襲来
疫病の収束が訪れたのは、唐突だった。
水際防御を行ってから約三ヶ月。次第にフレアの領内でも何人かの疫病患者が現れ始めた頃。そろそろ関所で食い止めるのも限界かと、本領住民の大がかりな避難を考え始めていた。
「ねえナバール。今日は逃げてくる人が全くいないけど……どうしたのかな?」
暇を持て余して訓練を行っていたアキラが、唐突に口を開く。
そう言えばそうだなと収容所へ顔を向けると、誰もが暇そうにしていた。ここへ来たばかりの頃はひよっこ同然だった彼らは、いまや誰もが一人前の顔付きをしている。それらは決して悲壮感にあふれたものではなく、自らが成し遂げた事に対する自信の現れだった。
「考えられる原因は三つあるな。ひとつはただの偶然。もうひとつは疫病が収束し始めた。最後のひとつは……まあ、そういう事だ。ウォーレンに話を聞いてくる」
アキラに訓練用の武具を預けると、指揮所へと向かう。かつては薄汚い天幕だったそれは、今や暇にあかせて団員達が作成した立派な木造建築となっている。
「あぁ、ウォーレン。丁度良かった。何か王都周辺に関する情報は入ってないか? 今日はやけに静かすぎる」
書類を見ながら難しい顔をして廊下を歩いていたウォーレン。こちらに気付くと、眼鏡を指で押し上げる。
「あぁ、団長。こちらこそ丁度良かったです。こいつを見て下さいよ」
そういって手渡してきたのは、王都に潜り込ませている諜報員からの報告書。ざっと目を通すと、書類を指ではじく。
「王家による疫病の終息宣言? おいおい、いくらなんでも早すぎるだろう。隣領じゃあ飛び火した疫病の対処で一杯一杯だと聞いたぞ?」
「一体どうなってる」とウォーレンに問いかけると、「それをこれから聞きに行くんです」と廊下の先を指差す。「なるほど」と短く返すと、指差す先。すなわち指揮所へと向かう事にする。
「やあ、よく来たね。いきなりで悪いが聞いてほしい事がある。悪い知らせと最悪の知らせだ。どちらがいいかね?」
指揮所の中にいたのは少し暗い表情のフレア。いつの間にかこちらへ出張って来ていたらしい。「急にどうした?」と訊ねると「キスカが君に会いたがってね」との事。
「悪いと最悪か……どちらも聞きたくないが、その選択肢は無いんだろう? ふむ。悪い知らせからで頼むよ」
椅子に腰かけると、心構えを整える。フレアはウォーレンが持っていたのと同じような書類を、ぺちぺちと叩きながら口を開く。
「直属で動かしている諜報部隊からの報告だが……町で無数のアンデッドを目撃したそうだよ。しばらくの間王都は阿鼻叫喚だったようだ。ほとんどの人間は疫病と化物とに怯えて四方へ逃げ出したようだが、相当数の被害が出たみたいだね。国軍がなんとかしたようだが、混乱は続いてるらしい。まあ、予想していた事とは言え気分が悪いね」
不機嫌そうなフレアの声に「同感だね」と眉をひそめる。
「これでネクロはフランベルグ中の諸侯達にその力を示した事になるな……どういった形に持っていくつもりなのかはわからんが、近いうちに動きがあると見ていいだろう。そういえば諸侯に知らせを送ったんだろう? 反応はどうなんだ」
ふむ、と深く椅子へと寄りかかるフレア。
「あまり詳しい内容を書くわけにもいかんからね。どこぞの魔法使いがネクロマンシーを用いて何かを企んでるという旨と、信用できる相手じゃないという事を通達してある。これでも顔が効く方だとは思うが、釣り針の餌があまりにも魅力的だからね。正直あまり期待はできないよ」
フレアの言葉に「そうか」と短く返す。これで悪い知らせであれば最悪な知らせというのは何なのだろう?
腹を括って訊ねようとした時、ドアをノックする音と共にウォーレンが入室してくる。
「失礼します。団長、ちょっと表の様子がおかしいんで、至急来てもらえませんでしょうか」
不安そうな顔のウォーレン。わかったと答えると、外へと急ぐ。
「何があった?」
ウォーレンに促される形で前哨地点へ向かうと、ジーナが無言で遠くを指差す。顔を向けると、かなり離れた山間に大勢の人影が見て取れる。
「全員白いローブ姿で、しばらく前からあそこでじっとしているんです」
ジーナの声になんのこっちゃと片眉を上げる。黒ローブならともかく、そんな集団に心当たりが無い。
「また新手の宗教団体か? 何か連絡員が来る等の動きは?」
横に居るウォーレンが「いえ、何も」と答える。ジーナにどれくらいの数がいるかを訊ねると、百近くいますとの事。
――百とはまた尋常な数じゃないな
何はともあれ正体を見極めねばならんと、連絡員として人当たりのいいゼクスを向かわせるよう指示を出す。
ゼクスは相手に警戒心を与えないよう、ゆったりとした速さで集団へと近づく。しばらくすると、向かった時と同じ速さでこちらへと戻ってくる。「どうだった?」と訊ねると、何か煮え切らない表情。
「団長、あいつら曰く難民との事ですが、どうにも様子がおかしいです」
ゼクスの声に、指先をくるくると回して続きを促す。
「数が多いんでこちらを混乱させないよう、離れて待機してるとの事です。連絡員はこれから送ろうと思っていたとの事ですが、何か腑に落ちません。言ってる事はもっともらしいですが、全く慌てた様子が無いんです」
感じた違和感を伝えようと、身振り手振りのゼクス。
――落ち着いた難民か……確かにおかしい
死の病と不死者達から逃れてきたとすると、動揺し、必死になるのが当たり前だ。王都からここは決して近い距離ではなく、魔物はいないが野党の類はどこにでもいる。人数はいるようだが、楽な旅路とは言えないはずだ。
「ゼクス、他に何か無かったか? こう、なんでもいい。例えば……そうだな。荷物や馬の有無。立ち振る舞いや、リーダーのような人間がいたかどうかだ」
ゼクスは自称難民の方へ顔を向け、しばらく思い出すように唸る。
「そうですね。馬はいませんでした。荷車はいくつもありましたが、どれも敷布がかけられていました。立ち振る舞いはいたって普通で、きちんと整列していましたよ。全員似たような格好なので、代表者がいたかどうかまでは……」
ゼクスの言葉に動きを止める。
――整列していた?
何か、嫌な予感がする。
さっと振り返り、遠くを凝視するジーナに発する。
「ジーナ。ゼクスの言う通り、並んで立っているのか?」
遠くを覗き込む姿のまま「はい」とジーナ。
「二列縦隊と言えばいいんでしょうか。きっちりかどうかはわかりませんが、確かに並んでいます」
ジーナの答えに、予感が確信めいたものに変わる。
――間違いない、軍だ!!
小さな頃から学校で集団行動を学ぶ日本とは違い、この世界では整列して行動するという習慣自体が存在しない。大きな集団が規則正しく整列する事など、軍以外には考えられない。傭兵でさえ行動はばらばらだ。
「全員戦闘準備!! 今すぐにだ!! 治療術師隊は撤退準備! ウォーレン、フレアを呼んできてくれ!!」
声を上げると、全員が一斉に行動を開始する。現時点では相手がこちらに敵意を持っているかどうかはわからない。だが、万が一に備えないわけにもいかない。
フレアの元へ急ごうと足を踏み出した所で、ジーナが「あっ」と声を発する。
「動き出しました! 縦隊が左右に分かれながらこちらへ向かってきます」
――左右への分割……両翼……ロングボウだ!!
敵の動き出すタイミングの早さに、思わず舌打ちをする。偶然か、それとも非常に優秀な指揮官でもいるのだろうか? 前回今回と長い間戦争に参加していたが、国軍の優秀な指揮官など全く心当たりが無い。
「時間がないぞ!! 敵襲だ!! 弓兵が展開を開始してる!!」
叫びながら、指揮所へと走る。前哨のやぐらから敵襲を知らせる鐘が鳴り響き、あたりが騒然とし始める。
指揮所の扉へ近づくと、声を聞きつけたのだろう。フレアとキスカが護衛と共に姿を現し、こちらへと駆け寄ってくる。
「フレア!! 敵襲だ。数は百以上。現在左右に分かれて展開中でこちらへ向かって来ている。恐らく弓兵隊だ」
こちらの言葉を聞くと、フレアは遠目を見たまま頷く。
「聞こえていたよ。予想していたよりずっと早いな……国軍は思っていたよりも優秀なようだ」
――国軍?
まさかという思いでフレアを見つめると、彼女が続ける。
「先ほど言っていた最悪な知らせの方だね。確実な情報では無いが、王家がネクロに屈した可能性が高い。というものだ。まぁ、たった今確実な情報になったわけだが」
フレアは至って冷静にそう言うと、「殿を頼んだぞ」とこちらに発する。殿という言葉に撤退するのだという意味を見つけると、頷き返す。
「撤退先はアンガルの砦だ。私は術師隊と共に先着し、迎撃準備を整える。申し訳ないが時間稼ぎをして欲しい。可能なら打ち倒してもらっても構わないがね。では、武運を」
フレアの言葉に「武運を」と返すと、慌しく準備をする仲間達の元へ走る。
もういくらもしないうちに戦いが始まる。
全く備えていなかったわけではないが、どこかのんきに構えていた自分を叱咤すると、
大声で指揮を執り始めた。
戦争。みんな大好き戦争ダヨー