クラーケン
「ぬぐっ!!」
ムチのように繰り出された触手による一撃を飛び退る事で避ける。叩きつけられた触手は派手な音と共に木製の甲板を破壊し、折れた木片が上へと突き出る。
――食らえ!!
かつてサーペントに対してやったように、引き際を狙って一撃を加える。さして切れ味の良いとも思えないショートソードだが、柔らかい触手を両断するには十分なようだ。確かな手応えを感じ、切り落とされた触手を確認する。だが――
「くそっ!! いったい何本あるんだ!!」
悲痛な叫びと共に屈みこみ、新たに繰り出された触手を間一髪で避ける。標的をはずした触手は近くにあった樽を破壊し、木片をそこらじゅうにばらまく。
「助けてくれえぇ!!」
叫び声に顔を上げると、メインマストにある見張り台にいた男が触手によって捕えらる姿。彼は必死にマストへしがみ付いていたが、ひょいと持ち上げられ、海中へと引きずり込まれていく。
一方では触手による一撃で派手に吹き飛ばされ、遠く海へと落ちて行く者。縦に振り下ろされた触手により物言わぬ肉片へと変えられる者等、甲板上はまさに地獄絵図と化していく。
「銛だ!! 銛を打ち込め!!」
混乱の中、誰かが叫ぶ。それに冗談では無いぞと全力で叫び返す。
「やめろ!! 銛を打って潜られてでも見ろ! 船ごと沈むぞ!!」
男を止めようと設置式のバリスタへと足を向けるが、それよりも早く巨大イカの触手がバリスタを破壊する。
――くそ! 三回攻撃どころじゃないぞ!!
各触手による連続攻撃に、幼い頃プレイしたテレビゲームを思い出す。一度に三度続けて攻撃を繰り出してくるイカの魔物は、当時随分な強敵だと思ったものだ。しかし今この状況から見ると、なんと生易しい事だろうかと思える。
「おめぇら!! 鉛弾装填のバリスタだ!! 急げ!!」
激しい喧騒の中、ビスマルクの怒声がはっきりと響き渡る。混乱の中、何人もの勇敢な水兵達が、命令を実行しようと武器庫へ向けて走り出す。
「ナバール!! 私はどうしたらいいの!!」
船室の入り口より顔だけ覗かせたミリア。見ると船室からの出口が破壊されており、小柄なミリアが出るのにやっとのようだ。巨体相手に彼女の力をなんとか借りたい所だが、甲板の上はあまりに危険すぎる。ミリアは我々のように素早くは動けない。
「出て来るな!! なんとか下から船尾楼へ上がってくれ!!」
船室から船尾楼へは内部で繋がっているわけでは無いが、天井を破壊すれば行けない事は無いはずだ。
船室に頭を引っ込めたミリアを確認すると、すぐさま船首に向かって走る。ミリアが船尾楼へ出れるようなら、船首側になんとか奴を引きつけなければならない。
再び振り払われる触手を避けようと、足に力をこめる。
その瞬間、タイミング悪く大きく傾いた船の動きに足を取られる。
――まずい、避けられ
剣を持つ手から頭にかけ、強烈な衝撃が走る。
視界が暗く落ち込み、火花が舞う。
衝撃に引きずられるまま、低くなった左舷方向へと甲板上を滑り落ちて行く。上も下もわからないまま、とにかく何かに捕まろうと手を伸ばす。
下半身への浮遊感と、腕に走る手応え。
――た、助かった!!
船の縁にある手すりにしがみついたまま、顔を下に向ける。ぶらつく足の下には、巨大な黒い目とぬらぬらとしたその胴体。手放した剣が海中へと消えて行く。
「後で、ビスマルクに謝らないとな!!」
懸垂の要領で一気に体を持ち上げると、倒れ込むようにして甲板へと上がる。仕返しとばかりにそばにあった樽を持ち上げると、イカの顔面目掛けて投げつける。
――くそ、駄目か!!
樽はイカに当たる前に、触手によって空中で破壊される。中に詰まっていた魚の塩漬けがあたりに爆散し、塩気のある独特な臭いがあたりに漂う。
ふらつく頭を抑えながら再び船首に向かって駆け出すが、何か様子がおかしいと海面を振り返る。巨大イカの本体が海中へ沈み始めたからだ。
「うおおっ!!」
急に大きく動いた船に、本日何度目になるかわからない転倒をする。反動により今度は右舷側に傾いた船に、甲板上のあらゆる物と並んで滑り落ちていく。
「クラーケンがいるたぁ、あまり歓迎できねえ事態だな。旦那! 生きてっか!?」
船尾側に目を向けると、マストにしがみ付くビスマルクの姿。返事の代わりに手を振って答えると、地面に突き刺さっていた斧を手にする。
――逃げていったのか?
船の揺れ戻しが収まると、あたりを不気味な静けさが包み込む。生き残った水兵と共に恐る恐る海面を覗き込むが、見えるのは散乱した木片やタル等。大量の残骸のみ。
「アニキ!! また来るぜ!! 下から音がする!!」
ウルの叫び声に素早く声を上げる。
「全員何かに掴まるんだ!! また奴が来るぞ!!」」
そう言い終えるや否や、体が浮き上がる程の衝撃と共に船が大きく揺れ動く。投げ出されないようメインマストにしがみ付く為、斧を取り落してしまう。
「あぁ、こんちくしょう!! 俺の船が!!」
悲痛な顔で叫ぶビスマルク。船を持ち上げるようにして再び水面へと姿を現したクラーケンは、水生生物とは思えない巨大なクジラの如き鳴き声を上げる。ぶち当たった船の左舷側が大きく破壊され、空中を大量の木片が舞い散っていく。
「あぁぁ、まずいまずい、沈んじまうぞ……おおい!! 聞こえるか!! 荷物でもなんでも右舷側に寄せてくれ!! 転覆しちまう!!」
ビスマルクが這いつくばるようにして船室へと指示を飛ばす。下の様子は見えないが、剣闘士達が必死に頑張ってくれるものと信じたい。
――何か武器はないか
何もかもが滅茶苦茶になってしまった甲板を見渡す。さきほどまではがらくたで埋め尽くされていた甲板だが、傾いた船と共にかなりのものが海へ落ちてしまったのだろう。小物と呼べるものは綺麗さっぱり無くなってしまっている。
「アニキ!! 投げるぜ!!」
声のする方へ目を向けると、船室からフレアの剣を持ち上げて見せるウル。頷きと共に賞賛の声を上げながら、放り投げられたそれをしっかりと受け取る。
――こいつはさすがに落とせないな
命より大事だとは言わないが、苦楽を共にした思い出の品だ。これを海に落としでもしたら後悔してもしきれない。
袖を引き裂いて包帯変わりにしようとダガーナイフを掴むが、ふと丁度良い品を思い出し、懐に手を入れる。
「なんでも取っておくものだな……迷信もあなどれん」
フレアのドロワーズをぐるぐると右手に巻き付け、剣と手をしっかりと固定する。ベルト替わりの紐がうまい具合に剣の柄を保持してくれる。
「旦那!! 後ろだ!!」
声に反応し、振り向きざまに素早く剣を切り上げる。剣は触手を容易く両断し、腕程もあるそれが両肩をかすめていく。
――くそっ!! 奴はなぜこちらが見えるんだ!?
クラーケンと自分とを阻む木製のコンテナボックスに目を向ける。予備のマストや何かがしまわれているボックスはかなりの大きさがあり、現状の立ち位置ではお互いの姿が目視できない。
「どいてくれ!! バリスタが通るぞ!!」
顔を向けると、ようやく準備が整ったのだろう。組み立てられたバリスタが車輪を軋ませながらこちらへ向かって来る。四人の水兵が傾いた甲板上をなんとか進もうと、全力で踏ん張っている。
「中央甲板からは狙えない!! 船首楼に持っていくんだ!!」
先程の体当たりで破壊された甲板は、飛び出た船の構造材や何かが邪魔をして縁に近付く事が出来ない。船にほとんど密着するようにしているクラーケンを狙うには、かなり端に近付く必要がある。
いざ援護をしようとバリスタの前を走り出すと、前方にゆっくりとゆらめく触手を一刀の元に切り落とす。すぐさまそれを左手で掴むと、バリスタの進路を塞がないように手で奥へと放り捨てる。
――なんだ!?
その瞬間。触手の先端についている蕾のような膨らみが左右に開き、ぎょろりと手のひら程もある目玉が現れる。あまりの気色悪さに顔を引きつらせつつ、視線を周りに走らせる。
「ちくしょう! なんてふざけた生き物だ!!」
甲板上にある切り落とされた触手や宙を舞う触手。それらに視線を流すと、四~五本にひとつは同様にふくらみのある触手である事に気付く。注意深く見ていると、数秒に一度。一瞬だけ蕾から目が現れるのが見える。
「ウル!! ビスマルク!! 出来るだけ先が膨らんでいるのを狙え!!」
そう叫びながら、自らも次の一本を切り落とす。次から次へと現れる触手に辟易としながらも、休むことなく剣を振るい続ける。
やがて蕾の触手を狙い続けた事が功を奏したのだろうか。クラーケンの攻撃がビスマルク達の方に偏った隙を狙い、船首楼へとバリスタを引き上げる。
「急げ急げ!! 全力で巻くんだ!!」
配置の完了したバリスタのクランクを、二人の水兵が必死の形相で回していく。回転運動がギアに伝わり、人の手では決して引けない巨大な弓が徐々に引き絞られていく。
「鉛弾装填!!」
「了解! 鉛弾装填!!」
時折現れる触手からバリスタを守り続けていると、ようやく待ちに待った声が背後から上がる。
「鼻っ面を吹き飛ばしてやれ!!」
そう叫んだ数瞬後、重い木材同士が衝突した鈍い音が響く。
ほぼ同時に聞こえる金属同士がぶつかる甲高い音。
クラーケンの体が一瞬びくりと振動し、あたり一面に光る何かが散乱する。海水や体液に混じって飛び散った内のひとつ。足元に落下したそれを、疲れで震える手で拾い上げる。
「……鱗?」
直径十センチ程のいびつな光る板。見覚えのあるそれの正体を、苦しい表情で受け止める。
「次弾装填急げ!!」
戦果を確認しようと首を伸ばしていた水兵たちに発破をかける。すぐにクランクを回し始めた水兵を横目に、クラーケンの姿を見つめる。大きく光る目にほど近い一部。そこがえぐれるように陥没しているのが見えるが、言ってしまえばそれだけだ
「同じ場所にもう一度撃てれば……っと、今度は何だ!?」
船の両脇から一斉に伸びる大量の触手。驚きの声を上げて身構えると、それらが一斉に船の縁へとへばりつき始める。そして巨体には見合わぬ速さで海中へと潜り始めるクラーケン。
――まさか
茫然とした思いでそれを見つめていると、急に船が大きく旋回を始める。危うく転びそうになった身体をなんとか支えると、乗り出すようにして海面を覗き込む。
「引き摺りこもうとしてやがる……」