人間愛
部屋の中には石造りの大きなテーブルが用意されており、既に着席していたメンバーと族長に笑顔で迎えられる。
着席すると椅子を動かそうと身体を揺らすが、びくともしない。なんだと下を見やると、机から椅子に至るまでの一切が掘り出された物で、そもそも分離していない事がわかる。
――これはこれでなんとも贅沢な品物だな
椅子に彫られた微細な彫刻をひと撫ですると、それを作るために使われただろう多大な労力に思いを馳せる。
「石の加工はお手の物だて。お気に召したかな?」
こちらを見ていた族長が穏やかな笑顔で口を開く。「えぇ」と返事をすると、改めて族長へ感謝の意を伝える。
ありきたりな美麗字句を一通り並べると、同様にありきたりではあるが心の篭った感謝の意を返される。土竜族という全く聞いた事の無い種族であるので、正直もっと辺境の領主めいたものを想像していた。しかし簡易的ながらも政治的なやりとりの常套句を知っている様子から、どうやら認識を改める必要がありそうだ。
「上の方のお口に合うかとんとわかりませんが、どうぞ食べんさい」
族長が指を鳴らすと、奥の部屋に待機していたのだろう。使用人がぞろぞろと現れ、料理をテーブルへと並べていく。料理は肉とスープを中心とした質素な物だが、非常に香ばしい臭いが漂っている。もしかしたら何らかの香辛料があるのかもしれない。
ふと横に座るアキラへ目を移すと、酷く汗をかきながら凄まじい形相でこちらを見つめているのに気づく。
――まあ、そうなるわな
アキラの異常の原因を、目の前に置かれた皿の内のひとつ。ひときわ異彩を放つそれせいだと推測する。
その皿には二十センチ程の高さに盛られた小さな昆虫の山が出来ており、臭いは素晴らしいが見た目は最悪だ。種類も単一では無く、コガネムシに似たもの。イモムシの様な見た目のもの等、実にバリエーションに富んでいる。
こちらの世界において、昆虫食は地球に比べ一般的ではある。今までに何度も挑戦してはいるが、いまだに慣れる事が出来ない。俺がそうなのだから、アキラは言わずもがなだろう。
土竜族がどういう風習なのかはわからないが、少なくともフランベルグにおいて、出された物はできるだけ食べるという風習はない。もちろん相手側からすればなんでもおいしく食べてもらうに越した事は無いが、何か一皿丸々残した所で礼を失するというわけではない。だが、おもしろそうなので黙っておく事にする。
――これも経験だぞアキラ
意味ありげな視線をアキラへ返すと、族長の「それでは召し上がって下さい」との言葉がかかり、礼と共に頂く事にする。
「うめぇなこれ! なんだこの黒いぶつぶつ!」
食べ始めてすぐに歓喜の声を上げるウル。一瞬虫かと思って怪訝な表情を向けるが、どうやら違うようだ。ふむ、と誘われるようにして肉料理を口に運ぶと、驚愕の思いから目を見開く。
――そんな馬鹿な!
口の中に広がる、実に懐かしい味と香り。
――これは……黒胡椒だ。
さっと視線を動かし、テーブルの料理を見る。胡椒が使われているのはこの肉料理だけでは無い事から、ここでは一般的である。もしくは"あえて"こちらへ見せつけているかだ。
どれ、試してみるかと口を開く。
「これは黒胡椒ですか――」
テーブルを指で二度叩く。"話を"、"合わせろ"だ。
「――主君の晩餐では時折出ていましたが、東の国へ来てからはご無沙汰でした。随分質の良い物のようですね。実に美味しいです」
笑顔と共にそう言うと、アキラやジーナがまったくだと頷く。
「ウル、これはお前の好きなあの香辛料だぞ。これの皮を除くといつもの白いやつになるんだ」
ウルは「へ? ……あぁ~、あれね。あれ」と思い出したようにしたり顔をする。
演技の下手なウルと自分自身に心の中で舌打ちをすると、なるべく自然体のまま族長へと視線を向ける。族長は相変わらず笑顔のままだが――
――少し顔が引きつったな
もちろん晩餐で胡椒が使われた料理が出るなどまったくの嘘であり、ブラフだ。こちらへ来てから十年。一般家庭から有力貴族の食卓までを経験したが、胡椒の存在は聞いたことすらない。
昔は地上と繋がりがあったとの事で、当然香辛料の希少価値を知っているはずだ。それが一体どれだけ昔の事かはわからないが、目の前で広げられている料理が当たり前と言える程収穫ができるのであれば、フランベルグでも何がしかお目にかかっているはず。そうなると、やはりあえて見せ付けていたと考えるべきだろう。
そこへ来て先ほどの表情の動き。はったりはどうやら効果があったようだと判断し、再び食事を始める事にする。これで今後フレアが彼らと交渉する際に、いくらか有利な価格で話を進められるはずだ。全く存在しないものと、少なくとも存在するものでは、その価値は全く異なる。
「ふむ……話に聞いていたのとは随分違うの」
ふと呟くように発せられた族長の声に、食事の手を止める。
「人の噂というのはあまり当てになりませんからね」
微笑を浮かべてそう答えると、一瞬あっけにとられたような族長だったが、やがて人の良い笑みを見せる。常に笑顔でいるような印象があるが、これほど自然な笑みは初めてだ。
「死神と恐れられる戦士じゃて。政の方は主にまかせきりとも聞いておったが、いやはや驚いた。おつむの方も大したもんだて」
褒められているのか、それとも貶されているのか。喜んでいいものかどうかを迷っていると、族長が続ける。
「上の様子はほんの少しだが知っとるよ。ちゃんと密偵をはなっとるからね。我らはこんな見てくれだからあまり深い所にはいけんが、最低限の常識位は知っとる。さっきのはなかなか上手いはったりだったの」
ほっほっと笑う族長。うまくいったかと思って調子に乗っていた自分が、少し恥ずかしく感じる。
だが、そうなるとひとつおかしな点がある。
「こいつは……本当に胡椒と言うんですか?」
肉の上にあった胡椒をつまみあげ、族長の答えを待つ。族長は相変わらずの笑顔のまま、口を開く。
「そうじゃよ。コショウ。コショー。胡椒じゃな。お主の口から胡椒の名が出た時は心臓が止まるかと思ったわい。上には無いはずの物の名前じゃからな」
族長は機嫌の良さそうな顔のままそう言うと、急に真剣な表情となり、ずいっと乗り出してくる。
「お主、異世界から来たじゃろう」
今度はこちらが驚かされる番だった。
「これは……凄いな」
目の前に広がる絶景に、素直な感想が漏れる。
高さ二十メートル程はあろうか。奥行きはいったいどれだけあるのか検討も付かない。本来であれば闇に閉ざされているであろう巨大な洞窟は、まるで昼間の様な明るさに包まれている。
入り口を除く壁という壁がまばゆいばかりの光を発しており、もし天国というものがあればこんな感じなのだろうかという感想を抱かせる。
断りを入れてから壁へ近づくと、指先で光へと触れる。柔らかい感触と共に手に残った光は、やがて輝きを失い小さな苔へと変わる。
「カデリアヒカリゴケだわ。凄い……こんなに群生してるなんて」
感嘆とした様子のミリア。「珍しい物なのか?」と訊ねると、首を縦に振る。
「洞窟内で薄暗い光を発する程度なら見た事があるわ。魔力を養分にしてるって言われてる。ほとんど繁殖しないから……いったい何万年をかけてこうなったのかしら」
ミリアの答えに、指先に残った苔の残骸だけで何十年分かの量となるのだろうか?と少し後ろめたい気持ちになる。
「すごい、これ全部畑ですよね?」
ジーナの声に目を移すが、植物らしき物は見当たらない。腰を屈めて土をすくうと、確かに柔らかい土だという事がわかる。
「植物が育つって事は紫外線も出てるのか……すごいな。まるでビル栽培だ。地球に持ってったら革命が……って、向こうに魔力は無いからだめか」
こちらにしかわからない感想を口にするアキラ。そうだなと笑いながら答えると、族長がこちらを見やる。
「この畑を作ったのは、お主と同じ別の世界から来た者じゃよ。一体どれだけ大昔の事かはわからんがの」
族長の言葉にそういう事かと頷くと、遠い過去にここへ楽園を造った来訪者に尊敬の念を抱く。胡椒の株か種を持っていたという事は農業従事者だろうか?現代から来るのみとは限らないだろうから、もしかしたら大航海時代やもっと太古の地球人だったのかもしれない。いずれにせよ並々ならぬ努力と運。そして意思の力が要ったことだろう。
「なあなあ、これって収穫が終わった後なのか?」
土を手で掘り返すウルがそう発すると、族長はゆっくりと首を振る。
「残念ながらそうでは無いよ。どれも枯れてしまったんだて。水がのうてな」
悲しそうな顔の族長。ほとんど何も無い土だけの畑を遠く眺めると、小さく笑みを浮かべる。
「じゃが、来年にはまた実りが出来ようて。地底湖の上に空いた穴も今総出で塞いどる。もうあのような化け物が入ってくる事もないじゃろう……どうだお主。お前さんがどれだけの事をしてくれたのか、わかってくれたかいの?」
族長の言葉に、どうやら全く関係の無い所で壮大な人助けをしていたようだと、複雑な表情を浮かべる。族長はそんなこちら見やると、「だが、その来年までに我々のほとんどは持たん」と続ける。
「貯蔵庫にいくらかの蓄えはあるが、全ての仲間を食わせるには到底足りぬ量。我々はほとんどの幼子を間引こうとしてた所じゃ…………火の国の英雄よ。どうかいま一度我々を救って下さらんだろうか。胡椒は無いが、希少な鉱物や宝石はある。きっとお主らが欲しがる物もあるじゃろう」
そう言うと跪こうとする族長を、慌てて押しとどめる。顔を上げて仲間の顔を見ると、誰もが強い表情で頷いて来る。
――答えは決まってるってか……くそ、言うほど簡単な事じゃないぞ
フレアの政治的な立ち位置や、地理的な困難さ。収穫の時期から遠い事や、人手の問題もある。
アキラを筆頭に素直な人間愛を発揮した仲間達を少し恨めしげに見やると、
頭の中で計画を立て始めた。
守れ幼子ノータッチ