騎馬
限界まで引き絞られた弓が、きりきりと虫の鳴き声のような音を発する。
林に隠れた三十の友軍は、各々が最も狙いをつけやすい相手を睨みつける。
「てっ!」
短く発する射撃の合図。
同時に放たれた矢が、隊列の最後尾目掛けて放たれる。
声に気付いた敵の歩兵が振り向き、その顔面を矢が貫く。傍では、尻を射抜かれた馬が後ろ脚で立ち上がり、騎手が派手に振り落とされる。矢傷を負った痛みや驚きの声が次々に上がり、ドミノ倒しのように後ろから前へと混乱が広がっていく。背負っていた盾を構える者。すぐさま指揮を執り始める者。何をすれば良いのかわからず、ただ慌てる者。
――奥の林へ逃げ込めば良いものを
二射目を放ちながら、相手指揮官の不慣れな指揮を眺める。最も良い反応を示したのは隊列の中腹に見える部隊で、大き目の盾を構えた横隊がすぐさま展開を開始しようとしていた。決して無能揃いというわけでも無さそうだ。
「もういいだろう、引き上げるぞ」
初撃が十分に効果を果たしたと判断し、引き上げの合図を送る。なにせ相手の数が数だ。まともにぶつかるつもりは無いし、その必要も無い。まさか負傷者を置いていくとも思えないので、これだけでもいくらか行軍速度を遅らせる事が出来るはずだ。
やがて応射と共にいくらかの敵兵が林目掛けて走り込んでくるが、こちらは全員が騎乗しており、さして密度の濃く無い林の中を十分な余裕を持って走り抜けて行く。
「全員揃ってるか?」
道に陣取る敵から十分な距離を取ると、一旦集合して点呼を取る。二名程が軽い擦り傷――林の中を走ったせいだ――を負っていただけで、全員が無事に揃っていた。
「ラーカにも怪我は無さそうだな……よし、では騎馬を誘い出すぞ」
よく頑張ってくれたと労わるようにラーカを撫でてやると、相変わらずの不細工な鳴き声が返って来る。
「奥側?」
近くで暇そうに周囲を警戒していたフォックス。質問は道の反対側へ回り込むかどうかという事だろう。
「いや、道に出る。ざっと見た所長弓兵は見当たらなかった。奴らを見下してやろう」
口元に笑みを浮かべてそう答えると、小隊ごとに別々の目標へと向けて出発する。
途中、避け損ねた枝で頬に切り傷を作りつつも街道へと到着すると、何をするわけでも無くのんびりと敵軍を追跡する。道は下り坂で、お互いの姿がはっきりと確認できる。相手はこちらに気付くとすぐさま警戒し、隊列を整え始めた。
「お互い矢は届かない距離だ。のんびりやろう」
目的は時間稼ぎであり、戦う事では無い。
敵軍は一向に動きを見せないこちらにしびれを切らしたのか、歩兵の横隊を前面に歩みを進めてくる。こちらはそれに合わせ、後ろへと引いていく。
「む、やっこさん何か言っているな。ウル、聞き取れるか?」
遠くより聞こえる敵軍の叫び声。十中八九罵りの言葉だろうが、念のために尋ねる。
「弱虫だのなんだのって言ってるぜ。だからどうしたって感じだ。へっ!」
ウルの言葉に「そうだな」と答えると、全員に笑い声を上げるよう指示を出す。最初のうちこそぎこぎない笑い声を上げる彼らだったが、先日アインがグレースに振られた際の流れをウルが実演しはじめ、オチと共に大爆笑が起こる。もちろんアインを除いてだが。
「ちくしょう、ウルの奴覚えてろよ……あ、向こうさん引いていきますね」
相手にしても無駄だと思ったのだろう。敵軍はこちらを警戒しつつ、後退をしはじめる。
「ふむ。では追おうか。伏兵を配置した気配は無いな?」
まわりの顔を一通り伺う。特にそれらしき動向を見たという者はいないようなので、再び前進してつかず離れずの距離を保ち続ける。敵軍は不快な様子を見せつつも、無理に攻撃してくる様子は無さそうだ。
――パスリーがいれば良かったんだが
ロングボウに匹敵する投射が出来る彼がいれば、挑発もずっと効果的に行える事だろう。だが彼も重要な軍の指揮官であり、たかだか挑発に便利だからという理由で連れまわすわけにもいかない。
北南戦争時からを通して常に一緒にいた友人。いわば親友といっていい人物が、出世や何かによりだんだんと遠くへ行ってしまうというのは寂しいものだ。どこそこの店にいる娘が美人だとか、あそこの娼館にいる誰それは色々とお上手だとか。昔はそんな実にくだらない事を言い合ったものだが、それも今では難しい。二人きりであれば別だが、そういった下世話な会話は育ちのいい令嬢達には当然受けが悪い。
「隊長、そろそろですよ」
考えに没頭していた頭を、すぐさま戦闘モードに切り替える。先を見るとようやく長い下り坂が終わりをむかえ、林と共に平坦な地形が広がっているのが見える。
追跡速度を落としながら敵軍の前方をじっと眺めていると、集団の先頭をかすめるように林から躍り出る騎兵の姿が目に入る。わずか十騎の騎兵は先頭集団に弓による攻撃を仕掛け、足早に向こうへと走り去って行く。閃光と煙が見える事から、フォックスが何らかの魔法を使ったのだろう。
「あぁ、くそ! ひとりやられました!!」
アインの言う通り、逃げる途中で仲間が一人落馬し、その場にうずくまっている。フォックス達は救い上げようとしたのか一瞬ラーカの向きを変えるが、諦めたようで再び元の方向へと走り続ける。残念な事に相手の射程圏内のようだ。
「完全試合というわけには行かないさ……さぁ、行くぞ」
心の中で短く冥福を祈ると、小隊を引き連れて林へと踏み入る。これで現在十騎が相手の前方におり、残りの二十が林へ潜む形になる。
――さぁ、出てくるかな?
ヘルムのバイザーを下ろすと、足早にラーカを走らせる。弓が効果的では無いが、お互いの姿を十分に視認できる距離。
「何をやってるんだ……ほれ、急がないと前と合流しちまうぞ」
一向に動きを見せない敵軍騎兵。もしやお飾りの騎兵なのだろうかと疑りの考えが生まれ始めた頃、ようやくそれが動き始める。
「動いたな! 行くぞ!! タイミングを合わせろよ!!」
大声で仲間に発すると、ラーカを全力で走らせる。どれだけの速度が出ているかはわからないが、林の木々が飛ぶように過ぎて行き、恐怖心さえもが生まれる。
やや前方を見ると十騎ほどの騎兵がフォックス達を追うべく走り出しており、普通に考えるとラーカの足ではとても追いつけそうには見えない。数が十しかいないのは、軽騎兵相手であれば十分だと踏んだのだろう。
「今だ!! 行くぞ!!」
木の隙間を縫い、街道へと躍り出る。いまだ敵の射程圏内ではあるが、仲間が近くにいる以上、射撃はあり得ない。
それなりにある傾斜の坂道を、不格好な程仰け反りながら走り抜ける。前方には敵の騎兵が走っており、その差はぐんぐんと短くなっていく。
――見てくれだけで差別するのが悪いんだぜ
平地であれば、ラーカよりも馬の方がずっと早い。しかし馬は下り坂が苦手であり、さらには重武装の兵が上に乗っている。対してこちらは比較的軽装であり、雪山だろうが砂漠だろうが平気で走り抜けるラーカだ。乗り物としてこれほど優れた動物もいないだろうラーカではあるが、どうしようもない位に不細工である為、フランベルグ始め周辺国では騎士の乗り物としては避けられている。だが、東では知った事では無い。
――そしてこれもだ!!
やがて敵騎兵へ肉薄すると、迷う事無く馬へと槍を突き入れる。
馬は非常に高価な物であり、通常は戦利品として捕えるものとされている。また、これを狙うのは卑怯な事ともされている。
だが、そんな事は知った事では無い。
こちらは生きるか死ぬかの瀬戸際にあり、馬を持ち帰る余裕など無い。一応騎士という立場にはあるが、その後ろ盾であるフランベルグ王家と対立しており、フレア共々爵位などとっくに無くなっている事だろう。卑怯者だと喧伝されるかもしれないが、こちらは元々剣闘士としての名の方が高い。気にする必要も無いだろう。
暴れ出した馬から振り落とされる騎士を横目に、次の獲物へと襲い掛る。
右手に持つランスから逃れるよう、左側からするり接近し、盾の上から繰り出される一撃を槍で受け止める。
――そんなに身を乗り出しちゃあいかんよ
滑らせるようにランスを受け流すと、それを手で掴み、思い切り引っ張る。体勢を崩した敵騎士は咄嗟に手を放したようだったが、崩れた体勢のままこちらへ倒れ込んでくる。
――行くなら一人で行ってくれ
高速で流れゆく地面。なんとか落ちまいとこちらの足にしがみつく騎士の顔面に、強烈な一撃を加える。ついでに並走する馬に蹴りを加えると、騎士は離れ行く二頭の間に飲み込まれるようにして落ちて行く。
目を前へ戻すと、いつの間にかトップにいたらしい。援軍へと戻ってきたフォックス達とすれ違う。後は任せたぞとばかりに左手を振り上げると、気合の入った掛け声を上げる追撃隊。
矢の射程外へ逃れるようラーカを進めると、ゆっくりと戦場を眺める。最も重要な運動エネルギーを無くした敵騎兵は、味方の騎兵に翻弄され、一人。また一人と戦場から脱落していく。
「さて、次はどうするかね」
再びこちらへ合流すべく戻ってくる二十名を眺めると、さらなる嫌がらせの手段を考え始める。重要な戦果として数えられるような戦いでは無いかもしれないが、これも立派な戦争だ。
「まぁ、せいぜい苦しんでもらうとしよう」
稀代の英雄とはとても思えないだろう笑みを浮かべると、
次の作戦へ向け、ラーカを走らせ始めた。