導入
1,
日本国の南東東、一五〇〇キロメートルに位置する
島国がとんかつ王国である。
太平洋に浮かぶこの島は我々人間の与り知らぬ存在である。
北海道ほどの面積の島国である。
完全に外界から隔絶されており、島の内側で
経済、政治、文化が完結している。
社会学に精通しているひとや、
勘のよいひとであれば外界と隔絶された
社会のその限界的性質に気づかれるだろう。
だがその心配をする必要はない。
なぜならとんかつ王国の住人はとんかつだからである。
とんかつ王国くしあげ歴20年(西暦2000年)のことであった。
かつどん王朝5人目の王である
くしあげ王が崩御した。
絶大な国民の支持を受けたくしあげ王の死は
多くのとんかつを悲しみのドン底へ叩き込んだ。
皆が体から衣をぽろぽろりと落とし
亡き王への追悼の意を示した。
王が死ねば当然、次なる王が求められる。
三時間ほど悲しんだあたりで国民たちは
次の王のことが気になって仕方なくなった。
先ほどまで『衣をさざ降らせて』いた
(とんかつ王国における慣用句、号泣の意)
とんかつたちだがそこはとんかつ、
たいして深い心理構造はもたないのだ。
先王くしかつは、三とんかつの跡取りを残していた。
その三とんかつはいずれもが正室の子であり、
それぞれが長所と呼べるであろう特徴をもっていた。
第一王子の『かつれつ』は、とんかつ政治学に
長けており、家臣連中に強く支持されていた。
第二王子の『かつさんど』は、
とんかつ神学に長けており、学者、宗教者、
高所得層のとんかつに強く支持されていた。
第三王子の『かつどん』は、
器量がよく(とんかつとして)、気立てもよく、
何よりメディア受けのよい溌剌とした性格から、
一般民衆の強い支持を受けていた。
話は日本に移る。
当時、学生であった私(筆者である)は
学生ゆえの愚かしさから淀川を平泳ぎで逆走ならぬ
逆泳し、大阪湾からびわ湖までゆこうとしていた。
しかし日本有数の大河である淀川を身一つで
攻略するというのはどだい無理な話である。
私は大阪湾と淀川を繋ぐ河口の一つに
飛び込んだが、あれよあれよと沖に流されてしまった。
なんとも無粋な潮流である。
岸に戻ろうと、クロール泳法を解禁し
必死で泳いだが一向に距離は縮まらない。
曇ってきたと思ったときにはすでに海は大時化であった。
イレギュラーの海流に流され、
海水をがぶがぶりと飲んでしまう。
こんなところで死ぬのはごめんだ、
あたまではそう思いながらも、
もう肉体はほとんどの通常機能を失いかけていた。
そこで記憶が途絶えた。
次に目が覚めたとき、
私は南国的の情緒に満ち足りた砂浜に
打ち上げられていた。
さながらガリバー旅行記のようである。
しかし、私を拘束する小人の姿はない。
巨大なひと切れのとんかつを頭とする
奇妙な生命体が私を取り囲んでいた。
なにか体系だった言語を話しているらしいが、
当時の私には理解できなかった。
そう。私はとんかつ王国に漂流したのである。
この文章は私が体験したとんかつ王国の文化と
一部分の歴史について叙述するものである。
嘘偽りなく、とんかつ王国の真実を諸君らに伝えよう。