水難
「おめぇら残りの帆を畳め!! 風に煽られたらあっという間だぞ!!」
ビスマルクの叫び声に、甲板上の水兵達が慌ただしく動き出す。生きるか死ぬかの状況に、よくも冷静に行動できるものだと心から感心する。船乗りの度胸というのはこうして作られていくのだろうか。
――それにしても
剣を振り下ろし、マストへと巻き付いていた一本を切断する。溢れ出る血液と思わしき透明の液体が心底気持ち悪い。
「おいビスマルク!! いくら切ってもキリが無いぞ。一体どうなってるんだ?」
次の一本を切り落とした傍から、再び海中より現れる無数の触手。いい加減しつこいぞとビスマルクに声を発する。
「あぁ? そりゃあたりめえだろ。相手はクラーケンなんだぞ。手足なんぞ切られたそばから"いくらでも生えてくる"」
ビスマルクより語られた生物としての常識を無視した生態に、ファンタジー世界の不条理さを改めて感じ取る。
――なんとかして本体をやらねばならんのか
げっそりとした顔で海面を睨みつける。もう二度と浮上する事が無い可能性も考えると、なかなかに絶望的な状況だ。この暗黒の海では、水中へ降りて一矢報いるなんて事もまず不可能だろう。
「どうすりゃいい……考えろ……」
無い頭を絞り、必死に打開策を考え続ける。
最も頼りにしていた方法はミリアの魔法による一撃で粉砕する事だったが、海中へ潜られた現状ではどう考えても難しい。それに例のあの鱗。バリスタによる鉛弾を弾き返す強度の鎧をまとっているとなると、いくら魔女の魔法であっても効果的な一撃となり得るのかどうか疑問だ。鱗を弾き飛ばした箇所を狙い撃てれば良いのだが、魔法というのはそこまで精度の高い攻撃が出来るものでは無い。
「いっそ毒というのは……いや、だめだ。その効果が表れるまで船が持つとは思えん。ちくしょう、どうしろってんだ!!」
半ば八つ当たり気味に触手へと剣を振るう。こちらを狙って振り下ろされた触手がきれいに二分される。
「なにかこう、海中への攻撃手段だ……銛のように一点を狙えるのがいい。だが銛でやつを倒すとなるといったい何千本の…………倒す?」
揺れる船体に倒れるようにしてしがみ付くと、考えがまとまる前に走り出す。
――やれるか? どうなんだ?
船尾楼へ続く階段を一足で飛び越えると、二人の水兵が侍るバリスタへと近づく。目的はその足元。既に破壊されて残骸と化した、前のバリスタだ。銛を発射しようとした水兵の死骸が、ロープに絡まるようにして船と共に揺れている。
「これなら……」
特大サイズの銛に結び付けられた、腕のように太いロープを手にする。このロープは銛から船尾楼についた巻き取り機へと続いており、本来は敵船へ発射して使用するものだ。相手の船を捉えた後は滑車を回し、近付いて白兵戦を仕掛ける。要するに釣りだ。
「ナバール様。やめて下さいよ。クラーケンと心中なんてごめんです」
こちらの様子を見ていた水兵が青い顔で発する。現状でも力比べで敗北寸前になっているわけだから、これを突き刺した所でどうにもなるまいという事だ。
「わかってるよ。俺だってごめんだ」
巻き取り機の裏側。ロープの終端近くをなんとか切り落とそうと剣を立てるが、濡れて固く締まったロープはびくともしない。
「隊長! こいつはいったいぜんたい、どうなってやがりますか!!」
聞きなれた声に顔を上げると、ようやく船倉の入り口をなんとか出来たのだろう。剣闘士達が足早に駆け寄ってくる。
「どうもこうも無いさ。ちょっとそいつを借りるぞ……それと昇降用の縄梯子を二、三枚引っ張り出してきてくれ。説明は後だ」
剣闘士のひとりが持っていた斧を手に取ると、ロープを力任せに切断する。身長程もある巻き取り機の巨大なクランクを指さすと、ロープをそこからはずすように指示を出す。
「こいつを預ける。出来るだけ急いでくれよ!!」
フレアの剣をフォックスに預けると、幾重にも張り巡らされたクラーケンの触手を飛び越えながら船尾楼へ向けて走り出す。
「お、お願いだ。助けてくれえ」
甲板と触手とに挟まれた水兵を見つけ、足を止める。助けてやろうと斧を振りかぶるが、大きく傾いた船に体勢を崩す。
頭に降りかかる大量の海水。
「あぁ……ちくしょう!!」
船が揺れ戻し、水が引いていく。しかしそこに水兵の姿は無かった。
「ふざけんなこいつ!! どこに手ぇ入れてやがる!!」
見上げると、触手に絡め取られたウルの姿。彼女はなんとか動く右手でダガーを取り出すと、触手に一撃を加える。
――おいおい、冗談じゃないぞ!!
すぐさま走り出すと、落下するウルを間一髪で受け止める。崩れた体勢により地面を転がり、そのまま船尾楼の壁へと激突する。
「大丈夫か? くそ、武器がいくらあってもって、うおお!!」
走りながら手放した斧が横に滑り来て、顔のすぐ横に突き刺さる。ウルと二人、真っ青な顔を見合わせるが、急がなくてはとすぐに立ち上がる。
「そいつはお前が使ってくれ。引き続き目玉のついた奴を狙って欲しい」
視線を甲板へ向けると、しがみつく触手とは別に、観察するように空中を揺らめく触手があるのが見える。
「無理だぜアニキ、ぬるぬるで握れねえよ」
踏み出した足を止めると、後ろを振り返る。全身をクラーケンの体液にまみれさせたウルが、滑る手で斧を握ろうと悪戦苦闘している。長い耳や何かから長く糸が引き、実に不快そうだ。
「こいつを使え。便利だぞ」
フレアの下着を預けると、船尾楼の階段を上り始める。下着はともかく、握りを補強する紐や何かは軍の標準装備に追加しても良いかもしれない。
やがて船尾楼を上まで登りきろうとした時、こちらの名前を呼ぶ声に足を止める。船長室から身を覗かせるミリアの姿に若干の達成感を覚える。
「言わなくてもわかってるとは思うけど、ちょっとまずい状況よ。なんとか海上におびき出せない?」
幼い顔の眉間に寄った皺が、現状の危険さを物語る。
「どうだろうな。ちなみにあいつは鉛弾を弾く鱗をまとってる。一撃で仕留める自信があるか?」
こちらの質問に一層皺を深くするミリア。「そんな生き物聞いた事ないわよ?」と発するミリアに、「俺もさ」と答える。
「ついでに言うと、異常な早さで手足が再生する生き物もだな。それよりミリア、ひとつ相談したい事がある」
そう口にすると、思い付いた案を話して聞かせる。ミリアはその案を聞くと「"実に"貴方らしいわね」と複雑な表情をする。
「炎なり雷なりを直接ぶつけるよりはずっと希望があるさ。物は試しだ」
ミリアの返事を待たずに、すぐさま外へと駆け出す。こういった状況でもったいぶるような性格では無い為、あの表情ならば問題ないだろう。
「隊長!! 用意出来ましたが、こいつをどうするんで?」
いくらかの触手を切り裂きつつ、通りすがりに縄梯子を掴む。この縄梯子は船の縁からマストの見張り台へと取り付けて使う格子状のもので、非常に丈夫に作られている。
「重ねて広げるんだ!! 急げ!!」
再度指示を投げると、飛ぶようにして船首へと向かう。途中に何度も触手による打撃を被り、段々と身体の感覚が無くなっていく。
「こいつを使ってくれ……狙えるか?」
牽引用ロープのついた銛を手渡すと、肩で息をしながらバリスタの射手へと尋ねる。牽引用ロープの先には当然何も繋がっておらず、彼は何がなんだかわからない様子のままに海面を覗き込む。
「ダメです! 深くにはいないようですが、船の真下にへばりついてます!」
射手の返答に舌打ちをすると、甲板に向けて大声で叫ぶ。
「ビスマルク!! 船を右に旋回させてくれ!! 全員合図と共に右舷側の触手を一斉に切断するぞ!!」
合図と共に一斉に動き出す剣闘士達。対して何をするつもりだと狼狽しているビスマルクに「説明は後だ!!」と怒鳴りつける。
「わあったよ……俺も男だ。旦那に賭けてみようじゃねえか!!」
ビスマルクは勢いよく操舵台に飛び乗ると、全力で操舵輪を回転させる。やがてゆっくりと傾き出した船が、悲鳴のような軋みをあげる。
――頼むから持ってくれよ
このままバラバラになるのではないかという不安の中、じっとタイミングを見計らう。圧力に耐えられなかった船の構造材が耳障りな音と共に砕け折れ、そこら中から破裂音が聞こえて来る。
「チャンスは一度……一度だけだ……」
ぼそぼそと呟きながら銛から繋がるロープを縄梯子へ結びつけ、じっとその時を待ち続ける。そして永遠とも思える時間の後、ようやく待ちに待った瞬間が現れる。船が大きく傾き、今にもそのまま横転しそうな体勢へ。
「今だ!! やれ!!」
合図と共に剣闘士が一斉に剣を振り下ろす。切断された触手が甲板に転がり、まるでそれ自体が生き物であるかのように跳ね回る。新しい触手がすぐさま無数に海面より現れるが、ここでそれは問題ではない。
右舷側の触手を失くしたクラーケンの体重が左へ集中し、船が大きく揺れ戻す。恐らく舵が壊れたのだろう。後ろからはビスマルクの悲痛な叫び声が聞こえる。
揺れ戻しと共にクラーケンが左舷側へと移動し、海面へ大きな影が浮かび上がる。右舷側に復活した触手がすぐに甲板へと張り付き始め、この状況が長くは続かないだろう事が伝わってくる。
「今だミリア!! バリスタ!! 頼んだぞ!!」」
喉が潰れんばかりに叫び声を上げると、手にした縄梯子を海面へと放り投げる。
――"WallObStone"――
喧騒の中でもはっきりと聞こえる高い声。やがて海上へ光と共に巨大な岩が現れ、そして重力に引かれて落ちて行く。
縄梯子は見事に岩を捉え、そのいびつな形状と下への力によって、岩を包み込んでいく。巨大な水しぶきが上がり、頭から大量の海水が降り注ぐ。
右手より聞こえる、しなやかで強力な木材の弾ける甲高い音。
高速で移動する飛翔体が海面に突き刺さり、牽引用ロープが曳光弾のように銛の軌跡を描き出す。
――だめだ……
銛と縄梯子を繋いだ牽引用ロープが凄まじい勢いで海へと引き取られていき、やがてその姿を完全に消す。
――これじゃだめだ!! 浅い!!
先端が海面に飛び出た銛が、クラーケンに対してかなり浅い角度で入っている事をはっきり伝えて来る。
疲れと痛みが全身を襲い、片膝をつく。
――どうすれば
虚ろな表情で顔を巡らせる。
疲れきった水平達の姿。
剣闘士達の希望の眼差し。
ビスマルクやウル。ミリアにフォックス。
皆が、こちらを見ている。
「ぅうおおおおおあああああっ!!!」
破壊されていた木材の破片を手にすると、迷わず海へと飛び込む。
――こんな所で
暗転する世界。
上も下もわからない薄緑色の闇の中。固く、柔らかい何かに激突する。
――こんな所で終わる位なら
手探りで銛を探り当て、身体を引き上げる。
海から顔を出し、木材を振り上げる。
「わざわざ二周目なんぞやるかよこのやろう!!」
水面に飛び出した銛へ、全力の一撃を加える。
深く、沈みこむ銛。
縄梯子と共に深海目指して落ちて行く岩。そこから延びる緩んだロープがやがてぴんと張り詰め、クラーケンを下へ下へと引っ張り始める。ロープが繋がれた銛は強力な返しがついており、これだけ深くさせばまず抜ける事はないだろう。
強い振動と共にクラーケンの巨体がびくりと震え、暴れる巨体に放り出されるように海面へと打ちつけられる。
――ざまあ見やがれ
声に出したつもりだったが、口の中に入った海水がそれを妨げる。
足元のシルエットが段々と暗く、沈んでいっているのが見える。それはやがて真っ黒な海と同化してしまい、全く見分けが付かなくなる。
――あぁ、疲れたな
疲労により手足が動かず、沈んでいくままに任せる。
明るい視界が徐々に暗くなっていき、いくらもしないうちに薄暗い闇に包まれる。
――死ぬとはこういう事なのだろうか
薄れ行く意識の中、明るい方から何かが近づいてくる。
――天使?
羽衣のように服をたなびかせたそれは、ゆっくりとこちらの身体へ手を回してくる。
――違うな。人魚か……それにしても汚い人魚だ
意識を失う直前に見えたのは、
ゆっくりと動く、ビスマルクのあごに生えた一対の"えら"だった。
近くではあるのですが、引越しをする事になりまして、
次回より、更新が遅れがちになるかと思います。
御迷惑をお掛けして申し訳ありません。