら、真実にございます。そして、このことをお伝えしたところ、秋の女王様は何千の民の死よりも国を凍餓から守ることが、なにより先決だとおっしゃられました。王様は苦悩しておられますが、いずれは………」
騎士は言葉をにごしました。
冬の女王もその先を察して、なにも言いませんでした。
「そこで、お願いでございます。私をなかへ入れてください。これだけが私の望みでございます」
「いいえ。その望みだけは、かなえるわけにはまいりません」
必死の切願にも、冬の女王はがんとして首を縦に振りませんでした。それでも騎士は節を折ろうとはせず、慎重に言葉をえらびながら、なお言葉を続けました。
「それでは、この扉を少しだけ、少しだけ開けてくださいませんか。決して中へは入りません。ノルイン様に、お見せしたいものがございます」
「……それは、なんですか?」
「この国の風土記です。地上にまだ神様がいらっしゃった時代のことが細かく記されている書です。王宮の地下の書庫で見つけました」
「……それが?」
騎士は懐から、しぶい顔をした王様にどうにか許可をいただいて持ち出した、古くぶ厚い本を取り出しました。
「ここには、四季を廻す神様のことが書かれています。ですが、どうも大切らしいところだけ、国外の私では読み解けないのです。どうしても、それをあなた様に見ていただきたくて再びやってまいりました。なにか、今回の事件を解決する糸口になるやもしれません」
「………」
冬の女王は、しばし黙りました。
騎士はなにも言わず、待ちました。やがて、
「……扉は、お開けいたします。ですが、決して塔の中へは入らないと、そう誓ってください」
ぽつりと、冬の女王が答えました。
「お誓い申し上げましょう」
騎士は扉から一歩下がりました。
雪にまみれた鉄の扉がゆっくりと、重い音を立てて外へ開きました。扉が石の壁とこすれて、表面に積もっていた雪が少し落ちました。
扉が開ききってからも、白銀の世界にいた騎士には暗い塔のなかの様子がよく見えませんでした。騎士は一歩、塔に踏み入ってしまわないように気をつけながら暗闇に近づきました。
目をこらすと、そこには人影がありました。
若い騎士よりも背は低く、体つきも華奢です。
その次に騎士の目に入ったのは、外の雪景色に照らされて輝く銀色の長い髪でした。それから続いて、毛皮の羽織りや毛糸の服、厚い革の手袋と靴が、順々に見えてきました。そして最後に氷水晶のように青く澄んだひとみが暗闇のなかに浮かび上がりました。
騎士は一瞬、そのうつくしい目に見とれてから、
「ようやく、お目通りかないました。お初にお目にかかります。私が、土用の騎士です」
「はじめまして、騎士様。私がイチイの木のノルインです」
冬の女王はうれしそうに、ほほえみました。
若い騎士は冬の女王の手に、重い古書をわたしました。
古書は年月が経って多少は傷んでいましたから、騎士は黄ばんだ紙に雪が触れないよう、気をつけました。扉を開けたまま、鉄の敷居をはさんでそれを受け取った冬の女王は、騎士がしおりをはさんでいたページに目を通して、
「これは……候造りについて書かれた、もっとも古い書物でしょう。私もはじめて見ました。たしかに、所々でこの国の古い言葉遣いが出てきますね」
冬の女王はページを行ったり来たりしながら、
「山の向こうの神様……、神様のご兄弟……、神様を亡き者とした、太風と神鳴………」
ぶつぶつとつぶやいていました。それから、しおりのはさまれたページへともどって、
「そしてこれは……、おそらく、五代目に四季の女王となった四人の神子──つまり私たちのご先祖様が、神様に願いごとを奉ずる場面の歌……でしょうか」
「やはり、そうでしたか」
冬の女王の読み解きに、騎士が前のめりになりました。
「私の見立てでは、そのまえの場面で、国におおきな災いが起きているはずです。すると、その神様に奉ずる歌というのは、神子たちがその災いをおさめるためのものではないでしょうか?」
「ええ。前後の内容から考えて、騎士様のお考えに、おそらく相違ないかと」
「では……、その歌の内容が、此度の一件を取りさばく一助にはなり得ませんでしょうか?」
「………」
言われてみて、目をけわしくした冬の女王は、あらためて書物に目を落としました。何度もページをめくってはもどし、めくってはもどし、食い入るように紙のうえのインクに目を通しました。その様子を、若い騎士が固唾を飲んで見守ります。
「……〝空がうごめき、地がふるえた。千と二百の民が命を落とし、二千の民が傷ついた。春と夏の〝入れ替わり〟をひかえた神子たちは、たがいに話しあって、マルモの塔の天頂に在わすお身体をたずねることにした。〟……と、あります」
「………。マルモの塔、とはなんですか?」
「この塔のことです」
冬の女王は、石塔の内の壁に手をそえて言いました。
「この塔はマルモという石を積み上げて作ったもので、古い名ではそう呼ぶこともあります」
「なるほど」
騎士はうなずきました。
「そうすると、この塔の天頂に在わすというのは……」
「おそらく、それは棺のことではないでしょうか。何百年もまえに、私たち女王に四季を廻す役目をあたえられた、山向こうから来られた神様のお亡骸が納められていると聞きます」
「……それです!」
騎士が声高にさけんで、冬の女王は少しおどろきました。騎士は身を乗り出して、
「この書物に書かれているのは、昔災いが起きたとき、事態をおさめるために当時の女王たちがとった行動です。そして春の神子は、この塔の天頂におさめられた棺に、つまり、お亡くなりになった神様に知恵を借りに行った!」
「そう……なるのでしょうか」
騎士の迫力に気おくれしながら冬の女王がそう返すと、若い騎士はつよい語気でこう続けました。
「ならば此度も、神様にお伺いを立てればなにか解決の案が見つかるかもしれません」
* * * * *
ねずみ色の雪雲まで届く、高い高い塔のうえ。
終わりの見えないらせん階段をひたすら上りながら、息を切らせる冬の女王はぼんやりとこんなことを思っていました。
──これで終わらせる。
足がふるえても、手がかじかんでも、関係はない。
土用の騎士様が見つけてきてくださった手がかりを、決して絶やさない。
かならず天辺まで上りきって、六月続いたこの常冬を終わらせる。そして凍えた民を、国を、季節を、雪融けの春へと届ける。
それが、冬の女王のただ一つの望みでした。
* * * * *
らせん階段の終わりには、かたく閉ざされた石扉がありました。
長い長い階段をのぼって息を切らせた冬の女王は、ひざに手をつきながら、残る力を振りしぼって扉に手をかけました。扉はず、ず、ず、と音を立ててゆっくりと動きました。
扉の向こうには、暗い空間が広がっていました。
それまではところどころに窓が設けてありましたが、そこには窓や天蓋はなく、円形の空間が闇に包まれていました。窓からは冷たい雪が吹き込んで体力をうばわれていたので、冬の女王には天辺の部屋が温かく感じられました。
両の手で腕をこすりながら中へ入ると、円形の空間の真ん中に、黒い大きな箱が見えました。
それは、石扉のすき間からもれた光で見えたそれは、金色の装飾が散りばめられていて、ふるい絵が描いてあって、まわりに彫刻がならんでいて、蓋がついていました。
それは棺でした。
冬の女王は、音を立ててつばを飲みました。まわりに人がいれば、その音が聞こえていたでしょう。
冬の女王はゆっくりとした足どりで棺に近づき、その脇で足をとめて、しずかにしゃがみました。左のひざを立てた冬の女王は頭をたれ、胸のまえで手を組むと、ほそい息をはきながら目を閉じました。そして、語りかけます。
「………お廻り様、お初にお目にかかります。イチイの木のノルインが、冬の神子として申し上げたてまつります」
外からは相変わらず、雪を送る、寒そうなビュウビュウという音が聞こえていました。
「此度の〝入れ替わり〟のあかつきに、国をおおきな干魃がおそうと、春の神子が予言いたしました。そのため、国ではもう六月も冬がつづいております。民も緑も凍え、このままでは国が冷えきってしまいます」
つらい思いを吐きだすように、冬の女王は眉間にしわを寄せて言葉をつづけました。
「お廻り様。どうぞ、苦しんでいる民を救ってくださいませ。冷えた国を、救ってくださいませ。……そしてもし、できることなら私たちも。四季をになう哀れな女王たちも、いっしょに掬い上げてくださいませ」
冬の女王が言いきると、辺りはしんとしずかになりました。冬の女王がおそるおそる目を開けると、そこには先ほどと変わらない棺が部屋の中央におさまっていました。
少しばかり首をうごかして部屋のなかを見てみますが、特に変わったところは見受けられませんでした。
冬の女王は顔を棺へともどし、もう一度なにか言おうか、迷いました。
そして、気づくのです。
先ほどから、冷たく吹雪く音が聞こえなくなっていることに。
答えはおのずとやってきました。
「……何事か申したか」
深く、低い、底からひびくような声が、聞こえました。
はじめ、冬の女王には、その声の正体がわかりませんでした。そら耳かとも思いましたが、石の塔のなかに残った音が、そうではないと教えています。
冬の女王はきょろきょろと部屋のなかを見回したあと、部屋の中央に置かれた棺へと顔を向けました。
「……足下は何者か」
声は塔全体に重くひびきましたが、それは明らかに、目のまえの棺から発せられていました。
冬の女王はすぐに頭を下げ、もう一度胸のまえで手を組んで、
「……お初にお目にかかります。今代の冬の神子、イチイの木のノルインにございます。お廻り様に、申し述べたいことがあって、やってまいりました」
冬の女王は、はやる気持ちをおさえるように、ゆっくりとした口調で言いました。少しのあいだ静かな時間があって、
「左様か」
みじかい返答がありました。冬の女王はすかさず、
「お眠りをさまたげてしまい、申し訳ありません。お廻り様、いまこの国には、常冬が居座っております。もう六月もです。それというのも、冬の神子たる私がこの塔から出られないのが原因なのでございます」
「……なにゆえ、足下はこの塔を出ぬか」
「春の神子が、来たる〝四季の廻りの輪〟のなかで、はなはだしい飢饉と干魃が国と民をおそうと、予言したためです」
棺は、また少しのあいだ、静かになりました。
「して、足下は我になにを望む」
「私は、お廻り様に此度の災厄をしりぞけるための知恵をお貸しいただこうと愚考し、ここまでやってまいりました。お願いもうしあげます。どうかこの国を、常冬と飢饉からお救いくださいませ」
「…………」
棺は、こたえませんでした。
しばらくして、
「ならぬ」
みじかく、棺の声はそう告げました。
低いその声が、じわりと塔を上から下まで吹きぬけます。
「えっ?」
思わず、冬の女王は声をあげました。
顔をあげて、目のまえの棺を見つめます。
「お廻り様、いま、なんとおっしゃいましたか?」
「ならぬと申した」
困惑する冬の女王に、棺はつづけて言いました。
「飢饉も干魃も、大自然の廻り。決して避けられぬ定めだ。この国の民だけが大自然の恵みだけを受け入れ、怒りだけ避けるなど、あってはならぬ」
古めかしい棺は、部屋の中央でそう、つめたく言い放ちました。
「そ……そんな、」
冬の女王は、こらえきれず立ち上がりました。
「……民が、国が、山々や河川がくるしんでいるのです! 飢饉をふせがなければ、この常冬も、終わらせることができません。私がこの塔から出なければ、この国はずっと冬のまま、死んでいくのです」
熱のこもった声が、棺に浴びせられます。がらんとした円蓋のなかに、高く澄んだ冬の女王の言葉がびりびりとひびきました。
「お廻り様、お願いいたします。どうぞこの平和な国を、心豊かな人びとを、お見捨てにならないでくださいまし。私どもは幾百年、お廻り様をこの塔で見守ってきました。信仰篤き私どもに、どうか救いの手をお差し伸べください。
ああ、どうしても、それがいけないとおっしゃるのなら、わかりました。私の身を、お廻り様に差し上げます。冬の神子たる私がこの塔の天辺で、いつまでもお廻り様のおそばに仕えましょう。それで、民を救ってはくださいませんか」
冬の女王は、のどが枯れんばかりに声を張り上げてそう言いました。が、
「ならぬ」
棺のこたえは、がんとして変わりませんでした。
棺の声は、塔の天辺から足もとまで伝わっていました。
何千何万という石の階段を駆け降りて、塔の入り口で心配そうな顔をしていた若い騎士にも、その声はしっかりと聞こえていました。
そして、騎士は思わず、声をあげました。
「それでは、あまりにも……、あまりにも………!」
騎士の口がなにかを言いかけましたが、しゃべるうちに勢いはなくなって、声は足もとの雪のうえに落ちました。
「……それでは、あなたを看取った村娘の胤裔を、救っていただくわけにはまいりませんか」
そして、騎士はふたたび、声をあげました。
「幾百年のむかし、あなた様が天にのぼられるのを見届けた四人の村娘の胤裔がいま、なげいております。
女王とよばれ、四季を廻らせる宿命を背負い、今度の大飢饉をまえに成すすべもなく、ただ、おおきすぎる責任が押しつけられるのです。どうか、お廻り様の愛しい彼女らを救ってはくださいませんか」
その声は、ふつうでしたら到底、塔の天辺にまで届かなかったことでしょう。
けれど、どういうわけか騎士のさけんだ声はとがり矢のように階段をかけ上がり、石の扉をたたいて、広い円蓋のまん中にある棺へとまっすぐに飛び込みました。
石の塔じゅうにその声はひびきました。冬の女王にもそれは聞こえていて、おどろいたような顔で、騎士の声が鳴りひびく円蓋の部屋の壁をきょろきょろと見回していました。
「お願いです、お廻り様。私は国外の身ではありますが、この国のことを、だれより案じている一人であるのです。この豊かな国から、四季を失わせてはいけない。はるか遠い私の郷のように、枯れ果てた土地にしてはいけないのです。
お願いいたします、お廻り様。どうぞこの国と、憐れな神子らをお救いください! そのためなら、私は、真に土用をになう騎士となってみせましょう」
* * * * *
石の塔の鉄の敷居をはさんで、冬の女王と、土用の騎士は向かい合いました。
「それでは、私はこれから王様のところへ行き、そして春の女王様をつれて、すぐにここへ戻ってきましょう」
「ええ、ええ。お願いいたします」
みじかい言葉を交わして、若い騎士は雪のうえへ降り立ち、雪から身体をまもる革の鞍をつけた馬のうえに乗って、石の塔をあとにしました。
冬の女王は鉄の扉に手をかけて、いつまでも騎士の去る背中を見ていました。しんしんと降り積む雪が、やがて騎士のうしろ姿をまっ白の景色のなかに隠していきました。