~冬の深謝~
常冬が始まって、そろそろ六月が経とうかという頃でした。
多くの民が凍餓に苦しみ、国じゅうの畑が冷えて床に臥し、ついには国を潤していた山や緑も雪に埋もれて霜枯れ始めました。
本当ならもうとっくに南から帰ってきてもいいはずの渡り鳥たちも、一羽たりとも戻ってきません。
白髪の増えた王様が、独り王宮でどうしたらいいのか困り果てているところに、一人の若い近衛兵があわてて入ってきました。彼は息を切らせて、しかし飛びきり嬉しそうな顔で、王様に一人の客人を応接間へ通すことを伝えました。
王様が応接間へ急ぐと、そこにはたしかに一人の男がいました。
王様のお触れに目を留めたのは、まだ若い遍歴の騎士でした。
騎士は王様に丁寧なお辞儀をして、それから開口一番、こう言いました。
「はじめまして王様。国に城門でお触れを拝見しました。必ずや、冬の女王と春の女王を交替させてご覧に入れましょう」
王様は何ヶ月も待ち侘びた、救国を請け負ってくれる騎士に事の粗筋を話しました。
「五月と三週前のことです。我が国は古くから、季節の変わり目に春夏秋冬それぞれの女王が国外れの塔に入り、その季節のあいだ塔に篭ることで季節を廻らせてきました。今までそれが途切れたことはありませんでした。ところが、もうとっくに出てきていい時季、いやそれを随分過ぎているというのに、冬の女王が塔から出てこないのです。そしてなぜか、次の春の女王も〝入れ替わり〟をしに塔へ訪れません。寒さが続き、田畑も枯れ、ついには山や草木も死に始めました。私たちはもう、どうしたらいいのか、さっぱり分からないのです」
王様は苦悩と疲弊とを顔に浮かべて頭を抱えました。
ひと通り聴き終えてから、若い騎士は質問しました。
「お話は分かりました。この国のどなたかが、塔に入って冬の女王を外へ出すわけにはいかないのですか?」
騎士の疑問に、王様は首を横に振りました。
「この国の民には、塔へは近づけない決まりがあります。塔に近づき、中へ入れるのは春夏秋冬それぞれの女王のみです」
「なるほど。では、いま篭っている冬の女王とは別の女王に頼んで、そうしてもらうことは?」
王様はまた、首を振りました。
「もう考えました。ですが、春の女王は行方知れず。夏と秋の女王に関しては、これもまた複雑な決まりなのですが、自分たちに直接関係のない時期の〝入れ替わり〟に口を出すのはご法度でして。一応協力はあおぎましたが、芳しいこたえは……」
王様はとうとう、口籠もって俯いてしまいました。
騎士は顎に手を当てて、すこし考えました。
「それで、八方塞がりというわけですね」
「はい……」
若い騎士は眉間にしわを寄せて、
「……やはり、それではまず冬の女王に事情をきいてみるほか、ないように思います」
そう言って顔をあげました。項垂れる王様へ向けて、
「王様、私はこの国の外人です。王様が認めてさえくだされば、国の規則にしばられず季節を廻らせるお手伝いができます。私に、塔へ近づくお許しをいただけませんか?」
王様は渋い顔でたっぷり十秒は悩んだあと、近くにいた近衛兵二人と顔を見合わせてから、小さくうなずきました。
* * * * *
塔はこの国で一番立派な建物だからすぐ分かる。
そう言われて西の外れへ来てみた騎士は、目の前にある実物を見ても、それが件の塔だとはすぐに思い至りませんでした。
国は東西に長く、菱形のように膨らんでいて、その中心から南へ逸れたところに王宮があります。南へ下がれば農作が、北へ上れば牧畜がそれぞれ行われているとのことでしたが、若い騎士が見たかぎり、田畑のほうは来春に作物が穫れそうな感じではありませんでした。
さて、問題の塔ですが、外壁はすべて石でできているようでした。見上げれば塔の天辺は雲に届きそうなほど伸びています。王冠を被ったような頭がこんもり膨らんでいて、そこから下はまっすぐな円筒の形をしていました。
「石でできているよう」、というのは見た通りの表現で、塔のほとんどが吹き付ける雪と氷でおおわれていて、白く凍りついた大部分の合間にしか石を並べた壁が見えなかったのです。ふだんは立派に見えるかもしれませんが、いまはその片鱗も窺い知ることができません。
馬の鞍から下りた若い騎士は塔の周りをぐるっと一周回ってみて、雪に埋もれた段差と扉のようなものを見つけました。雪を踏みしめて段差を上り、革の手袋をはめた両手で扉についた雪をどけると、錆びた鉄扉が顔を出しました。
騎士は冷たい扉の表面を、どんどんどんと叩きました。
「もし、冬の女王様、お聞こえでしたら出ていらしてください。私は土用の騎士と申します。王様の命を仰せつかって、あなた様にお会い申し上げに参りました」
返答はありませんでした。
騎士はもう一度扉を叩き、同じことを言いました。
しばらく塔の中はしんとしていましたが、少しして、人の気配が感じられました。
騎士が扉に顔を近づけて耳を澄ませていると、鉄扉の向こうから細い返答がありました。
「……初めまして、でよろしいのかしら。……ごめんなさい、私土用の騎士というお名前には、心当たりがありません」
「いえ、相違ありません。私は国の外より参りました。あなた様にお会いするのは初めてでございます」
「まあ、国の外から?」
扉の向こうで、女性は驚いた声を出しました。
「そうですか……。それで、この塔に来ることができたのですね。納得いたしました」
「はい。……あなたは、冬の女王様ですね?」
騎士は率直に訊ねました。
「ええ。私が冬の女王です。名を、ノルインと言います」
「ノルイン様。いまこの国で、なにが起こっているかはご存知ですか?」
「………はい」
騎士の言葉に冬の女王の声は沈んだ様子で、騎士がよほど耳をそばだてて聴いていないと今にも鉄扉に阻まれてしまいそうでした。
「知っています。よく、わかっています。冬が……終わらないのでしょう?」
「その通りです」
扉の外で、騎士はうなずきました。
若い騎士は半ば食ってかかるような格好で言いました。
「雪と寒さのせいで、国じゅうが凍えています。田畑は冷え切り、もう翌年に作物は穫れないかもしれません。山や森の緑も、枯れ始めました。多くの民が、苦しんでいます」
「わかって………います」
騎士の訴えに、冬の女王は喉の奥からか細く弱々しい声を搾り出して言い返しました。
「でしたら、一刻も早く塔から出てきてください! あなた様が塔から出れば、冬は終わると王様から聞きました。そうすれば、春が始まります。国も快復することでしょう」
「……いいえ騎士様。春は、始まりません」
しかし、冬の女王は冷たい声でそう言いました。
塔に吹きつける雪はいっそう強くなった気がしました。
若い騎士は扉の前で、毛皮の羽織りを直しながら静かに冬の女王の言葉を聴いていました。
「この国の季節の移り変わりについて、騎士様はどこまでお聞きになりましたか?」
「……この国には春夏秋冬を司る四人の女王様がおられて、それぞれが塔に篭っておられるあいだ、その季節がやってくると。そして季節の変わり目には、今季の女王と来季の女王とが〝入れ替わり〟を行うと」
「ええ。その通りです」
冬の女王は肯定しました。続けて、
「私が塔から出られない理由が、そこにあるのです」
そう告げました。
騎士は首をかしげました。
「おっしゃる意味が、よくわかりません」
「先ほど、今季の女王と来季の女王とが〝入れ替わり〟をすると、そうおっしゃいましたね」
「はい」
「では、〝入れ替わり〟がうまくいかなければどうなるか……おわかりになりますか」
騎士はまた、首をかしげました。
「いいえ、考えが及びません」
「やはり、王様はご存知ないのですね。無理もありません。今まで〝入れ替わり〟がうまくいかなかったことなど、なかったのですから」
冬の女王の長いため息が、扉の外にも伝わってきました。騎士は女王の言葉を待ちました。
「ではお答えします。──〝入れ替わり〟が潤滑に行われなければ、この国の季節は……無茶苦茶になってしまうのです」
若い騎士には、冬の女王の言っている言葉の意味がわかりませんでした。
〝無茶苦茶〟という言葉の指し示すものが、いまひとつ掴めずにいました。
騎士の心中に湧いた疑問をあらかじめ想定していたのか、冬の女王は静かにこう続けました。
「〝絶望〟という季節が、この国を覆うことになるでしょう」
* * * * *
「私のような季節が塔に居座り、民を苦しめていることが本当に辛くって辛くって。……ですが、春の女王が塔へ訪れない以上はここを離れることはできません。どうかお引き取りください」
鉄扉の内からそう断られて、騎士は石塔を後にしました。
馬の身体を温めるための織物がついた鞍の上で、騎士は遠ざかる塔を振り返りました。今にも雪に埋もれてしまいそうな高い石の塔が、一人ぽつんと立っていました。
冬の女王が今もあの暗い塔の中に囚われているかと思うと、若い騎士は居た堪れなくなりました。
冬はまだ続きます。