東進
「んでさ、結局なんだったんだよあの石ころ」
屋敷の食堂にていつものメンバーで食事をしていると、口一杯にパンを頬張りながらウルが訪ねてくる。
「ふむ。銀は銀だったんだが、どうやらミスリル銀だったようだ」
それを聞くと、口の中のパンをぶばっと吹き出すウル。汚いなとナプキンでそれを拭おうとすると、いつの間にいたのか。キスカが瞬く間に机を綺麗にした。ウルはしばらく咳き込んだ後、テーブルに身を乗り出してくる。
「ミスリルってマジかよ!! あれ全部でどんだけの価値になんだ?」
落ち着けと手で制しながら、答える。
「精製してみなきゃどれだけの量になるかはわからんが、フレアが言うには金より少し高い程度だろうとの事だ。確かに大金といえば大金だが、なんでフレアがあそこまで強い調子で決断したかがわからん。領地運営という視点で見れば、そんなに大きな額というわけじゃないんだが」
答えながら手の平の上で銀塊をころころと転がしていると、「ちょっといいかしら」とミリアがそれを取り上げる。彼女は解析の魔法を使うと、フレアとは違い一瞬でそれを終了させた。
「間違いなくミスリル銀ね。いい純度だわ……なるほど。フレアの考えが大体読めたわね」
ほぅ?と興味の視線がミリアに集まる。彼女はこほんとひとつ咳払いをすると、続ける。
「ミスリル銀は、何の変哲も無い普通の銀から出来るわ。もちろん地脈が強い土地の方が良かったりとか色々あるけど。でも大事なのはそこじゃなくて」
きらきらと光るミスリル銀塊を目の高さに持ち上げるミリア。
「重要なのは、ほんの少しのミスリル銀鉱石が生まれるのに、その付近に大量の銀が必要だという事。山師達にミスリルが尊ばれるのは何もその性質そのものだけが理由ではないわ。わかるでしょ?」
ミリアの言葉をしばし考え、「なるほど」と相槌を打つ。
「銀鉱脈。それもかなりの量が存在するという事か?」
溜息と共にそう呟くと、「恐らくあの娘が本気で支援をする気になる程のね」とミリアが補足を入れる。
――族長からフレアへの、無言のメッセージという奴か
完全に胡椒ばかりに目がいってしまっていたが、本命は違っていたらしい。あれだけ持ち上げられていながらも、どうやら肝心な所では蚊帳の外に置かれていたようだ。少々悔しい気持ちもするが、結果としてフレアの関心を得る事に成功している。見事な手腕であり、一族の命運を賭けていたと考えるとむしろ賞賛できる。
胡椒も将来的には大きな利益を生むだろうが、次の収穫までを考えるといかんせん出足が鈍い。それに胡椒の栽培は何も地下洞窟内部だけで出来るというわけでも無いから、いずれはどこか大規模な農園に利益を持っていかれる可能性が高い。やりすぎれば大きな値崩れもあるだろう。対して銀鉱脈は動かす事が出来ず、その価値も比較的安定している。多くの命を賭けるのであれば、誰だって銀を選ぶ事だろう。
「という事はあれかい。ようやく重い腰持ち上げて東へ行こうって腹だね?」
ベアトリスの言葉に「まあ、そうなるだろうな」と答える。
「でも、銀山持ちともなれば他の諸侯の方々も黙っていませんよね。大丈夫なんでしょうか?」
心配そうに眉をひそめるジーナ。明るい調子でウルが答える。
「心配するこたねえって。銀山だぜ銀山。よくわかんねえけど一杯とれるんだろ? 多分それを知らせりゃあ、こっちにわんさかついて来るぜ」
世の中金だよ金、と悪辣な笑みを見せるウル。もうちょっと言い方は無い物かねと呆れた顔でそれを見るが、あながち間違ってもいないので困る。
この世界の。というよりフランベルグ一帯の政治制度は、絶対王政ではなく封建制や都市国家に近い物だ。王は何も絶対的に特別な存在というわけでは無く、せいぜいが"付近で一番強い諸侯"という感覚のものだ。
見栄や義理。経済的な物から血縁まで。実に様々な理由で諸侯たちは繋がってはいるが、やはり最も大きい価値を持つのは金だ。彼らは自分達の領土を守らねばならず、多くの家臣を養わねばならない。名誉で腹は膨れないからだ。
「まあ、その辺の事はフレアに任せよう。我々は我々の仕事をする。東進が始まるとなると、明日からは忙しくなるぞ。今の内に英気を養っておくんだ」
了解の声と共に、再び食事を開始する。
今後やる事は山ほどあるだろうが、じっとしているよりはずっといい。
待つのは慣れてるが、
それが好きだというわけでは、無い。
本領にて十分な休息と補給を行った我々は、半狂乱になりながらも東進の準備を進める幕僚達を残し、すぐさまニドルへと向かった。
"東の国からの魔物の流入に対する対処の為の、一部地域の安定化"
フレアが王家及び各諸侯に送った東進の名目だ。当然名ばかりではあるが、一応の理由付けにはなっている。
王家の返事を受ける前に進軍を行ったのは、その必要が無いからだ。各諸侯は手持ちの軍を用いて戦争を行う"権利"を持っている。どこと戦おうが、自己責任において自由だ。国外の相手と戦っても良いし、同じ国内諸侯を相手にしても当然構わない。滅多に起きる事では無いが、前例が無いわけでも無い。
「しかしこれだけ揃ってると壮観だな」
馬にて横を進むパスリーが、引き連れた正規軍の列を見て呟く。ずらりと並んだ行軍の列は、かなり遠くの方まで続いている。
フレアはわずかな防衛軍を残し、常備軍と剣闘士団を全て東へと差し向けた。いくらなんでもやりすぎではと進言したが、返ってきたのは驚くべき答えだった。
「国軍の備蓄兵糧のほとんどを買い取ったよ。まさか本当に放出するとは思わなかったが、恐らく春の収穫を当て込んでの事だろう。これで国軍はしばらく動く事すら出来ないね。連中、私が既に大手の商人から春の小麦を買い占めていると知ったら、一体どんな顔をするだろう」
そう言いながらくすくすと無邪気に笑うフレアに、少し恐怖を感じたのを憶えている。
「おいアキラ、見ろよ。あれがニドルだろ?」
パスリーの声に、「え? あぁ、そうだね」という声が後ろから届く。パスリーは不思議そうな顔で後ろを振り向くと、「あぁ、すまん。いい間違えだ」と手をひらひらと振る。
遠目に見えるニドルは、相変わらずの厳つい表情をした城壁に守られており、ほっと安心感を与えてくれる。もっとも、その城壁でさえも死者の軍勢には敵わなかった事を知ってはいるが。
城壁近くへ出迎えに来た剣闘団の団員達と挨拶を交わすと、彼らに導かれる形で中央広場へ向かう。広場にはタウンギルドの面々と共に臨時――と言うには長すぎるが――町長や行政の代表者達が正装で立ちつくしており、こちらの姿を確認すると深々と頭を下げてくる。
広場の周りには大勢の人だかりが出来ており、広場付近の家の窓やら屋根やらまでもが人で埋め尽くされていた。誰もが歴史的な瞬間に立ち会おうと、期待に満ちた顔でこちらを注視している。
穏やかな歓声が止むと、既に顔なじみとなった町長がこちらへと歩みより、広場をぐるりと見渡しながら口を開く。
「私は臨時でニドルの町長を代行している、フロイドと申します。私はこの場にて、集まって下さった皆様に対して発表を致します」
ごほんとひとつ咳払いをすると、はやし立てる聴衆の声が止むのを待ってから、大き目の声で発する。
「ニドル行政府及びタウンギルドの全会一致により、フランベルグ男爵にして東の守護者フレアにニドルの行政権の一切を委譲致します」
わっと歓声を上げる民衆達。その迫力に圧倒されながらも、手でそれを制止ながら声を上げる。
「私はフランベルグ男爵にして東の守護者フレアが騎士ナバール。フレアの代行者である事をこの剣に誓い、ニドル行政権の委譲をここに受諾する」
剣を抜き放つと、一歩前へ進み、剣を鞘に戻す。
剣を戻し終えるや否やすぐさま再び抜き放ち、今度は一歩後ろへ下がる。
「私はフランベルグ男爵にして東の守護者フレアが騎士ナバール。フレアの代行者である事をこの剣に誓い、フロイドをニドルの行政官に任命する」
とんだ茶番だなと思いつつも一通りを言い終えると、フレアの剣を高々と持ち上げる。フロイドは胸に手を当てた格好のままこちらへ近づくと、跪く。
「謹んでお受けいたします」
剣を鞘へと戻し、よしと頷く。
さあ終わったぞと後ろを振り返ると、大きく仰ぐように手を振る。
次の瞬間割れんばかりの拍手と歓声が広場を包み込み、まるで王都の剣闘場のようだと昔を思い出す。
「なあおい。俺達は侵略者のはずだろ。何でこんなに歓迎されてんだ?」
事情を知らないのか、パスリーが怪訝な様子で囁きかけてくる。
「いわゆる出来レースってやつだな。剣闘士興行団なんて名前だが、その実侵略軍だってのは周知の事実だ。安全とパンとサーカスさえあれば、上が誰だろうが気にしないってのはフレアの言葉だったかな?」
まあ気にするなよとパスリーの肩を叩くと、少しうんざりとした気持ちで屋敷へと歩き出す。なにせ今後これと同じことを、大なり小なりいくつもの町や集落で繰り返さなくてはならないのだ。
そう、かつてと同じように。
だが、明らかに違う形で。
変わったようで、変わってないようで、変わってる。
次話あたりから話が大きく動き始めます。