平穏と来客
「おかえりなさい団長。どうでした?」
あらゆる資材が持ち出されてすっかり寂れたアンガルの砦。くたびれたラーカから荷物を下ろしていると、出迎えに来たウォーレンが訪ねてくる。
「駄目だ。今回もはずれだった」
特に表情を変える事も無くそう答えると、「残念です」とウォーレン。
「そんな顔して見ないでよ。頑張ってはいるのよ」
ウォーレンがちらりと送った視線に気付いたミリアが、少し悲しげな表情で答える。
「しかし地脈の偽装とはな……考えもしなかった」
少し遠い目をして呟く。得る物の少ない旅というのは精神的な疲労が大きい。
相変わらずの小康状態である戦場を離れ、ネクロが使用しているだろう地脈を探し始めてから既に2ヶ月が過ぎた。訪れた場所は六を数えたが、どれもがネクロとは全く関係の無い地脈だった。
最初のひとつが見つかった時は歓喜の声を上げ、ふたつ目には希望の声を。みっつ目以降は疑念の声を上げる事に。考えて見れば半年はかかると思われていた地脈の割り出しが、たかだかひと月かそこらの努力で見つかる方がおかしいのだ。
ネクロマンサーが各地の地脈に対し、偽装を施している。
少なくない労力の対価として得たものが、以上の結論だ。
「でも相手が偽装工作に走り回ってるって考えると、国軍が大人しくしている現状と合致しますね」
少し疲れた顔をしたジーナ。「確かにな」と返し、続ける。
「国軍はフレアの軍がどれだけ恐ろしいかを、北南戦争で肩を並べた事によって良く知っている。ネクロの援護無しではあまり積極的には出たくないだろう。既に数千人規模の編制は整っているとの報告があるから、やろうと思えばいつでも来れたはずだ」
馬番にラーカを預けつつそう言うと、「まだありますよ」とウォーレン。
「国軍が何よりも困っているのは食糧のはずです。日持ちのする食糧はボスが買い占めてしまいましたからね。諸侯に糧の提出を要請しているようですが、穀物の値上がりから上手くはいっていないようです」
ウォーレンの言葉に「そいつはいい知らせだな」とあくどい笑みを向ける。
「なんつーか、ほんと行き当たりばったりだな死体野郎は。俺だってもうちょっと考えて動けるぜ?」
ラーカの上で器用に寝そべりながらウル。それはどうだろうなと心の中で突っ込みつつ、「お前ならどうする?」と尋ねる。
「何が目的かしんねぇけど急いでんだろ? だったら迷うことなく全軍で突っ込むぜ。食いもんなんか敵のを奪っちまえばいいじゃねえか」
ウルの意見が意外とまともで驚いたのだろう。周囲から「ほぅ」と声が上がる。
「略奪を前提とした進軍か。悪くない案だな。というより正直な所、今ウルが言った方法で攻められるのが一番懸念されてたんだ。数の波に飲まれたらどうしようも無いからな」
笑顔と共に「ちゃんと脳みそ詰まってるんだな」と頭に手を伸ばすが、「うるせ!」と噛み付かれそうになり、あわてて手を引っ込める。
「だけど今じゃもう通じないんだろう? 旧本領ならともかく、ニドルは遠すぎるし、砦もあるさね。そこんとこどうなんだい」
頭の後ろで手を組むベアトリス。のほほんとした彼女に「いや」と答える。
「今でも十分有効だ。かなり効果的な抵抗をする事は出来るだろうが、最終的には押し潰されるだろう。しかしそれをやると国軍もただでは済むまい。間違いなくお互いが破滅するだろうな」
現実の戦争はゲームと違い、戦いに勝利した後にも続きがある。ただ勝てば良いというのでは無く、勝利後に利益をもたらし、次の戦いに備えなければならない。ここで国軍が無茶をして這う這うの体になるような事があれば、フレアがいなくなっても他の諸侯がすぐさま王の座を奪う事になるだろう。
――もしや当てが外れたか?
ネクロマンサーの取る一連の拙い行動に、漠然とそんな考えがよぎる。奴の取る行動はどれも短慮で、まるで子供のようだ。単純に兵の多さから王を選んだが、実際に動かす段階になってから「そう簡単な事では無いのだな」と気付いたのではないだろうか?
"凄い凄い、まさかここまで来るとは思わなかったな。驚いたよ"
苦々しい思いで、数少ないネクロの肉声を思い出す。
若々しく、無邪気な声。
――まさか……本当に?
もしかして我々は、大きな勘違いをしているんじゃないだろうか?
ネクロはミリアの母親で。
数百年を輪廻で生き抜いて来た老練であり。
強大な魔法使いである。
「……本当にそうなのか?」
この場に答えられる者などいないだろう呟きは、見張りの発した大声によってかき消される。
「遠方に正体不明の人影多数!! 連絡員と思われる騎馬が来ます!!」
一同に緊張の色が走る。
視線をやぐらにいる見張り員と同じ方向に向けると、確かに馬と思われる姿が確認出来る。
――こんな所に何の用だ?
アンガルの砦は既に廃棄が決まっており、現在は中継地点として利用されているだけの場所だ。わずかな木柵があるだけで、防衛施設としては何の役にも立たない。ありとあらゆる資材は分解され、ニドルへ向けて運び出された後だ。砦の現状は遠目からも確認できる為、敵もとっくに知っている事だろう。
敵意が無い事を示す為に大きな白旗二枚を掲げた人影は、こちらの顔が認識できる程度の距離で一旦その足を止める。
遠目に見えた覚えのある顔に、驚きの声を上げる。
「クオーネ卿!!」
万が一を考えて剣を手にすると、かつて二度目の人生を始める際に世話になった人物の元へと駆け出す。
「どうもお久しぶりです。遠路はるばるどうされました?」
奥に見える大勢の人影に目をやりながら尋ねる。
「どうもこうもないよサー・ナバール。君等が新しく国を作ると聞いたんでね。取る物も取らずに駆け付けたんだよ」
齢四十に近いクオーネ卿は、自慢の髭を弄りつつ笑顔でそう答える。思わず出てしまった「はぁ?」という声に卿が笑い声をあげる。
「あっはっは。いや、すまんね。実の所逃げ出して来たんだよ。フランベルグはもう駄目だろう。王家がああでは、そう遠く無いうちに内憂で滅ぶ」
忠義に厚いと言われる子爵の爆弾発言に、「そこまでですか?」と発する。子爵は何かを言おうとした様だが、ふと後ろを振り返る。
「ご覧の通り皆疲れていてね。できれば入れてくれるとありがたい。長旅は老骨に少々堪えたよ」
そう言う卿に「構いませんが、検めさせて頂いても?」と尋ねると「当然だね」と返る。
その後ひどい緊張――彼が敵だったら我々は一網打尽だ――と共に団員達が、卿の連れてきた集団を検分する。騎兵三十という突破力に恵まれた軍勢は、非常に頼もしく見える。彼らは嫌がりもせず、騎士の証たる剣をこちらに預けてくれた。
「問題無さそうですが、大丈夫でしょうか。彼らが敵だった場合、かなり困った事になりますよ」
検分を終えたウォーレンが心配そうに耳打ちをしてくる。「そうだな」と同意を示すと、口を開く。
「大部分の戦闘要員は柵の外で休んでもらう形になるが、文句は言うまい。それにクオーネ卿は数少ない信用できる諸侯だ。まぁ、大丈夫だろう」
ウォーレンに卿達を中に入れるよう指示すると、騎士や卿の家族を中心とした一団が疲れた表情で砦へと歩き始める。
ふと、その中の一人。一団の中でもひときわ汚れたボロを纏った女性と目が合った。女中か何かだろうとさして気にもせず視線を外したが、女性はしばらくの間こちらを見つめ続けていた。
「……何か?」
女性の真っ直ぐな視線に、思わず声を発する。女性は少し恥ずかしそうに目を伏せると、何も言わずに砦へと歩いていった。
「ふむ……どこかで……」
なんとなく女性の面影に見覚えがあるような気がし、振り返る。しかし向こうへ歩く女性の顔は既に見ることが出来ない。
「……まぁいい。さぁ、みんな中で休んでくれ。水も食料もいくらか備蓄があるぞ」
まわりから上がる感謝の言葉といくつもの笑顔。しかし、やはりどこかぎこちないそれに、いくらか引っかかりを覚える事となった。
「町を捨てた? 正気ですか?」
蝋燭の明かりが灯る天幕の中、テーブル越しに座るクオーネ卿に声を張る。
「もちろん正気さ。だが捨てたというと語弊があるね。捨てざるを得なかったんだよ」
そう語るクオーネ卿は、昼間よりもずっと疲れた表情を見せる。
「アインザンツが賠償金の支払いを拒否したよ」
クオーネ卿の声に、目を見開く。
――王家の動きが止まった理由はそれか!!
賠償金の支払いを拒否するという事は、すなわち戦争の再開を意味する。
先の戦争はフランベルグの勝利に終わったが、それは当時の圧倒的な進撃速度による所が大きい。フレアを中心とした剣闘士団が敵の背後を絶つ事で、準備不足のままの敵を包囲する事が可能となっていた。反撃の機会さえ無いまま終わった戦いも多い。
しかし戦争が早く終結したという事は、それだけ双方の犠牲者が少なかったという事でもある。ましてや敵を殺す事よりも、捕えて身代金を得る事が優先されるこちらの世界だ。武官や将校が生き残るのだから、敗戦からの立ち直りも早い。
「私の領土は北方だからね。もし再南下が始まれば真っ先に荒らされてしまう。王がああなっては諸侯がまとまる事も無いだろうから、ろくな抵抗も出来ないよ」
クオーネ卿はそう言うと、悔しそうに顔を歪める。
「しかし大変申し上げにくいですが、我々の方も領を動かしたばかりです。多少蓄えはありますが、多数を養う事は出来ません。残念ですが……」
引き返してもらう他ありません、と続けようとするが、続きの句を告げる事が出来ずに口ごもる。それは死ねというのと同義だ。
クオーネ卿はそんなこちらに優しい笑みを向けると、「そこで相談があるんだよ」と続ける。
「春の収穫を全て持ってくるつもりだから、しばらくは我々自身で自活できると思う。しかし君の言う通り秋までは決してもたないだろう。そこで君に我々の誠意として。また、命を預ける代償として我々の誇る船団を譲りたいと思う。国ともなれば交易も必要となろう。どうかそれを使って我々を助けてくれないかね?」
子爵から語られた言葉に、ぽかんと口を開ける。慌てて「卿ご自身でおやりになればいいのでは?」と発すると、首を振るクオーネ卿。
「今日来た者。また、これから来る者達の中には多数の諸侯がいる。それらの者達はフレア嬢と、他でもない君という人間を頼りにここへ来ているんだ」
強い視線。だがどこか縋るような目でこちらを見つめ、続ける。
「私では無く、君等がやる事に意味がある。今フランベルグは、君の想像している以上に荒れ果てているよ。誰もが明日を憂う中、君らだけが我々の希望となりつつある……もちろん私に出来る事ならなんでもするつもりだよ? だがね。どうにもならない事があまりに多すぎるんだ」
そう言うと立ち上がり、「どうか!」と深く頭を下げるクオーネ卿。本来ならば慌てて止める所なのだが、黙ってそれを見つめる。
――なんというか……もうどうにでもなれといった感じだな
想像していた以上に膨れ上がっている話に、脳が受け入れを拒否しているのだろう。どこか他人事のようにさえ感じる。
「顔を上げて下さい」とクオーネ卿の手を握ると、やれるだけやるとの約束を口にする。
――まぁ、なるようになるさ
どうせなら明るい未来を想像するべきだと、船の有効な使い道を頭に思い描く。
取引先はどこになるのだろう?
商人を介すべきなのだろうか?
首筋に重みを感じ、ぐるりと首を回す。
肩に掛かる命が、
重い。