桐ちゃんと呼んでくれ
「行ってきますっ」
元気一杯に挨拶をして、玄関を飛び出す。
今日は雲一つない青空で、これからの見通しも明るいように思えてうきうきしちゃう。
私は大刀祢桐子花の17歳、恋に恋して愛を欲する女子高生だ。普通の高校生活を送っていたんだけど、今年の春から名門、城雪学園に編入することになったの。
その理由は去年の晩夏にお母さんの再婚相手の人が、とんでもないお金持ちだったこと。その人とお母さんとはすごくラブラブで、私のことも実の娘のように可愛がってくれている。……それでも、やっぱり、その人をお父さんと呼ぶのははばかられた。今は亡い父の思い出ばかりが浮かび、このままじゃお母さんにまで当たってしまいそうで、私は家を離れる決意をした。
お父さんと呼んですらいないのに、その人に頼ることも何だか嫌で、学費の面だけでも自立したくて、城雪学園の特待生制度に目を付けた。それから死に物狂いで勉強をして、春に合格が決まった。
そんな私の心情を知ってか知らずか、あの人は私に内緒で一軒の家を購入していた。城雪学園の近くにだ。
『前から新居を買おうって、桜子さんと相談しててね。素敵な家が城雪学園の近くにあったんだよ』
『ええ! ね、とってもいいでしょ? だけど、私達は世界一周新婚旅行に行くから、丁度いいし、桐ちゃんお留守番してくれないかしら?』
『生活費は預けておくから、どうか頼まれてくれないかな』
……なんて言って、二人は出て行ってしまった。頼まれたら断れないし、ありがたい申し出ではあったし、私はその新居で一人暮らしを始ることにした。
不安だけど、精一杯がんばって、楽しい学園生活を送ってみせる!
……そう、意気込んでいたんだけど、
私を待っていたのは青空のようにさわやかな生活ではなく、ドロドロとした学園生活だった。
それに気が付いたのは教室で自己紹介をする時。黒板に名前を書く私に、心ない囁き━━声の大きさからしてわざと聞こえるようにしている━━が飛んでくる。
「ほら、あの子が例の……」
「あぁ、身の程知らずの庶民ちゃん?」
「噂通りの庶民面だな。キョーミなし」
「チッ、あんな奴がいると俺まで……」
最初は気のせいかと思った。でも、この人たちは実際にそんな酷いことを聞こえるように言ってきている。まさか、来て早々にこんな目に遭うなんて。
胸の奥が詰まるように感情がこみ上げてきたけど、ぐっとこらえて、私は名前を書き終える。そして、胸を張ってクラスメイトへと顔を向けた。
緊張と怖さとで少し強ばってしまっているのを感じさせないよう、自然な風を装って声を出す。ええと、失礼にならない感じで、敬語っぽくない砕けた言い方は……
「私は名を大刀祢桐子と発する」
うぅ、申しますよりは親しみが持てるけど、ちょっと固くなっちゃった。でも、ヒソヒソしていたクラスメイトも静かになってこっちを見てくれてるし、掴みは上々ってとこかな。
前の学校では堅くなりすぎてて、何だか一線引かれていたから、今回こそは友達を作らなくっちゃ。目標は私のことを桐ちゃんと渾名で呼んでくれる友達を作って……あとは、恥ずかしいけど恋人も、出来たら欲しいなぁ。
あ、考えてないで早く続けよう。呼びかけることも大事だよね、ええと、同じクラスの人に親愛の情を示す言い方は確かこうかな。あと、よろしくしてもらうように言っておかないと。
「ふ、無骨者だが貴殿ら、どうかよろしく頼む」
うわぁぁあっ、か、噛んじゃったぁ!
ふつつか者って言いたかったのに、どうして無骨者だなんて言っちゃったのか、自分で自分が信じられない。桐ちゃんって呼んでねって続けるつもりだったのに、これじゃもう続けられないよぉ……。
先生をチラッと見ると、事情を分かってもらえたのか、席に誘導してもらえた。
「あ、ああ、大刀祢の席は、あそこだ」
「はい、先生。今後ご鞭撻のほどを頼みます」
90度に腰を折り曲げて挨拶してから、空席へと移動する。目上の人には礼儀正しくするのが普通だよね。あんまり砕けすぎてもひかれちゃうもん。
って、きゃあっ!?
足をひっかけられたの!? こ、こんなことをするひとがいるなんて、しかも私の前の席の人だ。ニヤニヤと笑ってる。ちょっとカッコイイなぁって思ってたのに……。でも、こんな事で最初から負けてたら、楽しい学園生活は送れない。
「ふっ……!」
このままだと顔から地面に激突しちゃう。息を吐きながら手を床について、腕をバネ代わりに使い、勢いのままに一回転する。ハンドスプリング程度、昔からお転婆って言われてた私にはお茶の子さいさいだ。
すたっと着地もきれいに決めて、唖然としている前の席の人━━明光院智哉くんの前に行く。こんなことされて黙ってられるほど私は大人しくない。一言言っておかないと気が済まない。
「衣食足りて礼節を知ると言うが……貴殿はそうでないと見える。同輩として切磋琢磨し合っていくことを切に望むばかりだ」
「び、貧乏人の癖に……!!」
「その貧乏人に礼節について叱咤される自らを顧みるべきではないのか」
全く、ヤになっちゃう。なんて酷い人なのかしら。出会って早々に女の子の足を引っかけて罵倒するなんて、紳士のする事じゃないわ。机について息を落ち着けて背筋を伸ばす。
……あれ、何だか皆の視線が妙な感じになってるけど、気のせいだよねっ。
※
「お、大刀祢さん、一緒にご飯食べてもいい?」
あんなことがあったせいか、学園自体の体質なのか、私は浮いてしまって……たった一人で学食に来ていたんだけど、ふわふわした癖っ毛の女の子が話しかけてきてくれた。小さくて、ふわふわしてて、女の子って感じで可愛い子。
「む、貴殿は確か……花園沙姫だったか? 構わないよ。食卓を共にする者がおらず、寂しかったくらいだ」
「し、知っててくれたんですか? 私のこと」
「クラスメイトの名であれば、全て存じているよ。あと、私と貴殿とは同輩であるから敬語は使ってくれなくて結構だ」
「はっ、はいっ」
そういうと目をまん丸にして沙姫ちゃんは驚いた。
今朝ひと悶着あった明光院智哉や、不愉快げにしていた仲大嶺越治や、どこか軽そうな雰囲気の神宮寺蒼真、興味なさげに窓の外を見ていた天智竜牙、口をへの地に曲げていた紅蛇梨音、ニヤニヤと厭らしい笑い方をしていた御堂十茉莉、冷たい目でこちらを見ていた秘流川椛、目も合わせようとしなかった安曇桃香、本から顔を上げなかった星越陽奈美……。
クラスメイトの名前くらい、一回名簿と写真を見たら覚えられるよ。じゃないと、失礼だもん。
「す、凄い……! あ、でも、気をつけた方がいいよ?」
「一体何に?」
「今朝、明光院さんに、ほら、足を引っかけられて言い返してたから、ファンの人たちがくる、かも……」
ファン? たった一介の生徒にそんなのがいるの?
つくづく思うけど、この学校って変だなぁ。首を傾げていると、沙姫ちゃんが説明してくれる。
「あ、えと、あのね。この学校では生徒会が教師よりも偉いの。生徒会の人って、家の格と容姿で決められてるから……生徒会の人には結構ファンがいるんだよ」
「ほぼアイドルではないか」
「それ、おっきい声で言っちゃだめだよ? だから、ね。大刀祢さんのことが気に入らないって、ファンの人が来ちゃうかもだから、気をつけてね」
ファンかぁ……明光院くんは生徒会の会計だったかな。そのファンってことは女の子だよね。うーん、争いたくないんだけど、話が通じる相手なのかな。絶対通じない予感がする。でも知っておいたらまだ対策もとれそうかな。沙姫ちゃんにお礼言わないと。
「知らせてくれて有り難う。助かったよ」
「え、えと、どう致しまして」
ハッ。こ、これって、友達を作るチャンスじゃないかな!?
どうしよう……緊張しちゃう……。
硬くなった表情筋を頑張って動かして、ぎこちないながらも笑顔を作ってみる。ええと、こういうときは気安いあだ名で呼んでねって言うところだよね。私のバイブルである少女漫画だったら、大抵はこれで何とかなるもの。
「花園、私のことは桐ちゃんとでも呼んでくれ」
「えっ」
……あれ?
な、何かおかしなこと言ったのかな。ひょっとして、馴れ馴れしすぎたとか!?
何か言わなくっちゃと考えていると、沙姫ちゃんの方が先に声を上げた。私を指さして、
って違う! 私の背後を指さしてるんだ。それと同時に私の背中へと注がれる好奇の視線に気がついて、咄嗟にその視線の持ち主の手をつかみ取る。青春を送る女の子は誰でも視線に敏感だって本に書いてあったから、必死に特訓した甲斐があった。
私の肩を叩こうとしていたらしき手首を掴み、振り返ると、そこにはクラスメートではない、でも見覚えのあるカッコイイ人がいた。
「貴殿は確か……風紀委員長の鶴ヶ岳恭介だったか? 何用にしても背後から尋ねかけることは良いとは言えぬぞ」
「大刀祢さん知ってたの!?」
「生徒会と風紀委員は覚えておくように言われてな。其れが何故かというのは花園の説明で知ったばかりだが」
女の子としては結構背の高い私より、さらに高みに恭介くんの頭がある。委員長専用のエンブレムを付けているから間違いはなさそう。その顔は世界中の女の子を虜にしても不思議じゃないくらい格好いい。けど、面白がるようなニヤニヤ笑いがそれを台無しにしてる。
「明光院から聞いたとおりの妙な女だ。少しは楽しめそうじゃないか」
そんなことを言いながら、恭介くんは私の顎をすくい上げるように、手で持ち上げてきた。
きゃっ……!
咄嗟にその手をはたき落としちゃった。何とか言い訳しないと、恭介くんも驚いた顔してるし……けど、どうしたらいいんだろう。ええい、あたって砕けろ、だ。
「背後からとは不躾なものだが、同輩のよしみだ。用件は聞こう」
この手のタイプに引っかかるほど私は馬鹿じゃない。女の子にちやほやされ慣れてるから私もイチコロだって思ってるんだわ。少女漫画はそんなタイプへの対処も教えてくれている。それは毅然とした対応をとること。顔つきも心持ちキッとさせて……恭介くんの反応を待つ。
恭介くんは肩をふるわせて……突如として笑い声を上げた。
「くっ、あははははは!!」
急な笑い声にビックリして肩が跳ねた。え、何この人怖い……。沙姫ちゃんも目を丸くしてる。へ、変な人、なのかな……?
「予想以上の人材だ。お前にならば俺の夢を、背中を預けられそうじゃないか」
「……用件を聞いているのだが?」
沙姫ちゃんを庇うため、前に立ってから少し距離をとる。頭のおかしい人だったら走って逃げなくちゃ。逃走ルートを頭の中に浮かべつつ、自信に満ちた笑みを浮かべた恭介くんの声を聞く。
「ここでは人も多い。ついてきてもらおうか」
「よかろう」
恭介くんが嘘をついている様子はないし、素直についていっても多分平気なはず。駄目だったらそのときはそのとき、何とかして逃げればいい。席を立つ私に沙姫ちゃんが不安げに名前を呼びかけてきた。
「大刀祢さん……」
「すぐ戻る。席をとっておいてくれ」
心配しないで、すぐ戻ってくるから。
沙姫ちゃんにそう告げると、恭介くんに先導されて学食を後にした。
校舎の外へ出て、やけに綺麗な中庭も通り抜けて、校舎の裏側……人気のない場所につく。
相手のホームグラウンドである風紀委員の部屋に連れ込まれるなら何か言ったかもしれないけど、ここなら問題はないかな。
「手短に頼むぞ。昼食が冷めてしまう」
あくまで毅然とした態度をとるけど、正直ちょっと怖い。そんな私の内心も知らず、恭介くんは不適に笑う。それから私の目をじっと見つめて、口を開いた。
「大刀祢桐子、俺と手を組め。そして、この学園に革命を起こすんだ」
学園生活においては、カードゲームでしか聞かないだろう革命という言葉に、私はただ戸惑うばかりだった。