再来
「死んだ? あの族長が?」
再び訪れたアイロナの地下深く。自らが発した声が、洞窟内をこだまする。
目の前には膝を降り、完全に平伏した姿の土竜族達の姿。何があったのかを問い質すと、一枚の手紙が差し出される。
手紙を受け取って目を通すと、胸の内からやりきれない気持ちと共に怒りが込み上げる。
「ちくしょう! なんて馬鹿な真似を!!」
手紙の内容は、交渉に際しこちらを騙すような形になってしまった事に対する謝罪と、責任は自分が持って行くゆえに一族をよろしく頼む、という旨のものだった。
つまり彼は、自害したのだ。
「俺はそんな事、まったく気にしちゃいないのに!!」
行き場の無い怒りに声を上げ、たまらず地面を蹴りつける。なおもいくつかの罵声を吐くと、平伏したままの土竜族達の体が震えている様子が目に入り、怯えているのだという事に気付く。
俺は何をやってるんだと、頭に上った血をなんとか鎮め、深く息を吐き出す。
――領主は舐められたら終わり
落ち着いて来た思考が、かつてのフレアの言葉を思い起こさせる。
まさか族長は、本当に俺の怒りを鎮める為に自らの命を絶ったというわけではあるまい。こちらは為政者として何か恐れられる行いをした事があるわけでは無いし、族長が自害したのはこちらの食糧援助の決定が通達された後だ。
それを考えると族長が責任を負ったのは、何かの切っ掛けで一連の流れが外に漏れた際、民衆や他の諸侯達が土竜族に対する反感を持つのを防ぐ為だろう。"うちらのボスを舐めてるのか"というやつだ。
ただでさえ獣人族の中でも特異な見た目を持つ土竜族だ。新参者である彼らが不手際を行った場合、さすがに迫害されるとは思わないが、様々な不利益を被る可能性がある。避けられ、地域社会からつまはじきにされるだけでも、土竜族の社会進出は大きく遅れる事になる。
――もはや俺がどう思うかは通り越してるんだな
騎士というありふれた貴族ではある。だがそれでも特権階級であり、自分がどう思われるかを常に意識しなければならない立場だという事を、強く実感する。少し今後の在り方を考え直す必要がありそうだ。
「顔を上げてくれないか。俺は気にして……いや、違う……俺は彼の死に免じ、今回の事で土竜族に対する罪を一切問わない事とする。これは公式な発表としておこう。くそっ! 忌々しいが彼の覚悟を甘く見てた」
最後にもう一度だけ悪態を付くと、これでこの件はお終いだと声を掛ける。なおも平伏し続ける土竜族達を半ば強引に立たせると、食糧の搬入を始める事にした。一度に全てを持ってくる事は出来ないので、今後定期的に運び入れる形になるだろう。
その後族長の弔いを行った後、すぐさまアイロナへと戻る事にする。歓迎と弔いを兼ねた祭りを開いてくれるとの事だったが、それは丁重に断らせてもらった。こちらに対して何も含む所は無いという事はその歓迎ぶりから痛い程良くわかったが、素直に祝ってやれるような気分では無かった。
アイロナにてニドルで行ったような行政権の譲渡を受けると、すぐさま付近にあるいくつかの町を回る。やる事はどこも同じだが、かといって放置して良い物でも無い。
なぜうちの町には来てくれないのだろう?
もしかして見捨てられるのだろうか?
こっちには来たが、あっちには来てない。
俺達の方が偉いからだ。
こちらへ来なかったのは、誰それが問題なのではないか?
何か貢物――もしくは生贄――でも用意した方がいいのではないか?
地球現代人の感覚からすると馬鹿馬鹿しいかもしれないが。彼らからすれば切実な問題だ。成熟した社会や組織。そして行政に法といったものに全般的な信頼を寄せる事が出来ない世界では、人々は"個人そのもの"を信じる。人が変われば決まりや方針も変わるからだ。
「まったく大した人気だね。少し妬けてしまうよ」
ニドルに設置された副領本部執務室にて、酒を煽りながらフレアが呟く。決して広くは無いこの部屋に主要メンバーが勢揃いしており、少し窮屈に感じる。
「えぇ、本当に驚くべき程です。一部の民衆は、団長やボスがこちらに新しい国を築くつもりだと思っているようですよ」
いつもの癖で眼鏡を押し上げるが、それをすぐに戻すウォーレン。温めた地酒の湯気が眼鏡を曇らせており、いくぶん間抜けに見える。
「いやいや、冗談じゃないぞ。剣闘団の運営だけでもいっぱいいっぱいなんだ。これ以上仕事を増やされてたまるか。それに俺の人気はフレアの人気にも繋がるはずだぞ。さすがにフレアを俺より下に見る者はいないはずだ」
うんざりとした表情でそう言うと「もちろんわかってるよ」との事。横からウルが肘で小突いてくる。
「いいじゃん。作っちゃえよ国。んで俺らの税金は免除してくれよ」
な?な?と詰め寄るウル。ベアトリスが「そもそも言う程払ってないじゃないのさ」と突っ込むと、笑いが起きる。
「でも国として独立してしまうと、すぐさまフランベルグと戦争になってしまいますよね。大丈夫なんでしょうか?」
コップを両手で抱えたジーナが、不安そうな顔をする。
「いや、だから大丈夫も何も、国なんぞ作らんから戦争も起きんよ」
やめてくれとばかりにそう言うと、「別に国を作らずとも戦争は起きるさ」とフレアが楽しげに笑う。
「どいつもこいつも寄ってたかって……あぁ、そういえばマオルヴの方はどうなったんだ? 大規模な調査団を送ったとの事だったが」
キスカから酒のお代わりを受け取りながら、フレアに尋ねる。
マオルヴは土竜族の町に付けられた名前――彼らは単に下としか言わず、名前が無かった――で、現在フレアによる統治が本格的に進み始めているはずだ。腕の治療と共に各地を走り回っていたこちらは、その辺の情報がほとんど入ってきていない。
フレアは「そうだね」と口にすると、机の引き出しから書類を取り出してよこす。
「銀の産出量は十分な量がありそうだよ。正直期待していた程では無かったが、しばらくすれば使った金の元は取れるだろう。本領の一部を売り払ってしまったから、それに見合う利益を願うばかりだね」
「……本領を売った!?」
フレアの言葉に、聞いて無いぞと驚きの声が重なる。フレアはうるさそうに顔をしかめると、口を開く。
「私の本領は確かに豊かだが、金のなる木が生えているわけじゃないよ。今回の買取りは相当量の金が必要だったから、土地を担保に国から金を借りたのさ。どうせ東進に失敗すれば王家に吸収されてしまう領土だからね。賭けに使うにはうってつけだろう?」
何をそんなに騒ぐのかといった調子でさらっと答えるフレア。驚きと共に「これで鉱山が期待はずれだったらどうするつもりだったんだ?」と尋ねる。
「その時はしかるべき報いを受けてもらう事になるだろうが、君の話を聞くに信用に値する人物だと判断したのさ。それに食糧の備蓄は元より行っていた事だし、東進に成功すれば売り払った本領は王家から見て飛び地になる。いずれは安く買い戻せるさ」
フレアの答えに、別に投げやりになっていたわけじゃないんだなと、ほっと胸を撫で下ろす。
「まあ、何はともあれ上手く行きそうでよかったよ。少々予定は前後しちゃったけど、沢山の人を救う事が出来た……その、俺は何もしてないけどさ」
少し体を小さくしながらアキラ。申し訳なさそうな彼の肩を「気にする事はない」と強く叩く。
「先程フレアが言っていただろう。得というわけではないが、決して損をしたわけでは無いと。結果論になってしまうが、お前のこだわりが大勢を救った事に違いは無いんだ。胸を張っていい事だろう」
まわりからあがる同意の声。少し照れた様子を見せるアキラに、部屋の隅に置いてあった鉢植えを手渡す。
「だが、少しでも引っかかる所があるのであれば、こいつをお前が担当するといい。何も戦場で戦う事だけがお前のやれる事じゃないぞ」
アキラは「なんだろう?」と不思議そうな顔をしていたが、鉢植えの正体に気付いたらしく、大事そうにそれを受け取る。
「胡椒の栽培担当はお前に任せた。マオルヴの連中と上手く連携して、地上でも育てられるようにするんだ。多少コストがかかっても良いだろうから、地球でのハウス栽培や何かを思い出しながら色々試してみてくれ」
わかったと頷くアキラの顔は、既に使命感にあふれている。
「それが例の胡椒という奴か……ふむ。見た目は普通のようだね。しかし本当にこんな物が巨額の利益を生むのかい? いくらかを口にしてみたが、まあ、確かに新しい味ではあるだろう。しかし誰もがそこまで欲しがるような代物かね?」
フレアが怪訝そうな顔で言い放つ。少なくない予算を胡椒栽培関連にまわしてもらった為、彼女としても気になる所なのだろう。
「うーん、こっちでうまく行くのかはわからないけど……少なくとも地球では、同じ重さの金と取引された事もあるらしいよ」
アキラの声に驚きの声を発する一同。それをフレアが手で制し、「残念だが」と続ける。
「ウォーレンに古い資料を漁らせてみたら、東の国からの輸入品目として胡椒の名前を見つけたよ。しかし他の香料や薬草と大して変わらない値段で取引されていた。君はなぜこれが今になって利益を生むと考えたんだね?」
フレアの言葉に「あれ?」といった様子でこちらへ視線を向けて来るアキラ。ちょっとは自分でも考えろよと思いつつ、答える。
「推測でしか無いが……そうだな。使い方と宣伝方法がよろしく無かったんだろう」
どういう事だ?と軽く首を傾げるフレア。
「こっちは魔法があるから地球程は需要が無いのかもしれないが、こいつは薬として使われてたんだよ。実際には食べてもさしたる効果は無いだろうけどな。恐らくこっちでは調味料として使われてたんだろう。だが、こいつの価値はそこじゃない」
ひと息置いて、続ける。
「こっちじゃ冬を前に家畜を食肉に変えちまうだろう? さっきの食事もそうだが、ほとんど腐りかけに近い干し肉を食わざるを得ない。だが胡椒には殺菌防腐作用があるんだよ。簡単に言うと、比較的安全な形で肉の長期保存が出来るって事だな。それに腐臭を抑えるのにもかなり効果があるから、冬を通して腐っておらず、安全で、しかもうまい肉を食えるってわけさ」
なおも胡椒の効用を一通り説明すると、なるほどといった表情となるフレア。
「まるで万能薬だな。信じがたいが、お前が言うのであれば確かなのだろう。安全な防腐か……まるで魔法のようじゃないか。そうなると確かに、お前の言うように莫大な利益を生む可能性が十分にある……なるほど。誰も保存料としての効用に気付かなかったというわけか。間抜けな話だな」
先ほどとは打って変わり、非常に興味深げな様子で鉢植えを見やるフレア。見るとフレアだけでなく、誰もがアキラの手元を覗きこんでいた。
――まあ、地上での栽培が上手くいくかがわからんがな
最悪マオルヴでの栽培だけでも、そこそこの利益は出るだろう。世間に広がるまではかなり時間がかかるだろうが、きっと元は取れるはずだ。
普段からマイナス思考に陥り易い自分を、なんとかプラス思考に切り替えていると、ふと廊下を誰かが走る足音が漏れ聞こえて来る。基本的に屋敷の廊下は走行禁止の為、普段からそれを守っていないウルがここにいる以上、何か問題ごとだと判断する。
やがて部屋の前で止まった足音と共に、勢いよく扉が開かれる。
「姉さんとナバールはいるか!!」
大声と共に扉をぶち破るかの勢いで部屋へと入って来たのは、驚いた事に本領へ戻ったはずのパスリー。既に獣人化しており、よほど急いできたのだろう。全身に酷く汗をかいており、毛並がべったりとうなだれている。
これはただ事では無いと、機密の為に急いで扉を閉める。
「疫病だ! ナバール! 疫病が出た!」
こちらの肩を揺さぶるようにして叫ぶパスリー。
一瞬何を言われたのか理解しきれず、ぽかんと呆ける。やがて意味が染み込むにつれ、嫌な汗と共に衝撃が走る。
――疫病……扉か!?
すぐさま立ち上がり、フレアへと視線を向ける。彼女はこちらを見ると、大きく頷き返して来る。
「よし、すぐにでも対策を取るぞ……なぁに、大丈夫だ。今回はうまくやれるさ……パスリー、場所はどこだ。東部地帯か? まさかアイロナという事は……ってお前が…………」
言いながら、本領に戻ったはずのパスリーがここにいるという事実を思い出し、硬直する。
パスリーは青い顔をしたまま、人差し指を上へと向ける。
「フランベルグ王都だ。今本国は大変な事になってる」
顔から血の気が引く音がはっきりと聞こえたのは、
生まれて初めてのことだった。