後手
「怪しいね。実に怪しい」
すっかり様変わりしたニドルの執務室。フレアが頬杖をつきながら実に不機嫌そうに発する。
「だけど螺旋の勇者というこの言葉。これを知ってるのは私達だけよ?」
執務室にいる他の三人。つまりアキラ、フレア。そしてこちらへ視線を投げながらミリア。彼女は机の上にあった例の手紙を手に取ると、他に何か情報が得られないだろうかと思ったのだろう。穴を開けるかのようにまじまじと見つめる。
「そうだ。だから内通者が知らせたという点も無いな。それにわざわざこんな手の込んだ事をする理由が無い。聞きたいんだが、預言者というのは本当にいるものなのか?」
まず大前提はそれだろうと、訝しげな表情のまま訪ねる。
「何百年も前にそういった類の聖人がいたという話は聞いた事があるが、実在したのかどうかは怪しい物だね。まだミリアのように強力な魔法使いだと言われた方が納得できるよ」
フレアが呆れたようにそう返す。そっちはどうだとミリアへ視線を送ると、意外な言葉が返って来る。
「いいえ、いる……じゃないわね。いたわ。まだ私が冬眠する前だから四百年程前になるのかしら。扉の会のドルイドがそういった力を持ってたわね。とはいってもフレアの言う通り、超能力ではなくて魔法だけど」
突然飛び出した扉の会という言葉に、思わず「はぁ!?」と声を上げる。
「忘れたのかしら。あそこは一応宗教団体よ? 破壊活動や何かが目立つけれど、大方は普通の宗教活動をしてるわ。当然、信仰に近付く為に魔法の研究だってしてるでしょう。というより信仰対象の扉が実在するんだから、他の宗教よりもずっと熱心なんじゃないかしら」
続けられたミリアの言葉に、言われてみればと納得をする。
確かにそうだ。雲の上にいる超越者に近付きたいといってもどうすれば良いのか検討も付かないが、扉について知るというのは比較して実に簡単だろうし、実践的だ。魔女が魔法で作った物を魔法によって研究する。魔法そのものに詳しいわけではないが、理に適っているように思える。
「カダスが扉の会と関係している可能性は?」
流れ的に当然生まれるだろう疑問をアキラが口にする。それに「どうだろうな」と返し、続ける。
「もしカダスが扉の会の人間だとしたら、我々はもっと手痛い打撃を被っていてもおかしくなかったはずだ。ネクロはもっと簡単に我々を打ち倒していただろうし、こうして東へ逃げるのも難しかっただろう。可能性としてあるのであれば――」
話しながら浮かんだ考えに、それはありえるのだろうかと迷い、フレアを見る。彼女はいくらか考えた様子を見せてから口を開く。
「無いとは言い切れないね。君が言いたいのは内部派閥の事だろう? 巨大な組織が一枚岩で固まるという事は、まあ、よほどの事情が無い限り有り得ない。ネクロと敵対する派閥の人間……ふむ。なかなかしっくり来る考えではあるね。おもしろそうだ」
何やら思い付いた様子のフレア。彼女はテーブルを指でこつこつと叩くと、考えに没頭し始める。
「他にそういった。未来を予知するような魔法を使える人はいないの?」
アキラがミリアへ向けて発する。ミリアは人差し指をあごに当てて天井を仰ぎ見る。
「私の知る限りではいないわ。もちろん魔法として存在している以上、可能性で言えば無数にあるとは思うわ。けれど実際問題いるかどうかと言えば難しいんじゃないかしら。未来が見えるというのなら、カダスのように何らかの形で表に出てきてそうなものじゃない?」
ミリアの言葉に、「確かになぁ」と腕を組むアキラ。こちらも同意の言葉を差し挟むと、「間違いなく目立つはずだ」と付け加える。
「地球のように馬券や株を使って機械的に儲けるという事が出来ないからな。物価の乱高下を読む事は出来るかもしれないが、取引には人を介する必要があるし、信用がなければ取引自体も出来ない。政治や何かにしても同じだな。恐らくどんな形であって隠し通すというのは難しいだろう」
もちろん、現在までは少なくともうまく隠れて続けているという可能性はある。だが、わざわざ危険を冒してまでその力をこちらと敵対する事に使う理由があるとは思えない。ネクロマンサーだけがその力の持ち主を知っているが、それをわざわざこちらに知らせた上で、もっとうまい使い方がいくらでもあるだろう方法で使う。そんな状況も可能性としてゼロでは無いだろうが、そこまでいくとさすがに馬鹿馬鹿しい。
「第三者がカダスを騙るなりなんなり。その力を使ってどうこうという可能性は無いものとして考えて良いだろう。何よりキリが無いしな。そしてカダスがこちらと敵対している可能性も、先ほど言ったように無いだろう。俺だったら船ごと沈めてるだろうな」
人数で言えばそう多くは無いが、海路組には自分を含めて軍の中心的人物が揃っていた。これを失えばこちらは再起するまでに何年かかるかわかったものでは無い。致命的だ。
「直接聞けたらいいんだけど、居場所すらわからないんじゃあねえ」
頭の後ろで手を組んで仰け反るアキラ。同じ様に伸びをすると、「まったくだ」と同意する。
「ふむ。水軍の件といい、我々が有利になる事で向こうに何らかの利益があると考えるべきだろうね。伊達や酔狂で水軍をそのまま寄越す馬鹿はいない。カダスが何者だかは気になる所だが、現時点では判断のしようがないさ」
今まで黙りこくっていたフレアが、顔を上げてそう発する。各々は不承不承ながらも頷く事で同意を示す。
「全面的に信用するわけでは無いが、アイロナ一帯が俺達の生命線である事には変わりない。この件が無かったとしても、あのあたりには砦なり城なりを建設する予定だったんだ。それがアイロナ南西部に決定した所で問題は無いだろう。カダスについては最優先とは言えないが、可能な限り調べを進める……よし、この方向でいいか?」
とりあえず決まりと思われる事柄をまとめる。フレアはもう一度それらの事実を思案すると、「まあ、その辺が妥当だろうね」と承認の声を発する。ではさっそく取り掛かろうかと席を立とうとした時、フレアが意地の悪い笑みと共に口を開く。
「だが、螺旋についての知識があると思われる相手を放置するというのは、どうしても精神衛生的にいただけないね。諸君らもそうだろう? そこで、だ。直接会えないというのであれば、間接的にいこうじゃないか」
疑問符を浮かべる一同。フレアは急ぐでもなく、ひとつの案を語り始める。
「ネクロが王家側に行った以上、もう関わる事も無いと思ってたんだがなあ……」
ニドルの主力防衛力となる約五百人の剣闘士達と共に、目の前にそびえ立つ古びた砦を仰ぎ見る。かつて初めてネクロマンシーを目撃する事になった、ニドル東にある例の砦だ。
砦の見た目は記憶にある姿と寸分の違いなく同じであり、違う事といえば外に捨てられたゴミや何かに死体が混じっていない事くらいだろう。五百という数を連れてきたのは、当時と違って十分な量の人員。つまり敵がいた場合に備えての物だ。
「世の中何が起こるかわからないものね……それよりどうするのかしら。扉ごと吹き飛ばす?」
ミリアが非常に物騒な提案をする。それに「なかなか魅力的ではあるがね」と返しながらも首を振る。
「威圧ならこの軍勢だけで十分だよ。一応我々は"話し合い"に来たんだ。あまりやくざな事も……あぁいや。やっぱりどうでもいいや」
少し離れた場所に設置中の投石器が目に入り、大した違いもないなと溜息をつく。バリスタ――機械式に設置された巨大な弓――の動力を利用した投石器は、重い鉛玉や石を高速で発射する攻城兵器である。内部の人間に使者を送ってからかなりの時間が経っており、定刻までに返答が無い場合はこれで徹底的にいやがらせをする算段だ。今回は鉛玉では無く、油壷を投擲して火を付ける。
「言い訳するつもりじゃないが、ここはちょっとニドルに近すぎる。連中が明け渡すつもりが無いようなら、徹底的に叩き潰すしかないだろうな」
できれば無血開城と行きたいところだがと、古びてはいるが堂々たる砦の門へと目を向ける。その瞬間、偶然にも門が開き、中から使者と思われる女が歩み出て来る。門はその後再び閉まるかと思いきや、そのままの勢いで完全に開ききるまで開け放たれる。何人かの団員が砦の中の様子を伺う為に中へ入り、再び外へと出てくる。どうやら無事に明け渡しが済みそうだ。
「団長、武器の類はわんさかあるようですが、武装はしていません。奴ら本当に明け渡すつもりのようですぜ。それと結構な身分と思われる人物が数名います。責任者でしょうか」
ツヴァイはこちらへ駆け寄って来ると、中の様子をそう報告してくる。責任者と思わしき者がいるという事に驚きを表すと、砦へと急ぐ。
――幹部か? だとすると初めてだな
長い間扉の会とやりあって来たが、結局幹部クラスの人間と相対した事は無かった。
「何か新しい動きへのきっかけにでもなればいいんだが……」
一抹の期待と共に城門を抜ける。
中に見えたのは広場へ集まった多数の信者たちと、例の代表者と思しき男女が三名。特に抵抗するような様子は見えず、不安そうな顔はしているものの、団員の指示には素直に従っているようだ。
「あなたがナバール様ですか」
三名のうちのひとり。優しげな顔立ちの猫族の女が声を掛けてくる。黒いローブの間からは質の良さそうな衣服が確認でき、物腰も上流階級のそれを感じさせる。白い肌のはっとするような美人だが、どことなく物憂げな表情。状況的に致し方ないかもしれないが。
「ここから立ち退いてもらうだけで、どうしようってわけじゃないさ。いくつか聞きたい事があるので、それには答えてもらうがね」
今後の質問という名の尋問に備え、少し脅すような口調で語る。ちらりと横目で顔色を伺うが、残念ながら意に介した様子は無さそうだ。
「似るなり焼くなり好きになさって下さい。あなたが成す事であれば、どんな事でも受け入れましょう」
女の言葉に、思わず引きつった表情を向ける。
――いわゆる宗教的なアレってやつか?
常識的に考えれば初対面の相手に言うような台詞では無い。若干の嫌悪感と共に女を見ていると、まるでこちらを見透かしたような笑みと共に女が口を開く。
「ですが、あなたが必要以上に暴力を振るうような人で無い事は良く知っています。それだけではありませんよ。今日ここに来るという事も、その目的も知っています。全て彼から聞きました」
女の言葉に内心驚き、しかし表情には出さずに目を見る。
――なるほど。全てお見通しってわけか
溜息と共に空を見上げると、「そうか」と短く発する。
「えぇ、そうです。カダスは私たちがナバール様に協力する事を望んでおり、私達はそれに従う意思があります。そうですね……詳しい話はフレア様とご一緒にいかがでしょう」
未来を読む魔法はあまりに強大で、それほど詳しい内容を知る事は出来ないはず。ミリアが出立前に言った言葉だったが、どうやら例外もあるようだ。カダスがどれ程のものかと多少懐疑的であったが、どうやら強力な預言者。そして魔法使いである事は間違いないらしい。
今までずっと自分が"やる側"の人間だったが、なるほど。未来を知られるというのはどうにも気分が悪い物のようだ。
なんともまぁ、先が思いやられる。