漂着
2,
とんかつの一つが私の目の前に来て、何か話した。
そのときの私はまだとんかつ語を習得していなかったので、
何を言っているのかはわからなかった。
恥ずかしながらこの時私は
この奇妙なとんかつたちに
捕食されてしまうのではないか、
と恐怖したものだった。
戦き震える私を見兼ねた別のとんかつが
私の肩を抱き、毛布を与えてくれた。
彼が私が日本に帰還するまでの間、
生活の世話をしてくれた親友であるオスの
とんかつ、『かつざら』氏である。
ちなみに淀川逆泳の偉業の最中であったため、
わたしは紺のブーメラン・パンツ一丁であった。
『かつざら』氏が毛布を手渡してくれたことで
私は少し安心することができた。
私の安堵を感じた『かつざら』は、
私を彼の自宅へと連れていってくれた。
人の目ならぬとんかつの目に触れさせ続けるのは
私が可哀想だと思ったのだとあとで彼は語った。
『かつざら』氏が私に服を与えてくれた。
『かつざら』氏と私は背かっこうがよく似ていて、
衣服のサイズもほとんどぴったりであった。
ここで読者諸君は、
「人間と背かっこうが似たとんかつとは
はたしてどのようなものか」という疑問に
ぶつかるかもしれない。
ゆえに私はひとつの策を弄する。
つまり、ここに『かつざら』氏の肖像画を公開する。
とんかつ王国の住民の情報が公開されるのは、
前回の投稿が世界初であり、活字以外での
公開となるとこれもまた、今回が初となる。
諸君らは幸運である。刮目せよ。
これが『かつざら』氏の全身肖像画である。
もし仮に、諸君らのなかのいずれかが
とんかつ王国に漂流することがあったとして、
この肖像画を偶然にも所持していたならば、
肖像画をとんかつ王国の住人に見せることで
『かつざら』氏のもとへ案内してくれるであろう。
そのくらいこの絵はほんものに似ている。
更に言うなれば、そこで私の名前出せば、
『かつざら』氏は君の面倒をみてくれること必至である。
話を戻そう。
『かつざら』氏は、私の体に傷がないことを
確認したり、水を与えてくれたりと、
厚く介抱をしてくれた。
『かつざら』氏は台所とおぼしきところで
ごそごそやりはじめ、数分後に私のところへ
食事を持ってきてくれた。
私は「ありがとう」と声に出して礼をいった。
これは別に私が挨拶のできる
人間のできた好青年であったことを示す描写ではない。
(好青年であったことは確かだが)
『かつざら』氏は私の礼を意味として理解した
わけではなかった。しかし、状況下における
文脈を理解したらしく、やさしく微笑んだ。
これが私と『かつざら』氏の空いたにおける
初のコミュニケーションの疎通であった。
ここで『人類ととんかつの世界初の意志疎通』
と表現しなかったことを読者諸君には
覚えておいてもらいたい。
そう、この島には人類の先客がいたのである。
『彼』については後に紹介することにする。
『かつざら』氏が私にくれた食事というのが
なんと、いっぱいのパン粉であった。
フランス人が自宅でカフェオレを飲むときに用いるとされる
カフェオレ・ボウルなる器がある。
日本でいえば『どんぶり』である。
そのような器一杯にパン粉がよそわれていたのだ。
私は初め、ハムスター飼育の際に使う
ケージ内部の床材かと思った。
なんたる仕打ちと激昂しそうになったとき
ふと鼻をつくは香ばしい小麦粉の香り。
手ですくい、ぺろ、と舐めてみるとパン粉ではないか。
人の世ではこれも立派な仕打ちと言い得るだろうが、
ここはとんかつの世である。
なんと、『かつざら』氏も同じものを脇に抱えていた。
彼の分である。
私たちはソファに二人ならんで腰掛けると、
静かにパン粉をもさもさとやりはじめた。