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出航

「うおおおおお、でけえええええええ!!」


 苦心の末辿り着いた大海原に、ウルが感嘆の声を上げる。彼女は感動に打ち震えた様子で、波打ち際へと駆け出していく。

 見るとウルだけで無く、共に来た町の人含め、多くの人間が同様の反応を示している。かくいう自分もその一人だ。


「これが……海?」


 水平線まで延々と広がる巨大な水たまり。それは間違い無い。だが――


「真っ黒だな……飲み込まれそうだ」


 一面、まるでタールを流し込んだかのような黒。試しに手を差し入れて見ると、手首のあたりまでつけた頃には指先がほとんど見えなくなる程だ。特に粘性があるわけでも、潮以外の匂いがあるわけでも無い。手ですくってみると、やや緑がかった色がある事がわかる。


「隊長も海を見るのは初めてですか?」


 やや得意げな顔のアイン。違うよと答えようとするが、それもどうだろうかと口をつぐむ。地球の海とこれだけ違っていては、初めてと言っても良いだろう。遠目にはわけのわからない間欠泉のような水柱が立ち昇っており、かと思えば何も無い中空から滝のように水が溢れ出ている。正直頭がどうにかなりそうだ。


「本当にしょっぱいのね。やっぱり知識があっても、実際に体験すると驚くわ」


 横に目を転じると、海水の味見をしているミリアの姿。よくもまあこれを口に出来るものだと感心するが、考えて見ればこちらではこの海が当り前なのだろうから、特に抵抗感は無いのかもしれない。


「あれはなんなんだ? 何か色が違って見えるが」


 遠方に見えるひときわ黒く沈んで見える領域を指さす。アインは「あぁ」と続ける。


「下への穴でしょう。時折海の下へ落ちる大きな穴があって、どこか深くへ続いています。船乗り達の間では巨大な化物の口だとか、別の下への穴へと繋がっているだとか、色々言われていますね」


「実際に落ちて帰ってきた人はいませんが」と笑って答えるアイン。これから海へ出ようというのに、笑いごとではないだろうと思わず顔が引きつる。十年近くをこの世界で生き、少しは世の中の事を知ったつもりになっていたが、どうやらとんだ甘い考えだったようだ。


「なぁおい。はしゃぐのはいいけどよ、ちったぁ手伝ってくれたらどうだ?」


 不機嫌というより呆れた様子の声。声の主であるビスマルクと彼の部下達は、船と陸とを繋ぐ足船へと積み込みが出来るよう、せっせと荷物の仕分けをしていた。


「追い返したっていってもよ。いつ戻ってきてもおかしくねぇんじゃねえか?」


 ビスマルクが言っているのは昨日追い払った略奪軍についての事だろう。「ふむ」と少し考えてから返す。


「こちらの目的が船である事を連中は知らんはずだ。知っていれば回り込むなりなんなりするはずだし、これ以上被害を増やすわけにもいかんだろう」


 このまま引き下がるようでは領主としての体面に差し障りがあるかもしれないが、面子というのはあくまで実利あってこそのものだ。


「もしかしたら利用されたのかもしれんな」


 あごに手を当てながらそう答える。「罠って事なんか?」と顔をしかめるウルに「いや」と続ける。


「あそこの家は年頃の跡継ぎが四人かそこらいたはずだ。突進した十騎の中には貴族もいたようだから、恐らくそれが長男以外の誰かだろうな。王家に仇なす逆賊との戦いによる戦死だ。跡目争いの憂いを絶つには丁度いいだろう?」


 少し皮肉気にそう言うと「えげつねえな」と苦笑いのウル。


「十字軍だってそういう側面が……って、こっちに十字軍は無いか。まあ、貴族なんてそんなものさ。それより船が来たみたいだぞ。ガレー船か」


 黒い平面の上。岩陰からゆっくりと姿を現したのは、三角マストの平たいガレー船が三隻。決して大きくは無いし飾り気も無いが、無骨で力強く、いかにも軍船といった頼もしさを感じ取れる。


 やがてマストを畳んで停止したガレー船から、それぞれ二隻ずつの足船が向かい来る。街の住民と共に歓声をもってそれを迎えると、さっそく荷の積み込みを開始する。初めて見る海に不安を見せる顔も多かったが、それよりも助かったという気持ちの方が大きいようだ。


 ピストン輸送された荷物は次々と船室へと押し込められ、決して広くはないスペースに年寄り子供が入れる隙間を何とか作り出す。家具や何かといった比較的丈夫な資材は甲板へと固定し、入りきれなかった者達用の簡易テントを作成していく。


「時期が良かったな。冬だったら多くの死者が出ていたかもしれない」


 すっかり夏の陽気になった空を見上げる。この様子だと、昼の炎天下で船室が蒸し風呂になってしまうかもしれない。弱者を船室に入れたが、場合によっては交換した方が良いだろうか。


「まぁ、船旅の経験は無いから、専門家に任せるしかないだろうな」


 一人ぶつぶつと呟くと、甲板の縁に腰掛ける。

 空は高く、青く、海面とそれが信じられない程のコントラストを生み出す。ちかちかとする目を細め遠くを見つめると、海鳥だか飛行型の魔物だか、何かの生き物が旋回している姿が見える。


「錨を上げろお! 出航するぞお!!」


 船首方面よりビスマルクの声。応の声と共に屈強な男女がロープを引き、石で出来た錨が海中から姿を現す。やがて高い声の女が荒々しい歌声を響かせはじめ、拍子に合わせて左右のオールが複雑な円運動を開始する。

 良い船旅になれば良いなと、名も無い神に祈りの声を発する。八百万とまでは行かないが、多神教の広まっているこの世界だ。聞き遂げる神もいるかもしれない。

 船は、ゆっくりと沖へと向けて動き始めた。




「やあ船長。風の様子はどうだい」


 満天の星空の元。わずかな月明かりの中で、船首付近へ座るビスマルクへ声を掛ける。


「まあまあだよあんちゃん。酔いはちったあ醒めたか?」


 にやにやとした様子で酒瓶を差し出してくるビスマルク。「そいつを見ただけでまたこみ上げてきたよ」とかぶりを振る。


 正直、船酔いのつらさは想像以上だった。

 中には平気な者もいたようだったが、出航後しばらくするとかなりの人数が身体の不調を訴え始めた。症状からただの船酔いであるのは明らかだったものの、丁寧に説明してもなかなか理解してもらえず、やれ呪いだのやれ疫病だのと、一時甲板は騒然となった。結局ミリアが魔女である事を利用して事態の収拾を行ったが、間違った迷信を広めてしまった事にいくらかの罪悪感が沸く。

 ひとつまみの麦を噛まずに飲み込み、ゆっくりと休めば直る。全く根も葉もない嘘だったが、プラセボ効果というのは恐ろしい。何割かの人間は本当にそれで治ったとの事だった。今では「さすがナバール様だ」と間違った尊敬の目を向けられる形になり、正直居心地悪い事この上ない。宗教家というのはこうやって生まれるのだろうか?


「げっへっへっ、そいつは悪かったな。だがまあ、しばらくすりゃ何ともなくなるだろうよ。誰もが通る道さ」


 そう言うとぐっと酒瓶をあおるビスマルク。まだ少し吐き気の残るこちらとしては羨ましい物だと思いつつ、彼の向かいに腰掛ける。


「見ろよ。いい女だろう? 俺たちの幸運の女神だ。アマダス様っつうお天道様の化身だな…………ふむ。カダスか?」


 船首に付けられたドレス姿の彫像を眺めながらビスマルク。「あぁ」と答えると、彼と同じ様に船首像へと目を向ける。


「一度会ってみたくてな。この船にはいないのか?」


 敵対するつもりは無いと、できるだけ穏やかな様子で訊ねる。ビスマルクはちらりとこちらに目を向けると、ううんと唸り声を上げる。


「どうだかな。今朝までいたのは間違いねえが、正直俺にもわからねえ。本国への連絡船に乗ったのかもしれねえし、他の二隻のどっちかにいるのかもしれねえ。いつ、どこに現れるのか誰にもわからねえんだよ。まさに神出鬼没ってやつだな」


 遠くを見てにやつきながらビスマルクが語る。そんな指導者がいるものなのか?と懐疑的な目を向けると、含みのある顔を見せるビスマルク。


「カダスはな、預言者なんだ。不思議な力があって、未来を見通す事も出来る。嘘じゃねえぜ? 実際に俺も目にした事がある」


 陶酔した様子でそう語るビスマルク。預言者という言葉に怪しげな印象を受けるが、考えてみれば魔法のある世界だ。預言者のひとりや二人は本当にいるのかもしれない。

 どうとでも取れるよう眉を上げる事で答えると、ビスマルクは何やら懐をまさぐり始める。しばらく全身を掻き毟るように手を動かすと、ようやく目的の物が見つかったらしい。ウィンクと共に襟の間からゆっくりと紙切れを取り出すビスマルク。


「カダスからお前にだ。封はねえが、開けちゃいねえぜ。呪われるからな」


 呪いという言葉にかつてトレントから受けたそれを思い出し、少し胸がむずむずとする。指でつまむように手紙と思われるそれを受け取ると、月明かりに文字を照らし出す。


 手紙は非常に簡潔で、挨拶も何もあったものでは無かった。

 しかしその短い文章は、例えようの無い衝撃となって全身を駆け巡る。


 手紙が持つ手が震え、脈が警笛のように拍動を早める。

 何かを言おうと口を開けるが、相応しい言葉が何も思い浮かばない。


 ただ、何かの見間違えでは無いかと、じっと手紙を見続ける。


 一体どれほどそうしていたのか。

 それを知る術は、結局見つからなかった。




 会戦は半年後。アイロナ南西部の平原にて。国王軍五千と不死者五千。願わくば、御身に勝利と栄光を。

                ――預言者より螺旋の勇者達へ





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