指揮
「斉射が来るぞ!!」
既に身体の形がはっきりと見える距離まで近づいた国軍。自身の身長程もある弓を、こちらに向けて斜め上に構えている。
――くそ、味方だった時は頼もしい奴らだったが
フランベルグの得意とするロングボウは、その取り回しの悪い大きさに見合う充分な射程と力を持っている。扱うには鍛え抜かれた肉体と熟練の技術が必要だが、北南戦争では間違いなく彼らが戦争の主役だった。
やがて聞こえ来た、鋭い風切り音。
雨のように降り注ぐ矢。
放物線を描いて飛来した矢は、木で出来た大盾や指揮所の壁。そして地面へと次々に突き刺さる。
――数が多すぎる。百どころじゃないな
負傷者が出ていないかどうか辺りを確認しつつ、矢から敵の数を推測する。かなり誤差はあるだろうが、二百から三百はありそうな気配だ。
「団長!! ど、どうします!!」
顔色の悪いウォーレンが震えた声で叫ぶ。とりあえず落ち着けと肩を叩くと、ずれた眼鏡を直してやる。
「今の所姿は見えないが、弓兵とは別に歩兵と騎兵がいるはずだ。国軍の編成からすると十対十対一。合計で五百かそこらか? こっちは八十だから囲まれたら終わるな。ウォーレン、お前は指揮所から持ち出す荷物の選別と書類の破棄を急いでくれ」
機密と言えるような情報はそもそも紙として残していないが、例えば運び入れた食糧等の些細な記録から部隊の人数を推測する事はできる。破棄するに越した事は無いだろう。
了解しました!と、わたわた準備を始めるウォーレン。いつになく素早い動きの彼に若干の不安を覚えながらも、斉射の合間を縫ってアキラの元へ駆け寄る。
「あ、ナバール!! これどうするの? 突っ込むのか?」
大盾の影で小さくなっているアキラを「何を言ってるんだ」と軽くはたく。
「俺達の役割は足止めだぞ。突っ込んでどうする。お前は分隊を率いて敵の左翼の外へ外へと展開して欲しい。中央が包囲されないよう、牽制するんだ。本来なら俺の傍にいろと言いたい所だが、そろそろ一人でやってもいい頃だ」
命令を聞くと、不安そうな顔をするアキラ。「大丈夫だ」と肩を強く叩くと、再び放たれた斉射と斉射の合間を縫って走らせる。
――しかし大盾を用意しておいて本当に良かった
一五秒毎に降り注ぐ大量の矢に、心の底からそう実感する。
大盾は体を完全に覆える程の大きな盾で、継ぎ合わせた木の板を支柱で支えただけのシンプルなものだ。本来であれば国軍がまさに今やってるように、大盾を持つ専用の者が兵に付き添う形で使用する。こちらは人員に余裕が無いので固定式となってしまっているが、こうして守る側においては申し分ない。かつて東の王都での戦いで見た、弓を持ったスケルトンの存在を危惧して用意したものだ。
「この分なら、そう遠く無いうちに業を煮やして剣兵を向けてくるはずだが……ウル! ウルはいるか!!」
手を口に当て、大声で叫ぶ。するといくらもしないうちにウルが駆け寄ってくる。
「なあアニキ、やべえぜ。山の方から地響きがする。多分別働隊がいる」
ウルの報告に、やはりそうかと眉をしかめる。
「ありがとう、貴重な情報だ。引き続きあたりの動きを伺っててくれ。ジーナ!! アイン! フォックス!! どこにいる!」
なるべく全身が隠れるよう、大盾と自分の間にウルを押し込むと、団の誇る弓の名手達の名を叫ぶ。すぐさま少し離れた場所からジーナ達の声が返り、そちらへ向けて駆け出す。斉射の合間を縫って移動したつもりだったが、駆け出した直後に足元に矢が刺さり、冷や汗をかく。
飛び込むようにしてジーナ達が隠れる大盾の後ろへ滑り込むと、アインの手を借りて立ち上がる。
「ジーナ、やって欲しい事がある。アインとフォックスで……フォックスはどうした?」
新戦力として加入した土竜族の女性フォックスは、彼らの主食である森の獲物を狩るハンターで、その弓の腕前はジーナに匹敵する。さらにはそこそこの魔法を使う事もできるため、新人の中でも期待のホープだ。土竜なのにキツネと難儀な名前ではあるが。
「ええと……申し訳ありません。止めたんですが……」
少しうつむきがちにジーナが遠くを指差す。つられる形で目を向けると、素早い動きで下草の中を駆ける人影が目に入る。
「勝手に動いたのか……まあいい。三人で向こうの林をつたい、弓の射程まで近づくんだ。出来るだけ見つからないようにしてくれ。我々も斉射を行うから、それに合わせて敵を狙撃して欲しい。俺達の矢は届かないだろうが、気にせずタイミングだけ合わせてくれ」
わかりましたと頷くジーナ達。再び降り注いだ矢が落ち着くのを見計らい「そらいけ!」と二人を押しやる。自分も同じタイミングで飛び出すと、「全員射撃用意!!」と叫びながら、パスリーの傍で小さくなっているミリアの元へ走る。パスリーは片手ずつ二枚の大盾を軽々と動かし、こちらが入るスペースを作ってくれる。
「おいナバール。俺はともかく、他の連中の短弓じゃあ届かねえぞ?」
常人では全く引けない硬さの特殊合成弓を手にしたパスリーが、獣人化して長くなった眉をひそめながら言う。
「いいんだよ届かなくて。グレース!! リードを頼む! 最大射程だ!」
少し離れた場所にいる弓兵のグレースは、こちらへ頷くと共にすぐさま弓を構える。まわりにいる団員達は、グレースの構える方向、角度を参考にして同じように弓を構える。こうする事で、グレース以外の人間が盾から身を出す必要が無くなる。斉射は正確に狙い撃つ必要は無い。
グレースに倣い、こちらも弓を引き絞る。彼女との力の差を考え、若干角度を下げる。
「てっ!!」
発射の合図と共に、矢が放たれる。
矢は大きく放物線を描き、敵弓兵部隊へと向かっていく。
やがて下降へと転じた矢の群れは、敵よりもかなり手前へと落下する。
「ほら、やっぱり届かねえじゃねえか……って、あら?」
遠目に敵の弓兵が倒れ、混乱が広がる様子が見てとれる。
「さて、いつまで騙し通せるかな……次射構え!!」
さらに混乱を加速させるよう、次々と斉射を放つ。
相変わらずこちらの矢は――パスリーのものを除いて――相手には届かないが、何人かの負傷者が出ているのだろう。動きが慌ただしくなっている。
やがて同様の事を一五回も続けただろうか。ようやく林の伏兵に気付いた敵軍が、そちらへ向けた射撃を開始する。敵は片翼のほとんどを林に向けた攻撃に裂いており、こちらに対する攻撃が薄くなる。たった三人で百名近くを引きつけているのだから、大金星だろう。
――統制射撃が効果的でない場合は
北南戦争時代の国軍の戦闘マニュアルを思い出し、次の一手を読む。
「そろそろ歩兵が来るぞ。ミリア、出番だ。準備してくれ。他の連中は迎撃射撃だ!! グレースに従え!!」
ミリアを片手で抱えると、魔法で狙いを付けるのに都合が良さそうな箇所へ向けて走る。なおも敵軍の矢が降り注ぐが、前を走るパスリーが大盾で防いでくれる。
「盾持ちなんてよ、昔を思い出すぜ!!」
軽々と大盾を運ぶパスリーが余裕のある声で発する。盾持ちは前線で最も下っ端の担当だ。恐らくフレアの軍に入ったばかりの頃にやらされたのだろう。
「ここでいいわ」と言うミリアに従い、草原の中央から少しはずれた箇所へと構える。「何をするつもりだ?」と尋ねると、「素敵な事よ」と悪人じみた笑みのミリア。
やがて大きな丸盾を構えた重装歩兵部隊が弓兵の向こうから現れ、こちらへ向けて足並みの揃った進軍を開始する。全身鎧を来たそれらを壁にするように、後ろには白兵用の軽装歩兵の姿も見える。
――密集陣形? 連中はミリアの存在を知らんのか?
自分の横でぶつぶつと呪文を唱え始めた大量破壊兵器の存在を知っていれば、よほどの大軍ならともかく、散開するのが普通だろう。
「ナバール。お前さんの弟、なかなか頑張ってるみたいだぜ」
対包囲用の牽制として配置したアキラだが、どうやらジーナ達の援護に向かったらしい。林からの狙撃に相当参ったのだろう。林を見ると軽装の歩兵が向かい走っており、近いうちに白兵戦となりそうだ。
「向こうはまぁ……大丈夫だな。ベアトリスとアキラがいればあの程度の数は軽く捌くだろう。それより左の弓兵が邪魔だな」
あわよくば包囲をしようと狙っているのだろう。左へ左へとずれながら射撃を繰り返す敵の右翼が、邪魔で仕方が無い。ジーナ達のおかげで左翼を制止できたのでなんとかなったが、そうで無ければ左右から降り注ぐ矢の雨という悪夢を見る事になったろう。
「接敵しちまえば矢も止むさ。仲間を撃つわけにもいかねえだろうからよ。俺は突撃の準備を通達してくるぜ。うちの大魔法使い様の魔法が引き金でいいな?」
大盾を地面にしっかりと固定するパスリー。返事変わりに親指を立てると、彼はすぐさま仲間の元へと走り去って行く。号令を聞いた仲間達は各々が武器を取り出し、攻撃に備える。
――さて、お前の出番だぞ
腰に下げられたフレアの剣を抜くと、その鈍い輝きを見つめる。ミスリル合金として打ち直された刀身が、ほのかな青白い光を放っている。
「派手なのを頼んだぜ」
詠唱を続けるミリアにひとつ声をかけると、
後はじっと待ち続けた。