~対岸の懸念~
次の日のことでした。
この日は心なしか雪は弱く、ねずみ色の雲の向こうにはうっすらと日の光が透けて見えました。朝から家のまわりで雪かきをする人や、塩を使って雪融け水を集めた桶を屋内に取り込む人があちらこちらに見受けられました。
遠くには、昨日は見えなかった山の影が横に長く連なっています。
民家が集まる集落を抜け、王宮へつながる大通りを北へ逸れたところにある冬の館。
その黒い家根のしたの一室に、三人の姿がありました。
一人は遍歴の若い騎士で、いつも羽織っている毛皮を脱いで壁の衣装掛けにかけていました。革を張ったいすに腰かけて、まっすぐまえを見ています。
丈の低い机をはさんで向かい合っているのは、二人の女性でした。腕を組んで座っている一人は黒い髪を肩まで伸ばしていて、赤い髪かざりをつけていました。その隣に座るもう一人は目の覚めるような金色の短髪で、あざやかな青い目が特徴的でした。
つい先ほどまでは使用人の女性も二人いたのですが、黒髪の女性の指示で部屋を出ていったので、いまは三人だけが残っています。
「さて、これで話していただけるのかしら」
「はい。要望を聞き入れてくださり、ありがとうございます」
腕を組んだ三白眼の女性の言葉に、騎士は深く頭を下げました。
騎士の態度に女性は鼻を鳴らして、
「ずいぶん折り目正しいのね。この部屋に三人だけにしてくれないと話を始めない、なんて言ったわりには」
「不躾で申し訳ありません。だれにも漏らせない大切なお話なのです」
「そう。では始めて」
騎士はこくりとうなずきました。
「私は王様の命を受けて、この冬を終わらせるために遣わされた遍歴の騎士です」
「ええ。聞いているわ」
「昨日、そのために行方をくらましておられるプリムラ様にお会いしました」
「! プリムラに?」
金髪の女性が目を丸くして声を上げました。
「あいつ、どこにいたんだ」
「それは……申し訳ありませんが、お教えできません」
「は?」
「プリムラ様との約束なのです。真実を話してくださる代わりに、プリムラ様の居場所をどなたにもお話しない、と」
騎士の言い分に、三白眼の女性はしずかに口を開きました。
「……それは、同じ〝四季の女王〟である私たちにも、ですか?」
「はい。プリムラ様は〝どなたにも〟とおっしゃっていましたので」
「……そうですか」
三白眼の女性──秋の女王は、口をつぐみました。
隣の金髪の女性──夏の女王と騎士は、つぎに秋の女王がなにを言うのかじっと待ち構えていましたが、
「どうしたんです? 続きをどうぞ」
秋の女王はそっけなく、それだけ言いました。騎士ははい、と返事をして、
「プリムラ様によると、行方をくらまされたのはこういう経緯でした。──春の女王は代々、〝四季の廻りの輪〟のはじめの季節の担い手として、新しく始まる年がどのような年になるかをあらかじめ夢で見知ることができるそうです。そして三月まえ、〝入れ替わり〟をひかえた前夜にプリムラ様がご覧になったのは悪夢でした」
「……悪夢って、どんな?」
「なんでも、はげしい干魃と飢饉で多くの民が亡くなる……そんな夢だったとおっしゃっておりました」
「なっ………!」
「………」
夏の女王はがたん、といすを派手に鳴らして立ち上がりました。
「干魃といえば私の、夏の季節だ! まさか私の季節に、民が死ぬって言うのか?」
「それは……。プリムラ様いわく、夢の内容は完全なものではなく、その年に起こる出来事の光景が途切れ途切れに映っては消える、そんなものなのだそうです」
ですが、と騎士は区切って、
「それでも多くの民がもだえ、苦しむ姿はたしかに見えたと」
「………ぐっ」
夏の女王は眉間にしわを寄せてうなりました。肩や手足がわなわな震え、机の向こうにいる騎士へ今にも掴みかからん、といった様子でしたが、
「落ち着きなさい。レヴァン」
腕を組んだままの秋の女王が、それをいさめました。
「まだ話は終わりではないのでしょう。続けて」
「はい」
秋の女王が手振りで夏の女王に座るように言うと、夏の女王は釈然としない表情ではありましたが、しぶしぶいすに腰を下ろしました。騎士は夏の女王が座ったのを見計らって、話を続けました。
「一度入れ替わって春が始まってしまえば、もうどう足掻こうとも災いの運命は避けられない。……そこで、どうしようもなくなったプリムラ様は次の〝四季の廻りの輪〟を始まらせないために、身をお隠しになったのです」
以上です、と騎士が言葉を締めくくりました。
しんとした室内で壁にかかった木枠の時計のはりが、いやに大きく聞こえます。窓の外で雪が降る音まで聞こえてきそうな沈黙がしばらくあって、
「……この常冬には、そんな真相がありましたか」
騎士の顔を見つめたまま、秋の女王は表情を変えずにつぶやきました。
「くそっ、あの阿婆擦れ。こんな大事なことを私たちにも言わずに黙っていやがって!」
弾かれたようにさけんだ夏の女王はきっ、と首を騎士のほうへ回して、
「やい国外、今すぐにプリムラのところへ案内しろ! 直接話をつけてやる!」
「しかし、それは……」
「うるさい! だいたい国の民でもないくせに他人の国のことに首突っ込みやがって、お節介なんだよ!」
「落ち着きなさいと言ったでしょう。レヴァン」
今度はほんとうにえり首を掴みかかった夏の女王を、またも秋の女王がしずかにいさめました。秋の女王は細くため息をはいて、
「そんなことをしても、この冬は終わりません。それにあなたがいま掴みかかっている騎士がいなければ、私たちはこのことを知ることすらできなかったのです。むしろ礼を述べて然るべきでしょう」
「ぐっ………」
夏の女王は放るように騎士から手を離して、どかりと音を立てていすに座りました。両の腕を背もたれのうしろに回したり床を踏み締めたり、立腹が治まらないのがひと目でわかりました。
「でも、実際どうするんだよトーニャ。これじゃ冬を終わらせても、終わらせなくても、国がほろびちまう」
「………」
秋の女王は三白眼を床に落として、考えごとをしているようでした。
「なあ、トーニャったら」
「……やはり、仕方ありませんか」
隣からの呼びかけは無視して、秋の女王はぽつりとこぼしました。
「あん?」
秋の女王は平素と変わらない、抑揚のない声で告げました。
「このままでは、民が凍え死んでしまいます。やはりどんな事情があろうとも、〝四季の廻りの輪〟を遂行することが最優先です」
「そんな!」
「おい、本気か?」
机をはさんだ向こうとこちらで、騎士と夏の女王が同時に声を上げました。
「本気ですとも。このままノルインが塔に居座って冬が続けば、これまで生き残っていたわずかな緑までもが息絶え、国がほんとうに終わってしまいます。そうなるよりは、干魃と飢饉が起こったとしても、国が存続するほうに賭けたほうがいいでしょう」
「それは、……そうかもしれないけど!」
「ではレヴァン。あなたはどうすればいいと言うのです? 常冬でも干魃でもだめだと言うのなら、私たちはどうするのが正しいと言うんです」
「くっ………。で、でも……。………、」
秋の女王に言い負かされて、夏の女王は二の句が続かなくなって奥歯を噛み締めました。秋の女王は自分を落ち着かせるようにまた細く息をはいて、
「とはいえ、私たち二人は冬と春との〝入れ替わり〟に直接関わりがあるわけではありません。せっかく話を持ってきてくれたところ悪いけれど、このことは私たちの力では解決できませんね」
そう平素の声色でそう言って、ちらりと騎士へ目を向けました。騎士は立ち上がって、
「そうですか……、わかりました。お話を聞いていただき、ありがとうございます」
深くお辞儀をしてから壁にかけた毛皮を羽織って、扉を閉めるまえにもう一度礼をして、部屋をあとにしようとしました。しかし、
「ああ、最後にもう一つよろしいですか」
「はい?」
「プリムラは、だれが見つけたのですか?」
「私にございます」
「そう。ありがとう」
騎士は今度こそ、礼を返して部屋のとびらを閉めました。
* * * * *
騎士が去ってすぐのこと。
部屋にはうつむいて前髪を顔に垂らしたままの夏の女王と、騎士の後ろ姿を見送った秋の女王が残されました。騎士の廊下を歩く足音が小さくなるのを聞き届けて、秋の女王はしずかに皮張りのいすのうえへ腰を下ろしました。
「……トーニャ。ほんとうに、なにもしないつもりなの?」
「そうね」
さけんで喉を嗄らした夏の女王の声に、秋の女王は短くうなずいて、
「国を救うためなら、多少の危険を省みてはいけませんものね」