銀塊
「無理です。ここら一帯どこもかしこも飢えろと言うんですか?」
アイロナで一休みした後、すぐにニドルへ引き返した我々は、ウォーレンに事の子細を話した。その後彼がいくばくかの思考の後に返した答えがそれだ。
「このあたりはどこも穀倉地帯だろう。なんとか捻り出せないか?」
なんとか食い下がるも、ウォーレンはかぶりを振る。
「団長、畑があるとは言っても普段は必要以上には作りませんよ。来期以降であれば十分可能でしょうが、春の収穫だけでは到底足りないでしょう。それに大規模な食糧の収集なんて行ったら混乱が起きますし、諸侯が黙っていませんよ? 戦争でもやる気なのかと」
まっとうな意見に返す答えも無く、ううんと唸る。
「そうなると……やはり本国か?」
「まあ、そうなるでしょうね」と眼鏡を押し上げるウォーレン。しかし本国を頼るとなると、それはそれで問題がある。
「だがフレアは東進の準備に食料の備蓄をはじめたばかりだ。今更水を差すわけにもいかない……どこか食料が余ってる所は無いか?」
ウォーレンが「そんな所は」と口にした所で、正式に秘書官として執務室に常勤する事になったニッカがぼそりと呟く。
「国軍はどうでしょうか」
ウォーレンと二人でしばし固まった後、「それだ!」と声を揃える。
「ウォーレン、王家の動きはどうなんだ。すぐにでも東進する構えなのか?」
ウォーレンはいつもの悪巧みをする時の表情で答える。
「いえいえ。北南戦争で圧勝したとは言っても、少なくない数の諸侯を失っています。アインザンツからの賠償金が入るのは来期以降になりますから、今頃遺族に対する見舞金の用意で四苦八苦のはずです。そんな余裕は無いでしょう」
にやにやとしたウォーレンの答えに、多少引きながらも「よし」と答える。
先の戦争は防衛戦として始まったが、領主同士の戦いの枠を超えて、国家間としての戦争となった。そうなった場合、当然ながら得られる利益も損益も王家が請け負う形となる。勝利で終わった戦争は長い目で見れば間違いなく黒字となるだろうが、目先の事となると話は別だ。
「連中は想定よりも早く終わった戦争に、備蓄した食糧を持て余してるはずだ。あちらは金が無くて、こちらはパンが無い。こいつはいけるな。ニッカ、助かったよ」
満足気な笑みと共にそう言うと、ニッカは嬉しそうな笑みを見せる。
これで残すは輸送と政治の問題だけとなるが、それはフレアを交えない事には話にならないだろう。
「しかし、人助けを優先するとなると当然予定していた団の拡張が遅れますが、そちらはどうします?」
ウォーレンの問いに、「大丈夫だ」と答える。
「土竜族の戦士を提供してくれるよう取り付けてあるから、しばらくは公募を控えてくれ。あまり見かけない種族だからお披露目も兼ねて剣闘士として生活してもらうのは、こちらとしてもあちらとしても都合がいいだろう。完全に生活を管理できるし、文化の違いを洗い出す事もできる」
ざっと聞いた限りでは、こちらの法に触れるような危険な習慣や宗教は無いようだった。とすれば後は見た目への慣れの問題だけだろう。
元々この世界の住人は多種族もいい所で、ごく稀にではあるが、リザードマンやコボルドといった知性のある魔物が町を歩いている姿を目撃する事さえある。人間の一族であるなら、慣れさえすればどうという事も無いはずだ。
「という事でウォーレン。その方向で調整を進めてくれ。俺は明日にでもフレアの元に向かい、お伺いを立ててくるよ。メンバーはいつもの面子を連れて行く。乗馬の訓練もあるしな」
ウォーレンはうやうやしく「了解しました」と頭を下げると、ニッカと具体的な打ち合わせに入った。
本来であればかなりの仕事が溜まっているはずだが、旅の疲れや怪我を加味してくれたのだろう。いくつかの重要な決定作業を行うと、すぐに解放された。
ウォーレンに感謝の念を送ると、早速本領に戻る計画を立て始めた。
ニドルから本領への旅路は実に順調で、問題と言えばせいぜい引き連れた土竜族の三名全員が日射病で体調を崩した事くらいだろう。土竜族の地から持ち出した荷車の中身と共に、馬車の中で休養してもらう形になった。
馬での旅は非常に安全で、ほとんどの危険はジーナとウルにより事前に察知された。軍馬二頭と、荷運び及び馬車引きとしてのラーカ四頭は、陸に住む魔物から逃げ切るには十分な力を持っている。森さえ避ければ何も怖い物は無かった。
本領に到着すると、既にフレアと軍の閣僚達が屋敷の前へと出迎えに来ていた。
「久々に顔を見せたと思ったら、また妾を増やしたのか君は。存外節操の無い男だね」
呆れた様子のフレアが、いつもの下目使いでそう言い放つ。まさか百人単位で押し付けられたと真実を述べるわけにもいかず、乾いた笑いを返す。
「ゆっくりと話をしたい所だが、現在来客中でね。すまないが湯にでも入って時間を潰してくれ」
フレアはそれだけ言うと、不機嫌そうに屋敷へ向かって歩き出す。閣僚の中にパスリーの姿を見つけたので、客が何か感じの良くない相手なのだろうかと彼に尋ねると、信じられない物を見るような目で見られる。
「いや、ナバールさんよお。お前どっか変わってるなあとは常々思ってたけど、いくらなんでもそりゃねえだろうよ」
心底呆れた顔のパスリー。心外だなという目を向けると、溜息をつかれる。
「なあナバール。姉御はあんたの帰りを首を長くして待ってたんだぜ? あんたがいなくなってからずっと不機嫌でいけねえ。それがどうよ。久しぶりに姿を見せたと思ったら新しい女を三人も連れてやがる。そりゃあいい気はしねえってのが道理だろう」
パスリーの言葉に「あのフレアが? 冗談だろ?」と返すが、彼はだめだこりゃといった様子で肩を竦める。
「俺が言うのもなんだけどよ。英雄ナバールっていやあフランベルグ中の女達がよ、なんとか夢に出てきてくれないかとささやかな祈りを捧げるような相手だぜ? なんで姉御だけは違うって思うんだ? 逆に俺はそれがわからねえな」
目を細めてそういうパスリー。「いや、しかし"あの"フレアだぞ?」と他の閣僚達に視線を向けるが、誰もがにやにやとした表情で首を振る。
「あのフレアだかどのフレアだか知んねえけどよ。後でせいぜい優しくしてやるんだな」
かっかっかと高笑いをしながら屋敷へと向かうパスリー。彼に続き「いや、だが……しかし……」と呟きながら、屋敷へと歩き出した。
「どうだね。久しぶりの本領は」
執務室にてフレアと二人、いつものように椅子へと腰掛けると、彼女がそう尋ねてくる。こちらは先ほどのパスリーの言葉が頭の中を占めており、何を言ったのか良く聞こえなかったが、上の空のままで口を開く。
「あ、あぁ……そうだな。久しぶり。君は、その。随分と綺麗になったようだ」
離れていたのはせいぜい二,三ヶ月の間であり、どう見ても前と何も変わらぬ見た目ではあったが、なんとなしにそう答える。彼女はぽかんとした様子でこちらを凝視すると、口をぱくぱくと開閉させる。
「君は……」
――君は何を考えてるんだね? 言うのであれば……
もっと雰囲気という物を考えたまえ。かな?と頭の中で後に続く言葉を先回りして予想するが、出てきたのは意外な言葉と反応だった。
「そ、そんな事がわかるわけがないだろう! ……あぁ、いや。違う。その……嫌では無いぞ。うん。悪い気はしない。だが、えー、そうだな。たかだか六十七日間会っていないだけで、人の見た目がそんなに変わるものとは思えない……あぁ、という事は世辞か。くそ、君は汚い奴だな」
おたおたとしながらも、こちらへびしっと人差し指を向けるフレア。焦った表情を見せたかと思えば、腕を組んで怒りの表情を見せる。こんな様子の彼女を見た事はアキラだった時ですら無かったので、しばし呆気にとられる。
フレアは「ふん」と鼻を鳴らすと、椅子の座りを直し、今度は比較的落ち着いた様子で口を開く。
「この話は、終わりにしよう……か、考えて見れば世辞も人間関係において必要な要素のひとつだ。ここで君を責めるのも間違いだろうね。うむ。気が向いたらまた好きに言うといい……それより事前報告も無しに帰還したという事は、何か問題事かい?」
急に真面目な表情になったフレアに「あ、あぁ」と少しうろたえながら答えると、向こうであった事の簡単な経緯と報告を行う。いくつかの質問に答えながらも報告をし終えると、やがて彼女は真剣な表情で考え込み始めた。
「やはり難しいか?」
フレアは考え込んだ姿勢のまま、ひとつ頷く。
「正直な所、やっかい事以外の何者でも無いね。食糧や金を直接団に投資するのに比べて、何か利点があるようには思えない。将来的に友好関係を結ぶのに反対するつもりは全く無いが、現時点でそれだけの事をする理由が何も無いよ。哀れには思うが、それだけだ」
視線を上げ、「それに」とこちらへ指を一本立てるフレア。
「国軍から食糧を買い集めるという事は、かなりの額が王家に渡るという事だよ? 短期的に見れば逆にはなるが、長期的に見ると彼らの東進を早める事になる。利益どころか不利益しか見えない。もし……いや、もしでは無いね。アキラが納得する形にする必要があるという事は、是が非でもやらねばならんのか……ふむ。これは戦略の全面的な見直しだね」
フレアは、お手上げだといった仕草で天井を仰ぐ。そんな彼女に申し訳無さを感じながらも、そういえばと懐から握りこぶし大の金属片を取り出す。
それを前に差し出すと、フレアは「なんだねこれは?」と片眉を上げつつ受け取る。正直に「わからん」と答えると、酷く気分を害したようだった。
「いや、本当にわからないんだ。土竜族の族長が君との交渉時に見せて欲しいと渡してくれたんだ。彼らの地で採れるんだろう。恐らく銀塊じゃないかな?」
しばらくまじまじと金属片を見ていたフレアだったが、何か思う所があったのか解析の魔法をかけ始める。やがて何か良い結果でも見えたのか、小さく「ほぅ」と感心した様子の声を発する。
「この銀塊はこれが全てかい?」
さして興味なさげに銀塊をこちらへ放るフレア。やはり銀かと思いながら、それを左手でキャッチする。
「いや、胡椒と共に荷車一杯に積んできてる。最初は凄まじい額になるんじゃないかと驚いたが、考えて見れば鉱石に対してそこから出来る銀の量は僅かなんだよな……彼らの生活は基本的に石と木を用いていた。もしかしたらあまり高い製鉄技術を持っていないのかもしれない」
いびつな形の銀塊を見つめながらそう呟くと、フレアは「なるほど」と満足気な笑みと共に再び考え込み始める。やがて結論が出たのだろう。ゆっくりと立ち上がると、口を開く。
「今すぐ国軍と交渉を開始する事にしよう。借金をしてでもいいから、食糧をありったけかき集めるんだ。我々はもしかしたら、最高のカードを手に入れたのかもしれん」