三元牌の神様
俺は友人達と雀荘で麻雀に興じていた。
麻雀では時に、奇跡としか思えない不思議な偶然が起こるものだが、今回はそれが同時に二つも起こり、ある一点で交わろうとしていた。
牌をツモるたび、徐々に近づいていく役満への道。
ある体験に導かれたとしか思えない道。
俺は前日に見た夢の事を思い出さずにはいられなかった。
*
その男か女かも分からないような風体の人物は、厳かな雰囲気の和室で、着物の袖に手を入れてそっぽを向きながら立っていた。
純金を使用していると思われる屏風がやけに綺麗だった。
長くて白い髪だが顔は幼い。赤い瞳に、濃い緑の着物を羽織っており、麻雀牌の絵が散りばめられた着物が可愛らしさを感じさせた。
「来客とは珍しいな」
その声からも男か女かを判別するのは困難だった。
「ここは?」
「喜ぶがいい。ここは神聖なる神の宮であり、見ての通り私は神様だ。何の神様だか分かるかな」
「着物に答えが丸出しですけど、ひょっとすると……麻雀の神様ですか?」
俺が問うと、その自称神様は眉をひそめた。
「そんな都合の良い神様がいると思うか?私は三元牌の神様、三元牌神だ!」
「さ、さんげんぱいしんさまっ!?」
「左様」
三元牌って『白』『發』『中』の事か。
34種類ある麻雀牌の中でたった3種類の神様……少ないよ!神様いるほどかよ!
「貴様、牌をつまむそうだな」
「まあ、酒の肴程度にはね」
「その態度っ!貴様信じておらんな?」
「だって……いたとしても、三元牌の神様なんて大したことないじゃん」
俺がそう言うと三元牌神様は憤慨し、袖から麻雀牌を出して俺に投げつけてきた。
「いたっ!節分の豆まきみたいに麻雀牌ぶつけるのやめて!」
「馬鹿にするでない!三元牌の『三』は聖なる数字なのだぞ!」
「聖なる数字?」
「そうだ。貴様は三次元に生きていて『三』の持つ力に気づかぬのか?三原色の世界に生きていて『三』の持つ力に気づかぬのか?その昔、三平方の定理を発見したピタゴラスはその圧倒的な真理で世間を驚愕させ、宗教まで作り上げたと聞く」
「『三』ねぇ。三権分立とか、三位一体とか言うけどさ」
「貴様、まだ私を馬鹿にしておるな」
三元牌神様はまた袖に手を入れ、三元牌を取り出した。
「ああ!すみません!投げないで!」
「投げはせん」
三元牌神様は三元牌を手のひらに乗せた。
するとそれはプルプルと震え出し、光りながら浮かび始めた。
それはみるみる大きくなり、やがて生き物の姿に変化した。
『白』は犬の姿に、『發』はキジの姿に、『中』は猿の姿にそれぞれ変身した。
「犬に猿にキジ……まさか、まさかあなたは!」
「左様、私はかつて『桃太郎』と呼ばれていた者だ」
「凄い!そんな凄い人間がどうして三元牌の神様に?もうちょっと出世しても良さそうなものだけど」
「うつけが!人間どんな事でも突き詰めれば真理が見えてくるものだ!私が三元牌の神になれたのは並々ならぬ努力があってこそだ」
「どんな努力ですか?あ、鬼をぶっ飛ばす所までは知ってるのでその後からお願いします」
三元牌神様は俺の態度に舌打ちをした後、犬を撫でながら話し始めた。
「私は鬼を討伐した後、鬼の秘薬で犬と猿と雉を人間の姿に変え、我が子として迎えた。そして大陸に渡り、麻雀というものを知ってからというもの、4人で毎日麻雀を打ち続けていたのだ」
「ええ~、地味ぃ~」
「うるさい!そして私は三元牌の魅力に取り憑かれた。最も当時は『三元牌』という名前では無かったがな」
「中国だと三元牌を使った役も日本より多いみたいですね」
「左様、それ故に大切な牌だった。日本のルールでは役が減ってしまったが、それでも重要な牌である事に変わりはない」
「俺はまあ、大三元でも来ない限りすぐに捨てますけどね」
「こらっ!」
「それにしても、どうして三元牌って『白』と『發』と『中』なんですか?」
俺の質問に三元牌神様は、やっと神様らしい事が言えるとばかりに胸を張った。
「それはだな、中華民国が生まれた際、『中』国が『発』展するという意味を込めて、もともと『龍』と『鳳』だった牌を『中』と『發』に変えたのだ。厳密にはもっと深い理由があるがな」
「へぇ~、でも日本には日本の麻雀のルールがあるのに、中国の発展を願うというのもどうなんですかねぇ」
「だからここはだな、『白』『發』『中』を『犬』『雉』『猿』に変えて日本の麻雀というものを作ればいいのだ。誰か作って!」
「神様の癖に人頼みかよ!でも、確かに『その猿、ポン!』とかやってみたいですよね」
「そうだろう!」
自信満々に子供のように胸を張る神様が何だか可愛く見えてきた。
「しかし貴様、雑談をしに来たのではあるまい。貴様はまだ『三』の持つ力を知らぬ。もう少し私と遊んでいかぬか?」
「遊ぶって?」
「人間界には世界中に認知されている遊びがあるだろう。ほら、手を使ってすぐにできる」
「ああ、ジャンケンの事かな」
「そうだ。ジャンケンは三つの形があり、結果も三つあるだろう。ほれジャンケン……」
「わっ」
俺は咄嗟にチョキを出した。三元牌神様はグーを出していた。
「私の勝ちだな」
「これに何の意味が?」
「貴様は今、なにを頼りにチョキを出した?」
「え、いや、咄嗟だったから特に考えてないですけど…」
「そうだろう。人間というのは選択しているようで、実は選択などしておらぬ場合がほとんどなのだ」
「それはどういう意味ですか?」
「人間の無意識も含めた領域での選択は二つではなく、『選択しない』という三つ目の選択肢があるという事だ」
「そんな馬鹿な…」
選択しない事が選択だなんて、ただの屁理屈じゃないのか?
「ならば問おう。貴様は朝起きる時、『起きる』か『起きない』かの選択を毎日しているはずだが、貴様は本当に己自身がその選択をしていると思うか?」
日曜は遅くに起きるけど、少なくとも「起きない」という事はあり得ないな。
何だかんだで結局起きてる。
「今日は一日『起きない』と決めたとする。しかし実際は、身体が健康なら起きないでいる事など出来ぬはずだ。思考の間を掻い潜って、身体は起きて活動しようとするだろう」
「確かにそうです」
「その気になれば一瞬一瞬に選択を必要とする瞬間が訪れているわけだが、実際はそんな重要な選択を毎瞬行っているわけではない。多くの人間は思考と行動にズレを生じさせているのだ」
「つまり選択とは迷いという事なのか」
三元牌神様は無言で頷いた。
「あれかこれかで迷ったら共に捨てよ。それが三つ目の選択肢だ」
「選択肢が多い時はどうするんですか?」
「いくつに増えても同じだ。正しいか、間違っているか、はたまたどちらでも無いか。それを正しいとか間違っているとか決めつけてしまうのが人間心だ。幸福な結婚が不幸の始まりかもしれぬ。不幸な病気が幸福な気持ちを生むかもしれぬ。自由はどちらでも無いものの中にあるものだ。私の顔を見て何か気づく事はないか?」
「顔?」
美しくもあり、凛々しくもあるその顔を俺はジッと見据えた。
「気にはなってましたが、その中性的な顔と声はまさか……」
「そう、私は神になる際に、『男でも女でもないもの』になったのだ」
「『桃太郎』でも『ピーチ姫』でもない者……それが三元牌神様……」
「私の教えが真の意味で分かった時、これまでに無い実りを得るだろう」
「ありがとうございます、三元牌神様っ!そろそろ朝っぽいのでまた!」
俺が頬をつねろうとすると、三元牌神様は言った。
「帰る前に忠告しておく。私は三元牌を与えたり操作したりするような類の神では無い。それだけは誤解せぬようにな」
「分かりました。またいつか来ます!」
ギュッ
*
南4局、俺は3位だった。
123 ⑧⑧ 白白 發發發 中中中
⑧(八筒)が来れば小三元で満貫(8000点)、白が来れば大三元で役満(32000点)
小三元でも2位で終了できる。しかしここは大三元を狙いたい。
普段なら手堅く行く所だが、今の俺には三元牌神様が付いている。
三元牌神様はああ言ったが、こんなにも俺に三元牌を回してくれている……これならいける!
小三元か大三元か……
もし誰かが捨てた八筒を俺がスルーすると、その後の当たり牌は自分でツモらなければならなくなる。これが麻雀のルールだ。
ああ、この苦悩を俺は今までに何度味わってきただろうか。
迷いを捨てろ!考えるな!
そう思えば思うほど袋小路に迷い込んでしまう。
容赦なく捨てられる牌。高鳴る鼓動。
牌をツモる手は汗でビッショリだった。
そしてその時は来た。
流局になる直前、上家(左)が迷った挙句、『白』を捨てたのだ。
「(来た!文句なしの大三元!ロンだ!)」
しかし、俺の口は開かなかった。
「(何故だ!ロンと言えば俺の一位は確定するぞ!)」
しかし、どうしても声が出ないのだ!
その時、俺の下家(右)で4位の拓司が声を上げた。
「ロン!」
拓司の開けたその手は国士無双(役満)であった。
「捲ったぞ!逆転トップだ!」
俺はその場にへたり込んだ。
意気地のない自分に心底嫌気が差した。
「(俺はバカだ!なんでアガらなかったんだ!アガってさえいれば俺がトップだったのに!)」
俺は頭がおかしくなるほどの強い自己憐憫に苛まれた。
何度も何度も心の中で自分を罵倒した。
……静まった雀荘の中、惨めな気持ちだけが俺の中を駆け巡っていた。
快勝した拓司が口を開く。
「みんなで飲みに行こうぜ。今日は俺が奢るよ」
普段、人に奢るような性格ではない拓司が言い出したのでみんなキョトンとしたが、その言葉に甘えて俺達は飲み屋に向かう事にした。
しかし、飲み会の席でも俺の気持ちは沈んだままだった。
拓司の国士無双の話で持ち切りだったのが、俺にはただ辛かった。
俺には三元牌神様が付いているはずだったのに、一番欲しい三元牌は俺の所に来なかった。
三元牌神様は俺なんかより拓司の方が好きなんだ。
俺の気持ちも知らず、友人達は拓司を賞賛する。
「すげーよ、拓司、あの国士無双。最初から狙ってたのか?」
「まあね。でも三元牌がなかなか来なくてさ。誰か抱え込んでたんじゃないの?」
俺は大三元をアガれていたんだ!と主張したかったが、今更そんな惨めな事はしたくなかった。
「しっかし、鬼気迫る顔してたよな拓司。何か思いつめてたのか?」
友人の問いに俺は興味を惹かれた。
拓司は少し言いにくそうに口を開いた。
「うん……実は俺昨日、夢を見てさ。そこで神様に会ったんだ」
「神様?」
……何てことだ。拓司も三元牌神様に会っていたのか?俺の三元牌神様に!
「どんな神様?」
「笑うなよ。その神様はさ、国士無双神様って言うんだ」
拓司の意に反して、場は一気に笑いに包まれた。
「ぎゃはははは!何だよ国士無双神様って!麻雀の一役に神様なんているかよ!」
俺は内心ホっとした。何だ、違う神様か。
三元牌神様よりも細分化された神様がいる事に驚きだ。
「笑うな!俺は必死だったんだ!この国士無双がアガれなければ死ぬつもりだったんだよ!」
「う、嘘だろ?」
拓司の言葉で、場は一転して真剣なムードに取って代わった。
「国士無双神様は俺に言った。『国士無双というのはそのアガリ形を見ても分かる通り、行くか行かないかだ』と。『行って、もしダメならそれは一瞬でゴミになり、再起不能になる。半端な心ではダメだ。文字通り生きるか死ぬかの二択なんだ。お前の人生もどちらかしか無いのなら、行くと決めたら最後までやり通して、ダメなら潔く諦めろ』って。そして俺はこの国士無双に全てを賭けると決めた。これでダメなら死のう、って。でも結果的にアガれて良かったよ」
俺は拓司の話を一生懸命聞いていた。
拓司は拓司で、必死に戦っていたんだな。
そんな事も知らず俺は自分の事で頭がいっぱいだった。
更に俺は『二』と『三』の哲学の違いを考えた。
意識的に二択を強いて元気づけられる状況というのもあるんだな。
三元牌神様が「無意識も含めた領域では選択肢が三つになる」と言っていたのが少し分かった気がする。
表面的には俺は一つの選択をした。それは「アガらない」という選択だ。
逆にもし俺がアガっていれば頭ハネルールで拓司の国士無双は無効になっていた。
しかし実際は俺が「アガる」「アガらない」という選択を超えた無意識の領域で拓司の想いに気づいて、アガリを宣言できなかったわけだ。
もしこの無意識による第三の選択に抗わなければ、自己憐憫に悩むこともなかったはずだ。
俺は結果的に小三元でも大三元でもない、三つ目のアガリを選ぶ事ができた。
自己憐憫に陥る必要なんか無かったんだ。
結果的に俺の選択がこの和やかな飲み会を生んだのだからいいじゃないか。
この瞬間、俺はやっと自己憐憫から解放される事ができた。
俺が小三元をアガるとか、大三元をアガるとか、そんな事は今のこの状況から見ればどうでもいい、些細な事だったんだな。
俺は元気を取り戻して、素直に拓司を励ました。
「拓司!俺は信じるぜ!国士無双神様によろしくな!」
「ありがとう!俺も拾った人生、もっかいやり直してみる!」
三元牌神様は役満よりももっと素晴らしい贈り物をくれた。
これからも友達と、あとちょっとだけ三元牌も大事にしようと思った。