目的地
「…………ここは?」
見覚えの無い風景に、顔を強くしかめる。
あたり一面に炎と死体が溢れ、人肉が焼ける独特な臭いがそこら中に充満している。煙と霧とでごく近しい所までしか見えないが、どこかの城か砦の中のようだ。
――戦争? そうだ……戦争だ
手にしている剣は血で濡れ、錆びついてしまっている。一体これで何人の相手を切り捨てて来たのだろうか。何十?何百?
足元に転がる幾千もの死体の中。寄り添うようにして倒れている二人に近付く。
「ジーナ、ベアトリス……すまなかったな」
決して美しいとは言い難い死に顔。そっと目を閉ざしてやると、奥の部屋に向かって歩き出す。
「なあアニキ、ちょっとそれ取ってくれよ。自分じゃ歩けねえんだ」
部屋の入口へもたれかかるようにして座るウル。彼女が指差す方を向くと、切断され、ひしゃげた両足が見つかる。足が無いのは不便だろうと無造作にそれを持ち上げ、手渡してやる。
「あんがと。ほんとはあそこにあるはらわたも欲しいんだけど、まあいいや。奥に行くんだろ?」
くすくすと楽しそうなウル。「まあな」と奥の部屋を見据えると、急にズボンの裾を強く引かれる。
「あんたのせいだぜ。全部あんたが悪いんだ」
目をやると、上半身だけになったツヴァイの姿。次々に剣闘士の仲間達がぞろぞろと歩み来て、口々に呪いの言葉を吐き出す。
「信じてたのに……」
顔半分が焼けただれたフォックスが、縋りつく様にしてそう呟く。たまらず振り払うようにして駆け出すが、手足に取りついた哀れな仲間達がそれを阻む。腕は鉛の様に重く、足は沼地を歩くかのよう。
「あぁ、わかってる。だがどうしろというんだ」
死体の海を泳ぐようにして奥の部屋へと入る。そこはおかしな事に、床が一面真っ黒な水で覆われており、波紋の存在が海である事を知らせてくる。
「団長、さあ、先へ行って下さい。あなたが目指しているのはあれでしょう?」
水の中から頭だけを出したウォーレンが向こうを指さす。そこには巨大な扉と、その前に立つ黒いローブ姿の人間。黒ローブは懐からダガーを取り出すと、柄をこちらに向けて差し出して来る。
――とうとう見つけたぞ
扉へ向けて足を踏み出すが、そこへ続く道がどこにも無い事に気付く。どうしたものかと逡巡していると、ウォーレンのすぐ脇。水中よりキスカが現れ、両手を差し出して来る。
「さぁ、この上をどうぞ」
キスカに続く形で次々と現れる仲間達の姿。グレースにニッカ。それにアインやツヴァイ達。誰もが手を上へと掲げ、それはやがて扉へと続く一本の道となる。
「だめだ。そんな事をしたら君らは沈んでしまう」
狼狽えながらそう言うと、キスカがくすくすと笑い声をもらす。
「私達の事なんて気にする必要は無いんですよ。さあ、急がないとフレア様を助けられませんよ」
キスカの声に、思い出したように正面へと顔を向ける。見ると、ネクロマンサーの隣。フレアとアキラが首に縄をかけられた状態で台の上に立ち、じっとこちらを見ている。
「団長、今までだってずっと我々を利用してきたじゃないですか。何をいまさら迷う必要があるんですか?」
ウォーレンの言葉に「確かにな」と頷くと、彼の差し出した手へ足を乗せる。
――そうか
体重がかかったせいで、ウォーレンは底なし沼に沈んでいくように、ゆっくりと海中へと姿を消していく。
――なるほど。俺は
自らの体が彼と共に沈まないよう、次の手へと足を進める。
――俺はまた
やがて仲間達の上へ足を乗せる事に何も感じなくなった頃。フレアとアキラの乗る台が足元よりはずされ、部屋の中に頸椎のはずれる鈍い音が響き渡る。
――失敗したんだな
声を上げるでもなく叫ぶでもなく。ただじっとネクロマンサーを睨みつけると、足早に扉の前へと急ぐ。くすくすと楽しそうに笑うネクロマンサーの元へと近づくと、差し出されていたダガーを手に取る。
「また会おう」
憎しみと共に親しげな声を掛けると、ローブの上からダガーを突き立てる。ダガーは何の抵抗もなく根本まで刃を埋める。
「えぇ、また会いましょう」
刺された胸のあたりを押さえながら、前へと崩れ落ちるミリア。
――あぁ、人違いか
特に何を思うでもなく倒れたミリアを一瞥すると、扉へと向き直る。
――まあ、気にする事はないな
扉へ向けて一歩踏み出し。
――どうせ
ゆっくりと手を伸ばす。
――どうせまたやり直すんだ
溢れる光。
――だったら、どうでもいいじゃあないか
「がはあっ!!」
胸を押さえ、体をぎゅっと縮ませる。酸素が足りないとわめき散らす肺の命に従い、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す。
――ここは、なにがどうなって!?
何か緊急時に感じる警笛のような、荒れ狂う衝動に従い剣を手にする。視界の隅に映った人影に剣を抜き放つ。
「…………ちょっと、冗談が過ぎるわよ」
首元に剣を突き付けられたまま、ミリアがぼそりと呟く。彼女は力の加減ができずにぶるぶると震える剣先を不安そうに見ている。剣を外すでもなくそのままぐるりと目を回すと、どこか狭い部屋の中。ベッドの上に寝かされているのだとわかる。
「ここはどこだ。フレアやアキラ。ウォーレン達はどこにいる」
低い声で、視線を合わせずに尋ねる。やがて溜息と共に「よっぽど酷い夢を見たのね」とミリア。
「どこって、フレアにアキラ。それにウォーレンも、みんなあっちでしょ。まだ出航してから一週間よ? 寂しがるにしても早すぎるんじゃないかしら」
――うるさい……いや、待て。何をしてるんだ俺は
ようやく落ち着いて来た心拍と共に、段々と状況が蘇ってくる。俺は食糧を求め、船に乗り、そして――
「そうだ! クラーケンはどうなった!!」
大きく上げた声に、ミリアが小さく悲鳴を上げる。「あぁ、すまない」と謝罪しながら剣をしまうと、一歩後ろに下がる。ミリアは恨めしげな目でこちらを睨みつけると、「まあいいわ」と傍にあった椅子へと腰かける。
「どうなったかは知らないわ。あのまま沈んでいったから、海の底でまだ生きてるんじゃないかしら。上手い事餌が獲れるのなら長い間生き続けるのかもね。森のゴーレムと同じように……ほんと貴方らしい方法だわ」
馬鹿にされているのだろうかと彼女の顔を伺うが、そういった風では無い。どうやら感心されているようだ。
「問題の先送りは日本の伝統芸さ。それよりさっき一週間といったな。俺は四日近くも寝ていたのか?」
クラーケンに遭遇したのが出航後三日目頃だったはずで、ミリアの言う通りであれば計算上そうなる。
「えぇ、そうよ。溺れた貴方をビスマルクが拾い上げてから、丸々四日ね。正直もうダメかと思ったんだけど、王宮の治療術師が問題ないだろうって言うから信じたわ。私も少しは治療術について勉強しようかしら?」
唇に人差し指をあてて何やら考え込むミリア。治療術については全面的に賛成ではあるが、それどころでは無い。
「王宮? ついたのか? 帝国に?」
目を丸くしてミリアへ詰め寄ると、彼女はにっこりと笑みを浮かべる。
「到着したのは昨日よ。クラーケンの後は特に何事も無く航海が進んで、今は港の係留所よ。本当は陸の治療院にでも運びたい所なんだけど、クオーネ卿が念の為ここにいろって。他は――」
ミリアの話は続いていたが、これはまずいと急いで部屋を飛び出す。
部屋の外はがらんとした船室で、剣闘士達の私物や何かがそこら中に転がっている。代わりに東の国から運び出した品々が無くなっており、既に交渉が進んでいるという事がわかる。
「くそ! 情けないな俺は」
仕方が無いとは言え、結果的に責任者が不在のまま交渉が開始されたという事実に少し落ち込む。恐らくクオーネ卿が代理として行動してくれたのだろうが、随分迷惑をかけた事だろう。それに交渉相手である帝国側からしても印象の良いものとは思えない。
「何か着る物は……」
今更ながらに全裸である事に気付き、近くにあった毛布を腰に巻き付ける。ミリアに見られてしまったかもしれないが、彼女に関しては今更だろう。
「先ずは挨拶か? あぁ、いや。伺う前に連絡員を送らんといかんな。というかどこまで交渉は進んでるんだ?」
一人であれこれと考えていると、先程の部屋から呆れた顔のミリアが出てくる。
「思ったより元気そうで安心したわ。着替えを取って来るから待ってなさい。出てもいいけど、外は正直困った事になってるから」
そう言うと、船室から甲板へと向かうミリア。大人しくそれに従うかと木箱に腰掛けるが、ミリアの言葉に思い出すように反応し、立ち上がる。
――困った事?
いったい何だろうと上を見上げる。複雑に構成された無傷の構造体が目に入り、そういえばこれはセントフレア号では無いのだなと気付く。
「ふむ……様子を見てみるか」
ミリアは出ても構わないと言っていた。面倒ではあるが、難しい問題というわけでは無いのだろう。
甲板へと続く階段を上り、小さな木蓋を押し上げる。流氷の穴から顔を出すアザラシのように首だけを表に出すと、注意深くあたりを伺う。
――異常は無さそうだな
夕闇の中、波がぶつかる音が聞こえて来る。遠くからは何か低いざわめきのような音が聞こえて来るが、風の音か何かだろうか。
まだ少し痛む体を持ち上げると、甲板に登り出る。注意深くあたりを伺いながら船の縁まで向かうと、ロープの先。すなわち船が繋がれた港の方へ目を向ける。
「……これは、なんだ?」
目に入った光景に、混乱の声を発する。
巨大な港を埋め尽くすかのような大量の松明と、ひざまづく人々。先程から聞こえている低いざわめきの正体はこれなのだろう。人々は立ち上がったりひざまづいたりを繰り返している。
――何か宗教的な儀式だろうか?
フランベルグ含む南の大陸と、我々が現在立っているここ。北の大陸との交流は、その距離にしては驚くほど少ない。昔はもっと交流があったようだが、今は極まれに商人や何かがお互い流れ着く程度のものだ。当然文化や風習も大きく違っている事だろう。
誰か事情を説明できる人間はいないものかとあたりを伺っていた頃。船の縁から縄梯子を昇る音が聞こえ、反射的に身構える。やがて船の縁からひょっこりと兜姿の男が顔を出し、驚きの表情を見せる。
――見慣れない様式だな
特徴的な丸兜に鎖帷子。帷子の上には左右へ延びる板状の鉄板が何枚も縫い付けられ、動くたびにかちゃかちゃと小さな金属音を立てる。いわゆるラメラーアーマーというやつだが、フランベルグのそれとは随分趣が異なる。
「驚かして申し訳ありません。失礼ですが、ナバール様でいらっしゃいますか」
丁寧な言葉使いだが、質問ではなく確認といった様子。瞬間的に敵だった場合等の対処法を幾通りも思い浮かべるが、奥に見える大量の人員に諦めの溜息を吐き出す。敵だった場合は、抵抗するだけ無駄だろうし、今ここでこうしていないだろう。
「あぁ、そうだ。君は帝国の兵かな? 色々あって現状が良く分からない。出来れば――」
「ナバール様が!! ナバール様が目覚めたぞ!!」
案内を頼みたいと続けようとした所で、男が大声で叫ぶ。ぎょっとして男の顔を見るが、その後続いた奥からの大歓声に戸惑いの声を上げる。
「お会いできて光栄です。私は帝国軍近衛補佐官のアイザックと申します。さぁ、こちらへ。どうか民衆に元気な姿を見せてあげて下さい!」
「何故俺が?」と混乱する頭で押されるがままに縁へと追いやられる。アイザックの持っていた松明がこちらの体を照らし出すと、とたんに再び大歓声が訪れる。
まるで剣闘場だなと無駄に冷静な感想を持ちつつも、アイザックに疑問の目を向け続ける。通じたのかそうでないのかはわからないが、彼は満面の笑みのまま口を開く。
「これらは皆、ナバール様の快気を願って祈りを捧げていた者達です。町中が総出で集まっていますよ。何万人いるかは私にもわかりません」
実に嬉しそうなアイザックの顔に、引きつった笑みを浮かべる。
――聞きたいのはそうまでされる理由なんだがな
とりあえずは言われたままにするしかないかと、こちらも出来るだけ自然な笑顔を作れるよう、意識を集中する。なるようになれと半ば開き直った笑みを浮かべるが、頭には疑問符が浮かびっぱなしであった。